ちゃんちゃら

三旨加泉

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「ちゃんちゃら」69話

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「ちゃんちゃら」69話


 海斗は助手席で縮こまっていた。ピンク色のモフモフしたクッションを後ろに退ける。甘い香りが車の中で充満していた。今の自分には胃もたれするような香りだった。
 運転席には池田先輩が座り、金色のハンドルを握る。握った手は例の土中に注意された黒いネイルが際立って見えた。
「あの、池田先輩は帰宅せずにどうしてあそこにいたんすか」
「喫煙室にいた。」
 そう淡々と話しながらタバコの箱に手をつける。しかし、海斗を一瞬横目で見遣ると、タバコの箱から手を離す。
「そういえば浜田、Ωなんしょ?」
 突然、苗字呼びをされたことにも驚いたが、Ωというワードに身体が強張る。しかし、池田先輩はそんなことも気にせず、車を発進させた。
「妊娠とかしてる?なら、やめるけど。」
 あまりにもストレートな聞き方に海斗は池田先輩を凝視したが、彼女は前しか向いていないようだ。
「いや、今はしてない、です。タバコも気にならないです。」
「あ、そう?」
 そう軽く返事をすると信号待ちの際、池田先輩は箱に手を出す。そしてタバコを口に咥えながらハンドルを握る。
「前にさ、流川も乗せたことあるんだけど、あいつタバコ自体苦手でさ、めっちゃ早口で騒いでて面白かったんだよね。これだからヤンキーはって。ウケるね。」
 海斗は微笑しながら池田先輩の話を聞いていた。確かに、流川ならそう言うだろうな、と容易に想像できた。

「あたしも子ども堕したことあるよ。もう十年以上前だけどね。」
 海斗の顔が微笑みながら固まる。池田先輩は真顔で真っ直ぐな瞳で信号が変わるのを見つめていた。
「どうして、堕したんですか?」
「そんなの簡単だよ。望んでなかったから。」
 海斗がずっと考えないようにしていた理由を池田先輩はハッキリと口にする。
「お互いまだ若かったから。でもね、罰が当たったのかもね。」
 罰が当たる。その言葉が脳を殴るようなそんな気持ちにさせられる。
「どうして、そう思ったんですか?」
「それから子どもができなくなったから。」
 海斗は応援で井口に連れて行かれた時を思い出した。あの時の池田先輩の言葉はそういう意味だったのかと痛感する。
「男は勝手だよね。」
 海斗が顔を上げる。池田先輩が海斗を一瞥する。
「あー、ごめん。あんたも男だよね。」
 信号が変わって再び車は前へ走り出す。
「最初に妊娠した時はさ、彼氏は堕したあたしに感謝してたんだ。でもね、大人になって、そいつと結婚して三十になっても妊娠しないとさ、子どもが欲しいから別れようって言い始めんのさ。勝手でしょ?」

 苦笑している池田先輩を見て、海斗はショルダーバッグを抱える手を強める。薄ら柔らかい感触が手に残る。あのテディベアだ。
ーそういえば大地は感謝していたというより、いきなりのことで困惑していたな。
「俺、また妊娠するのが怖いのかもしれません。」と呟いた。
 池田先輩は右にハンドルを切る。
「あ、すんません。不妊で悩んでる人に、こんなこと言うの失礼っすね。」
「いやぁ、人の悩みなんてそれぞれだし。何が辛いと感じるかも、痛みも全部違うっしょ。」
 
 二人はフロントガラスの向こうを微笑みながら見つめていた。

「浜田は今もそいつと続いてるの?」
「あ、はい。」
「ふーん、良かったじゃん。」
 海斗はショルダーバッグを抱える手を見る。そこにはあるはずの物は無く、もう四角い硬い感触はバッグから感じられなかった。
「向こうは結婚も考えてくれてるんすけど」
「良いじゃん。」
「でも」
 海斗のまるで苦虫を噛み潰したような表情に池田先輩はジッとこちらを横目で見ている。
「俺が全然答えを見つけれなくて。相手を待たせてるんです。」
「正解なんてないよ。」
 池田先輩はルームミラーを見ながら海斗が言った通りに高級住宅街の方へハンドルを切った。
「先のことなんて分かんないよ。急にお互い冷めたり別れるかもしんないし。」
 海斗は俯く。海斗の頸に薄らと残った噛み跡が露わになる。
「それでも、自分を愛せる答えを出しな。」
 海斗が顔を上げる。その瞳には少し離れたところにある、あの綺麗な別荘の屋根が映った。

「今日は乗せてくれて、ありがとうございました。」
 海斗は池田先輩の車に向けて頭を下げ、早歩きで歩き去っていくのを池田先輩はダッシュボードに肘をつけながら眺めていた。彼女は咥えていたタバコを火消しする。
「タバコ、やめようかな。」


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