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第五話【優しさ香るカフェオレ】迷い猫に要注意!
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***
美寧が事務所に行っている間にコーヒーの会計を済ませた怜は、美寧が戻ってくるとその手に持った荷物を受けとり、そのまま反対の手で彼女の手を握る。美寧は少し頬を染めてはにかむと、嬉しそうに怜を見上げて微笑んだ。
「お先に失礼します」
カウンターの方を振り向いて頭を下げた美寧に、マスターは軽く手を上げ「お疲れさま」と言う。
ドアベルを鳴らして二人が出て行くのを見送ると、さっき怜に出したコーヒーカップを洗いに行く。閉店の札は怜の会計前にドアに掛けて置いたから、今日はもう他に客は来ない。
(二人目の娘に彼氏が出来た気分だな……)
なんだか複雑な父親の心境になってしまう。
奥さんの連れ子である娘を嫁に出した安堵と寂しさは、何とも言えないバランスでいつも彼の心の中にある。
血は繋がっていないが娘のことは結婚前の小さな時から知っていて、当時から目の中に入れてもいたくないくらいに可愛がってきた。娘を溺愛する父親選手権が有れば確実に一位になれる自信すらある。
けれど、娘から初めて今の旦那である彼を紹介された時、とうとう“子離れ”の時期が来たのだと思った。もちろんその相手が娘を安心して任せられる人物であることを確信するまでは子離れするつもりはなかったのだが。
そんな彼の寂しさを埋めてくれたのは、もちろん妻の存在とこの店だった。最近になってそれに美寧が加わった。
美寧はどこか出会った頃の娘に似ている。
小柄なところやコロコロと変わる好奇心旺盛の表情もあるが、心の奥深くに潜んだ“闇”のようなものを感じることがある。それは普段は見せることのないものだが、ふとした瞬間に、瞳の奥に寂しげに翳るときがあるのだ。
娘のそれは、きっとシングルマザーだった母親が仕事でほとんど彼女にかまえなかったからだろう。それも自分と母親が結婚してからは徐々に無くなっていった。
(美寧はいったいどんな闇を心に抱えているんだろうか……)
自分が助けてあげられることならそうしてやりたいが、きっとその役目は自分ではなく彼なのだろう。
洗い物をしながら物思いに耽っていると、鳴る予定のないドアベルがカランと音を立てた。
「すみません、今日はもう閉店で―――」
言いながら顔を上げ、目に入った人物に言葉を止める。
「予定より早かったのね」
「由香梨さん…」
「あら?どうしたの、ヒロ?なんだか複雑そうな顔をして」
「ああ……ちょっと色々と考え事をしてたんだ」
「考え事?」
「美寧のこと。……俺と由香梨さんが結婚する前の杏に似てるなって」
「杏奈と美寧ちゃんね…そうね、似てるかもね」
「由香梨さんもそう思う?」
「ええ……でも、美寧ちゃんは大丈夫」
「そう……だろうか」
「ええ。彼女にも素敵な人がついているわ。私たちの娘のようにね?」
妻の言葉にマスターは一瞬苦虫を噛み潰した顔をしてから「ああ」と頷く。
「それに何かあれば私たちもいるでしょ?もしも美寧ちゃんが何か困っていることがあれば、あなたも私も出来ることはなんでもするでしょう?」
「もちろんだ」
「だから大丈夫」
眼鏡の奥の瞳を和らげてにっこりと微笑んだ妻に、マスターは安堵の息を吐きだした。
「そうだな。俺たちもいるもんな」
「そうよ。それよりも早く杏奈のところへ行きましょう。今日はあちらに泊めてもらうことになっているけれど、杏奈の体調も気になるし、早く行ってあげた方がいいわ」
「そうだな。急ごうか」
マスターは急いで片付けを済ませ、鍵を閉めようとドアに近付いた。そして「あっ」と思い出したようにカウンターの方へと踵を返した。
カウンターから持って来たのは一枚の紙。
それをドアの外側に貼ると、今度こそ鍵を掛けた。
そうして奥さんと二人事務所の勝手口から外に出る。二人は足早に店を後にした。
店のドアに貼られた紙には
【臨時休業のおしらせ
明日七月二十九日(月)は、店主の都合により、臨時休業とさせていただきます】
と書かれていた。
【第五話 了】
美寧が事務所に行っている間にコーヒーの会計を済ませた怜は、美寧が戻ってくるとその手に持った荷物を受けとり、そのまま反対の手で彼女の手を握る。美寧は少し頬を染めてはにかむと、嬉しそうに怜を見上げて微笑んだ。
「お先に失礼します」
カウンターの方を振り向いて頭を下げた美寧に、マスターは軽く手を上げ「お疲れさま」と言う。
ドアベルを鳴らして二人が出て行くのを見送ると、さっき怜に出したコーヒーカップを洗いに行く。閉店の札は怜の会計前にドアに掛けて置いたから、今日はもう他に客は来ない。
(二人目の娘に彼氏が出来た気分だな……)
なんだか複雑な父親の心境になってしまう。
奥さんの連れ子である娘を嫁に出した安堵と寂しさは、何とも言えないバランスでいつも彼の心の中にある。
血は繋がっていないが娘のことは結婚前の小さな時から知っていて、当時から目の中に入れてもいたくないくらいに可愛がってきた。娘を溺愛する父親選手権が有れば確実に一位になれる自信すらある。
けれど、娘から初めて今の旦那である彼を紹介された時、とうとう“子離れ”の時期が来たのだと思った。もちろんその相手が娘を安心して任せられる人物であることを確信するまでは子離れするつもりはなかったのだが。
そんな彼の寂しさを埋めてくれたのは、もちろん妻の存在とこの店だった。最近になってそれに美寧が加わった。
美寧はどこか出会った頃の娘に似ている。
小柄なところやコロコロと変わる好奇心旺盛の表情もあるが、心の奥深くに潜んだ“闇”のようなものを感じることがある。それは普段は見せることのないものだが、ふとした瞬間に、瞳の奥に寂しげに翳るときがあるのだ。
娘のそれは、きっとシングルマザーだった母親が仕事でほとんど彼女にかまえなかったからだろう。それも自分と母親が結婚してからは徐々に無くなっていった。
(美寧はいったいどんな闇を心に抱えているんだろうか……)
自分が助けてあげられることならそうしてやりたいが、きっとその役目は自分ではなく彼なのだろう。
洗い物をしながら物思いに耽っていると、鳴る予定のないドアベルがカランと音を立てた。
「すみません、今日はもう閉店で―――」
言いながら顔を上げ、目に入った人物に言葉を止める。
「予定より早かったのね」
「由香梨さん…」
「あら?どうしたの、ヒロ?なんだか複雑そうな顔をして」
「ああ……ちょっと色々と考え事をしてたんだ」
「考え事?」
「美寧のこと。……俺と由香梨さんが結婚する前の杏に似てるなって」
「杏奈と美寧ちゃんね…そうね、似てるかもね」
「由香梨さんもそう思う?」
「ええ……でも、美寧ちゃんは大丈夫」
「そう……だろうか」
「ええ。彼女にも素敵な人がついているわ。私たちの娘のようにね?」
妻の言葉にマスターは一瞬苦虫を噛み潰した顔をしてから「ああ」と頷く。
「それに何かあれば私たちもいるでしょ?もしも美寧ちゃんが何か困っていることがあれば、あなたも私も出来ることはなんでもするでしょう?」
「もちろんだ」
「だから大丈夫」
眼鏡の奥の瞳を和らげてにっこりと微笑んだ妻に、マスターは安堵の息を吐きだした。
「そうだな。俺たちもいるもんな」
「そうよ。それよりも早く杏奈のところへ行きましょう。今日はあちらに泊めてもらうことになっているけれど、杏奈の体調も気になるし、早く行ってあげた方がいいわ」
「そうだな。急ごうか」
マスターは急いで片付けを済ませ、鍵を閉めようとドアに近付いた。そして「あっ」と思い出したようにカウンターの方へと踵を返した。
カウンターから持って来たのは一枚の紙。
それをドアの外側に貼ると、今度こそ鍵を掛けた。
そうして奥さんと二人事務所の勝手口から外に出る。二人は足早に店を後にした。
店のドアに貼られた紙には
【臨時休業のおしらせ
明日七月二十九日(月)は、店主の都合により、臨時休業とさせていただきます】
と書かれていた。
【第五話 了】
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