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第六話【熱々じゅわっとハンバーグ】何事にも初めてはつきものです。
[1]ー1
しおりを挟む重ね合わせた唇を少しずらして、下唇をやわやわと喰まれる。
優しく丁寧な動きになぜかぞくりと背中が粟立って、鼻から抜けるような声が出た。
そんな美寧の反応に応えるように、怜はまた彼女の口を塞ぐ。唇に吸い付く水音がたまらなく恥ずかしい。
背中を這うぞくぞくとした痺れは腰にまで来て、立っている足に力を入れているのがやっと。縋りつこうと伸ばした両手を、美寧は途中で止めた。
(て、手…ベタベタだった……)
どうしてこんなことになっているのだろう。さっきまでハンバーグを丸めていたのに―――。
エプロンを着けて降参のポーズで固まりながら、美寧は怜の口づけに翻弄されていた。
「ふっ…」
長い口づけに息苦しくなって吐息が漏れる。
かすかに開いた唇の合間をペロリと生温かいものになぞられ、カクンと力が抜けその場に崩れ落ちそうになった時、美寧の腰を長い腕が易々とさらった。
「大丈夫ですか?」
くたりと力の抜けた体を支える怜は、何事も無さげに彼女の顔を覗き込む。
(ううっ、……みんなれいちゃんのせいなんだから!)
使うことの出来ない手も、力の入らない足も、―――熱い体も。
八つ当たりのような悔し紛れのような気持ちで、眉を吊り上げながら怜を睨む。
「可愛いな……」
それなのに、怜は意味不明な呟きを返すと、再び美寧の唇を啄ばんできた。
「んっ、…も、…れいちゃ、」
「もう駄目だ」と彼を押しとどめたいのに、角度を変えて何度も唇を塞がれて言うことが出来ない。押し返そうにも―――この手だ。
(もうっ!汚れちゃっても私は悪くない!)
怜の服を汚す覚悟を決めて、彼の胸を両手で押そうとしたその時。
―――ピンポーン
ドアホンが来客を知らせた。
***
「三十六度ちょうど。熱は無いわね」
「……はい」
リビングのソファーに座って目の前の女性に返事をした。
「はい、大きくあーん。舌出して」
美寧は言われるままに口を開け、舌を伸ばす。
「うん、よし。正常」
舌圧子とライトを戻したその女性は、それまでの真剣な瞳を和らげた。
「ユズキ。来るんだったらそう言ってくれたら良かったのに」
キッチンからコーヒーを運んで来た怜が言う。
「たまたま近くまで来たから、久々に美寧ちゃんの様子を見ておこうと思ってね。お邪魔だったかしら?」
「いや、別に」
怜はそっけなく返事を返す。
「『邪魔じゃない』とは言わないんだ」という突っ込みを受けた怜は無表情のままなのに、なぜか美寧の頬が朱色に染まる。
「来た時に美寧ちゃんが赤かったから、また熱でも出たのかと思ったわ」
「えっ、…そ、それは……」
「料理の途中でキッチンが暑かったのだろう」
なんて説明していいのか分からず、しどろもどろになってしまう美寧の横で、怜がサラリと答えた。
「まあいいわ。患者が健康なら私はそれで」
何かを見透したような瞳に、美寧はなぜかむずむずと落ち着かない気分にさせられ、視線を床に落とした。
急な来客の正体は、怜の友人で医師のユズキだ。
公園で倒れていた美寧を連れて帰ったあの日。
意識を失っている美寧を診てもらうために、怜がこの家に彼女を呼んだのが最初。
美寧が目を覚ました時にはもうユズキは帰った後で、美寧がユズキに対面したのはそれから一週間ほど経ってからだった。
「その後、体調はどうかしら?」
仕事用と思われるタブレットを片手に、美寧の様子を訊く姿はまさに“問診”。
これで白衣でも着ていれば完全に病院の医師そのものだが、今の彼女は完全な私服なので、パッと見は分からない。
背中の中ほどまであるワンレングスの髪は艶やかに波打ち、胸元まで止められたボタンのシャツとタイトなスカートと言うシンプルな出で立ちは、悩ましいほど女性らしいボディラインを寧ろ際立たせている。
濃くも薄くもないポイントを抑えた無駄のないメイクは、彫の深い端整な顔立ちを更に美しく魅せる。
成熟した女性の色香が漂う彼女は、美寧から見たら“大人の女”そのものだった。
「……元気です」
「そう。胃の調子は?吐き気はある?食事はちゃんと取れてるかしら?」
「胃は…今は全然痛みません。吐き気も無いです。食事は……」
「ちゃんと食べられてるよ。量は少ないけれど、あの頃よりは格段にいい」
一瞬言い澱んだ美寧をフォローするように、怜が言葉を添えた。
「フジ君のお墨付きね。なら“OK”――と」
タブレットにそう書き込むとユズキは、エンターキーを軽やかにタップした。
「じゃあ今回の問診終了」
タブレットのカバーを閉じたユズキは、美寧の顔を見ながらにっこりと微笑んだ。
「お仕事は終わりよ。じゃ、美寧ちゃん一緒に女子会しましょ!」
「え?」
「ちょっと美寧ちゃん借りるわね、フジ君!」
「お、おい、ユズキ!」
怜が声を掛けた時には既に、ユズキは美寧の腕を掴んで立ち上がったところで、当の美寧は何がなんだか分からないうちに、そのまま彼女によって連れ出されてしまった。
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