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江戸に奉公にでる熊谷農夫の話 ― 『譚海』より
6 宴
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翌朝桶川をでて村に帰ってからも、太平次はなにごともなかった様子ですごした。母と女房にも、佐代とのとりきめについては話さなかった。女たちのおしゃべりのなかであっというまに村中に計画が漏れてしまうのをおそれた。ただお金のことは心配するな、騒いだりすると恥ずかしいとだけ言い聞かせた。
その二日後、名主のところに出向いて、村中にお礼したい旨を申し出た。
──ながながと江戸にとどまり、留守のあいだ、皆様にことのほかお世話になりました。私の祝いという体にはなりますが、お酒そのほか、肴など私の方でご用意させていただきます。お子様まで皆様のこらずおいでくださるよう、日を皆様でお決めください。われらのほうでつづかなく準備いたします。
振る舞いをいいだけるとあって村の皆に否応はなく、話し合いで四日後と日が決まった。そこから結婚式よりも派手な宴の準備をして、当日を待ち受けた。ぞくぞくと人々はやってきて、多平次の小さな家は、土間はもちろん、まえの道にまで筵を敷いて、ひとびとであふれかえった。
日取りを知らされていた佐代は、酒がみなに行き渡っる頃を見計らって、注文の肴を届けに来た下女のていで、めだたぬよう村に入った。出迎えも挨拶もせぬ手筈だった。
夕闇が近づいても酒は尽きず、燈火ともされ人々がうかれ出した時、佐代は勝手に太平次の家にあがった。だれも気にするものはいなかった。障子の破れから、中に居並ぶ男たちを厳しい眼差しで順番に見つめた。
太平次は、厠にたったときに、佐代がいるのに気づいた。なにもかも約束通りの段取りだった。通りがかったふりで、その近くに寄った。佐代は顔をあげて言った。
「いました。小五郎と名乗った男です、あそこに」
そこからは、太平次のよく知るものばかりがずらりと並んで見えた。
「あの上座、いちばんの上客の隣に座る、あの男です」
「……、いや、あれは名主の悴の半左衛門ですよ……」
太平次の声に含まれていた不審の気配を感じとったのだろう、佐代ははっきりとした口調で言った。
「まちがいありません、あの男です。ぜったいに見間違いしない」
押し黙った太平次に、佐代は続けた。
「このような席で、名主の息子を泥棒と呼ぶのは、大変に勇気がいることです。ですが、いまこの場をおいては、あいつに罪を認めさせる機会はありません」
佐代のあまりにきっぱりとした態度に太平次も腹を決めた。
障子をがらりと開け放ち、ずかずかと座敷を突っ切って、庄屋の息子の前にまですすむと大きな声をあげて、酒席を中断させた。
「みなさん、よく聞いて下さい」
そう一声あげると、江戸で店をとりしきっていたころにもどったような気がした。
「私は六年江戸で奉公して、そのとき稼いだのは、百七十両でした」
その額の大きさにみなは驚き、なかにはうおおと声をあげるものもいた。
「じつはその金はいまありません。ここへの帰り道で、胡麻の蠅に狙われかけたのです。しかし、それを救ってくれる人が現れました」
桶川宿に勤める女が自分を救ってくれたこと、安全のために櫛を証文がわりに金をあずかってもらたことを説明した。
「……ところが問題がおこりました。……その櫛が私の家からなくなりました。そして、櫛と引替に、その百七十両も盗まれたのです。ここにお金はありません」
話の思わぬ成り行きに皆は口々にしゃべりだした。
──だれだ、それは。
──どうやって、櫛をてにいれた。
太平次はちらりと庄屋の息子を盗み見たが、無表情でなにを考えているのかよみとれなかった。ただ厠のふりをして中座しようとしないかだけを警戒して、おもいきって話を進めた。
「その泥棒は、この男、半左衛門です」
ざわめいたいた座敷は、その言葉の意味が理解された途端静まりかえり、空気は凍りついて、だれも動くことさえ憚られているようになった。
一番は沈黙の空気を破ったのは名主だった。普段の柔らかな物腰からは想像もできないような、沸騰するような怒りを全身から放っていた。
「いったいどんな戯言をいいだしたものか……」
怒りの余り言葉が見つからないのか、腹のなかから言葉をたぐるようにしゃべった。
「うちはこの村に何代もつづけて名主をまかせられておる。こともあろうにそのわれらの家に泥棒がいると……。それをこのような席でみ皆の前で口にする以上、よほどの心づもりがあるんでしょうな、ではその証拠を見せていただきましょうか、もしそれがないというなら、このひどい言いがかりにはきっちりと咎をおってもらいますぞ」
親爺の剣幕をひきとるように、半左衛門も声をあげた。
「おい、太平次。お前、自分がなにを言ってるのかわかってるんだろうな。お前の話はなにからなにまで、怪しいぜ。だいたいそんな大金、女を食い物にするくらいで、簡単に手にはいるのかよ。小作ふぜいで、土地も手放すしかなかったようなお前が」
──しめた。
息子が話の筋に乗ってきたのに太平次は笑いを噛み殺した。そういってしまっては、こいつはもうこの場から離れることはもできない。
座敷に居合わせたものは、名主親子の強い調子に、しずかに同調する気配となって、太平次に冷ややかな態度となった。
──せっかくの酒がまずくなったぜ。
──太平次、話はあとできいてやるから、とにかくあやまれ。
太平次は、それらの言葉をとりあわず続けた
「これだけのことには、証拠はあります。その桶川宿の女をここによんであります。ほれあそこに」
その指さす方向には、佐代が膝をおって座っていた。
その二日後、名主のところに出向いて、村中にお礼したい旨を申し出た。
──ながながと江戸にとどまり、留守のあいだ、皆様にことのほかお世話になりました。私の祝いという体にはなりますが、お酒そのほか、肴など私の方でご用意させていただきます。お子様まで皆様のこらずおいでくださるよう、日を皆様でお決めください。われらのほうでつづかなく準備いたします。
振る舞いをいいだけるとあって村の皆に否応はなく、話し合いで四日後と日が決まった。そこから結婚式よりも派手な宴の準備をして、当日を待ち受けた。ぞくぞくと人々はやってきて、多平次の小さな家は、土間はもちろん、まえの道にまで筵を敷いて、ひとびとであふれかえった。
日取りを知らされていた佐代は、酒がみなに行き渡っる頃を見計らって、注文の肴を届けに来た下女のていで、めだたぬよう村に入った。出迎えも挨拶もせぬ手筈だった。
夕闇が近づいても酒は尽きず、燈火ともされ人々がうかれ出した時、佐代は勝手に太平次の家にあがった。だれも気にするものはいなかった。障子の破れから、中に居並ぶ男たちを厳しい眼差しで順番に見つめた。
太平次は、厠にたったときに、佐代がいるのに気づいた。なにもかも約束通りの段取りだった。通りがかったふりで、その近くに寄った。佐代は顔をあげて言った。
「いました。小五郎と名乗った男です、あそこに」
そこからは、太平次のよく知るものばかりがずらりと並んで見えた。
「あの上座、いちばんの上客の隣に座る、あの男です」
「……、いや、あれは名主の悴の半左衛門ですよ……」
太平次の声に含まれていた不審の気配を感じとったのだろう、佐代ははっきりとした口調で言った。
「まちがいありません、あの男です。ぜったいに見間違いしない」
押し黙った太平次に、佐代は続けた。
「このような席で、名主の息子を泥棒と呼ぶのは、大変に勇気がいることです。ですが、いまこの場をおいては、あいつに罪を認めさせる機会はありません」
佐代のあまりにきっぱりとした態度に太平次も腹を決めた。
障子をがらりと開け放ち、ずかずかと座敷を突っ切って、庄屋の息子の前にまですすむと大きな声をあげて、酒席を中断させた。
「みなさん、よく聞いて下さい」
そう一声あげると、江戸で店をとりしきっていたころにもどったような気がした。
「私は六年江戸で奉公して、そのとき稼いだのは、百七十両でした」
その額の大きさにみなは驚き、なかにはうおおと声をあげるものもいた。
「じつはその金はいまありません。ここへの帰り道で、胡麻の蠅に狙われかけたのです。しかし、それを救ってくれる人が現れました」
桶川宿に勤める女が自分を救ってくれたこと、安全のために櫛を証文がわりに金をあずかってもらたことを説明した。
「……ところが問題がおこりました。……その櫛が私の家からなくなりました。そして、櫛と引替に、その百七十両も盗まれたのです。ここにお金はありません」
話の思わぬ成り行きに皆は口々にしゃべりだした。
──だれだ、それは。
──どうやって、櫛をてにいれた。
太平次はちらりと庄屋の息子を盗み見たが、無表情でなにを考えているのかよみとれなかった。ただ厠のふりをして中座しようとしないかだけを警戒して、おもいきって話を進めた。
「その泥棒は、この男、半左衛門です」
ざわめいたいた座敷は、その言葉の意味が理解された途端静まりかえり、空気は凍りついて、だれも動くことさえ憚られているようになった。
一番は沈黙の空気を破ったのは名主だった。普段の柔らかな物腰からは想像もできないような、沸騰するような怒りを全身から放っていた。
「いったいどんな戯言をいいだしたものか……」
怒りの余り言葉が見つからないのか、腹のなかから言葉をたぐるようにしゃべった。
「うちはこの村に何代もつづけて名主をまかせられておる。こともあろうにそのわれらの家に泥棒がいると……。それをこのような席でみ皆の前で口にする以上、よほどの心づもりがあるんでしょうな、ではその証拠を見せていただきましょうか、もしそれがないというなら、このひどい言いがかりにはきっちりと咎をおってもらいますぞ」
親爺の剣幕をひきとるように、半左衛門も声をあげた。
「おい、太平次。お前、自分がなにを言ってるのかわかってるんだろうな。お前の話はなにからなにまで、怪しいぜ。だいたいそんな大金、女を食い物にするくらいで、簡単に手にはいるのかよ。小作ふぜいで、土地も手放すしかなかったようなお前が」
──しめた。
息子が話の筋に乗ってきたのに太平次は笑いを噛み殺した。そういってしまっては、こいつはもうこの場から離れることはもできない。
座敷に居合わせたものは、名主親子の強い調子に、しずかに同調する気配となって、太平次に冷ややかな態度となった。
──せっかくの酒がまずくなったぜ。
──太平次、話はあとできいてやるから、とにかくあやまれ。
太平次は、それらの言葉をとりあわず続けた
「これだけのことには、証拠はあります。その桶川宿の女をここによんであります。ほれあそこに」
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