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16 11月11日 第二軍、北の大都クンカーに至る
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ヤーノフはテレシコフ老の忠告を忠実に守った。
「もしお前が敵に話に向かう時は必ず丸腰で行くことだ。寸鉄も帯びてはならぬ。そして何か白い布切れを持って行け。敵の陣営地が見えたら、それを思い切り振るのだ。それが帝国の軍使の作法らしい」
「軍使の作法・・・」
「それを小半時も続け、それから河を渡るがよい・・・」
もういいだろう。
河の北岸に立っていた彼は白い布を下ろした。そして布よりも白い息を吐いた。しばらくじっと手にした布を見ていたが、やがてそれを毛皮の上に掛けた革帯に挟み込み、良く見えるように胸の上に広げた。
そして、最後に背後を、今超えて来たばかりの北の山の彼方を振り返った。
二人の妻、マリーカにエレナよ。そして六人の子供たち。美しく賢いハナ。勇気あるボリス。俊敏なミハイル。そしてまだ幼いヨハンにイワノフ、そしてカーチャ・・・。
さらばだ・・・。
もし父が帰らぬでも、立派に生きて行け。
これから父はお前たちに幸せを与えるために、行く。
そして、ヤーノフは万感の思いを振り切るように首を返し、南に向かって河を渡った。
岸はすでに凍り始めていた。水面は急な気温の上昇でわずかに水蒸気が立ち込めていた。
冬枯れで水量はくるぶしまでもなかった。毛皮の長靴に凍みこんでくる水が足が千切れそうになるほど、冷たかった。
中ほどまで来ても対岸に動きはなかった。そこでヤーノフはさらに両手を大きく広げた。敵意の無いことを示すためだ。自身三度目となる越境。歩調はゆっくりと、だが一歩一歩確実に、ヤーノフをして帝国の土地へと運んでいった。
対岸に、立った。
そこに、今年の初夏オム族が打ち負かされた時のだろう、帝国の陣地の跡があった。木材同士を頑丈に効率よく組むその防護柵の組み方一つ見ても、それが信じられないほどの短時間で為されたことを伝え聞いたあとでも、帝国のありふれた一兵でさえ、高度な技を持っていることを彼に悟らせた。
是非、この技を会得せねば・・・。
そう思い顔を上げた時、ヤーノフはすでに三人のテッポーを持った帝国兵に取り囲まれていることを知った。
後ろ手の縛めは甘んじて受けた。それは想定の内だった。是が非でもこの一族の族長に会いたい。その一念がヤーノフを全てに耐えさせ、衝き動かしていた。
帝国の兵たちに連れられ森を抜けると、前に来たことがある左右東西に伸びる道に出た。過去二回の南進ともこの道路を超えることさえかなわずに撃退されたのを思い出した。
その道を横断してさらに森に入りしばらく行くと河原にあったものよりもはるかに立派な木組みをした陣地があった。十数名ほどの兵が陣地の上からヤーノフを見下ろしていた。中に女がいた。鉄の帽子の下には若妻のエレナより白い肌に艶やかな金髪、そして碧い目。帝国は女も兵として使っているのに、まず驚いた。
陣地の下でしばし待たされ、やがて馬が連れてこられた。両手が使えないから手綱が取れないなと思っていると帝国の兵が踏み台を用意してくれた。どうせ殺されるかもしれない野蛮人に、大層なことだ。覚悟さえ揺るがねば肝も据わる。いつの間にかヤーノフには大きな余裕が生まれていた。
ここまで来ればジタバタしても仕方がない。全ては自ら望んだことなのだから。
前後を二人ずつ四人の兵に守られ、監視されつつ、ヤーノフは森の中のけものみちを馬の背に揺られた。
陽の光の角度が大きく上に動いたのを感じるほどの時が経った。
急に目の前が開け、先刻見た陣地の数倍はある大きな陣地が目の前に聳えていた。石で壁が築かれている堅固なものだ。この石組も高度な技だと感得した。自然の石ではない。正確に四角に切り、かつ表面を滑らかに磨いてある。それに石と石との隙間がまったく無い。ぜひ、学ばねばならないと思った。石組みの上には遥かに高い櫓が組まれていてそのてっぺんに兵がいた。その兵もやはりヤーノフをじっと見下ろしていた。
その石の壁をぐるりと回った南側に入り口があるのは最初の陣地と同じだった。違ったのは、入り口の坂道の下に十数名ほどの兵が降りて来ていて、皆テッポーを構えてヤーノフを睨んでいたことだった。
そこで馬を下ろされた。徒歩で陣地の中に登った。
陣地は広大なものだった。多くの木の建物があったが、皆茶色に塗られていた。その中でまずヤーノフの目を惹いたのは厩だった。驚くほど多くの馬がいた。三十頭、いや五十頭はいた。皆馬格が大きい。兵も大勢いた。パッと見だが、少なくとも百はいた。
そして見慣れない不思議な四つの丸い輪の付いた箱を見た。あれはいったい何をするものだろうと考えていると、その箱の中に兵の一人が乗り込んで鋭い音と白と黒の煙を吐き、動き出したのだ。その箱は目を丸くして立ち竦むヤーノフの傍を通り過ぎるとスロープを下って陣営地の外に行ってしまった。
テッポーやカミナリの兵器、石組みや多くの馬だけではない。あの不思議な人の乗る箱だけをみても、我らが束になって掛っても帝国には敵わないと思った。
木の小屋の中で一番大きな建物の中に連れて行かれた。
外側もそうだが、木の建物の内部もヤーノフの家などとは比べ物にならぬほど精巧に作られていた。この技もぜひ、と見回していると木の衝立が動き、その奥にある部屋に入れられた。台と椅子があるだけの、外観と同じ茶色に塗られた壁のシンプルな部屋だった。シビル族のどの家の中にもこんな部屋はない。そこは何か人間的なものを拒絶するような、語彙がないから表現しにくい、抽象的な? 何のとっかかりもない、不味乾燥とでもいうような部屋だった。
そこでやっと戒めが解かれた。テッポーの兵が二人、そこに残った。
何も言われなかったので、自然に椅子に掛けた。それに何もすることが無かった。しかも、素っ気ない部屋。
だから二人の兵を観察した。兵たちは夏の服とは違って、着こんでいた。足元も我らと同じ長靴だが毛皮ではなく革靴。
落ち着いてそれらを観察する余裕が生まれ、そこで初めて気が付いた。これほどまでに彼らのテッポーを近くで見たのが初めてだったということを。我らの弓の十倍は飛ぶ弾を撃ちだす筒。不思議に撃たれる恐怖はなかった。もう死ぬことは覚悟のうえで来たのだ。そのせいかもしれない。そのせいか無性にテッポーを手に取ってみたくなったが、明らかにヤバそうなのでガマンした。
と、
ヤーノフと同じ青い肌の背の高い痩せぎすの男が帝国兵と同じ服を着て現れたから驚いた。
ははあ・・・。
これがテレシコフ老が言っていた、帝国の奴隷になったヤツ、か・・・。
背の高い奴隷がヤーノフの真向かいに座った。
「部族名と名を名乗れ。お前は族長か?」
河を渡って初めて、自分たちの言葉を聞いた。
だが、少しムカついた。他の部族の者だとて、他の部族の、仮にも族長を捕まえて「お前」とはなんだ、と。決して許せる態度ではない。密かに腹を立てていると、
「オレはアレクサンデル。以前ウクライノ族にいた者だ。もう一度訊く。部族名と名を名乗れ。お前は族長か?」
アレクサンデルという名の同じ民族の男は変わらない態度で見下して来た。言い返そうと思っていたら、ドアが開いた。ヤーノフよりはるかに背の低い、弱そうな男が入ってきた。アレクサンデルが立って片手を上げて礼のようなものをとっていたから、もしかするとエラいヤツなのかもしれん、と思った。小男はアレクサンデルに何かを訊いていた。これが族長なのだとすれば、帝国も、言うほど恐るるに足らんなと思った。今までの驚きは見掛け倒しこけおどしなのか、と。
その小男がアレクサンデルの隣に、ヤーノフの真向かいに座った。彼は傍らのアレクサンデルに何かを言い、アレクサンデルが、それをヤーノフにわかる言葉に変えた。
「もう一度訊く。部族名と名を名乗れ。そして、国境を越えた理由を言え」
この態度が続くうちは、意地でも言わないつもりだった。
ヤーノフは鷹揚に構え、椅子の背にふんぞり返った。
小男は満面に笑みを湛え、面白そうに青い肌の大男を見つめていた。
十一月十一日。早朝。
ついに第二軍の一部隊がクンカーの東の郊外にある丘の上に達した。
白い雪をうっすらと乗せた甍の波が続く街並みは明らかに帝国の街々とは異質の趣を見せていた。
数十門の長距離砲が移動を終え、配置に着いた。
「ファイエル!」
恐るべき破壊力がついにチナ第三の都市であるクンカーに放たれた。第三斉射ほどでもう、市街の一部に火の手が上がった。やはりここでも大勢の避難民が歩兵の前線に大挙してやってきたが、第二軍のクンカー攻略担当部隊である第十六軍団の歩兵たちは、機関銃を彼ら彼女らの頭の上に威嚇射撃して追い返した。この街の人口は約四十万ほどだというが、そんな人数を収容する施設があるわけもないし、命令は厳然としてあった。ほぼ横一線で向かって来た帝国軍の背後に逃れる隙は、皆無だった。今回もまた避難民たちは皆元来た道をぞろぞろと引き返し、その姿が見えなくなるまでの間は長距離砲の砲撃が中断された。
そして。
敵チナの主力と思われる一隊が燃え盛る市街を迂回して帝国陸軍の標準野砲である五十ミリ砲を撃って来たころから、この「対チナ戦役」がようやく本格の戦闘状態に入った。
つまり、本戦役の主役である第三軍進撃の時が、ようやく訪れたというわけだった。
最前線後方の第二軍司令部では、ハットン中将とその幕僚たちが各前線部隊から送られてくる戦闘詳報を吟味していた。
「ようやく敵の主力が出てきましたね」
「50ミリ砲は確認できましたが、わが軍の100ミリ榴弾砲に匹敵する砲は持っていないようです」
「もう一日現在の前線を維持してクンカー攻撃を続行し、明後日には市内の掃討に移りましょう」
「いや、どうにも腑に落ちないところがあるのだ」
とハットンはテーブルの上の地図と詳報の束とに目を落としながら首を傾げた。
「何か、ご懸念でも?」
参謀長が尋ねた。
ハットンはそれにはすぐには答えなかった。
「明日、前線を視察する。敵から来る風を肌で直に感じたいのだ。それを終えるまでは長距離砲の攻撃は街の手前までで留め、第十六軍団の歩兵部隊は陣地の守備に徹させた方がいいと思う」
ハットンは迷っていた。
どうも敵の反応が鈍すぎる。
チナ有数の都市が攻略されようとしているのだ。もっともっと反撃が大きくならねばならないはず。できればチナ全軍の半数はこの身に引き受けたい。それほどの覚悟で臨んでいた。そうすることで初めて、はるか南からこれから敵中に深く食い込んでゆく第三軍機甲部隊の進軍が容易になる。
準備会議ではモンゴメライ大将に反駁したハットンだったが、意見の相違のために全軍の方針を誤るような男ではなかった。ましてや遺恨や私怨で大方針を曲げるような浅はかな人物ではない。彼は全軍の中で自軍の置かれている役割を正確に捉えていた。
第二軍は「囮」なのだ。もっともっと、敵を引きつけたかったのだった。まだ敵が足りないと思った。
「視察後のことだが、最北方の第十七軍団を大きく北に纏回(じょうかい)させて先にクンカー郡部を攻略させてはどうか。敵に我々が「点」ではなく「面」だと思わせたいのだ。我々の包囲からクンカーを救わねばならんと、我々が本気で北からチナ全土を侵略しようとしていると思わせたいのだ。そのためにはクンカー中心部の攻略は後に残したい。もっと広範囲に、ハデに暴れまわりたいのだ」
「ですが司令官閣下、クンカー攻略に着手したら統合参謀本部に一報することになっております。通報はいたしますが、よろしいですね?」
それが当初からの申し合わせだからハットンに異議は差し挟めなかった。
どうも部下たちもモンゴメライ大将も、あまりにも通り一遍で功を焦り過ぎているような気がする。本来、いくさというものは、それではいかんのだが・・・。
ハットンは若い将官だった。だが堅実な軍人でもあった。
第二軍のハットンと第三軍のモンゴメライ。この二人の相違はハットンが貴族であり、モンゴメライが平民出身であることに由来するかもしれない。士官学校の優等生であり元老院に議席も持つハットンは功を焦る必要が無かった。彼は無理押しせずにセオリー通り、堅実に部隊を運営するのを好んだ。
対してモンゴメライは実績を積んで昇進を重ねてきた武人だった。もしかすると今回の戦役の功によって元老院入りを狙っているのでは、との噂もある人物だった。こうした堅実で慎重な貴族出と果敢で積極的な平民との葛藤、競合は帝国のいたるところで見られる風景だったが、この二人の場合はその典型だったかもしれない。
「通報はする。だが、敵情が思いのほか薄いことは第二軍の意見として是非付け加えてもらいたい。我が第十七軍団の郡部攻略で刺激された敵の増援部隊が現れるまで第三軍の進発は待つ方がいいとの意見も併せて付け加えて欲しい」
そうでないと、大局を誤る恐れがある。多分にある。
ハットンは、それを怖れていた。
「もしお前が敵に話に向かう時は必ず丸腰で行くことだ。寸鉄も帯びてはならぬ。そして何か白い布切れを持って行け。敵の陣営地が見えたら、それを思い切り振るのだ。それが帝国の軍使の作法らしい」
「軍使の作法・・・」
「それを小半時も続け、それから河を渡るがよい・・・」
もういいだろう。
河の北岸に立っていた彼は白い布を下ろした。そして布よりも白い息を吐いた。しばらくじっと手にした布を見ていたが、やがてそれを毛皮の上に掛けた革帯に挟み込み、良く見えるように胸の上に広げた。
そして、最後に背後を、今超えて来たばかりの北の山の彼方を振り返った。
二人の妻、マリーカにエレナよ。そして六人の子供たち。美しく賢いハナ。勇気あるボリス。俊敏なミハイル。そしてまだ幼いヨハンにイワノフ、そしてカーチャ・・・。
さらばだ・・・。
もし父が帰らぬでも、立派に生きて行け。
これから父はお前たちに幸せを与えるために、行く。
そして、ヤーノフは万感の思いを振り切るように首を返し、南に向かって河を渡った。
岸はすでに凍り始めていた。水面は急な気温の上昇でわずかに水蒸気が立ち込めていた。
冬枯れで水量はくるぶしまでもなかった。毛皮の長靴に凍みこんでくる水が足が千切れそうになるほど、冷たかった。
中ほどまで来ても対岸に動きはなかった。そこでヤーノフはさらに両手を大きく広げた。敵意の無いことを示すためだ。自身三度目となる越境。歩調はゆっくりと、だが一歩一歩確実に、ヤーノフをして帝国の土地へと運んでいった。
対岸に、立った。
そこに、今年の初夏オム族が打ち負かされた時のだろう、帝国の陣地の跡があった。木材同士を頑丈に効率よく組むその防護柵の組み方一つ見ても、それが信じられないほどの短時間で為されたことを伝え聞いたあとでも、帝国のありふれた一兵でさえ、高度な技を持っていることを彼に悟らせた。
是非、この技を会得せねば・・・。
そう思い顔を上げた時、ヤーノフはすでに三人のテッポーを持った帝国兵に取り囲まれていることを知った。
後ろ手の縛めは甘んじて受けた。それは想定の内だった。是が非でもこの一族の族長に会いたい。その一念がヤーノフを全てに耐えさせ、衝き動かしていた。
帝国の兵たちに連れられ森を抜けると、前に来たことがある左右東西に伸びる道に出た。過去二回の南進ともこの道路を超えることさえかなわずに撃退されたのを思い出した。
その道を横断してさらに森に入りしばらく行くと河原にあったものよりもはるかに立派な木組みをした陣地があった。十数名ほどの兵が陣地の上からヤーノフを見下ろしていた。中に女がいた。鉄の帽子の下には若妻のエレナより白い肌に艶やかな金髪、そして碧い目。帝国は女も兵として使っているのに、まず驚いた。
陣地の下でしばし待たされ、やがて馬が連れてこられた。両手が使えないから手綱が取れないなと思っていると帝国の兵が踏み台を用意してくれた。どうせ殺されるかもしれない野蛮人に、大層なことだ。覚悟さえ揺るがねば肝も据わる。いつの間にかヤーノフには大きな余裕が生まれていた。
ここまで来ればジタバタしても仕方がない。全ては自ら望んだことなのだから。
前後を二人ずつ四人の兵に守られ、監視されつつ、ヤーノフは森の中のけものみちを馬の背に揺られた。
陽の光の角度が大きく上に動いたのを感じるほどの時が経った。
急に目の前が開け、先刻見た陣地の数倍はある大きな陣地が目の前に聳えていた。石で壁が築かれている堅固なものだ。この石組も高度な技だと感得した。自然の石ではない。正確に四角に切り、かつ表面を滑らかに磨いてある。それに石と石との隙間がまったく無い。ぜひ、学ばねばならないと思った。石組みの上には遥かに高い櫓が組まれていてそのてっぺんに兵がいた。その兵もやはりヤーノフをじっと見下ろしていた。
その石の壁をぐるりと回った南側に入り口があるのは最初の陣地と同じだった。違ったのは、入り口の坂道の下に十数名ほどの兵が降りて来ていて、皆テッポーを構えてヤーノフを睨んでいたことだった。
そこで馬を下ろされた。徒歩で陣地の中に登った。
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そして見慣れない不思議な四つの丸い輪の付いた箱を見た。あれはいったい何をするものだろうと考えていると、その箱の中に兵の一人が乗り込んで鋭い音と白と黒の煙を吐き、動き出したのだ。その箱は目を丸くして立ち竦むヤーノフの傍を通り過ぎるとスロープを下って陣営地の外に行ってしまった。
テッポーやカミナリの兵器、石組みや多くの馬だけではない。あの不思議な人の乗る箱だけをみても、我らが束になって掛っても帝国には敵わないと思った。
木の小屋の中で一番大きな建物の中に連れて行かれた。
外側もそうだが、木の建物の内部もヤーノフの家などとは比べ物にならぬほど精巧に作られていた。この技もぜひ、と見回していると木の衝立が動き、その奥にある部屋に入れられた。台と椅子があるだけの、外観と同じ茶色に塗られた壁のシンプルな部屋だった。シビル族のどの家の中にもこんな部屋はない。そこは何か人間的なものを拒絶するような、語彙がないから表現しにくい、抽象的な? 何のとっかかりもない、不味乾燥とでもいうような部屋だった。
そこでやっと戒めが解かれた。テッポーの兵が二人、そこに残った。
何も言われなかったので、自然に椅子に掛けた。それに何もすることが無かった。しかも、素っ気ない部屋。
だから二人の兵を観察した。兵たちは夏の服とは違って、着こんでいた。足元も我らと同じ長靴だが毛皮ではなく革靴。
落ち着いてそれらを観察する余裕が生まれ、そこで初めて気が付いた。これほどまでに彼らのテッポーを近くで見たのが初めてだったということを。我らの弓の十倍は飛ぶ弾を撃ちだす筒。不思議に撃たれる恐怖はなかった。もう死ぬことは覚悟のうえで来たのだ。そのせいかもしれない。そのせいか無性にテッポーを手に取ってみたくなったが、明らかにヤバそうなのでガマンした。
と、
ヤーノフと同じ青い肌の背の高い痩せぎすの男が帝国兵と同じ服を着て現れたから驚いた。
ははあ・・・。
これがテレシコフ老が言っていた、帝国の奴隷になったヤツ、か・・・。
背の高い奴隷がヤーノフの真向かいに座った。
「部族名と名を名乗れ。お前は族長か?」
河を渡って初めて、自分たちの言葉を聞いた。
だが、少しムカついた。他の部族の者だとて、他の部族の、仮にも族長を捕まえて「お前」とはなんだ、と。決して許せる態度ではない。密かに腹を立てていると、
「オレはアレクサンデル。以前ウクライノ族にいた者だ。もう一度訊く。部族名と名を名乗れ。お前は族長か?」
アレクサンデルという名の同じ民族の男は変わらない態度で見下して来た。言い返そうと思っていたら、ドアが開いた。ヤーノフよりはるかに背の低い、弱そうな男が入ってきた。アレクサンデルが立って片手を上げて礼のようなものをとっていたから、もしかするとエラいヤツなのかもしれん、と思った。小男はアレクサンデルに何かを訊いていた。これが族長なのだとすれば、帝国も、言うほど恐るるに足らんなと思った。今までの驚きは見掛け倒しこけおどしなのか、と。
その小男がアレクサンデルの隣に、ヤーノフの真向かいに座った。彼は傍らのアレクサンデルに何かを言い、アレクサンデルが、それをヤーノフにわかる言葉に変えた。
「もう一度訊く。部族名と名を名乗れ。そして、国境を越えた理由を言え」
この態度が続くうちは、意地でも言わないつもりだった。
ヤーノフは鷹揚に構え、椅子の背にふんぞり返った。
小男は満面に笑みを湛え、面白そうに青い肌の大男を見つめていた。
十一月十一日。早朝。
ついに第二軍の一部隊がクンカーの東の郊外にある丘の上に達した。
白い雪をうっすらと乗せた甍の波が続く街並みは明らかに帝国の街々とは異質の趣を見せていた。
数十門の長距離砲が移動を終え、配置に着いた。
「ファイエル!」
恐るべき破壊力がついにチナ第三の都市であるクンカーに放たれた。第三斉射ほどでもう、市街の一部に火の手が上がった。やはりここでも大勢の避難民が歩兵の前線に大挙してやってきたが、第二軍のクンカー攻略担当部隊である第十六軍団の歩兵たちは、機関銃を彼ら彼女らの頭の上に威嚇射撃して追い返した。この街の人口は約四十万ほどだというが、そんな人数を収容する施設があるわけもないし、命令は厳然としてあった。ほぼ横一線で向かって来た帝国軍の背後に逃れる隙は、皆無だった。今回もまた避難民たちは皆元来た道をぞろぞろと引き返し、その姿が見えなくなるまでの間は長距離砲の砲撃が中断された。
そして。
敵チナの主力と思われる一隊が燃え盛る市街を迂回して帝国陸軍の標準野砲である五十ミリ砲を撃って来たころから、この「対チナ戦役」がようやく本格の戦闘状態に入った。
つまり、本戦役の主役である第三軍進撃の時が、ようやく訪れたというわけだった。
最前線後方の第二軍司令部では、ハットン中将とその幕僚たちが各前線部隊から送られてくる戦闘詳報を吟味していた。
「ようやく敵の主力が出てきましたね」
「50ミリ砲は確認できましたが、わが軍の100ミリ榴弾砲に匹敵する砲は持っていないようです」
「もう一日現在の前線を維持してクンカー攻撃を続行し、明後日には市内の掃討に移りましょう」
「いや、どうにも腑に落ちないところがあるのだ」
とハットンはテーブルの上の地図と詳報の束とに目を落としながら首を傾げた。
「何か、ご懸念でも?」
参謀長が尋ねた。
ハットンはそれにはすぐには答えなかった。
「明日、前線を視察する。敵から来る風を肌で直に感じたいのだ。それを終えるまでは長距離砲の攻撃は街の手前までで留め、第十六軍団の歩兵部隊は陣地の守備に徹させた方がいいと思う」
ハットンは迷っていた。
どうも敵の反応が鈍すぎる。
チナ有数の都市が攻略されようとしているのだ。もっともっと反撃が大きくならねばならないはず。できればチナ全軍の半数はこの身に引き受けたい。それほどの覚悟で臨んでいた。そうすることで初めて、はるか南からこれから敵中に深く食い込んでゆく第三軍機甲部隊の進軍が容易になる。
準備会議ではモンゴメライ大将に反駁したハットンだったが、意見の相違のために全軍の方針を誤るような男ではなかった。ましてや遺恨や私怨で大方針を曲げるような浅はかな人物ではない。彼は全軍の中で自軍の置かれている役割を正確に捉えていた。
第二軍は「囮」なのだ。もっともっと、敵を引きつけたかったのだった。まだ敵が足りないと思った。
「視察後のことだが、最北方の第十七軍団を大きく北に纏回(じょうかい)させて先にクンカー郡部を攻略させてはどうか。敵に我々が「点」ではなく「面」だと思わせたいのだ。我々の包囲からクンカーを救わねばならんと、我々が本気で北からチナ全土を侵略しようとしていると思わせたいのだ。そのためにはクンカー中心部の攻略は後に残したい。もっと広範囲に、ハデに暴れまわりたいのだ」
「ですが司令官閣下、クンカー攻略に着手したら統合参謀本部に一報することになっております。通報はいたしますが、よろしいですね?」
それが当初からの申し合わせだからハットンに異議は差し挟めなかった。
どうも部下たちもモンゴメライ大将も、あまりにも通り一遍で功を焦り過ぎているような気がする。本来、いくさというものは、それではいかんのだが・・・。
ハットンは若い将官だった。だが堅実な軍人でもあった。
第二軍のハットンと第三軍のモンゴメライ。この二人の相違はハットンが貴族であり、モンゴメライが平民出身であることに由来するかもしれない。士官学校の優等生であり元老院に議席も持つハットンは功を焦る必要が無かった。彼は無理押しせずにセオリー通り、堅実に部隊を運営するのを好んだ。
対してモンゴメライは実績を積んで昇進を重ねてきた武人だった。もしかすると今回の戦役の功によって元老院入りを狙っているのでは、との噂もある人物だった。こうした堅実で慎重な貴族出と果敢で積極的な平民との葛藤、競合は帝国のいたるところで見られる風景だったが、この二人の場合はその典型だったかもしれない。
「通報はする。だが、敵情が思いのほか薄いことは第二軍の意見として是非付け加えてもらいたい。我が第十七軍団の郡部攻略で刺激された敵の増援部隊が現れるまで第三軍の進発は待つ方がいいとの意見も併せて付け加えて欲しい」
そうでないと、大局を誤る恐れがある。多分にある。
ハットンは、それを怖れていた。
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