ちゃんちゃら

三旨加泉

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「ちゃんちゃら」番外編1話

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「ちゃんちゃら」番外編1話


「コーチ。ピッチャーは空島がやるべきです。」

 暗い表情がたちまち明るくなる。目の前に座っている野球帽を被った年寄り男性は困惑していた。
「しかしね、木待くん。彼はΩで、他よりも」
「そういう差別的発言は控えて下さい。」
 男性は口を噤んだ。納得はいっていない様子だったが、同時に木待先輩の顔色を窺っている様子でもあった。
「実際に空島の方がコントロールが良く、長期戦になっても狂いません。彼をレギュラーに入れるべきです。」
 空島には木待という男が輝いて見えた。まるで自分の前に現れた救世主、メシアだった。
 コーチは渋々首を縦に振った。その様子に木待先輩はこちらを見て優しく微笑んだ。

 その顔に空島は惹かれ、恋をした。

 それからというもの、空島は部活以外でも木待先輩とよく会うようになった。一緒にお昼ご飯を食べたり、勉強も教えてもらった。木待先輩は勉強ができて、先生たちからも認められていた。所謂、優等生というやつだった。
 それに加え、木待先輩はαだった。もう輝かしい未来が約束されているのも同然だった。空島は木待先輩と一緒にいるのが楽しかった。
 この時、空島は第二性検査でΩと診断されていた。同級生たちからの対応に特に変化は無かったが、大人たちからの対応は少し変わっていった。Ωだという理由で部活でも苦労していたが、木待先輩はいつも味方をしてくれた。

「空島がボールを投げる時、長い髪がフワって浮くだろ?それがとても綺麗で可愛くて」
 木待先輩が空島の顔に自分の顔を寄せてくる。
「好きだった。」
 その後、空島は初めてキスというものを味わった。好きな人と初めてキスができたことに、この時はひどく喜んだものだ。
 しかし、この時二人はまだ子どもだった。精神面で繋がっていれば、性差など関係無いと思っていた。そして、当然、お互い気をつけていれば何も問題ないと思っていた。

 木待先輩と付き合って数ヶ月が過ぎた頃、空島は初めてのヒートを起こした。この時から空島は既に薬が効きづらかったようで、言われた通り薬を飲んでいたにも関わらず、ヒートが起きてしまった。
 そして、それが起きたのは昼休み時間で木待先輩と一緒に誰もいない空き教室でご飯を食べていた時だった。空島は未だにあの時、自分は何の弁当の中身を食べていたのか思い出せていない。気がついたら、二人とも服を脱いで霰もない姿と体勢で固まっていた。
 呆然としている空島を他所に木待先輩は青白い顔をして一言言った。
「このことは、お互い秘密にしておこう。」

 言われていた通りに空島は黙っていた。頼りになる木待先輩がそう言うなら、不安だけれどその方が良いのかもしれないと誰にも言わなかった。両親にも、友人たちにも。しかし、どんどん具合が悪くなり、次第に学校を休むようになった空島を心配した両親が病院に連れていくと、医者は残酷にも現実をはっきりと突きつけてきた。

「妊娠してますね。」

 ここでようやく事態を把握した両親が慌てて木待先輩の家族に連絡をした。この際、両親と話し合った結果、空島がまだ中学生ということもあって身体の負担を考え、子どもは堕ろす方針に決めていた。
 ところが、木待先輩の両親との話し合いで、向こうは空島に子どもを産むように言ってきた。困惑した顔で木待先輩を見たが、彼は両親の顔ばかり見て自分のことなど目に入っていない様子だった。

 木待先輩の父親は小さな建設会社の社長で、木待先輩はその跡取り息子だった。会社は好調で徐々に大きくなっているところだった。建設業界でも一目置かれている、そんなところでの今回の事件である。空島一家は、木待一家は今回の一件を無かったことにしようとするのではないかと思ったが、向こうが出した答えは意外なものだった。

「跡取り候補は多い方が良い。上手くいけばさらに会社は飛躍するかもしれん。」
「では、うちの息子と結婚するということですか?」
「籍など入れるわけないだろう。一般のΩなんぞに。」

 空島も両親もあまりにも自分勝手な要求に開いた口が塞がらなかった。空島は必死にこれでいいのか、と木待先輩に詰め寄ったが、彼は両親の顔色を窺いながら「まあまあ」と宥めるばかりだった。結局、この日は彼と一度も目が合わなかった。

 両親は初めは反対していたが、結局は地位を築きはじめた木待一家の圧力に負け、承諾せざるを得なくなってしまった。
 一つの命と向き合うことになった空島はずっと気が気ではなかった。自分の身体が変化していくのが体感で伝わってきて泣きそうになった。子の親として愛情というものが芽生えてくるわけでもなく、ただ空島は恐怖を感じていた。両親も友人たちも皆、空島を気まずい目で見てくる。誰も味方がいない。あんなに味方してくれた木待先輩も自分を避けるようになった。

 出産の時期が近づくにつれ、身の回りのことが出来なくなってくる。あんなに伸ばしてた長い髪もばっさり切ることになった。陣痛が始まり、病院に行った際に木待先輩とも再会したが、髪について彼は何も言わなかった。

 出産をなんとか終えたが、すぐに赤ん坊は取り上げられ、それっきり空島は自分の子どもとは一度も会っていない。
 木待先輩は終始ずっと挙動不審だった。赤ん坊にもずっと戸惑っていて、自分の子どもという認識は全く感じられなかった。

 それから空島は髪を伸ばすことはなかった。野球も辞めた。両親はずっと自分を心配していたが、守ってあげられなかったという罪悪感からか、家族仲はぎこちないものとなっていった。そして逃げるように大学に入学すると一人暮らしを始めた。

 強くなりたいと思った。

 自分がいかに愚かだったことを思い知らされ、自分が一体なにに恋をしていたのかを客観的に見てしまった。自分が好きだと思っていた人は神でも全知全能な人間でも無く、歳の近い同じ幼い子どもでしかないことを知った。

 空島は小ぢんまりしたアパートの部屋で荷解きを始めた。
 もう涙はとうの昔に枯れてしまっていた。


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