騎士団長のお抱え薬師

衣更月

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商人ギルド②

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「もももっ!申し訳ございません!」
 意識を取り戻した商人ギルド副ギルド長のアルヤジ・オジェが、小刻みに震えながら平伏叩頭へいふくこうとうしている。
 場所は3階。
 ギルド長たちの執務室や書庫、応接室、会議室などが並んでいるフロアになる。
 商人ギルドの会員でも許可なく立ち入ることのできない階は、商人ギルド役員たちの会議に使用されたり、特権階級の人たちを持て成す場所になったりするという。
 その1つ。通された応接室は広く、下品にならない程度の華美な装いだ。
 足元の絨毯はふかふか。楕円形のテーブルは飴色で、繊細に幾重にも走る樹齢が美しさを彩る重厚感ある仕様だ。
 革張りソファは程よい柔らかさだけど、獣人サイズなので座る時に注意が必要になる。
 目を惹く調度品は置時計だ。あえて金色の歯車を露出させたデザインの振り子時計は、実用性というよりも芸術性に富んでいる。
 この応接室に通されたお金持ちはこぞって買い求めそうだ。
 そもそも時計自体が高価で、庶民は広場の時計塔や定時の鐘の音でおよその時間を知る。
 ハノンには時計塔などはなく、教会にある小さな鐘楼が朝を報せる6時、仕事の開始時間を報せる8時、昼を報せる12時、夜を報せる18時と日に4度の鐘を鳴らして知らせてくれる。ギルド長なんかは時計を持っていたかもしれないけど、ハノンで時計を見るには教会に赴かなくてはならなかった。
 なので、個人的に時計を持つというのは、とても贅沢なのだ。
 時計というのは、一種のステータスで、成功者の証でもある。
 時間に細かい騎士団には、食堂に古ぼけた置時計が置かれているけど、ジャレッド団長とキース副団長は懐中時計を持っている。
 そんな高級品である時計が、さらなる付加価値を付けてどーん、と置かれているのだから、商人ギルドの功績が分かるというものだ。
 だというのに、副ギルド長は良縁を求める努力も、働き口を探す努力もしない末娘を縁故採用してしまった。
 男漁りと言われても仕方ないほど、例の派手美女は男女で、さらに見目の良し悪しで態度をころころと変えていたそうだ。
 かなり甘やかされていたのだろう。
 叱責を受けた経験の乏しさが、傲慢な思考へと繋がっている。なまじ父親が副ギルド長なものだから、平職員は強く注意もできない。
 獣人ではない私の耳にも、「邪魔よ!パパに言いつけるわよ!」とヒステリックな叫び声が聞こえてくる。
 何が邪魔なのかと言えば、ジャレッド団長に手ずから給仕すべく、3階に来ようとしているところ数名の職員によって阻止されているのだ。命令したのはギルド長なのだけど、彼女の耳には都合の良いことしか聞こえないのか、ギルド長の警告は聞こえていない。
 というか、あんなにジャレッド団長の怒気に怯えていたのに、めげずに突撃しようとする闘志には驚嘆する。それほどジャレッド団長は異性としても、血筋としても魅力的なのかもしれないけど、私なら迷わずに逃げる。あの殺気にも近い怒りに2度も触れる勇気なんてない。
「クロムウェル様。私からも謝罪します」
 バデリーギルド長が床にへたり込んだまま、頬を伝う汗を拭いながら深々と頭を下げる。
「言い訳になってしまいますが、下の職員たちまで目が届いていませんでした…。監督不行き届きと叱責を受けても仕方のない失態だと痛感しております…」
 下というのは、役職の意味ではなく、言葉のまま1階を指しているのだと思う。
 冒険者ギルドでも、ギルド長や副ギルド長は大きなトラブルが起きない限りは受付には顔を出さない。報告が上がらなければ、1人1人の勤務態度なんか分かりっこない。
 ハノンの冒険者ギルドは受付にメリンダという元子爵令嬢がいたので話は別になるけど、大抵のギルド職員は平民で構成されている。貴族が在籍しているのなら、その席は役員のみだろう。
 ここの1階では、副ギルド長の娘以上の地位をもつ人はおらず、強く出れなかったのだと思う。今まで大きなトラブルもなかったので、誰もが当たらず障らずで距離を取っていたといったところか。
「本当に…本当に申し訳ございません…。お恥ずかしい話、シリーは私の末娘で…親の脛を齧り遊んでばかりで……働けと。縁故採用してしまいました…。だというのに…娘の所業を知らず…知ろうとはせず…仕事ばかりして……。私は…父親としても、副ギルド長としても…失格です…っ」
 ぐずぐずと、洟を啜る音がする。
 五体投地しそうな姿勢のまま泣いている大人は見たくない…。
 あの派手美女は、なんという親不孝をしているのかと腹が立つ。
「娘は解雇。私も…ギルドを辞職致します。…どうか…どうか、他のギルド職員への処罰はお目溢し下さい…っ!」
 辞職という言葉に、バデリーギルド長が目を丸めて打ち震えている。
 ちらり、と横に座るジャレッド団長を見れば、腕を組み、憤然とした表情だ。きっとヒステリーに喚きたてている声が、一言一句明瞭に聞こえているに違いない。
「あの受付の解雇は決定だが、副ギルド長の辞職は容認しない」
「し、しかし…!」と洟を垂らして頭を上げたオジェ副ギルド長とは対照的に、バデリーギルド長は安堵の表情で「ありがとうございます!」と男泣きだ。
「ギルド長を見ていれば、副ギルド長の評価が分かる。辞められ、仕事が回らなくなるというのは、こちらとしても本意ではない。それでなくとも冬に向けて忙しい時期だ。煩わしい手続きをしている暇などない」
 ジャレッド団長の言葉に、オジェ副ギルド長は号泣した。
「話は以上だ。副ギルド長は、あの耳にキンキン響く叫び声を追い払え。次は無礼討ちも辞さない。そのことを肝に命じよ。ギルド長は、そのまま依頼の話を聞いてくれ」
「しょ、承知しました。失礼します…!」
 よろよろと立ち上がったオジェ副ギルド長は、何度も頭を下げながら退室して行った。
 外がちょっと気になったけど、「パパ!」という嬉々とした声が聞こえて以降、私の耳には何も聞こえなかった。
「この度は受付が礼を失し、お詫びのしようもございません」
 バデリーギルド長が涙を拭いながら、ようやく向かいのソファに腰かけた。
「もうその件はいい。あとはギルド内で対応してくれ。それより仕事の話だ」
 と、ジャレッド団長が開封済みの封書をテーブルに置く。
「拝見します」
 バデリーギルド長が頭を下げ、丁寧に封書を手に取った。
 さきほどまで号泣していた人とは思えないほど、きちりと姿勢を正し、文面をなぞる目は真剣そのものだ。
「なるほど、薬草ですか。確かに、各地で薬不足の話が上がっておりますが、元より帝国内では薬師の数が少なく、医師が患者の症状に合わせて調薬するのが主流です。医師が扱う薬草の種類も多くはありませんので、薬不足とは言われていても大きな混乱には陥ってはいません。在庫不足だったポーションも幾つか納品されて来ているので、他領に比べてクロムウェル領が遅れをとっているというわけでもありません。ただ、私も噂で公爵閣下が薬師を探していると耳に挟んでいます」
 そう言って、バデリーギルド長の油断ならない商売人の目がこちらに向く。
 居心地の悪い視線に、落ち着きなくそわそわしてしまう。
「こちらのお嬢様が薬師……今はまだ薬師ではないようですが、調薬されていると記されていますが……本当ですか?あ、いや、公爵家を疑うわけではありませんが、随分とお若いなと…」
 バデリーギルド長はすんすんと鼻を動かし、「確かに薬草が染みついたニオイがしておりますが」と承服しかねる口調だ。
「ああ、それには書いてないのか。イヴは聖属性の人族だ。こちらの者にしては小柄だが、人族はこれくらいが普通らしい」
「人族でしたか!これはこれは失礼しました。ええ、私も人族との付き合いはありますので、人族であれば納得です。しかも聖属性とは驚くばかりですよ。何しろ、彼らは我々商人の間でも慎重派で、勧誘が難しい性質だと言われていますから。今までも聖属性の方を勧誘した商会は全敗続き。成功したという噂すら聞きません。孤児ですら故郷を離れないのですよ。なので、聖属性の力が欲しい商人は、彼らの故郷に支店を構え、薬師として契約しなくてはならないほどです。その常識をひっくり返すとは、さすが公爵閣下ですな」
 バデリーギルド長は感心しきりに頷き、手紙を封筒の中に収めた。
「正直、閣下が薬師を探している…という噂を聞き、私は獣人の薬師を見繕うのだとばかり思っていました。クロムウェル領に人族が来るとは想像にもしていなかったのです」
「ああ。人族が多いのは属国沿いの領地か、せいぜい帝都だからな。こちら側で人族は珍しいだろうな。特に、クロムウェル領には永住している人族はいないだろう。だが、イヴは隣国のゴールドスタイン領から来てもらった」
 これにバデリーギルド長は瞠目し、勢いよく私に顔を向けた。
 言いたいことは分かる。
 差別主義の領地から来たことに驚いているのだ。
「あの……改めまして、イヴ・ゴゼットです。ゴールドスタインから来ましたが、人族至上主義は領主含めた一部の貴族と富裕層くらいです。それ以外の領民は、日々の労働でいっぱいいっぱいなので差別を考える暇もありません。そもそも隣国…獣人についても詳しくは知らない人ばかりなので」
 獣人の恐ろし気な噂だけが一人歩きしていたけど、今思えば、あれは誰かの思惑あってのヘイトスピーチだったのだろう。
「少なくとも私は獣人に何か思うことはありません」
「あ…これは失礼いたしました」
 深く頭を下げるバデリーギルド長に、「いえ」と緩く頭を振る。
「それで、失礼を重ねてしまいますが、ゴゼット様の年齢を伺っても?」
「15です。キャトラル王国では未成年になります」
「なるほど。確か、平民が薬師になるには冒険者経由だと聞いたことがありますよ。Bランクになって、制限なく薬草を扱えるようになることが最低条件だったと記憶します。Bランクは18才以上でしたか?」
「はい。よく知ってますね」
 こくりと頷くと、バデリーギルド長は朗らかに笑う。
「そりゃあ、商売人は情報が全てですからね。しかし、そうなるとゴゼット様は最低でも3年は薬師になることは出来ないということになります」
「まだ正式発表前なので口を噤んでいてもらいたいが、帝国は16で薬師の試験資格を得ることができるようになる。ただし、Bランカー以下を含む毒草取り扱い資格のない者は、フィールドワークの試験も追加されるので、難度は上がる」
「公爵閣下が動かれましたか」
「ああ。こちらは隣国との国交が開かれたとは言っても、ほぼ没交渉だ。中には非差別主義の領主もいるようだが、ここの隣はな…。どうしても聖魔力が込められた薬が手に入りづらい。交易を開始できたとしても、永続できる保証もない。ならば、自領で育成するしかない、とな。現状、我々は自己治癒力が高く、多少の怪我であれば放置だ。だが、痛みがないわけではない。治せるのであれば、早々に傷が癒えるのが良い。イヴが来て、治療の手を貸してくれるようになってから、しみじみと思うよ」
「まぁ、確かにそうですな。特に子供はよく怪我を負いますし、人族より治りが早いとはいえ、痛みが伴わないわけではありませんから。さらに病となると別問題。種族によっても罹患しやすい病がありますし、流行病が蔓延してしまえば恐ろしい事態になります。なにより、薬が流通すれば人族の観光客も呼びやすくなるでしょう。薬師がいて損はありません」
 バデリーギルド長がこくこく頷いたところで、「お茶をお持ちしました」と控えめにドアがノックされた。
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