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メリンダの尽力あって、ヴォレアナズ帝国と繋がったのは10日後だった。
勤務地も吟味してくれたのか、メリンダが選んだのはすぐ隣の領地だ。
隣の領地と言っても、キャトラル王国とヴォレアナズ帝国の間には広大な森が広がっている。
森の名は”帰らずの森”。
名前から察せられる通り、その面積は小国を呑み込むほどに広大だ。
キャトラル王国とヴォレアナズ帝国の境に広がり、さらにはヴォレアナズ帝国から2ヵ国東へ行ったファイン共和国へ、蛇のようにうねりながら伸びている。
国によって、”帰らずの森” ”魔女の森” ”迷いの森” ”悪魔の棲み処”と呼称があり、どれも不吉さを彷彿とさせる。
不吉な名の理由は、迷ってしまえば森を抜けることが困難なことに由来する。
”帰らずの森”は、その面積のみならず、多くの魔物が確認されているのだ。
時間とお金にゆとりがある人たちは、森を避けた迂回路を使う。お金はあっても時間がない人たちは、屈強な護衛を雇い、”帰らずの森”を抜ける街道を使う。
”帰らずの森”を突破してヴォレアナズ帝国へ入国するショートカットルートは3つ。
関所で徴収される通行料の金額にはばらつきあり、通行料が高額なほど、街道を見回る兵士が多い。つまり、安全度が高い。
今回、メリンダに指定されたのはゴールドスタイン伯領の端っこにある関所だ。
正直、ここのルートは安全とは程遠い。領主であるゴールドスタイン伯爵が、お世辞にも友好的ではないからだ。政治に疎い子供の目からも打算的で、差別主義者なのがまる分かりの傲慢な顔つきをしている。実際、獣人の国とを結ぶ街道に否定的だったのだ。
なのに、なぜ街道の工事に着手したのかと言えば、単なる国王陛下へのアピールだ。
ヴォレアナズ帝国との国交は国を挙げての計画だったそうで、”帰らずの森”に通す街道は安全面を考慮し3本と限定。人件費を含めた工事費用、並びに街道開通までの騎士団派遣を国費で賄うと国王が明言した。
そこで挙手した領主が犬猿の仲のポートマン侯爵だったので、競うように名乗りを上げたにすぎない。
街道を作ってしまえば、あとは放置。
通行料は格安だが、魔物対策に配備された兵士はいない。頑丈な建物がぽつんとあり、軒下で雇われ兵が退屈そうに立っているだけ。
”帰らずの森”が国境の壁となっているので、密入国者はいないと、人件費をケチった結果だ。
魔物に関しては丸腰に近く、建物だけがひと際目立つ堅牢な作りとなっている。
そんなお飾りの雇われ兵が、乗合馬車を降り、トランクを引き摺るように歩く私を見てぽかんと口を開けている。
それだけ、この関所を使う物好きはいないということだ。
受付で必要書類を提出し、通行料を払い終えると、兵士たちが「間違いないのか?」と森の奥へと続く街道を指さした。
「はい。ヴォレアナズ帝国クロムウェル領で仕事が決まったんです。迎えが来る予定です」
「それはそれは」
苦く笑った兵士の顔に、「ご愁傷様」と書いてある。
領主が差別主義者なら、雇われ兵も差別主義者だ。
何か嫌味を言われる前に、少し離れた場所で待つことにした。
関所はここにあるけど、国境はまだ先だ。安全面を考え、”帰らずの森”の手前に関所を構えているにすぎない。
街道は幅6メートルほどで、鬱蒼とした森の奥に吸い込まれるように伸びている。そこに恐ろしげな影が横切るとか、悍ましい遠吠えが聞こえるといったこともない。見ているだけなら長閑な森だと思う。
と、遠くから砂煙を上げて馬が駆けて来るのが見えた。全部で4頭だ。騎乗している人たちは黒ベースの揃いの装いなので、制服なのかもしれない。こんな街道を爆走するということは、どこかの領主へ緊急案件を届ける使者…といったところかな。
兵士たちも「何事だ」「ヴォレアナズの使者か?」と眉を顰めている。
どちらにしても、馬車じゃなければ関係ないだろうと無視を決め込んでいれば、先頭を走っていた馬が私の前で立ち上がるようにして止まった。
急な制止に、立派な体躯の月毛の馬が興奮している。嘶き、前脚で地面を蹴り、銜を咥えた口から泡となったヨダレが垂れている。
私といえば、驚きすぎて言葉がでない。興奮した馬は怖いし、なにより、騎乗した男性が馬の何倍も怖い!
とにかく、馬もデカければ男性もデカいのだ。
馬を飛ばして来たからか、チョコレート色の髪はぼさぼさに乱れているし、汗が滴っているけど、黄金色の双眸には一切の疲れが見られない。それどころか、すこぶる目つきが悪い。立て襟の黒服と腰に佩いた長剣が威圧感を生み、整った顔貌は、まるで罪人を追い詰めたような険しさで私を見下ろす。
めちゃくちゃ怖い!
黒服をよく見れば、左腕の肩口近くに双頭の狼の紋章が縫い付けられている。メリンダから事前に聞いた話だと、これから向かうクロムウェル領を治める公爵家の家紋が双頭の狼ということだ。
つまり、この人たちはお揃いの服を着た使者ではなく、クロムウェル公爵家の騎士となる。
気付いた瞬間、ぴん!と背筋が伸びた。
恐怖と緊張も最高潮だ。
怖々と兵士たちを見れば、青白い顔で無言を貫いている。兵としての素質は、比べるべくもない。仮に、ここで私が襲われても、彼らは見なかったことにして済ませるはずだ。賭けても良い。
ゆっくりと視線を騎士たちに戻せば、彼らはポケットから小瓶を取り出し、次々と馬の頭に小瓶の中身を浴びせた。途端に、荒々しい呼気で涎を垂らしていた馬が穏やかになる。
ポーションだ。
低級ポーションだろうけど、馬に使う人を初めて見た。
さすが公爵家お抱えの騎士だ。
ますます恐ろしいと畏縮する私に、「おい」と声がかかる。
「は…は、はひ…」
恐怖で声がひっくり返ってしまった。
男性は私の反応に不快感を示しながら、軽やかに馬から下りた。
目の前に立たれれば、改めて騎士のデカさが実感できる。
推定2メートル。まるで壁だ。
「お前がイヴ・ゴゼットで合っているか?」
片方の眉がくいっと上がり、凶悪な双眸が疑わしそうに私を観察している。
不躾な視線に、「こんなガキなわけがない」と心の声が聞こえて来そうだ。
「……は、はい。イ…イヴ・ゴゼットです。ハノンの冒険者ギルドの口添えで…ク、クロムウェル領で…仕事をすることになり……迎えを待ってます……」
「年は?」
「……15です」
答えれば、騎士はしばし沈黙した後、気難しい表情のまま「そうか」と頷いた。
「俺の名はジャレッドだ。これからクロムウェル公爵領へ連れて行く」
連れて行く…?
騎士が?
てっきりクロムウェル領にあるだろうギルドから迎えが来るのかと思っていた。
驚きを隠しつつ、馬車は何処だと、騎士――ジャレッドの後ろを覗いても馬車はない。3人の騎士が無言のままに控えているだけだ。
その3人は無言の無表情。得も言われぬ圧を覚えてしまう。
「荷物はそれだけか?」
それ、と指さすのは、古びたトランクだ。
着替えと、今まで取り溜めていたレシピノート、愛用の小型の鉈。少ないながらも蓄えた全財産が入っている。雑多な物は向こうで買い揃える予定なので、荷物は少ない。
「はい」と頷けば、ジャレッドはトランクを拾い上げ、「キース」と金髪の騎士に投げた。馬が少し驚いただけで、キースと呼ばれた騎士は軽々とトランクをキャッチする。
ノートと鉈が入っているので、決して軽いはずはないのだけど…。
見た目は絵本の王子様なのに凄いな…と感心する間もなく、私はジャレッドに抱え上げられた。「ひゃ!?」と声を上げた時には馬上だ。
ジャレッドは鐙の長さを調整すると、私の足を鐙に押し込んだ。それから私に後ろに飛び乗り、右手に巻き付けるように手綱を握る。
よくよく見れば、鞍は相乗り用のものだ。
相乗り用は鞍が2つ連なっているもので、ジャレッドが跨った鞍は取り外しが可能の作りになっている。
「あ…あの!わ、私は…馬に乗ったことがないんですけど…」
初乗馬で初横座り。
落馬確実だ。
あらかじめ馬車でないと教えてくれていたのなら、余所行きのワンピースではなく冒険者然りとしたズボンを選んだのに!
「俺の腕を掴んでおけ」
ジャレッドは言って、左腕を私の体に回した。
それでなくても近いのに、腕を回されたら密着度が増して緊張が突き抜けてしまう。
「あ…あの…でも……隊服が…皺になったら…」
初めて見る騎士の隊服は、かなり上等な生地を使っている。コットン糸を綾織りした生地で、平民が着るような指に引っかかる平織りの薄生地とは質が違う。
「いいから掴んでおけ。皺になろうが、破れようが構わん」
有無を言わせない口調に、私は怖々と頷いてそっと腕を掴む。
触れてみれば、服の上からでも鍛え上げた筋肉が分かる。例えるなら、袖に角材でも隠し持ってるみたいな硬さだ。
ジャレッドは手綱を引っ張って馬を方向転換させると、「魔物の処理はジェレミーとロッドに任せる」と強い口調で命じた。
2人は「了解」と頷き、馬を方向転換させると馬の腹を蹴る。
常歩から徐々に速度を上げていくのかと思えば、鹿毛の2頭が猛然と走り出した。その2頭を追いかけるように、月毛の馬も走り出す。後ろに続くのはキースを乗せた黒鹿毛だ。
初めての乗馬の感想は怖いの一言に尽きる。
空を飛ぶように…なんて比喩があるけど、実際、私の体は何度も浮いている。そして、強かにお尻を打ち付けての着地だ。
痛い!怖い!スカートが捲れる!のパニックが交互に襲って来る。
隊服が皺になる…と遠慮する余裕はかった。爪を立てて、ジャレッドの腕にしがみ付く。
口からは悲鳴が、目から涙が溢れる。
「前方2時の方角にホグジラ!」
黒髪のロッドが叫び、ジェレミーと共に剣を抜いた。
ホグジラは巨大なイノシシだ。下顎に生えた牙を武器に突進してくる。
体長は4メートル。文献では、5.5メートル、推定700kgの個体も確認されたと読んだことがある。
ホグジラの厄介なところは牙と巨体に加え、10を超す群れを成しているところだ。
「抜ける!」
ジャレッドは叫び、3人を抜いて街道を駆け抜ける。
鬱蒼とした木々の間隙に、巨大な体躯の影が見えたけど、こちらに方向転換するより先に炎の矢が群れの中で爆ぜた。
それで死なないのがホグジラだ。甲高い怒声と、地鳴りのような足音が遠ざかって行く。
向かった先は、ホグジラを引き受けた騎士たちなのだろう。
不安を悟ったのか、ジャレットが鼻で笑う。
「イノシシごときで遅れをとる奴らじゃない。それより、しっかりしがみ付いてろ。まだ8kmはあるからな」
「は…!」
「ここは”魔女の森”でも特に幅が狭く、街道が通しやすかった箇所だ。それでも凡そ10km。うち非武装を定めた中立地帯4km。まだ中立地帯にも入っていない。キャトラル王国内だ」
そんなに馬に乗っていたら、私のお尻が死んでしまう!
「魔物に備えて休憩はなしで突破する」
「いやあああああ~!!」
悲鳴もむなしく、月毛の馬は速度を緩めてはくれなかった…。
―・―・―・―注釈―・―・―・―
月毛はクリーム色の毛並みの馬のことです。
とても珍しい毛色です。
鹿毛は茶褐色。
一般的な毛並みの馬。
黒鹿毛は鹿毛よりも黒みがかった馬です。
勤務地も吟味してくれたのか、メリンダが選んだのはすぐ隣の領地だ。
隣の領地と言っても、キャトラル王国とヴォレアナズ帝国の間には広大な森が広がっている。
森の名は”帰らずの森”。
名前から察せられる通り、その面積は小国を呑み込むほどに広大だ。
キャトラル王国とヴォレアナズ帝国の境に広がり、さらにはヴォレアナズ帝国から2ヵ国東へ行ったファイン共和国へ、蛇のようにうねりながら伸びている。
国によって、”帰らずの森” ”魔女の森” ”迷いの森” ”悪魔の棲み処”と呼称があり、どれも不吉さを彷彿とさせる。
不吉な名の理由は、迷ってしまえば森を抜けることが困難なことに由来する。
”帰らずの森”は、その面積のみならず、多くの魔物が確認されているのだ。
時間とお金にゆとりがある人たちは、森を避けた迂回路を使う。お金はあっても時間がない人たちは、屈強な護衛を雇い、”帰らずの森”を抜ける街道を使う。
”帰らずの森”を突破してヴォレアナズ帝国へ入国するショートカットルートは3つ。
関所で徴収される通行料の金額にはばらつきあり、通行料が高額なほど、街道を見回る兵士が多い。つまり、安全度が高い。
今回、メリンダに指定されたのはゴールドスタイン伯領の端っこにある関所だ。
正直、ここのルートは安全とは程遠い。領主であるゴールドスタイン伯爵が、お世辞にも友好的ではないからだ。政治に疎い子供の目からも打算的で、差別主義者なのがまる分かりの傲慢な顔つきをしている。実際、獣人の国とを結ぶ街道に否定的だったのだ。
なのに、なぜ街道の工事に着手したのかと言えば、単なる国王陛下へのアピールだ。
ヴォレアナズ帝国との国交は国を挙げての計画だったそうで、”帰らずの森”に通す街道は安全面を考慮し3本と限定。人件費を含めた工事費用、並びに街道開通までの騎士団派遣を国費で賄うと国王が明言した。
そこで挙手した領主が犬猿の仲のポートマン侯爵だったので、競うように名乗りを上げたにすぎない。
街道を作ってしまえば、あとは放置。
通行料は格安だが、魔物対策に配備された兵士はいない。頑丈な建物がぽつんとあり、軒下で雇われ兵が退屈そうに立っているだけ。
”帰らずの森”が国境の壁となっているので、密入国者はいないと、人件費をケチった結果だ。
魔物に関しては丸腰に近く、建物だけがひと際目立つ堅牢な作りとなっている。
そんなお飾りの雇われ兵が、乗合馬車を降り、トランクを引き摺るように歩く私を見てぽかんと口を開けている。
それだけ、この関所を使う物好きはいないということだ。
受付で必要書類を提出し、通行料を払い終えると、兵士たちが「間違いないのか?」と森の奥へと続く街道を指さした。
「はい。ヴォレアナズ帝国クロムウェル領で仕事が決まったんです。迎えが来る予定です」
「それはそれは」
苦く笑った兵士の顔に、「ご愁傷様」と書いてある。
領主が差別主義者なら、雇われ兵も差別主義者だ。
何か嫌味を言われる前に、少し離れた場所で待つことにした。
関所はここにあるけど、国境はまだ先だ。安全面を考え、”帰らずの森”の手前に関所を構えているにすぎない。
街道は幅6メートルほどで、鬱蒼とした森の奥に吸い込まれるように伸びている。そこに恐ろしげな影が横切るとか、悍ましい遠吠えが聞こえるといったこともない。見ているだけなら長閑な森だと思う。
と、遠くから砂煙を上げて馬が駆けて来るのが見えた。全部で4頭だ。騎乗している人たちは黒ベースの揃いの装いなので、制服なのかもしれない。こんな街道を爆走するということは、どこかの領主へ緊急案件を届ける使者…といったところかな。
兵士たちも「何事だ」「ヴォレアナズの使者か?」と眉を顰めている。
どちらにしても、馬車じゃなければ関係ないだろうと無視を決め込んでいれば、先頭を走っていた馬が私の前で立ち上がるようにして止まった。
急な制止に、立派な体躯の月毛の馬が興奮している。嘶き、前脚で地面を蹴り、銜を咥えた口から泡となったヨダレが垂れている。
私といえば、驚きすぎて言葉がでない。興奮した馬は怖いし、なにより、騎乗した男性が馬の何倍も怖い!
とにかく、馬もデカければ男性もデカいのだ。
馬を飛ばして来たからか、チョコレート色の髪はぼさぼさに乱れているし、汗が滴っているけど、黄金色の双眸には一切の疲れが見られない。それどころか、すこぶる目つきが悪い。立て襟の黒服と腰に佩いた長剣が威圧感を生み、整った顔貌は、まるで罪人を追い詰めたような険しさで私を見下ろす。
めちゃくちゃ怖い!
黒服をよく見れば、左腕の肩口近くに双頭の狼の紋章が縫い付けられている。メリンダから事前に聞いた話だと、これから向かうクロムウェル領を治める公爵家の家紋が双頭の狼ということだ。
つまり、この人たちはお揃いの服を着た使者ではなく、クロムウェル公爵家の騎士となる。
気付いた瞬間、ぴん!と背筋が伸びた。
恐怖と緊張も最高潮だ。
怖々と兵士たちを見れば、青白い顔で無言を貫いている。兵としての素質は、比べるべくもない。仮に、ここで私が襲われても、彼らは見なかったことにして済ませるはずだ。賭けても良い。
ゆっくりと視線を騎士たちに戻せば、彼らはポケットから小瓶を取り出し、次々と馬の頭に小瓶の中身を浴びせた。途端に、荒々しい呼気で涎を垂らしていた馬が穏やかになる。
ポーションだ。
低級ポーションだろうけど、馬に使う人を初めて見た。
さすが公爵家お抱えの騎士だ。
ますます恐ろしいと畏縮する私に、「おい」と声がかかる。
「は…は、はひ…」
恐怖で声がひっくり返ってしまった。
男性は私の反応に不快感を示しながら、軽やかに馬から下りた。
目の前に立たれれば、改めて騎士のデカさが実感できる。
推定2メートル。まるで壁だ。
「お前がイヴ・ゴゼットで合っているか?」
片方の眉がくいっと上がり、凶悪な双眸が疑わしそうに私を観察している。
不躾な視線に、「こんなガキなわけがない」と心の声が聞こえて来そうだ。
「……は、はい。イ…イヴ・ゴゼットです。ハノンの冒険者ギルドの口添えで…ク、クロムウェル領で…仕事をすることになり……迎えを待ってます……」
「年は?」
「……15です」
答えれば、騎士はしばし沈黙した後、気難しい表情のまま「そうか」と頷いた。
「俺の名はジャレッドだ。これからクロムウェル公爵領へ連れて行く」
連れて行く…?
騎士が?
てっきりクロムウェル領にあるだろうギルドから迎えが来るのかと思っていた。
驚きを隠しつつ、馬車は何処だと、騎士――ジャレッドの後ろを覗いても馬車はない。3人の騎士が無言のままに控えているだけだ。
その3人は無言の無表情。得も言われぬ圧を覚えてしまう。
「荷物はそれだけか?」
それ、と指さすのは、古びたトランクだ。
着替えと、今まで取り溜めていたレシピノート、愛用の小型の鉈。少ないながらも蓄えた全財産が入っている。雑多な物は向こうで買い揃える予定なので、荷物は少ない。
「はい」と頷けば、ジャレッドはトランクを拾い上げ、「キース」と金髪の騎士に投げた。馬が少し驚いただけで、キースと呼ばれた騎士は軽々とトランクをキャッチする。
ノートと鉈が入っているので、決して軽いはずはないのだけど…。
見た目は絵本の王子様なのに凄いな…と感心する間もなく、私はジャレッドに抱え上げられた。「ひゃ!?」と声を上げた時には馬上だ。
ジャレッドは鐙の長さを調整すると、私の足を鐙に押し込んだ。それから私に後ろに飛び乗り、右手に巻き付けるように手綱を握る。
よくよく見れば、鞍は相乗り用のものだ。
相乗り用は鞍が2つ連なっているもので、ジャレッドが跨った鞍は取り外しが可能の作りになっている。
「あ…あの!わ、私は…馬に乗ったことがないんですけど…」
初乗馬で初横座り。
落馬確実だ。
あらかじめ馬車でないと教えてくれていたのなら、余所行きのワンピースではなく冒険者然りとしたズボンを選んだのに!
「俺の腕を掴んでおけ」
ジャレッドは言って、左腕を私の体に回した。
それでなくても近いのに、腕を回されたら密着度が増して緊張が突き抜けてしまう。
「あ…あの…でも……隊服が…皺になったら…」
初めて見る騎士の隊服は、かなり上等な生地を使っている。コットン糸を綾織りした生地で、平民が着るような指に引っかかる平織りの薄生地とは質が違う。
「いいから掴んでおけ。皺になろうが、破れようが構わん」
有無を言わせない口調に、私は怖々と頷いてそっと腕を掴む。
触れてみれば、服の上からでも鍛え上げた筋肉が分かる。例えるなら、袖に角材でも隠し持ってるみたいな硬さだ。
ジャレッドは手綱を引っ張って馬を方向転換させると、「魔物の処理はジェレミーとロッドに任せる」と強い口調で命じた。
2人は「了解」と頷き、馬を方向転換させると馬の腹を蹴る。
常歩から徐々に速度を上げていくのかと思えば、鹿毛の2頭が猛然と走り出した。その2頭を追いかけるように、月毛の馬も走り出す。後ろに続くのはキースを乗せた黒鹿毛だ。
初めての乗馬の感想は怖いの一言に尽きる。
空を飛ぶように…なんて比喩があるけど、実際、私の体は何度も浮いている。そして、強かにお尻を打ち付けての着地だ。
痛い!怖い!スカートが捲れる!のパニックが交互に襲って来る。
隊服が皺になる…と遠慮する余裕はかった。爪を立てて、ジャレッドの腕にしがみ付く。
口からは悲鳴が、目から涙が溢れる。
「前方2時の方角にホグジラ!」
黒髪のロッドが叫び、ジェレミーと共に剣を抜いた。
ホグジラは巨大なイノシシだ。下顎に生えた牙を武器に突進してくる。
体長は4メートル。文献では、5.5メートル、推定700kgの個体も確認されたと読んだことがある。
ホグジラの厄介なところは牙と巨体に加え、10を超す群れを成しているところだ。
「抜ける!」
ジャレッドは叫び、3人を抜いて街道を駆け抜ける。
鬱蒼とした木々の間隙に、巨大な体躯の影が見えたけど、こちらに方向転換するより先に炎の矢が群れの中で爆ぜた。
それで死なないのがホグジラだ。甲高い怒声と、地鳴りのような足音が遠ざかって行く。
向かった先は、ホグジラを引き受けた騎士たちなのだろう。
不安を悟ったのか、ジャレットが鼻で笑う。
「イノシシごときで遅れをとる奴らじゃない。それより、しっかりしがみ付いてろ。まだ8kmはあるからな」
「は…!」
「ここは”魔女の森”でも特に幅が狭く、街道が通しやすかった箇所だ。それでも凡そ10km。うち非武装を定めた中立地帯4km。まだ中立地帯にも入っていない。キャトラル王国内だ」
そんなに馬に乗っていたら、私のお尻が死んでしまう!
「魔物に備えて休憩はなしで突破する」
「いやあああああ~!!」
悲鳴もむなしく、月毛の馬は速度を緩めてはくれなかった…。
―・―・―・―注釈―・―・―・―
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とても珍しい毛色です。
鹿毛は茶褐色。
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ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。
ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。
サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める――――
※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。
この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~
柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。
家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。
そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。
というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。
けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。
そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。
ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。
それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。
そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。
一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。
これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。
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