遠すぎた橋 【『軍神マルスの娘と呼ばれた女』 3】 -初めての負け戦 マーケットガーデン作戦ー

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40 閣下のゴルフとミン・レイの覚悟

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 11月22日、曇り。

 フロックス少将はアイホーを離れゾマ近郊の寺を接収して設けられた第三軍司令部を訪れた。

「軍司令官閣下は今ゴルフの練習をなさっておられます」

 第三軍の幕僚大尉がすまし顔で言ったから瞬間的に殺意が湧いた。

「はあ? ゴルフかね」

 貴族のヒマな連中やホモ・ノヴァスの成金たちの間で旧文明で流行っていたゴルフという贅沢なスポーツが復活し流行り出していることは知っていた。帝国は人口は少ないが土地は有り余るほどにある。目敏い業者が帝都の周辺にいくつかのコースを造成していることも聞いていた。だが今は戦時でここは戦地だ。不謹慎極まると思った。

 乗って来た四輪駆動車はそのままに、司令部で馬を借りて副官と共にモンゴメライ大将がゴルフの練習をしているという半島の沿岸に向かった。

 大将はカーキ色のテュニカ姿で軍帯も着けずに海に向かってクラブを振るっていた。彼の副官がフロックスの来訪を告げたが、第三軍司令官のクラブを振り回す手が休まることはなかった。

「やあ、おはようジェレミー。まだ始めたばかりなのだが、このゴルフというやつはなかなかコツがいるものだな!」

 勢いよくスイングしたクラブは黄色い小さな球を海に向かって弾丸のような速度で打ち出した。

「お見事です閣下!」

 副官に追従を言わせねば出来ぬようなスポーツなど。

 フロックスは内心の軽蔑を隠して口を開いた。

「閣下にお願いの儀がありまして参りました」

「このハスケルボールというのがなかなかにバカにならんのだ。業者が奴隷を使って糸を巻き付けて作るのだが、十個で2マルクもする。だが兵に取りに行かせるわけにもいくまい。だからこうしてあとくされないように海に向かって飛ばしているのだ。

 知っているかね、ジェレミー。旧文明では石油から作られるボールがタダのように安かったのだそうだ。ここから原油が吹き出せばボールも安く手に入るようになるのだろうか」

「統合参謀本部に戦略爆撃を上申していただけないかと考えます!」

 軍司令官の下らない雑談に応えている間はなかった。

「ジェレミー・・・」

 大将は兵に置かせたティーの上のボールを見下ろし、呟いた。海風のおかげでそれは聞き取りにくいほどに小さな声だった。溜息すら混じっていた。

「何度も言っているではないか。それは最高司令官である陛下がお許しにならない」

「そこを押して願い出ていただきたいのです! このままでは戦車も兵も損害が増すばかりです。爆撃の対象は民間人ではありません。渡河の前に相手陣地だけを狙って投下するのです」

「ダメだと言ったら、ダメだ」

 大将のスイングは力が入り過ぎ、ボールはスライスして大きなカーブを描いて飛んでいった。

「機甲部隊だけで十分だと言ってあるのだ。この第三軍の沽券にもかかわるのだぞ!」

「お言葉ですが、兵の命より、沽券なのですか」

 兵がまた一つボールを置いた。

「作戦が始まってからもう七日になる。あと二日で何としてもアイホーを抜くのだ、ジェレミー。もし出来ないなら、三日後に第六と第十二軍団とで総攻撃をかける。三万弱で一挙に渡れば、死傷一割ほどでなんとかなるだろう」

 この人は三個連隊ほどの兵たちをむざむざ殺す話をしている。そう思った。

 やっていられるか。その言葉が喉から出かかった。

「わかりました。この上はさらに街道を迂回する策を取ります。ですがその場合、今閣下が仰せになった期限ギリギリになってしまいますが、そこはご了承ください」

「何でもいい。とにかくアイホーを抜くのだ」

 今度も力が入り過ぎたのか、ボールはフックで再びカーブを描いて海に落ちていった。


 

 何の成果も得られずにアイホーに戻ったフロックスを吉報が待っていた。

「閣下! 上手い策が見つかりました」

 フロックスは顔を綻ばせた。これだからこの臭い「無法者」は頼りになる。

 バンドルー中佐はヨレヨレの軍服の上の顔をニコニコさせつつ、言った。

「ですが条件があります。騎兵を最低でも300と馬100頭、小官に下さい」

「はあ? 馬?」

「はい。馬です」

 バンドルー中佐はキッパリと言った。

「閣下はヨシツネをご存じですか?」


 


 


 

 月が左側の膨らんだ半分になったのが雲の切れ間から覗いていた。。

 レイは半月を眺めつつ増援部隊にやや先行してアイホーの陣地に入った。クオが自ら出迎えてくれた。

「ご苦労だった。だいぶ派手にやったと聞いたぞ」

 馬の手綱を下人に預けたレイはクオに笑いかけた。

「ハイ。ですが、もうその手は使えないでしょうね。川を堰き止めて水を貯めるのに十日掛かりましたから」

 クオは幼いころから慣れ親しんだ幼馴染とも言える頭に同じく笑って応え、野戦天幕に誘った。天幕の中にいた者らを追い出し、クオはテーブルに着いた女頭のレイに革袋からワインを注ぎ、もてなした。

「お屋形はどうされました?」

 レイは木の器に注がれたワインを左手で煽りゴクゴクと飲み干し、息を吐いて言った。

「マーに預けてきた。それ以上は、聞くな」

 レイは笑った。クオはそれで察した。

「で、徹底抗戦されますか」

 空いた器になおもワインを注ぎ、クオは幼馴染の頭を促した。レイにはクオの言わんとすることはわかっていた。それには答えずに、

「農民兵は落ちのびさせたか」

 と、訊いた。

「お下知通りに」

 クオもまた、木の器に注いだ臙脂色の液体を含んだ。

「それで、今の兵数はどれほどになった」

「ざっと、一万五千かと」

「まだ多いな。明日、全軍を集めろ。我が直に話す」

 再び注がれた酒を半分ほど飲み、レイは虚空を見上げた。

「二十歳に満たない若年の者共も皆落ちのびさせる。古参の者どもだけでいい。

 増援の半ばはナイグンにも行かせた。それでも、一万ほどになるか・・・。古参の者どもにも落ち延びを呼びかけるとしようかな」

「頭、教えてください」

 クオは革袋の口を締め、テーブル越しにレイに詰め寄った。

「お屋形を抑えられましたのなら、何故帝国に下らないのですか。あの帝国の皇帝の息子はそれを期待していたのではないですか」

「知りたいか」

 テーブルの上の虚空を見上げつつ、レイは呟いた。

「もう、我らの時代は過ぎた。我らはやり過ぎた。そういうことだ」

 クオの黒い瞳を見つめた。

 幼いころから共に育ち初陣も共にした。レイの行くところ必ずつき従ってきてくれた戦友。クオには心からの忠誠がある。それは疑いない。

 私利や命惜しさのためではない。彼が憂いているのはミン一族の今後だった。それはレイにも十分にわかっていた。

「考えてもみよ。クオ。お前の手下は何人の子供を攫った? 」

「四十か、五十にはなるかと・・・」

「そうだ。三か月前、我らはこの一帯の子どもを攫い、あのミカサを足止めするために道具として使った。帝国は我らの使った道具を丁寧に拾い集め、既に手中にしたアイエンからゾマの住民に還した。この意味がわからぬか」

 クオは黙った。

「あのヤンという、我らと同族の帝国の宰相はわかっていたのだ。もう、わがミン一族に未来はないと。子を奪う為政者に民は従わないし、子を大切にせぬ民族に未来はないと。彼が言いたかったのはそれだったのだ。彼自身が三十年前にチナに捨てられた子供だった。そう言っていたではないか。

 別れ際、彼は我に通信機をくれた。彼もまた我らがこうなることを予測していたのだ。それで我だけでも投降するように、とな」

「そうするべきです、頭。そうすれば・・・」

「そんなことが出来ると思うか。それが出来るほどなら、我は今ここにいない」

 質のいいワインの穏やかな酔いが早くも回って来た。酔いには諦めの優しさが付き添っていた。

「もし父が考えを改めてくれたのなら、そうすることもできたかも知れん。だがそれは叶わなかった。今父を宥めていてくれているマーや家の者も、ここにいる古参の兵どもも、父の意に反して我が帝国に下るなど絶対に許さないだろう。また父がこの場に来れば、農民兵もまだ若い者も落ち延びたい者達も皆地獄へ道連れにするに違いない。そうさせぬためには、一人でも多く生かし後の世に残すためには、我が来るしかなかったのだ。それに・・・、」

 レイはわずかに目を落とした。

「このいくさで古参の者どもが生き延びたとて、帝国にもチナにも彼らの居場所はなかろう。やがて帝国に下った者達から石つぶてを投げられよう。この土地を追われ、どこぞで往生するのが関の山だ。我がミンの手の者達は皆、時にチナの言うがままに長年民の食を奪い、働き手である男や息子を奪い、民の子を攫ってきた者達なのだ。今更民の怨嗟の目の中で生きられようはずも、ないではないか。

 我は、ここに残ると言う者共に死に場所を与えてやるために、来たのだ」

 ふと目を上げれば、愛しい朋友のクオは部下の前では絶対に見せない泣き顔を浮かべていた。幼いころのように彼の手を取った。

「クオ。お前の気持ちは、わかっていた。今までのこと、全て許せ」

 クオは長年の思いのたけを込めてレイのやわらかな左手と手首から先の無い右の手首とを両の手で握りしめ、万感を抑えて目を閉じた。
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