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第二部 エスペローサ編 第一章 虜囚
8 食膳(1)
しおりを挟むナリウスがそっと手を差し伸べる。それに誘われるように、シュウは少女の寝台に近づいた。女官たちが音もなく下がってゆく。
「おいくつ、なんですか……?」
シュウは寝台の脇に膝をつき、掠れた声で訊ねた。
ナリウスはアイリスを目の前にして、なにかいっそう影が薄くなったように見えた。まるで透明な氷の彫像のようだ。
「今年で、十四だよ。年の離れた妹でね……」
その声は乾いていた。氷の瞳には相変わらず感情らしいものは見えなかったが、それでもどこかに、微かに揺れるような光が灯っているようでもあった。
そのまま跪いたシュウの背後に立つと、ナリウスはそっと耳に口を寄せた。
「助けられるかな……? 君の……その能力で」
静かだが、今までにない恐れと期待を伴った震えを帯びた声音だった。
その声が、これがもう最後の藁なのだと言っている。
シュウはナリウスの顔を見た。
その氷のような美貌が、今はすぐ目の前にあることに少し戸惑う。
あの北の大国エスペローサの国王が、いまシュウのすぐ傍にいて自分に頼みごとをしているのだ。ほんの半年前なら想像だにしなかったことが、いま自分の身に起きている。なんだか信じられない思いがした。
「きっと……大丈夫。安心してください」
シュウは微笑むと、努めて優しく言った。まるで子供に言うように。
ナリウスの目が見開かれる。
「……本当か」
「ご病状が重いので、何度かに分けなければならないと思いますけど……。いいでしょうか?」
「──すぐに。すぐに、やってくれ」
驚いた色を浮かべつつも、ナリウスは即座に頷いた。
シュウは筋張った少女の手をそっと取った。
「あ、待ってくれ」ナリウスがあることに気付いて、いきなり制止した。
「はい?」
シュウが振り向く。言い出しておきながら、ナリウスは少し言いよどんだ。
「……一応、婚礼前の若い娘だ。さっきのような真似は、しないで欲しい」
(……ん?)
一瞬何を言われているのか分からず、シュウは彼の顔を見返した。
ナリウスが少し困ったように口元に手をやって、軽く咳払いをする。
「だから、つまり……。先ほど、地下牢でしたような──」
(……あ)
今度は瞬時にシュウが赤面した。
「ちっ、ちがいますよ! あれは別に──!」
先ほどのレドとのキスのことに言及しているのだと気付いて、大いに慌てる。
「か、身体のどこかに、触れるだけです! 別に、あんなこと誰にでも……すっ、するわけじゃ……!」
「……ならいいよ」真っ赤になって言い募るシュウの口を、ナリウスは人差し指でそっと制した。「よろしく頼む」
気を取り直して、シュウはアイリスの腕をとり、目を閉じた。
静かに、深く呼吸する。
背後の兄には確かにひどいことをされたとは思う。だが、だからといってこの少女に何かの罪があるはずもない。
この若さでこんなにも過酷な病を得て、これまでどんなに辛い日々を過ごしてきたことだろう。この暗いばかりの部屋で、もうすぐ潰える自分の命の灯を見つめて。
そう考えただけで、シュウの手のひらには熱が集まり始めた。
先ほどレドのために使ってしまったばかりなので、今日はもうそんなに残っていないかもしれない。そうは思ったが、それでも彼女を死の淵からかなり引き離すぐらいはできるはずだ。
(……目を覚まして)
君のお兄さんは、とても君を心配しているよ。
君のためなら二十万の軍勢も、莫大な資金が要る異国の傭兵も動かすことも厭わない人だ。
君は、愛されている。
もう一度生きて、この人に笑顔を見せてあげて欲しい。
手のひらの熱が絶頂に達し、奔流となって少女の身体に吸い込まれてゆく。
それとともに目の前がゆるやかにぼやけたようになって、シュウは意識を失った。
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