【改訂版】Two Moons~砂に咲く花~

るなかふぇ

文字の大きさ
86 / 94
第二部 エスペローサ編 第一章 虜囚

9 食膳(2)

しおりを挟む

 次に目が覚めると、また違う部屋に移されていた。
 明るく華やかな広々とした部屋だった。
 調度も、先ほどの「禁錮の間」とは雲泥の差である。天蓋付きの寝台に凝った彫刻をあしらった文机と椅子。楕円の鏡のはめ込まれた鏡台に広いテーブル、柔らかそうなソファ。
 華麗な刺繍のカーテンが揺れている窓辺には、人の背丈ほどもありそうな大きな竪琴が置いてある。こちらもとても優美なデザインだった。

「ここ、どこ……」

 またしても、同じ台詞セリフを言う羽目になる。
 なんだか全体的にトロイヤードの「正妃の間」を彷彿とさせるしつらえで、シュウは嫌な予感がした。
 まさかここには、あの「お可愛いらしいですわ!」連発の女官たちはいないだろうけれども。
 それにしても。

「おなか、すいたなあ……」

 すきっ腹に手をあてて、シュウはぼふっともう一度寝台に倒れこんだ。
 よく考えてみると、拉致されてからこっちまともな食事をしていない。あのエスカルド山脈を越えてトゥラーム兵に運ばれたとき、苦い水のようなものを何度か口にはさせられたが、自分で食事をしたことは一度もない。あれが一体なんなのかは分からないが、食事代わりになる効能でもあるのに違いない。
 違いないけれども。

「おなかが一杯になるわけじゃ、ないもんね……」

 と、シュウが溜め息をついた時。
 軽く扉を叩く音がして、あの幽鬼のような女官の一人がするりと部屋に入ってきた。無言のままで一礼し、寝台上でも食べられるようになのか、シュウの前に料理の載った座卓のような膳を差し出してくる。

(うわ……)

 それは見るからに豪華な食事だった。一般の国民たちには一生口にすることができないであろう山海の珍味がところ狭しと盛られている。その皿がまた、どれも凝った草花の紋様で華やかに彩られていた。
 トロイヤード王宮での食事はもちろん、貧しい村とは比べ物にならないほど良かった。けれども、だからといってここまで贅沢なものではなかった。質実剛健を旨とするあの王宮で、それはむしろ恥ずべきこととさえ考えられていたように思う。
 国民がまだまだ貧しい中、王侯貴族ばかりが贅沢をするなど愚の骨頂。君主の風上にも置けぬ。あの王朝には、そうした思想が貫かれていた。
 ……ともあれ。

「い、いただきます……」

 ほかほかと湯気をたてるおいしそうな料理を前に、空腹の絶頂にいるシュウがそれを我慢するのは無理な相談だった。まだまだ食べ盛りの年齢でもある。
 添えられたさじを手にして、まずは手始めにそっとスープを一口飲もうとした、その時。
 荒々しく扉が開いて、冷たい一陣の風が飛び込んできた。

「食べるな! シュウ!」

 シュウがはっとする間もなく、目の前の料理が膳ごとはじき飛ばされた。それらはすべて宙に舞って寝台の脇に散らばり、美しい絨毯に染みを作った。
 ナリウスだった。
 珍しく息を切らしている。美しい銀髪が少し乱れていた。

「ナ……ナリウス様……?」

 匙を手に持ったまま呆然としているシュウと目が合うと、ナリウスはその匙をも奪い取って床に投げつけた。それをまるで汚らわしいものでも見るように睨みつけ、すぐさま振り向くと自分についてきた兵に命じる。

「その女を捕らえよ!」

 料理を運んできた女官はあっという間に両側から二人の兵士に捕らえられ、無言のままに部屋の外に引きずっていかれた。
 その場に残った兵士に向かい、ナリウスは冷たい瞳のまま言った。

「地下牢で厳しく詮議させよ」
 氷の嵐が吹きすさぶかのような冷厳な声だった。
「死ななければ、何をしてもいい。必ず黒幕を突き止めよ!」

 兵士が深々と頭を下げて出てゆくと、やっとナリウスはシュウを見た。
 その氷の瞳には、言い知れない闇が渦巻いているように見えた。

「あ、あの……」
「毒だ。シュウ」

 ナリウスが吐き捨てるように言う。

(え……?)

 シュウは耳を疑った。

「迂闊だぞ。毒見もされていないものに安易に手をつけるなど。……気をつけよ」

 ナリウスはなぜか本当に怒り、また心配しているようにすら見えた。言葉遣いがいつもの柔らかさを失っている。

「あ……の、本当に……?」

 それでもシュウはまだ信じられなかった。
 ナリウスはシュウの瞳を真っ直ぐ見据えて、一度だけ頷いた。その瞳の色を見る限り、冗談などではありえなかった。

(毒……? 誰かが、僕を殺そうとしたっていうこと……?)

 だれが、いったい、何のために……?
 促々そくそくと静かな恐怖が背中を這い上がってくる。
 ここはやはり、あのエスペローサの王宮なのだ。
 ナリウスはそれ以上のことは何も言わず、すぐに話題を変えた。

「妹が呼んでいる。君に、礼が言いたいそうだ」

 ということは妹姫は、あれからだいぶ回復したのだろう。治療の途中で気を失ってしまったので、そうと分かってシュウはほっとした。

「何か、感謝の品も贈りたいと言っているが──」
「あ……いえ、そんなことは──」

 「必要ないです」と言いかけた時。
 きゅるるるる、とシュウのお腹が盛大に鳴った。

「…………」

 ナリウスの目が丸くなる。

(……!)

 シュウは瞬時に耳まで真っ赤になった。

「あっ、え、えっと……これはっ……!」

 意味なく腹部を押さえてみたりするが、完全に聞かれてしまったのは明白だった。
 ナリウスはしばしシュウを眺めて固まっていたが。
 ぷっ、と噴き出すささやかな音が聞こえて、シュウは驚いた。

 ──ナリウスが、笑っている!

 白い手袋をした片手を口元にあてて、シュウから顔を背けてはいるが。
 なんだか信じられない光景を目にしている気がして、シュウはじっとその横顔を見つめてしまった。

 彼が笑うと、強固だった氷の仮面が解けたようになって、なんとも華やかで美しかった。まさに、花のかんばせである。
 見ていると、なんだかシュウも嬉しくなった。

「良かったですね、ナリウス様」自然にそんな言葉が出た。
「……え?」

 ナリウスは早くも元の固い表情に戻ってしまって、シュウを見返した。

「ナリウス様が、妹さんとまたそうやって笑えるようになって……良かったです」シュウは、にっこり笑って心から言った。「あ、もちろん僕が途中で気絶しちゃったので……。もう少し治療が必要なんですけどね?」

 「すみません」と頭を下げるシュウを、ナリウスは少しのあいだ不思議な物でも見るような顔をして見つめていた。
 やがてシュウの手を取り、寝台から降りるのに手を貸してからナリウスが言った。

「ともかく、食事にしよう。そなたの腹の虫も、アイリスも、どうやら待ってはくれぬらしいからな」
 
 いつのまにか、シュウを呼ぶその言葉が「君」から「そなた」に変わったことに、シュウはまったく気がつかなかった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

イバラの鎖

コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
たまにはシリアスでドロついた物語を❣️ 辺境伯の後継であるシモンと、再婚で義兄弟になった可愛い弟のアンドレの絡みついた運命の鎖の物語。 逞しさを尊重される辺境の地で、成長するに従って貴公子と特別視される美少年に成長したアンドレは、敬愛する兄が王都に行ってしまってから寂しさと疎外感を感じていた。たまに帰って来る兄上は、以前のように時間をとって話もしてくれない。 変わってしまった兄上の真意を盗み聞きしてしまったアンドレは絶望と悲嘆を味わってしまう。 一方美しいアンドレは、その成長で周囲の人間を惹きつけて離さない。 その欲望の渦巻く思惑に引き込まれてしまう美しいアンドレは、辺境を離れて兄シモンと王都で再会する。意図して離れていた兄シモンがアンドレの痴態を知った時、二人の関係は複雑に絡まったまま走り出してしまう。 二人が紡ぐのは禁断の愛なのか、欲望の果てなのか。

僕を惑わせるのは素直な君

秋元智也
BL
父と妹、そして兄の家族3人で暮らして来た。 なんの不自由もない。 5年前に病気で母親を亡くしてから家事一切は兄の歩夢が 全てやって居た。 そこへいきなり父親からも唐突なカミングアウト。 「俺、再婚しようと思うんだけど……」 この言葉に驚きと迷い、そして一縷の不安が過ぎる。 だが、好きになってしまったになら仕方がない。 反対する事なく母親になる人と会う事に……。 そこには兄になる青年がついていて…。 いきなりの兄の存在に戸惑いながらも興味もあった。 だが、兄の心の声がどうにもおかしくて。 自然と聞こえて来てしまう本音に戸惑うながら惹かれて いってしまうが……。 それは兄弟で、そして家族で……同性な訳で……。 何もかも不幸にする恋愛などお互い苦しみしかなく……。

Endless Summer Night ~終わらない夏~

樹木緑
BL
ボーイズラブ・オメガバース "愛し合ったあの日々は、終わりのない夏の夜の様だった” 長谷川陽向は “お見合い大学” と呼ばれる大学費用を稼ぐために、 ひと夏の契約でリゾートにやってきた。 最初は反りが合わず、すれ違いが多かったはずなのに、 気が付けば同じように東京から来ていた同じ年の矢野光に恋をしていた。 そして彼は自分の事を “ポンコツのα” と呼んだ。 ***前作品とは完全に切り離したお話ですが、 世界が被っていますので、所々に前作品の登場人物の名前が出てきます。***

カルピスサワー

ふうか
BL
 ──三年前の今日、俺はここで告白された。 イケメン部下✕おじさん上司。年の差20歳。 臆病なおじさんと、片想い部下による、甘い夏の恋です。

神様は僕に笑ってくれない

一片澪
BL
――高宮 恭一は手料理が食べられない。 それは、幸せだった頃の記憶と直結するからだ。 過去のトラウマから地元を切り捨て、一人で暮らしていた恭一はある日体調を崩し道端でしゃがみ込んだ所を喫茶店のオーナー李壱に助けられる。 その事をきっかけに二人は知り合い、李壱の持つ独特の空気感に恭一はゆっくりと自覚無く惹かれ優しく癒されていく。 初期愛情度は見せていないだけで攻め→→→(←?)受けです。 ※元外資系エリート現喫茶店オーナーの口調だけオネェ攻め×過去のトラウマから手料理が食べられなくなったちょっと卑屈な受けの恋から愛になるお話。 ※最初だけシリアスぶっていますが必ずハッピーエンドになります。 ※基本的に穏やかな流れでゆっくりと進む平和なお話です。

かわいそうな看守は囚人を犯さなければならない。

紫藤なゆ
BL
好色な王は忠実な臣下エメラードに命じる。敗戦者スクを上手に犯して見せるように。 苦悩する騎士エメラードと、命があればそれでいいスクは、看守と囚人として毎日を過ごす。

聖者の愛はお前だけのもの

いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。 <あらすじ> ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。 ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。 意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。 全年齢対象。

【完結】僕の好きな旦那様

ビーバー父さん
BL
生まれ変わって、旦那様を助けるよ。 いつ死んでもおかしくない状態の子猫を気まぐれに助けたザクロの為に、 その命を差し出したテイトが生まれ変わって大好きなザクロの為にまた生きる話。 風の精霊がテイトを助け、体傷だらけでも頑張ってるテイトが、幸せになる話です。 異世界だと思って下さい。

処理中です...