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圏ガクの夏休み
独房と老紳士
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ありがたく弁当を頂戴して階段を登ると、夏の暑さが冷え切った体にじんわり染みて、改めて一週間が憂鬱になった。
冷えた瓶ビールで晩酌中の中島に軽く挨拶をして、適当な席に座り弁当を開ける。大きめのおにぎり三つと卵焼き、あとウインナーが入っていた。おにぎりは三つとも中の具が違っていて、とても美味しかったが、遠足の時に先輩が作ってくれたおにぎりの味を思い出して少し寂しくなってしまった。
またあの肌寒い反省室に戻るなら、せめて体を温めたいと思い、備えつけの湯飲みに湯沸かしポットから白湯を注いでチビチビ飲む。けれど、食堂の気温は真夏のそれで、本当なら冷たい炭酸でも煽りたいところ。少しウンザリして、半分ほど残った白湯を捨て湯飲みを洗っていると、小吉さんが迎えに来てくれたので反省室に戻った。
オレが夕食を食っている間に反省室ではオレの寝床までしっかり準備が完了していた。それだけでなく、自分の日用品を取りに帰るついでにオレの荷物も運び込んでくれたようで「歯磨きは大事だ!」と言う小吉さんと、何故か仲良く並び狭い洗面台で一緒に歯磨きをした。
冷蔵庫と違い、ここには海外ドラマを流すテレビもヒマを潰すゲームの類いもない。朝が早いのも手伝って、オレらは早々に就寝する。
ふかふかの布団は自分の体温で良い感じに温まり、一日の疲れもあってすぐに寝付けそうだったのだが、一足先に寝付いた二人によってそれは阻まれてしまう。一学期の間、皆元と同室で鍛えられたと思っていたのだが、担任と小吉さんのダブル鼾は凄まじく、気の遠くなるような一夜を過ごす事になった。
騒音にも慣れて、ようやく微睡みだしたのが午前三時を回った頃。そんな時間に突然、片方の鼾が途切れゴソゴソと起き出す気配を感じ、布団から顔を出すと、寝起きでぼんやりしているのか、足取りの怪しい小吉さんの姿が通路に見えた。
「小吉さん、どこ行くの?」
便所はそれぞれの個室に完備されている上、我が班の大黒柱である狭間の手入れが行き届き、新品と大差ない清潔さが保たれているので、用を足す為に地上へ戻ろうという訳ではないだろう。気になって声をかけてみると「畑に行ってくる」と眠そうな返事を返してくれる。
「昨日もロクに行けてないから、下山する前に行っとこうと思って」
「オレも行く!」
畑に連れて行って貰う約束をしていたのを思い出し、心地良くなり出した布団をはね除け慌てて駆け寄ったが、小吉さんは眠そうな目を閉じて首をゆっくり左右に振った。
「今日はダメだ。謹慎中の奴を勝手に連れ出せない。また今度な」
少しだけ、すぐ戻るから等々、説得しようと言葉を重ねたが、小吉さんは首を振るばかりで結局連れて行っては貰えなかった。その代わり興奮のせいか、ようやく訪れていた眠気はキレイさっぱり消え、一人悶々と朝が明けるのを待つ事になってしまった。
一人になっても騒音、もはや轟音と言っても過言ではない担任の鼾が止まったのは、畑を見に行っていた小吉さんが、自分のシャツの裾を伸ばして大量のトマトを持って反省室へ戻って来る少し前だった。
寝起きのデフォルメらしい、教師にあるまじき極悪人面の担任が「朝飯に行くぞ」と言って階段を上って行くので、それに付いて行く。由々式のおばさんが朝食の分まで弁当を作ってくれているのかと、少し期待してしまったが、食堂で担任に手渡されたのは当然のように缶詰だった。
缶詰に入ったパサパサで無駄に固いマフィンと、えげつないとしか形容出来ない味付けのサラダ。普段なら朝食には牛乳が付くが、夏休み中に飲み物は付かないので、セルフのお茶を二つ用意して、担任の向かいに座り缶を開ける。同じ物を無表情で食っている担任を見習って、お茶で流し込むようにそれらを腹におさめると、畑の収穫を持参した小吉さんが合流したので、ありがたく採れたてトマトで口直しをさせて貰った。
奉仕作業の集合時間が近くなる前に、香月らと顔を合わす前に、オレは反省室へと戻った。小吉さんと担任は下山するので残るのはオレ一人だ。
「鍵は監視役の先生に渡しておく」
寝床がある部屋へ入ると、担任にまた鍵を掛けられてしまった。時計を見ると、そろそろ残留一年が食堂に集まり出す時間だ。二人が揃って地上への階段に足を向けようとする中、オレは自分を担当してくれる教師について尋ねる。
「オレを担当してくれる先生って誰ですか?」
肩越しに振り返った担任が口にしたのは、木刀の野村でも電池切れの中島でもなく、聞いた事のない名前だった。
「おはようございます。貴方が夷川君ですね」
奉仕作業組を乗せたバスが学校を出てから数時間。『おはようございます』と挨拶すら素直に返す事が出来ない程、オレの監視役は遅れて登場した。
そもそも担任も何時に監視役が来るとか、具体的な事は何一つ言っていなかった訳で、バカ正直に小吉さんたちが奉仕作業に向かった時間から、ずっと待っていたオレもオレだ。
どれくらい待たされたかと言うと、もう昼飯時なのだ。謹慎中に監視されるとあって、さすがに寝て待つなど失礼だろうと思い椅子に座り、ほぼ完徹になってしまった事で強力になった睡魔と必死で戦っていたというのに、もう午前中ですらない。
そういった理由で、どうしても苛々してしまい、その吐き出し口を自分の中で探すが、どうにも見つからなかった。かと言って、目の前に現れた監視役らしい男にぶつける訳にもいかない。なんせ老人だ。いや、老紳士と言った方がいいか。
「谷垣先生から貴方の謹慎に付き合うよう言われました。貴方の姿は数度見かけましたが、このように言葉を交わすのは初めてでしたね。まずは自己紹介をしましょう。司書として働いています、霧夜です。どうぞよろしく」
鉄格子の間に差し出される白い手袋をした手。「はあ」と気の抜けた声で答え、一応オレも手を差し出すと、見た目からは想像出来ない握力で握りしめられ、こちらが握り返す前にパッと離された。
霧夜と名乗る老紳士は圏ガクでは滅多にお目にかかれない、小綺麗な教師だった。寝癖の一つもない髪は、白髪が多く灰色に見えてしまうが、きっちりとセットしてあり一筋の乱れもない。ピンと背筋を伸ばした姿勢で着こなすのは、夏物だろうがスーツだ。
視線を握られた形に痛みのある手元から正面へ、霧夜氏へと向けるが、目が合う事は決してなかった。
それは何故か。オレと霧夜氏の間には壁があるからだ。文庫本という名の。
「では早速ですが、行きましょう。ここはどうにも湿気っていて気が散ります」
話している最中も一度として視線はぶれず、真っ直ぐに文庫本へと注がれ、片手で器用にページを捲りながら、結構なハイペースで読み進めていらっしゃる。そう言うとクルリと体の向きを変え、靴音を響かせながら反省室を出ようとするので、オレは慌てて声をかけた。
「あの! 鍵、開けて下さい」
囚人よろしく鉄格子を掴みながら言うオレの言葉に、ようやく顔を上げてくれた霧夜氏は、何がツボに入ったのか、可笑しそうな表情を浮かべて胸ポケットから鍵を取り出す。
「まるで看守にでもなった気分です」
この学校には面白いモノが沢山ある、そう呟くとパタンと文庫本を閉じ、歩き出した霧夜氏に続いて牢屋を脱出した。
妙に小気味よい靴音がするなぁと思い、霧夜氏の足下を見ると土足だった。落書きのようではあるが、簀の子に書かれた『土足厳禁』を完全無視する紳士になんとも言えない気分になっていると、玄関先にもう一足同じ靴が揃えられていた。
「私は運転免許を持っていないのです」
履き替えた靴を隅の方へ置きながら、唐突に霧夜氏は話し出す。
「他の先生方は毎日交代で送迎をしているでしょう。それが私には出来ないのです」
オレも(夕べから放置していた)靴を履いたのを見届けると、早足……ではなく、競歩か! と思う速さで進む背中を軽く駆け足で追いかける。
「同じように学校に残っている身として大変心苦しく、自分に出来る事は極力お受けしようと思いまして、君を迎えに来ました。一週間、長いとは思いますが、よろしくお願いしますね」
穏やかな声とやや干からびた印象のある姿とは裏腹に健脚すぎる。付いて行くので必死になってしまい、ロクに返事も出来ず、霧夜氏の独り言のようになってしまった。要するに合法的に仕事をしていない後ろめたさから、オレの監視役を買って出たという事なのだろう。
普段は使う事のない正面玄関から校舎へと入ると、またまた同じ靴が置いてあった。室内履きとしては珍しい、霧夜氏の足下ばかり見ていると、視線に気付いたらしく、裸足で付いて行こうとしたオレに来客用のスリッパを差し出しながら、その理由を笑って答えてくれた。
「どうにも苦手なのです。スリッパや上履きのような、こう廊下を歩くとパタパタと鳴るような履き物が」
校舎内に入っても健脚は健在で、目的の部屋にはあっと言う間に着いた。先輩の部屋や冷蔵庫がある階の下、司書である霧夜氏のホームグラウンドである図書室。
一学期の始めに先輩との遭遇を期待して、何度か訪れた事はあったが、完全な空振りでそれ以降全く縁のなかった場所だ。外から中を覗くと窓際で、文芸部員の稲継先輩が所在なげに運動場を眺めている。
「今日はそちらではなく、こちらに来て貰えますか」
稲継先輩に何か言うべきか考えながら扉に手を伸ばすと、少し先の廊下から霧夜氏の声が聞こえた。見れば図書室の隣の部屋が目的地だったらしく、既に霧夜氏の姿は廊下になかった。慌ててオレも隣の部屋に向かう。教室名の書かれてあるはずのプレートは空白、けれど達筆な文字で『第二図書室』と扉に張り紙がしてあった。
失礼しますと声をかけ室内に足を踏み入れたのだが、その異様に思わず足が止まってしまう。
元は理科室か何かだったらしく室内には、流し台が付いた大きめのテーブルが六つ並んでいた。教室の物とは違う大きな教卓に黒板もある。
そして、それらを埋め尽くす本の山があまりに壮絶だった。
テーブルの上に脚立が必要なくらい高々と本が積んであると言うのに、それだけでは足らず本の山は床にまで及んでいる。床に直置きするのに抵抗があるのか、室内の床はビニールシートがくまなく敷かれ、人が一人通れるか通れないかといった細い幅の通路がそれぞれの机を繋ぐように残されていた。
人が立ち入る事を考えられていない室内に入り込む勇気(山を一つ崩そうものなら、大雪崩を起こしてしまいそうで恐いのだ)が持てず入り口の所で立ち往生していると、一番奥の通路から手招きされてしまう。
「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。この部屋には貴重な物はありませんから」
無駄に慎重に歩き、霧夜氏の元に無事たどり着くと、可笑しそうな顔をされてしまった。目の前に聳える本の山を眺めていると、ポンとそれを手のひらで叩き霧夜氏が口を開く。
冷えた瓶ビールで晩酌中の中島に軽く挨拶をして、適当な席に座り弁当を開ける。大きめのおにぎり三つと卵焼き、あとウインナーが入っていた。おにぎりは三つとも中の具が違っていて、とても美味しかったが、遠足の時に先輩が作ってくれたおにぎりの味を思い出して少し寂しくなってしまった。
またあの肌寒い反省室に戻るなら、せめて体を温めたいと思い、備えつけの湯飲みに湯沸かしポットから白湯を注いでチビチビ飲む。けれど、食堂の気温は真夏のそれで、本当なら冷たい炭酸でも煽りたいところ。少しウンザリして、半分ほど残った白湯を捨て湯飲みを洗っていると、小吉さんが迎えに来てくれたので反省室に戻った。
オレが夕食を食っている間に反省室ではオレの寝床までしっかり準備が完了していた。それだけでなく、自分の日用品を取りに帰るついでにオレの荷物も運び込んでくれたようで「歯磨きは大事だ!」と言う小吉さんと、何故か仲良く並び狭い洗面台で一緒に歯磨きをした。
冷蔵庫と違い、ここには海外ドラマを流すテレビもヒマを潰すゲームの類いもない。朝が早いのも手伝って、オレらは早々に就寝する。
ふかふかの布団は自分の体温で良い感じに温まり、一日の疲れもあってすぐに寝付けそうだったのだが、一足先に寝付いた二人によってそれは阻まれてしまう。一学期の間、皆元と同室で鍛えられたと思っていたのだが、担任と小吉さんのダブル鼾は凄まじく、気の遠くなるような一夜を過ごす事になった。
騒音にも慣れて、ようやく微睡みだしたのが午前三時を回った頃。そんな時間に突然、片方の鼾が途切れゴソゴソと起き出す気配を感じ、布団から顔を出すと、寝起きでぼんやりしているのか、足取りの怪しい小吉さんの姿が通路に見えた。
「小吉さん、どこ行くの?」
便所はそれぞれの個室に完備されている上、我が班の大黒柱である狭間の手入れが行き届き、新品と大差ない清潔さが保たれているので、用を足す為に地上へ戻ろうという訳ではないだろう。気になって声をかけてみると「畑に行ってくる」と眠そうな返事を返してくれる。
「昨日もロクに行けてないから、下山する前に行っとこうと思って」
「オレも行く!」
畑に連れて行って貰う約束をしていたのを思い出し、心地良くなり出した布団をはね除け慌てて駆け寄ったが、小吉さんは眠そうな目を閉じて首をゆっくり左右に振った。
「今日はダメだ。謹慎中の奴を勝手に連れ出せない。また今度な」
少しだけ、すぐ戻るから等々、説得しようと言葉を重ねたが、小吉さんは首を振るばかりで結局連れて行っては貰えなかった。その代わり興奮のせいか、ようやく訪れていた眠気はキレイさっぱり消え、一人悶々と朝が明けるのを待つ事になってしまった。
一人になっても騒音、もはや轟音と言っても過言ではない担任の鼾が止まったのは、畑を見に行っていた小吉さんが、自分のシャツの裾を伸ばして大量のトマトを持って反省室へ戻って来る少し前だった。
寝起きのデフォルメらしい、教師にあるまじき極悪人面の担任が「朝飯に行くぞ」と言って階段を上って行くので、それに付いて行く。由々式のおばさんが朝食の分まで弁当を作ってくれているのかと、少し期待してしまったが、食堂で担任に手渡されたのは当然のように缶詰だった。
缶詰に入ったパサパサで無駄に固いマフィンと、えげつないとしか形容出来ない味付けのサラダ。普段なら朝食には牛乳が付くが、夏休み中に飲み物は付かないので、セルフのお茶を二つ用意して、担任の向かいに座り缶を開ける。同じ物を無表情で食っている担任を見習って、お茶で流し込むようにそれらを腹におさめると、畑の収穫を持参した小吉さんが合流したので、ありがたく採れたてトマトで口直しをさせて貰った。
奉仕作業の集合時間が近くなる前に、香月らと顔を合わす前に、オレは反省室へと戻った。小吉さんと担任は下山するので残るのはオレ一人だ。
「鍵は監視役の先生に渡しておく」
寝床がある部屋へ入ると、担任にまた鍵を掛けられてしまった。時計を見ると、そろそろ残留一年が食堂に集まり出す時間だ。二人が揃って地上への階段に足を向けようとする中、オレは自分を担当してくれる教師について尋ねる。
「オレを担当してくれる先生って誰ですか?」
肩越しに振り返った担任が口にしたのは、木刀の野村でも電池切れの中島でもなく、聞いた事のない名前だった。
「おはようございます。貴方が夷川君ですね」
奉仕作業組を乗せたバスが学校を出てから数時間。『おはようございます』と挨拶すら素直に返す事が出来ない程、オレの監視役は遅れて登場した。
そもそも担任も何時に監視役が来るとか、具体的な事は何一つ言っていなかった訳で、バカ正直に小吉さんたちが奉仕作業に向かった時間から、ずっと待っていたオレもオレだ。
どれくらい待たされたかと言うと、もう昼飯時なのだ。謹慎中に監視されるとあって、さすがに寝て待つなど失礼だろうと思い椅子に座り、ほぼ完徹になってしまった事で強力になった睡魔と必死で戦っていたというのに、もう午前中ですらない。
そういった理由で、どうしても苛々してしまい、その吐き出し口を自分の中で探すが、どうにも見つからなかった。かと言って、目の前に現れた監視役らしい男にぶつける訳にもいかない。なんせ老人だ。いや、老紳士と言った方がいいか。
「谷垣先生から貴方の謹慎に付き合うよう言われました。貴方の姿は数度見かけましたが、このように言葉を交わすのは初めてでしたね。まずは自己紹介をしましょう。司書として働いています、霧夜です。どうぞよろしく」
鉄格子の間に差し出される白い手袋をした手。「はあ」と気の抜けた声で答え、一応オレも手を差し出すと、見た目からは想像出来ない握力で握りしめられ、こちらが握り返す前にパッと離された。
霧夜と名乗る老紳士は圏ガクでは滅多にお目にかかれない、小綺麗な教師だった。寝癖の一つもない髪は、白髪が多く灰色に見えてしまうが、きっちりとセットしてあり一筋の乱れもない。ピンと背筋を伸ばした姿勢で着こなすのは、夏物だろうがスーツだ。
視線を握られた形に痛みのある手元から正面へ、霧夜氏へと向けるが、目が合う事は決してなかった。
それは何故か。オレと霧夜氏の間には壁があるからだ。文庫本という名の。
「では早速ですが、行きましょう。ここはどうにも湿気っていて気が散ります」
話している最中も一度として視線はぶれず、真っ直ぐに文庫本へと注がれ、片手で器用にページを捲りながら、結構なハイペースで読み進めていらっしゃる。そう言うとクルリと体の向きを変え、靴音を響かせながら反省室を出ようとするので、オレは慌てて声をかけた。
「あの! 鍵、開けて下さい」
囚人よろしく鉄格子を掴みながら言うオレの言葉に、ようやく顔を上げてくれた霧夜氏は、何がツボに入ったのか、可笑しそうな表情を浮かべて胸ポケットから鍵を取り出す。
「まるで看守にでもなった気分です」
この学校には面白いモノが沢山ある、そう呟くとパタンと文庫本を閉じ、歩き出した霧夜氏に続いて牢屋を脱出した。
妙に小気味よい靴音がするなぁと思い、霧夜氏の足下を見ると土足だった。落書きのようではあるが、簀の子に書かれた『土足厳禁』を完全無視する紳士になんとも言えない気分になっていると、玄関先にもう一足同じ靴が揃えられていた。
「私は運転免許を持っていないのです」
履き替えた靴を隅の方へ置きながら、唐突に霧夜氏は話し出す。
「他の先生方は毎日交代で送迎をしているでしょう。それが私には出来ないのです」
オレも(夕べから放置していた)靴を履いたのを見届けると、早足……ではなく、競歩か! と思う速さで進む背中を軽く駆け足で追いかける。
「同じように学校に残っている身として大変心苦しく、自分に出来る事は極力お受けしようと思いまして、君を迎えに来ました。一週間、長いとは思いますが、よろしくお願いしますね」
穏やかな声とやや干からびた印象のある姿とは裏腹に健脚すぎる。付いて行くので必死になってしまい、ロクに返事も出来ず、霧夜氏の独り言のようになってしまった。要するに合法的に仕事をしていない後ろめたさから、オレの監視役を買って出たという事なのだろう。
普段は使う事のない正面玄関から校舎へと入ると、またまた同じ靴が置いてあった。室内履きとしては珍しい、霧夜氏の足下ばかり見ていると、視線に気付いたらしく、裸足で付いて行こうとしたオレに来客用のスリッパを差し出しながら、その理由を笑って答えてくれた。
「どうにも苦手なのです。スリッパや上履きのような、こう廊下を歩くとパタパタと鳴るような履き物が」
校舎内に入っても健脚は健在で、目的の部屋にはあっと言う間に着いた。先輩の部屋や冷蔵庫がある階の下、司書である霧夜氏のホームグラウンドである図書室。
一学期の始めに先輩との遭遇を期待して、何度か訪れた事はあったが、完全な空振りでそれ以降全く縁のなかった場所だ。外から中を覗くと窓際で、文芸部員の稲継先輩が所在なげに運動場を眺めている。
「今日はそちらではなく、こちらに来て貰えますか」
稲継先輩に何か言うべきか考えながら扉に手を伸ばすと、少し先の廊下から霧夜氏の声が聞こえた。見れば図書室の隣の部屋が目的地だったらしく、既に霧夜氏の姿は廊下になかった。慌ててオレも隣の部屋に向かう。教室名の書かれてあるはずのプレートは空白、けれど達筆な文字で『第二図書室』と扉に張り紙がしてあった。
失礼しますと声をかけ室内に足を踏み入れたのだが、その異様に思わず足が止まってしまう。
元は理科室か何かだったらしく室内には、流し台が付いた大きめのテーブルが六つ並んでいた。教室の物とは違う大きな教卓に黒板もある。
そして、それらを埋め尽くす本の山があまりに壮絶だった。
テーブルの上に脚立が必要なくらい高々と本が積んであると言うのに、それだけでは足らず本の山は床にまで及んでいる。床に直置きするのに抵抗があるのか、室内の床はビニールシートがくまなく敷かれ、人が一人通れるか通れないかといった細い幅の通路がそれぞれの机を繋ぐように残されていた。
人が立ち入る事を考えられていない室内に入り込む勇気(山を一つ崩そうものなら、大雪崩を起こしてしまいそうで恐いのだ)が持てず入り口の所で立ち往生していると、一番奥の通路から手招きされてしまう。
「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。この部屋には貴重な物はありませんから」
無駄に慎重に歩き、霧夜氏の元に無事たどり着くと、可笑しそうな顔をされてしまった。目の前に聳える本の山を眺めていると、ポンとそれを手のひらで叩き霧夜氏が口を開く。
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