騎士団長のお抱え薬師

衣更月

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商人ギルド①

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 カスティーロの煉瓦造りの建物が並ぶ東地区は、何回来ても緊張する。
 カスティーロの中でもひと際歴史が古く、領都ここが古都と呼ばれる所以の地区だけど、他の地区よりも整然としていて高級感が漂う。
 道行く人々は身嗜みを整えた紳士淑女が多く、行き交う馬車は立派な箱馬車ばかり。
 ゆったり優雅な時が流れる東地区には、冒険者ギルドのある西地区のような喧騒とは無縁だ。あちらは落ち着きがなく、みんながせかせかと動き回っている。何より、肉の焼ける香ばしい匂いが染みついている。対して、こちらは無臭。雰囲気としては高級感あるバラの香りがしていそうだけど。
 趣があり、素敵な町並みではあるけど、そわそわと浮足立ってまう。
 やっぱり心の奥底に、貴族が怖いという思いがこびり付いているのだろう。
 着飾り、侍女や護衛を引き連れて歩く人たちを見ると、少しだけ肩が強張るのだ。
「イヴ。大丈夫か?」
 不意にジャレッド団長に顔を覗き込まれて、胸に巣食っていた緊張が霧散した。
 現金なもので、ジャレッド団長といると怖さが消える。
 ジャレッド団長も貴族なのにね。
「大丈夫です。でも、少し緊張します。身分の高い人たちがいっぱいいる地区なので。あと、これから行く商人ギルドも…。初めて行くところはどうしても緊張してしまうんです」
「そうか」
 ジャレッド団長は言って、私の頭を撫でる。
「緊張するようなこともないと思うがな。商人ギルドにいるのはほぼ平民だぞ」
「それでも、宰相様が作った、こっちにしかないギルドなので」
 冒険者ギルドのような混迷を極めた雰囲気とは程遠いはず。
「そう警戒するな。串焼き屋台の親父だって商人ギルドに登録しているぞ。商人は信用第一だからな。初見で篩にかけるような阿呆はいない」
 なるほど。
 冒険者ギルドは初めましての人には厳しい。平然と、品定めの視線を投げかける。素質がありそうならパーティに勧誘するためだ。中には金品を巻き上げようとする極悪人もいるけど、それがギルド側にバレれば追放処分に遭うので割に合わない。なのに、定期的に裏で新人狩りという強奪する輩が出るらしい。主に都落ちした小銭を持っていそうな新人が目を付けられるのだとか。
 そうジャレッド団長に教えれば、ジャレッド団長には真顔で「商人ギルドにはいない」と言われた。
「いいか、イヴ。これから行く商人ギルドの誘致は、父上の弟であるフリード叔父上最大の功績だ。フリード叔父上は帝都にて、父上の名代として仕事をこなしている。なかでも、商人ギルドの誘致成功は、クロムウェル領で一気にフリード叔父上の名を広めたほどだ」
「そんなに大変なんですか?」
 冒険者ギルドは何処にでもあるのに?
「商人ギルドは支店を設置する場所を細かく指定している。大金が動き、国を支える商人が行き来する場所になるからな。治安の悪い場所には置けないだろう?」
「あ…。そっか。冒険者ギルドみたいに、腕っぷしの強い人たちばかりじゃないですもんね」
「ああ。なので、警備を万全にする項目は徹底している。辺境は国を守る防衛線なので騎士団の所有を許可されているが、治安の善し悪しは領主の腕によるからな。さらに言えば、騎士団に対して国が補助金を出すわけじゃない。有事の際は別だが…、基本は領主が騎士団を維持しなければならないから、辺境といえど騎士団の規模に差が出る。そういう微妙な差すら見極められる」
「すごく厳しいですね」
 唖然と言えば、ジャレッド団長は「そうだ」と頷く。
「騎士以外にもある。商人ギルドを誘致すると、まずは視察が来る。設置許可が下りるまで最低で1ヵ月、領地の治安を審査される。新人に集ろうなどいう輩が入り込む余地もない。設置後も治安が悪化した場合は、撤退する旨も契約書に明記されているほどだ。それを面倒だと厭う領主もいるが、商人ギルドの有無が税収の見込みを左右するとさえ言われ、余力のある領地は商人ギルド誘致に下地を整える」
 ジャレッド団長は言って、「あそこだ」と2人の厳つい衛兵が仁王立ちしている煉瓦造りの建物を指さした。
 騎士とは異なる制服だけど、胸には狼の紋章が縫われ、騎士と同じく帯剣している。
 そんな2人が守るのは3階建ての建物だ。
 冒険者ギルドより間口は広く、高級感がある。造りは他と同じ煉瓦だけど、他の建物に比べて新しさがあり、窓の数も多い。
 扉の上に掲げられた円い看板は、商人ギルドの紋章で、荷車を中心に鞍や鋏と反物、金槌とコンパスなど16の紋章が刻まられている。16の紋章は、商人ギルドに所属している主立った職種の紋章だ。どの町にもある職種というだけで選ばれた紋章なので、それ以外の職種の人が登録できないというわけではない。
 紋章の意味は、鞍は鞍馬屋、鋏と反物は仕立て屋、金槌とコンパスは石工と言った具合だ。
 当たり前のように、16の紋章の中に薬師の紋章である天秤ばかりと薬研はない。
 少しばかり怯んでいると、「イヴ」と優しい声で手を繋がれた。
 見上げれば蕩けそうな金色の瞳と目が合い、心臓がぎゅんっと震える。
「これで緊張しないだろう?」
「は…はい…」
 急激に顔が熱くなる。
 視線を足元に落とし、商人ギルドへと歩いて行く。
「ジャレッド様!」
 筋骨隆々の衛兵が仁王立ちから姿勢を正して敬礼した。
 その様子に、私だけじゃなくて商人ギルドから出てきた人たちもビクリと肩を跳ね上げる。
 ジャレッド団長は慣れたものだ。「ご苦労」と頷き、私の手を引いて商人ギルドの扉を潜る。
「ここが…商人ギルド」
 冒険者ギルドと違い、ハーブ系の爽やかな匂いがする。
 冒険者ギルドは汗や血の臭いの他に、酒の臭いも混ざり、お世辞にも良い香りがするとは言えない。ハノンは薬草採取の依頼もあるので、多少はマシだったけど、それでも独特の臭いが染みついている。
 それが一転。商人ギルドは、どこかの高級ブティックのように良い香りが満ち、清潔感に溢れている。
 広い受付に、糊の効いた制服を着た受付女性。
 彼女たちの後ろにはデスクが並び、従僕のような装いの職員たちが銀貨や金貨を数え、記帳している。さらに後ろに重厚な扉があり、お金の入った袋を抱えた職員が行き来する。
 ジャレッド団長が言うように、これは治安の悪い地域には建てられない。
 治安が良くとも、帯剣した警備が必要だ。
 さらにロビーには商談用だろうか。壁際の4ヵ所に衝立を置いたテーブル席ある。そこで商人たちが、雑談のような簡単な取引をしている。
 本格的な商談は、2階に個別に部屋が用意されていると案内板に書かれている。
 それなりに人は多いのに、冒険者ギルドのようなガサツな騒々しさはない。
 こんなことを言うと怒られそうだけど、みんなお行儀が良い。
 ぽかん、と口を半開きに周囲に視線を巡らせていると、1人の受付女性が「ジャレッド様!」と頬を染めて立ち上がった。
 きらきらとした翡翠色の瞳に、綻んだ薄紅色の唇。胸の前で組んだ手は水仕事とは無縁の綺麗さで、整えれた爪は口紅と同色のマニュキュアが塗られている。
 仕事中なのでアクセサリーを外し、亜麻色の髪は結われているけど、くるくるとした毛先と化粧を見るに、普段は派手目の美人なのが分かる。
 デジャヴ。
 厄介ごとは遠慮したいので、静かにジャレッド団長の手を解き、別の受付を探す。
 受付は4つある。
 うち2つは商人らしき人たちが書類にペンを走らせ、受付女性と言葉を交わしている。
 3つ目はジャレッド団長を熱烈視線で見ている派手美女なのでパスだ。
 4つ目の受付に進み、緊張する胸を撫でた。
「すみません。少しお尋ねしたいことがあります」
「はい。いらっしゃいませ。受付を務めさせていただきます。ヤナ・コノリーです。商人ギルドは初めてですか?」
 穏やかな笑みを浮かべたコノリーは、茶金の髪を頭の後ろで丸く纏めた30代ほどの女性だ。
 目尻の下がった灰褐色の瞳が優しげで、直感で良い人だと分かる。
「イヴ・ゴゼットと言います。商人ギルドは初めてで、こちらで薬作りで必要な材料の注文を受けてくれるのでは、と紹介で来ました」
 ぺこり、と頭を下げると、「クロムウェル家からの紹介だ」とジャレッド団長が横に並ぶ。
 しかも、次期公爵であるハワード団長が一筆したためてくれている。
 ジャレッド団長が無造作にポケットから真っ白な封書を取り出し、コノリーに手渡した。
「拝見させていただきます」
 ペーパーナイフを手に、コノリーが依頼書の確認に入る中、隣の受付女性が割って入って来た。
「ジャレッド様ぁ。子供のお使いの付き添いですかぁ?大変ですね」
 くすくすと、私を見下しつつ嘲笑を口元に刷いて、これ見よがしに豊満な胸をアピールすように反らした。
 ちょっぴりムッとする。
 綺麗な顔立ちなのに、意地の悪そうな笑みで台無しだ。擬音をつけるなら、ニヤニヤといったところか。
 私は彼女を一瞥しただけで、相手にしないことにした。
 ただ、隣から漂ってくる憤怒の気配で、そわそわと落ち着かない。
「ヤナさぁん。私が交代しますよ~」
 なんだろう。
 喋り方が粘っこく、すごく鼻につく。
 ちらりと派手美女を盗み見れば、コノリーにも見下した目をしている。
「ジャレッド様も受付は、若くて美人な方が良いですよね?」
 自分で言っちゃうタイプだ。
 ここでザワつかないのは流石というべきか。眉宇を顰めた目つきで見やる職員はちらほらいるけど、関わり合いを避けるように、全員が見て見ぬふりだ。
 でも、コノリーは違う。
 誰よりも顔を顰め、ハワード団長からの封書を奪い取ろうとした派手美女の手を払い除けた。
「オジェさん。ここはあなたの結婚相手を見繕う場ではありません」
 ぴしゃっと、コノリーが容赦なく言い放った。
 その目は冷ややかで、有無を言わせない。一瞥で失礼な派手美女の軽口を封じる。
 派手美女も顔色を一変させた。
「な…なによ、単なる古株なだけの癖に、私に口答えしないで!私は副ギルド長の娘よ!私の一言で、あんたなんかクビに出来るんだから隅っこで仕事してればいいのよ!さっさと代わりなさい!」
 最初は声を震わせていた派手美女は、徐々に自信を持ち直したらしい。
 その自信の源が分かり、ジャレッド団長の機嫌が一気に最下層まで落ちた。
 氷の魔力なんて持っていないはずなのに、ジャレッド団長から漂う極冬の夜のような寒さに身震いが止まらない。抜き身の刃が首筋に添えられている感覚すら覚える。
「どうやら、このギルドは愚か者を己の権限で採用するような独善的な思考の者が上にいるようだな。商人ギルドの理念を知らないらしい」
 唸り声こそ出さないが、地を這うような低い声が怒りを孕んでいる。
 カウンター奥のデスクで作業をしていた男性が、顔面蒼白になりながら静かに席を立ち、階段を駆け上って行った。
 さらに談笑していた商人たちが、ぴたりと気配を消して口を噤む。
 胸を張ってコノリーを罵倒した派手美女に至っては、化粧でもフォローできないくらいに顔色が悪い。幾筋もの冷や汗が頬を伝い、ぽってりとした唇が小刻みに震えている。
 完全に、ジャレッド団長の怒りに当てられている。
 不運なのは、派手美女の後ろで仕事をこなす職員たちだ。
 完全なとばっちりで、流れ弾のような冷気を浴びているのだから…。
 さすがと言うべきはコノリーで、顔色は悪いが、決して公爵家からの封書を破損させないようにと、震える手の力を抜いてカウンターの上の置いている。
 1階の人たちが凍り付いている中、上階から騒々しいドアの開閉音とドタドタと幾つもの靴音が響いてきた。
 転がり落ちるように、3階から2階、さらに1階へと駆け下りて来たのは2人の壮年の男性だ。
 1人はぽっちゃり体形で、もう1人は真っ白な髪が特徴的な男性になる。
 遅れて、2人を呼びに行っていたのだろう職員がそろりと降りてきた。
「ク、クロムウェル様…!」
 ぽっちゃり男性が額の汗を拭うと同時に、異様な状況の原因に気が付いた。
 血色の良かった頬が、一気に蒼褪める。
 その隣の白髪の男性も氷漬けになったように動きを止めている。
「ギルド長か」
「は…はははい!カッ、カスティーロ支部を任されておりますパブロ・バデリーと申しまひゅ…」
 噛んだ。
 けど、それを恥じる余裕さえない。
「と、隣はアルヤジ・オジェ…ふ、副ギルド長になりまひぃー!」
 今度は悲鳴だ。 
 副ギルド長の下りでジャレッド団長の殺気が膨れ上がったのだ。
 その殺気が直撃した哀れな副ギルド長は、泡を吹いて卒倒した。 
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