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16 買い物
しおりを挟む食事をしながらくつろいでいたその時。
「きゃああっ!」
鋭い悲鳴が通りを裂いた。
視線を向けると、人混みをかき分けて、男が二人、全速力でこちらに走ってくる。
片方の手には、女性のバッグ。
「ひったくり!?」
私がそう呟いた瞬間、カイルさんの気配が変わった。
「下がってろ」
その一言と同時に、カイルさんが一歩、前へ出た。空気が、張りつめる。彼の足音が一度だけ、石畳を叩いた。
「邪魔だどけっ!」
ひったくりが怒鳴りながら、こちらへ突進してきた。その瞬間、風が唸った。カイルさんの体がほとんど音もなく動く。男の手を掴んだかと思えば、手首が逆方向へ折られ、悲鳴と共にバッグが宙を舞った。そのまま男の体を引き寄せ、膝を軸に体重を乗せて地面に叩きつける。鈍い音。土埃が舞う。
それを見たもう一人が、彼の後ろから飛びかかる。
「カイルさん後ろっ!」
私が声を上げるより早く、カイルさんが片腕で相手の拳を受け止め軸をずらし、後ろ足で蹴り上げた。男の体が宙に浮き、ひっくり返るように地面へ。その動作に、一切の迷いも無駄もなかった。
静寂。通りの人々が息を呑む。
倒れた二人を冷静に見下ろしながら、カイルさんが低く言った。
「誰か、警備隊を呼んでくれ」
低い声。命令でも怒号でもないのに、通りの空気が一瞬で従う。私は地面に落ちたバッグを拾い上げながら、彼の背中を見て息を詰めた。魔法なんて使わなくても、この人こんなに強いんだ。
やがて警備隊が駆けつけ、犯人たちを引き取っていった。
「ご、ごめんなさいねぇ。本当にありがとう。助けてもらえなかったら、どうなってたか……」
バックを手渡すと、被害者の年配の女性が私の手を握る。何度も頭を下げられ、私は慌てて「いえ、お気になさらず」と手を振った。
少し離れたところで、カイルさんが袖についた砂を払っているのが見えた。
「魔法は使わなかったのですね」
「わざわざ魔法を使って目立つ必要もないし、あの程度の捕物で魔法を使う必要もないだろう」
冷たくも合理的なその判断に、私は内心「かっこよすぎでしょ」とつぶやいた。本人には恥ずかしいから言わないけど。
その後、私たちは米に似た穀物を扱う店を見つけた。店主に食べ方を聞いたけど、やはり米のような穀物だ。
どのくらい買うか悩んだけど、カイルさんに「多めに買っておくといい」と言われた。確かに頻繁には買いに来れないだろうと思い、多めに買うことにする。だけど、やっぱりラオスは思ったよりも重い。
帰り道、結局カイルさんが全部抱えてくれる。申し訳ないやらありがたいやらで、「本当にすみません……」と何度も言う。彼は「気にするな」と短く返事をする。だけど、その言葉に優しさを感じた。
馬車へ向かう途中、さっきの年配の女性と再び出会った。彼女は私たちの前で立ち止まり、手を胸に当てて深く頭を下げる。
「先ほどは慌てていて、ちゃんとお礼もできずに失礼しました。よろしければ、うちの店に寄ってお茶でもいかがですか? 本当に感謝していますの」
彼女は申し訳なさそうな顔をしながら、温かい笑顔で誘ってくる。カイルさんは一瞬だけ私に顔を向け、首を振るように見えたが、女性の熱心さに押されるのか、わずかに眉を動かして黙っている。「では、少しだけ」と言って、二人でついていくことにした。
店に入ると、そこは小さなアクセサリー店だった。棚に並ぶのは、繊細に彫られたブレスレットや、淡い金属の光を放つネックレス。模様はどれも独創的で、どの品も一点物だとすぐにわかる。
その中でひときわ目を引いたのが、青い石がついたネックレス。きれい、まるでカイルさんの瞳みたいだな。と、思わず見とれてしまったけど、恥ずかしくなってすぐに目を逸らした。
女性店主は嬉しそうに「これらは全部手作りでしてね、素材もこだわって作っておりますのよ」と話してくれる。
彼女が出してくれたお茶とケーキはこの地域の有名なお店のものらしい。生姜風味のお茶と、シナモンが香る梨のような果物のタルトだ。
「いただきます」
カイルさんは静かにフォークを入れ、「悪くない」と呟いた。その一言に、店主の女性が笑い、私もつられて笑ってしまう。この地域の話を聞いたりしながら、穏やかな時間を過ごした。
夕暮れの街を抜ける馬車。金色の陽が屋根を照らす。
「今日は楽しかったです。ついてきてくださって、本当にありがとうございました」
「ああ」
短い言葉。けれど、それが嬉しかった。
家に戻り、穀物を運び終えたところで、カイルさんがふと立ち止まった。
「これを渡しておく」
夕暮れが差し込む玄関先で、カイルさんが小さな包みを差し出した。手のひらほどの布袋。薄い灰色のリネンに、革紐が一度だけ結ばれている。
「……え?」
「お前が気にしてたやつだ」
包みを開くと、アシャルのお店で見た青の石とついたネックレスだった。薔薇のような花の中心には青い石が埋め込まれている。
「これ……!」
「ずっと見てただろう」
「い、いえ、ちょっと見てただけで……」
「店を出る前に、買っておいた」
さらりとした口調。いつもの無表情なのに、なぜか少しだけ照れているように見える。
「私がもらってもいいんですか?」
「別に高価なものじゃない。それに、お前が貰わなければ、俺がつける事になる」
「えっ、似合わないと思います」
「だろうな」
その静かなやり取りに、自然と笑いがこぼれた。
「嬉しい……。ありがとうございます、大切にします」
「ああ」
それだけ言うと、彼は手を軽く振り、振り返らずに歩き出した。長い影が夕日に伸びる。
去っていく背中を見ながら、胸の奥で小さく息を吸った。
静かな玄関。
扉を閉めた途端、部屋の中が急に広く感じた。ネックレスを両手で包む。ひんやりとした金属の感触。青い石の奥に、ほんの少し光が揺れていた。
カイルさんからもらったネックレス。そう思うと、胸の奥がまた熱くなった。
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