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第一部 トロイヤード編 第三章 王都ヨルムガルド
3 帰還(3)
しおりを挟む温暖な地の宮殿らしく、石造りの建物はいかにも風通しのよさそうなつくりだった。南国風の太い石の柱、大き目の扉なしの入り口。その縁には、トロイヤードの歴史物語をあしらった壁画で飾りが施されている。
他の国の宮殿など見たこともないのだが、多分、全体的に丈夫で堅実な設計であり、そんなに豪華で派手な装飾はあしらわれていない。建国王の時代から、質実剛健こそがトロイヤード王朝の真髄である。
宮殿の庭から見上げれば、石造りの尖塔は目もくらむ高さだった。見るものすべてがもの珍しいものばかりで、ついきょろきょろしてしまう。そんなシュウを見やって、レドがくすりと笑った。
「首が痛くならんか? そんなに見上げて」
「あっ、はい。いえ……」
慌てて首を元に戻す。
二人は入り口付近の大広間を抜け、広い廊下を進んだ。そこここに立つ警備の兵士が、レドが通るたびに几帳面な敬礼をした。
やがて、謁見の間らしき部屋を抜けたところで、護衛の兵士と文官らしき男を従えて、身分の高そうな老人が二人を出迎えた。
かなりの高齢である。日によく焼けた肌に、深い年輪が何本も刻まれていた。頭は禿げ上がり、後頭部と即頭部にのみ残った白髪を、ゆるやかに後ろに流している。眉も真っ白で、目を隠しそうなほどに伸びていた。
背はシュウよりもやや低いくらいで、ゆったりとした長衣にささやかな刺繍を施した濃い緑の長いマントを纏っていた。
一見すると単なる優しげな好々爺としか見えないが、見る者が見れば、その瞳が炯々として生命力に満ち、むしろ野生の鷹を思わせることに気付いたであろう。
老人が口を開いた。
「ようやくお戻りなされましたな、陛下」
声音は穏やかで深く、慈愛に満ちている。しかしレドはあからさまにばつの悪そうな顔になった。ちょっと頭など掻いたりしている。
「ああ。すまんな、爺」
軽く咳払いしてみたり、明らかに挙動が不審だ。
「年寄りをあまり待たせるものではありませんぞ」
「爺」と呼ばれた老人は、相変わらず穏やかな態度である。しばらく無言でレドを見つめ、やがてちらりとその背後に目をやる。つまりシュウを見たようだった。
「……そちらの御仁は」
「ああ」
レドが振り向く。ほっとした顔で微笑んでいるが、話題が変わったのを喜んでいるのが見え見えだ。
「俺の命の恩人だ。こやつのお陰で、生きて戻れた」
「ほう、それはそれは──」
老人の目が、きらりと値踏みするような光を放った。その途端、シュウは射すくめられたように固まってしまう。鷹に睨まれた鼠は、きっとこんな気持ちなのだろう。
「えっ、えっと……。シュウ、です……。よろしく……」
しどろもどろになりつつも、なんとか見よう見まねの一礼をし、自己紹介した。
老人は即座ににっこりと笑った。顔中の皺が深くなり、好々爺のイメージがより強調される。慇懃に隙のない一礼を返してきた。
「この度は陛下をお救いくださり、ありがとうございまする。御礼の言葉もござりませぬ。わたくし、ヴォダリウスと申す者。ご覧の通りの老骨の身ではござりまするが、陛下の宰相を務めさせて頂いておりまする。以後、よろしくお願い申しあげまする」
「は、はい……こちらこそ」
丁重きわまりない挨拶に、シュウは目を白黒させてさらに深々と頭を下げ、そう言うのが精一杯だった。自分の声が不自然に裏返ったのが分かって、かっと耳が熱くなる。
助け舟を出すように、レドが口を挟んだ。
「なにしろ、命の恩人なのだからな。くれぐれも無礼のないよう頼むぞ」
「申されるまでも無きことにござります。万事、この爺におまかせあれ」
当然、とばかりにヴォダリウスが微笑した。目尻の皺がいっそう深くなる。
「ともあれ、陛下もシュウどのも、まずは旅の疲れを癒やされませ。湯殿の支度もできておりますれば」
「おお、それはありがたい」
途端、レドが破顔して、いきなり足早に歩き出した。
「あ……」
置き去りにされそうになり、シュウは慌ててレドに付いていこうとする。が、ヴォダリウスが手を上げてそれを制した。
「あなた様は、こちらにござりまする」
「えっ? あ、えっと……」
「陛下の湯殿と、客人の湯殿は別でござりますれば」
(え……?)
それを聞いて、急に不安が込み上げてくる。こんなところで一人で放り出されるとは思っていなかったのだ。初対面のこの老人は、正直いってまだかなり怖かった。
と、レドがもうかなり離れた所から振り返った。
「心配いらん。せいぜい綺麗にしてもらえ」
満面の笑みに加え、多少皮肉めいたウインクを送ってくる。
「トロイヤード宮の客人として、少しは見れるようにならんとな」
かなり失礼なことをさらりと言われ、げんなりした。
(だれのせいだよ、だれの……)
勝手にここまで引きずって来ておいて、今さらなんの言い草だ。
そんなシュウには気付かぬ風で、レドはまた背中を向け、顔の横で片手をひらひらさせて見せた。
「あとで飯でも一緒に食おう」
そういい残し、マントを翻して大股に歩き去ってゆく。
「…………」
ヴォダリウスと共に廊下に取り残されて、シュウはなんだか泣きたい気持ちになってきた。
(こんな所、やっぱり来るんじゃなかったかも……)
肩を落として項垂れる。
そんな気持ちを察したのか、ヴォダリウスはまるで慰めるかのように、ごく穏やかに言葉を継いだ。
「ご案じ召さるな。女たちが、なんなりと良きようにいたしまするでな」
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