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牽制
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うわぁ…すごい。
食堂に溢れる濃厚な香りに、ごくり、と喉が鳴る。
いつもは騎士団の方針か、獣人の特性か。素材をシンプルに味わうステーキやローストといった塊肉料理が多いけど、今日は一段と手の込んだ料理ばかりだ。
食欲のそそる香りを立たせるのはビーフシチューで、柔らかく煮込んだ肉と大ぶりに切られた人参、丸のままの小玉ねぎ。彩りに蒸したブロッコリーが添えられている。
大皿に山となっているのはミートパイだ。
騎士団のミートパイは大伯母さんのものとは違い、クロムウェル領の一般的なミートパイになる。形は半月形。グレービーソースで煮込んだブリスケットに、たっぷりのにんにくを使った味付けだ。食べた後は口臭が気になるけど、にんにく効果か食が進む一品でもある。大人に言わせれば「エールが旨い!」だ。
同じく大皿にみっちりと並ぶのは、たっぷりのベーコンとキノコを使ったチーズ乗せキッシュになる。
団員…主に男性陣が列を成して器に盛ってもらっているのは、胃袋の赤ワイン煮込みのようだ。
私は内臓系は苦手なので遠目で確認するだけ。獣人男性にはブラッドソーセージともども人気の料理で、こちらも酒の肴として人気。ということで、胃袋の赤ワイン煮込みに並ぶ団員たちの手には、例外なく木樽ジョッキに注がれたエールがある。
さらに今回は、ナッツ入りのマフィンまで付いている。
「うそ!デザートまである!」
「さすがジャレッド団長よね~」
ウキウキと女性騎士たちがはしゃぐくらい、普段とは違うのだ。
何事?という疑問も、生温い視線の集中砲火と、向かいに座ってたジョアンから、「今朝の全体ミーティングで、ジャレッド団長が宣言したんすよ。イヴにちょっかいかけたら殺すって。ツガイ?なんすよね?よく分かんないっすけどおめでとー」で理解した。
番おめでとう!のご馳走だ。
番宣言したのかと頭を抱えたくなる。
「今日は手の込んだ料理だな」と、山盛りのミートパイをトレイに載せて、ジャレッド団長が私の隣に座った。
ジャレッド団長の向かいには、3人分のエールを運んできたアーロンが座る。3人ともミートパイは山のようだし、ビーフシチューは肉多め。胃袋にしても器が大きすぎる。対して、キッシュは人並み…一切れだ。分かりやすい。
私はビーフシチューは肉少なめ野菜多めにして、ミートパイ1つとキッシュを1切れ。デザートのマフィンは、欲張って2つ貰った。
私には満足の量だけど、ジャレッド団長の目には小食に映るらしい。無言のままに、ミートパイが1つ、私のお皿に追加される。
2つ目は阻止した。
「それより!ジャレッド団長、番のこと言っちゃったんですね…」
「当然だ」
胸を張るジャレッド団長に、アーロンも頷く。
「通達するのは大事だ。それを知らない者がイヴにアプローチをかければ血を見るからな。第2は優秀な者ばかりだ。無為に命を散らすことはない」
命を散らす…。
そんな大袈裟な、と思ってジャレッド団長を見れば、重々しく頷いている。
心なし、ジョアンが遠い目だ。
「問題はジャレッド団長の熱狂的なファンですね」
と、アーロンがジャレッド団長を見ると、ジャレッド団長は眉宇を顰めた。
クロムウェル家の3兄弟のファンはそれぞれ性質が違う。
ハワード団長は一種宗教じみた敬虔なファンが多く、グレン団長には”見守り隊”なるファンクラブがあるのだとか。”見守り隊”の神髄は、陰ながら明朗快活なグレン団長を応援することにあるらしい。
ハワード団長は既婚者なので問題はないし、グレン団長に至ってはファンクラブ間でグレン団長に相応しい令嬢ランキングなどを作って楽しんでいるという。ちょっと意味が分からないファンクラブだ。
一番の過激派は、やはりというべきか、ジャレッド団長のファンである。
血気盛んな令嬢たちは、ジャレッド団長に似合うのは自分だと自負し、他者を蹴落とすことに何ら罪悪感を抱かない。例え平民であろうと、”真実の愛”や”運命の糸”と言いたい放題やりたい放題なのだ。
私が暴言を吐かれ、暴行を受けたのも、彼女たちからすれば”当然の報い”になる。
そんな私がジャレッド団長の番だと知られたらと思うと、想像するだけで恐ろしい…。
「あの…ちょっと疑問なんですけど、番が何かって、周知されてるんですか?グレン団長もヴィヴィアン様も詳しくなかったですけど」
「ああ、此処ではそれも含めて説明した。横槍を入れるバカが出ないとも限らないからな」
「問題は騎士団以外っすね。一般人なんてツガイという言葉自体知らないって人は多いんじゃ?そもそも貴族でも怪しいっすよ?俺も学園の古典授業で、ちらっと聞いたくらいで、戯曲の一説みたいなイメージっすもん」
「一応、中央に勤める貴族には、それなりに番の概念は叩き込まれている」
「そうなんすか?」
ジョアンがきょとんとした顔でアーロンを見ると、アーロンは「ああ」と頷く。
「我が家の親族は文官や宮仕えが多いからな。中央の話も流れてくるんだ。別に秘密にされているわけではなく、単にこっちまで話が流れてこないだけだが、第5皇女殿下が先祖返りの可能性があるそうだ。そのため、今後番が出てくる可能性がある。万が一、皇女殿下の番が下級貴族や平民、他国の者だった場合に備え、対応を協議していると聞いた。皇女殿下は御年六つ。まだ表に出られる年齢ではないが、どのような形で番と出会うか分からないからな。城勤めは全員が高位貴族ではない。文官は下級貴族が多いし、下級使用人には平民が多い。騎士の訓練を見学されるなら、それこそあらゆる身分の者が集まっている。出入りする商人には他国の者もいるだろう。皇女殿下に拝謁できる者を審査したところで、誰が番になるかなど他者に分かりようもない。なので、不測の事態を憂慮し、話し合いが続けられているというわけだ」
アーロンはビーフシチューを一口食べてから、深く息を吐いた。
「まぁ、結局は番という話を聞かされても、その本能を失って久しい獣人にとっては、他人事というか、ピンとこない。ジョアンではないが絵空事のような感じで、親族たちも”不思議な話だ”という程度だ。ただ、皇女殿下の番が見つかった時に備え、手順のマニュアル化を急いでいるそうだ。過去、皇族に生まれた先祖返りは、その権力によって如何様にもしたらしいが、今はそうもいかないからな。分厚い法律全書を前に手を焼いているらしい。相手が平民だった場合は、籍はどうすれば最善なのかとか、下位貴族の場合は高位貴族に養子に入った後に婿に迎えるとかだな。その候補も幾つか用意されていると聞く。問題なのが番が年嵩の既婚者である場合だ。その対応に苦慮しているのだという」
「今からっすか…」
「最悪の場合を想定して、いざという時に慌てないように備えているそうだ。金銭含め、色んなパターンを想定していると聞いた。もちろん、番が現れなかった場合もだ。ずっと婚約者なし、婚姻しないというのも皇女殿下が不憫だからな」
確かに、必ず出会うと保証のない相手を待つのは辛いものがある。
男性であれば生涯独身を貫いても後ろ指はさされないけど、女性は子供を産んで初めて女性と認められるような風潮がある。平民でも25才を過ぎて独身の女性は心無い声を浴び、30才過ぎても子が出来ないと欠陥品扱いされる。それを考えると、貴族はもっと手厳しそうだ。
皇族となれば猶のことだろう。
アーロンの話から推測するに、皇族の伴侶は上位貴族であることが好ましいようだ。
そこから都合よく番が見つかると思えない。
なかなか大変だと他人事に思ったところで、私も当事者の1人だと思い至り肩が落ちる。
公爵家の令息の相手だって、普通に考えて上位貴族が条件だ。それが寄りにもよって平民で、選民思想の国出身の人族が番認定となったのだから、かなりイカレてる。
「ジャレッド団長。先祖返りっていうのは、それなりに生まれるものなんですか?」
とジョアン。
みんなが興味津々に耳を傾けているのが分かる。
ジャレッド団長は手にしたミートパイを一口で食べきると、「いや」と肩を竦める。
「現時点で皇女殿下と俺、それから俺の大伯母の3名だ。だが、大伯母の前にはパラシオス公爵家にいたと聞いたことがある。嫡男が先祖返りで、番は子爵令嬢だったはずだ」
「へぇ~。番が平民だったら大変だったですね。子爵家から公爵家にっていうのも大変ですけど」
やっぱり貴族に平民が嫁ぐのは大変なのかと、しょぼんとジョアンに目を向けると、ジョアンは慌てて頭を振った。
「イヴ!誤解はしないでほしいっすよ?!嫡男だから、そこに平民が嫁ぐのは大変だって話。例えば、ジャレッド団長が公爵家の後継者で、イヴが嫁ぐってことになったら、イヴは式を挙げるまでに高位貴族のマナーやらなんやらを学ばなきゃならないんすよ。貴族っていうのは階級によってマナーとかが違うんす。公爵家と子爵家なんて丸っきり別物っすよ。平民が貴族に嫁ぐ場合は、せいぜい男爵家か子爵家。それも商家の、最低限のマナーや教育を施されたお嬢様だけが貴族に嫁げる可能性があるんすよ。そんなお嬢様でも、平民と貴族のマナーの違い、教育の厳しさに悲鳴を上げるんす。それと同じ。子爵家と公爵家もマナーから教育から全く別物。きっと子爵家から嫁いだ令嬢も、過酷な道だ…って意味っす」
めちゃくちゃ早口なジョアンに、アーロンが重々しく頷く。
「マナーだけじゃない。最低でも貴族名鑑を頭に叩き込み、派閥を覚える必要があるから記憶力も必要だ。さらに駆け引きの仕方、自領以外の特産や流行なども敏感にならなくてはならない。貴族の令嬢や夫人は、茶会が戦場だからな。生まれながらの貴族なら、親を見て自然と身につくが、そうでなければ厳しいだろうな」
「貴族なんて、足の引っ張り合い、腹の探り合いっすからね~」
「淑女の微笑で、虎視眈々と相手のミスを待ってるからな。派閥の下っ端令嬢を使いミスを誘導することもある。貴族社会など蟻地獄と一緒だ」
「蟻地獄っすか。俺は食虫植物みたいだって思ってったす」
ジョアンはけたけたと笑っているけど、幾人かの団員は顔色悪く焦点の定まらない目で遠くを見ている。
心当たりがあるらしい。
というか、貴族怖すぎる。
平民の中には、貴族を羨んだり、玉の輿を夢見たりする子がいるけど、内情を知ると自殺行為に思える。
「まぁ、イヴはジャレッド団長が守ってくれるだろうが、外に行く時は気を付けた方がいい」
「気を付けるのは一般人っすね。貴族は、なんだかんだ公爵家に目を付けられたくはないっすから、ヤバげな娘には必死に釘を刺してるはず。我が家を没落させる気か~!って。それでも手綱を握れそうにない娘は、問答無用で修道院。もしくは、ここからうんと遠い南部の貴族に即行で嫁がせるっすね。でも、平民には貴族に睨まれたら怖いってだけで、貴族みたいな柵も体面もないっすから。情報に疎いけど、行動力だけはある。そういうのが危険なんすよ」
これに、食堂のみんなが無言のまま頷いている。
「私が番だって知られないといいだけじゃ…?」
「無理無理!番云々の前に、ジャレッド団長がイヴを連れ回しているだろ?」
離れた席からイアンが声を張り上げれば、あちこちから「そうだな」「あちこちで目撃情報がある」「関係を訊かれたことあるな」「俺は団長のそっくりさんが女の子と手繋ぎデートしてるって聞いた」とざわめきが立つ。
「監禁は嫌だけど一途に愛されたいわ」「顔はモリソン副団長系で」「グレン団長系の弟属性がいいわ」「弱くても良いから私を癒してくれる家事の得意なイケメン募集」と女性騎士たちも言いたい放題だ。
ちらり、とジャレッド団長を見れば、ジャレッド団長は指についたソースを舐めとりながら私を見下ろす。
「安心してくれ。イヴに貴族のあれこれを強要することはないし、他所から手出しもさせない。イヴに手を出す愚か者がいれば、無礼討ちも致し方ないだろう。もし面倒なことになれば、イヴを攫って逃げる。逃避行というのも乙だな」
何が乙なのか。
陶然と目元を緩めた表情に、なぜか背筋に悪寒が走る。
正面のアーロンとジョアンは、無言ながら身震いをして手元に視線を落とした。
食堂に溢れる濃厚な香りに、ごくり、と喉が鳴る。
いつもは騎士団の方針か、獣人の特性か。素材をシンプルに味わうステーキやローストといった塊肉料理が多いけど、今日は一段と手の込んだ料理ばかりだ。
食欲のそそる香りを立たせるのはビーフシチューで、柔らかく煮込んだ肉と大ぶりに切られた人参、丸のままの小玉ねぎ。彩りに蒸したブロッコリーが添えられている。
大皿に山となっているのはミートパイだ。
騎士団のミートパイは大伯母さんのものとは違い、クロムウェル領の一般的なミートパイになる。形は半月形。グレービーソースで煮込んだブリスケットに、たっぷりのにんにくを使った味付けだ。食べた後は口臭が気になるけど、にんにく効果か食が進む一品でもある。大人に言わせれば「エールが旨い!」だ。
同じく大皿にみっちりと並ぶのは、たっぷりのベーコンとキノコを使ったチーズ乗せキッシュになる。
団員…主に男性陣が列を成して器に盛ってもらっているのは、胃袋の赤ワイン煮込みのようだ。
私は内臓系は苦手なので遠目で確認するだけ。獣人男性にはブラッドソーセージともども人気の料理で、こちらも酒の肴として人気。ということで、胃袋の赤ワイン煮込みに並ぶ団員たちの手には、例外なく木樽ジョッキに注がれたエールがある。
さらに今回は、ナッツ入りのマフィンまで付いている。
「うそ!デザートまである!」
「さすがジャレッド団長よね~」
ウキウキと女性騎士たちがはしゃぐくらい、普段とは違うのだ。
何事?という疑問も、生温い視線の集中砲火と、向かいに座ってたジョアンから、「今朝の全体ミーティングで、ジャレッド団長が宣言したんすよ。イヴにちょっかいかけたら殺すって。ツガイ?なんすよね?よく分かんないっすけどおめでとー」で理解した。
番おめでとう!のご馳走だ。
番宣言したのかと頭を抱えたくなる。
「今日は手の込んだ料理だな」と、山盛りのミートパイをトレイに載せて、ジャレッド団長が私の隣に座った。
ジャレッド団長の向かいには、3人分のエールを運んできたアーロンが座る。3人ともミートパイは山のようだし、ビーフシチューは肉多め。胃袋にしても器が大きすぎる。対して、キッシュは人並み…一切れだ。分かりやすい。
私はビーフシチューは肉少なめ野菜多めにして、ミートパイ1つとキッシュを1切れ。デザートのマフィンは、欲張って2つ貰った。
私には満足の量だけど、ジャレッド団長の目には小食に映るらしい。無言のままに、ミートパイが1つ、私のお皿に追加される。
2つ目は阻止した。
「それより!ジャレッド団長、番のこと言っちゃったんですね…」
「当然だ」
胸を張るジャレッド団長に、アーロンも頷く。
「通達するのは大事だ。それを知らない者がイヴにアプローチをかければ血を見るからな。第2は優秀な者ばかりだ。無為に命を散らすことはない」
命を散らす…。
そんな大袈裟な、と思ってジャレッド団長を見れば、重々しく頷いている。
心なし、ジョアンが遠い目だ。
「問題はジャレッド団長の熱狂的なファンですね」
と、アーロンがジャレッド団長を見ると、ジャレッド団長は眉宇を顰めた。
クロムウェル家の3兄弟のファンはそれぞれ性質が違う。
ハワード団長は一種宗教じみた敬虔なファンが多く、グレン団長には”見守り隊”なるファンクラブがあるのだとか。”見守り隊”の神髄は、陰ながら明朗快活なグレン団長を応援することにあるらしい。
ハワード団長は既婚者なので問題はないし、グレン団長に至ってはファンクラブ間でグレン団長に相応しい令嬢ランキングなどを作って楽しんでいるという。ちょっと意味が分からないファンクラブだ。
一番の過激派は、やはりというべきか、ジャレッド団長のファンである。
血気盛んな令嬢たちは、ジャレッド団長に似合うのは自分だと自負し、他者を蹴落とすことに何ら罪悪感を抱かない。例え平民であろうと、”真実の愛”や”運命の糸”と言いたい放題やりたい放題なのだ。
私が暴言を吐かれ、暴行を受けたのも、彼女たちからすれば”当然の報い”になる。
そんな私がジャレッド団長の番だと知られたらと思うと、想像するだけで恐ろしい…。
「あの…ちょっと疑問なんですけど、番が何かって、周知されてるんですか?グレン団長もヴィヴィアン様も詳しくなかったですけど」
「ああ、此処ではそれも含めて説明した。横槍を入れるバカが出ないとも限らないからな」
「問題は騎士団以外っすね。一般人なんてツガイという言葉自体知らないって人は多いんじゃ?そもそも貴族でも怪しいっすよ?俺も学園の古典授業で、ちらっと聞いたくらいで、戯曲の一説みたいなイメージっすもん」
「一応、中央に勤める貴族には、それなりに番の概念は叩き込まれている」
「そうなんすか?」
ジョアンがきょとんとした顔でアーロンを見ると、アーロンは「ああ」と頷く。
「我が家の親族は文官や宮仕えが多いからな。中央の話も流れてくるんだ。別に秘密にされているわけではなく、単にこっちまで話が流れてこないだけだが、第5皇女殿下が先祖返りの可能性があるそうだ。そのため、今後番が出てくる可能性がある。万が一、皇女殿下の番が下級貴族や平民、他国の者だった場合に備え、対応を協議していると聞いた。皇女殿下は御年六つ。まだ表に出られる年齢ではないが、どのような形で番と出会うか分からないからな。城勤めは全員が高位貴族ではない。文官は下級貴族が多いし、下級使用人には平民が多い。騎士の訓練を見学されるなら、それこそあらゆる身分の者が集まっている。出入りする商人には他国の者もいるだろう。皇女殿下に拝謁できる者を審査したところで、誰が番になるかなど他者に分かりようもない。なので、不測の事態を憂慮し、話し合いが続けられているというわけだ」
アーロンはビーフシチューを一口食べてから、深く息を吐いた。
「まぁ、結局は番という話を聞かされても、その本能を失って久しい獣人にとっては、他人事というか、ピンとこない。ジョアンではないが絵空事のような感じで、親族たちも”不思議な話だ”という程度だ。ただ、皇女殿下の番が見つかった時に備え、手順のマニュアル化を急いでいるそうだ。過去、皇族に生まれた先祖返りは、その権力によって如何様にもしたらしいが、今はそうもいかないからな。分厚い法律全書を前に手を焼いているらしい。相手が平民だった場合は、籍はどうすれば最善なのかとか、下位貴族の場合は高位貴族に養子に入った後に婿に迎えるとかだな。その候補も幾つか用意されていると聞く。問題なのが番が年嵩の既婚者である場合だ。その対応に苦慮しているのだという」
「今からっすか…」
「最悪の場合を想定して、いざという時に慌てないように備えているそうだ。金銭含め、色んなパターンを想定していると聞いた。もちろん、番が現れなかった場合もだ。ずっと婚約者なし、婚姻しないというのも皇女殿下が不憫だからな」
確かに、必ず出会うと保証のない相手を待つのは辛いものがある。
男性であれば生涯独身を貫いても後ろ指はさされないけど、女性は子供を産んで初めて女性と認められるような風潮がある。平民でも25才を過ぎて独身の女性は心無い声を浴び、30才過ぎても子が出来ないと欠陥品扱いされる。それを考えると、貴族はもっと手厳しそうだ。
皇族となれば猶のことだろう。
アーロンの話から推測するに、皇族の伴侶は上位貴族であることが好ましいようだ。
そこから都合よく番が見つかると思えない。
なかなか大変だと他人事に思ったところで、私も当事者の1人だと思い至り肩が落ちる。
公爵家の令息の相手だって、普通に考えて上位貴族が条件だ。それが寄りにもよって平民で、選民思想の国出身の人族が番認定となったのだから、かなりイカレてる。
「ジャレッド団長。先祖返りっていうのは、それなりに生まれるものなんですか?」
とジョアン。
みんなが興味津々に耳を傾けているのが分かる。
ジャレッド団長は手にしたミートパイを一口で食べきると、「いや」と肩を竦める。
「現時点で皇女殿下と俺、それから俺の大伯母の3名だ。だが、大伯母の前にはパラシオス公爵家にいたと聞いたことがある。嫡男が先祖返りで、番は子爵令嬢だったはずだ」
「へぇ~。番が平民だったら大変だったですね。子爵家から公爵家にっていうのも大変ですけど」
やっぱり貴族に平民が嫁ぐのは大変なのかと、しょぼんとジョアンに目を向けると、ジョアンは慌てて頭を振った。
「イヴ!誤解はしないでほしいっすよ?!嫡男だから、そこに平民が嫁ぐのは大変だって話。例えば、ジャレッド団長が公爵家の後継者で、イヴが嫁ぐってことになったら、イヴは式を挙げるまでに高位貴族のマナーやらなんやらを学ばなきゃならないんすよ。貴族っていうのは階級によってマナーとかが違うんす。公爵家と子爵家なんて丸っきり別物っすよ。平民が貴族に嫁ぐ場合は、せいぜい男爵家か子爵家。それも商家の、最低限のマナーや教育を施されたお嬢様だけが貴族に嫁げる可能性があるんすよ。そんなお嬢様でも、平民と貴族のマナーの違い、教育の厳しさに悲鳴を上げるんす。それと同じ。子爵家と公爵家もマナーから教育から全く別物。きっと子爵家から嫁いだ令嬢も、過酷な道だ…って意味っす」
めちゃくちゃ早口なジョアンに、アーロンが重々しく頷く。
「マナーだけじゃない。最低でも貴族名鑑を頭に叩き込み、派閥を覚える必要があるから記憶力も必要だ。さらに駆け引きの仕方、自領以外の特産や流行なども敏感にならなくてはならない。貴族の令嬢や夫人は、茶会が戦場だからな。生まれながらの貴族なら、親を見て自然と身につくが、そうでなければ厳しいだろうな」
「貴族なんて、足の引っ張り合い、腹の探り合いっすからね~」
「淑女の微笑で、虎視眈々と相手のミスを待ってるからな。派閥の下っ端令嬢を使いミスを誘導することもある。貴族社会など蟻地獄と一緒だ」
「蟻地獄っすか。俺は食虫植物みたいだって思ってったす」
ジョアンはけたけたと笑っているけど、幾人かの団員は顔色悪く焦点の定まらない目で遠くを見ている。
心当たりがあるらしい。
というか、貴族怖すぎる。
平民の中には、貴族を羨んだり、玉の輿を夢見たりする子がいるけど、内情を知ると自殺行為に思える。
「まぁ、イヴはジャレッド団長が守ってくれるだろうが、外に行く時は気を付けた方がいい」
「気を付けるのは一般人っすね。貴族は、なんだかんだ公爵家に目を付けられたくはないっすから、ヤバげな娘には必死に釘を刺してるはず。我が家を没落させる気か~!って。それでも手綱を握れそうにない娘は、問答無用で修道院。もしくは、ここからうんと遠い南部の貴族に即行で嫁がせるっすね。でも、平民には貴族に睨まれたら怖いってだけで、貴族みたいな柵も体面もないっすから。情報に疎いけど、行動力だけはある。そういうのが危険なんすよ」
これに、食堂のみんなが無言のまま頷いている。
「私が番だって知られないといいだけじゃ…?」
「無理無理!番云々の前に、ジャレッド団長がイヴを連れ回しているだろ?」
離れた席からイアンが声を張り上げれば、あちこちから「そうだな」「あちこちで目撃情報がある」「関係を訊かれたことあるな」「俺は団長のそっくりさんが女の子と手繋ぎデートしてるって聞いた」とざわめきが立つ。
「監禁は嫌だけど一途に愛されたいわ」「顔はモリソン副団長系で」「グレン団長系の弟属性がいいわ」「弱くても良いから私を癒してくれる家事の得意なイケメン募集」と女性騎士たちも言いたい放題だ。
ちらり、とジャレッド団長を見れば、ジャレッド団長は指についたソースを舐めとりながら私を見下ろす。
「安心してくれ。イヴに貴族のあれこれを強要することはないし、他所から手出しもさせない。イヴに手を出す愚か者がいれば、無礼討ちも致し方ないだろう。もし面倒なことになれば、イヴを攫って逃げる。逃避行というのも乙だな」
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※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。
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