【魔法使いの世界を旅する一年 2010/12〜】

Zezilia Hastler

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序章

早起き

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4:00


 鼓膜を叩くようなアラームで、ぼくは目を覚ました。
 手探りで、目覚まし時計のアラームを止める。
 黄緑色の目覚まし時計、その針は、いつも通り早朝の4時を示していた。

 ぼくは、ベッドの上で背伸びをした。

 ぼくは、まぶたを上げた。「……うおっ」馬鹿みたいにでかいネコが、ぼくの目の前にいた。「っ、いった……」頭が痛く、気分が悪い。二日酔いだ。なんでだろう……。調子に乗って飲みすぎたんだ……。たくっ……。ぼくはベッドから這い出た。

 ジャンボニホニアにゃんが、ベッドからずるりと滑り落ち、うつ伏せになった。

 ぼくは、指先から魔力を送って、ジャンボニホニアにゃんを浮かせた。

 ジャンボニホニアにゃんは、ぼくのベッドの上に、我が物顔で横たわった。他にも、大小様々なニホニアにゃんたちが、ぼくの部屋のあちこちを、我が物顔で占拠していた。デフォルメされたデザインのために、よくわからなかったが、どの子も満足げな表情をしている一方で、その目は焦点が合っておらず、心ここに在らずと行った様子だった。どこ見てるんだきみたちは。あっちの世界に行っちゃってるのか? ひょっとすると故郷のニホニアが恋しいのかもしれない。

 ここは学生寮。2LDK。ぼくの寝室は180cm×240cmと、こじんまりとしたものだが、ぼくの体はコンパクトだし、ベッドもそれに応じて小さいサイズで十分なので、あまり不便もなかった。大きな窓のおかげで開放感もあり、それなりに快適だ。

 ぼくは、ミニクローゼットを開け、着替えを取り出し、寝室を出た。リビングダイニングキッチンは、ぼくの寝室の3倍ほどの広さ。丸テーブルに3脚の丸椅子、3人掛けのソファ、センターテーブル、窓際には、CDやカセットテープを再生できる箱型のコンポと、音質の良いスピーカーが2つ。あとは、壁に絵や写真がかけられている。家具は少なく、それゆえに掃除も手軽に済ませることができた。すっきりとしていて、過ごしやすい良い部屋だ。家具は全て、IKEAで揃えたものだった。

 この空間には、5つのドアがある。
 1つは、部屋の外へ通じる玄関のドア。
 1つは、ユニットバスへ通じるドア。
 1つは、テラスへ通じるドア。
 残りの2つは、ぼくと、ルームメイトの弥子の寝室のドアだ。

 リビングには、弥子のお姉ちゃんであり、ぼくの幼馴染であり、友人であり、もう一人のルームメイトでもあるルナさんがいた。ルナさんは、3人掛けのソファの上で、いびきを描いて眠っていた。

 ぼくはバスルームに入った。シャワーノズルをひねれば、暖かいお湯が流れてくる。
 この寒い時期になると、それがどれほどの幸せなのかが身に沁みてわかる。

 汗を流したぼくは、男物のトランクスを履き、濃紺のデニムを履き、忌々しいスポブラを着けて、その上からTシャツを着て、その上から、少しサイズの大きい白のシャツを着る。靴下を履き、室内用のスニーカーを履く。ドライヤーで髪を乾かす。髪は短くしているので、あまり時間を取られない。櫛で髪をすき、スプレーで固めて、ピンで7:3っぽくする。バスルームから出ると、ルナさんはまだ眠っていた。

 3歳年上のルナさんは、ぼくと違って人間だが、非常に勉強熱心で、7歳で中等部に進学し、9歳で高等部に、12歳で大学に進学、17歳にして深層心理学の博士号を取っていた。今は犯罪心理学の修士号を取るべく、学園の大学に通い直している。将来は刑事になるらしい。

 ルナさんの妹の弥子もまたルナさんと同じく人間だが、ルナさんとは違い、平凡に中学三年生をやっていた。

 ぼくとは、魔法使いと人間でカリキュラムも違うが、弥子は同級生だ。
 弥子は、ルナさんのように突き抜けたインパクトはないが、賢く、知的で、ユーモアもあり、運動も出来る。文武両道で芸術家肌で、性格も明るく、友達も多くて、勉強だけでなく、さまざまなところで知性をのぞかせるタイプだった。

 ぼくは、キッチンに向かい、ステンレスのフィルターに挽いたコーヒー豆を入れ、その上から熱湯を注いだ。淹れたてのコーヒーを飲みながら、ぼくはルナさんの寝顔を見て、ニヤニヤした。

 ルナさんは、よほど楽しい夢でも見ているのか、子供のように幸せそうな寝顔をしていた。起きている時は、おしゃれでかっこよくて優しくてフランクで明るいしっかり者のおねえさんだが、寝ている時は口からよだれを垂らして、いびきをかき、たまに白目を向いたりオナラをしたりして、シャツもはだけて、もう少しすれば色々見えそうな感じだ。彼女のおかげで、ぼくは、物心つく頃には女性に対する幻想を捨てていた。美女もオナラをする。今後の人生に役立つ教訓だった。ぼくは、コーヒーを啜りながら、眠気が消えるまで、寝ているルナさんを楽しもうと思った。寝起きのぼんやり感は、暖かいシャワーでも流し切れなかった。

 ぼくは、魔法使いであることを除けば、これといった特徴もない。人間用に設定された大学部までのカリキュラムは小等部の間に終えるのが、魔法使いたちの常識だ。魔法使いたちの頭の回転は早く、記憶力も感受性なども良い。これらもまた、脳細胞に宿っている魔素の影響だった。中等部からは様々な学問の博士号を取ったり、魔法の技術を高めるための授業を受けるのが一般的な魔法使いの教育課程であり、ぼくも順調にそのルートを進んでいる。ぼくが特別賢いわけではない。魔法使いなら、誰しもが消化するカリキュラムを順当に消化していった結果でしかなかった。

 同じく魔法使いであるグロリアは、高等部をあと数ヶ月で卒業するという段階で、すでに十数個もの博士号を取っていたし、魔法の成績も学年どころか学園トップクラスで、魔法使い向けの身体測定の一つである【エヴェレスト往復】で、3分という化け物のようなタイムを叩き出している。

 保有する魔力の違いはあるのだろうが、それにしたって……、ぼくなんて、この間の【エヴェレスト往復】には3時間もかかったのに、グロリアはどうして……。同じ魔法使いで、同じ純魔なのに、どうしてこれほどまでの差が出るのだろうか。

 コーヒーを啜りながらそう考えていると、ふと、あることが気になった。

 そういえば、ゾーイさんは、いつからあのAWという世界に足を運んでいるんだろう。あの世界では、時間の経過速度が12分の1になる。あそこで練習やら何やらをすれば、少ない時間の中で、急速な老化という代償と引き換えに、大きな成長を果たすことができるはずだ。

 ゾーイというAWへの行き方を知る者を友人に持つグロリアの顔が頭に浮かんだ。彼女は、本当に今、18歳なのだろうか。魔法使いは肉体的な成長を終えるのが早く、死ぬ数年前まで、全盛期の姿のままなので、見た目だけでは、あまりわからない。グロリアはああ言っていたが、知った上で知らないふりをしたということも十分に考えられる。ただ、その場合は、どうして、グロリアがあの世界を隠したがったのかという疑問にぶつかる。

 ぼくは、コーヒーを啜った。

 寝起きで、頭に血が通っていない。

 ぼくは、ひとまずのところ、考えるのをやめ、朝食を作ることにした。冷蔵庫から、卵を6つ、トマトを3つ、バジルの葉を3枚、モッツァレラチーズの塊、オレンジを3つ、ローストビーフの塊、10枚切りの食パンを3枚取り出す。食パンをトースターに入れて、タイマーを3分にセットする。IHのコンロに電源を入れ、フライパンを置く。フライパンにオリーブオイルを引き、油が弾けてきたところで、卵を6つ落とす。抜群の切れ味を誇る包丁で、ローストビーフを程よい厚さにスライスしていく。ローストビーフの塊を冷蔵庫に戻し、手を洗って、卵をひっくり返す。スライスしたトマトの上に、スライスしたモッツァレラチーズを載せ、その上に、ちぎったバジルの葉を載せる。オレンジを切り分けてボウルに盛る。焼き上がった目玉焼きとローストビーフを同じ皿に盛り、焼き上がった3枚の食パンをバスケットに入れれば、朝食の出来上がりだ。魔法で包丁を踊らせたり、冷蔵庫から食材を出し入れしても良いのだけれど、なんだか料理を作るときは自分の手でやりたかった。出来上がった料理を、ダイニングテーブルに並べていく。

「ふごっ」

 ぼくは、バッ、と、ルナさんの方を振り返った。

「むにゃむにゃ、もう食べられないよぉ~」ルナさんは、笑いを堪えるような、楽しそうな、いたずら心に溢れた声で言った。

 ぼくは笑った。「起きてるでしょ」

「バレたか」ルナさんはシャツを直して、髪を指ですきながら、ラジオの電源を入れた。「ソラちゃん、悪いけど、ファドゥーツに繋いでくれる?」

「はい」ぼくは、指を振るって、コンポに魔力を送った。

 ラジオのチャンネルが、ルナさんと弥子の故郷の一つであるリヒテンシュタインのラジオチャンネルに切り替わる。英語の曲がスピーカーから流れてくる。この時間、リヒテンシュタインは夜だ。これから一日を始める人たちのための早朝の音楽も良いが、これから眠る人たちのための夜の音楽を早朝に聴くルナさんの感性も相変わらず素敵だ。

「ありがと」ルナさんは、ダイニングテーブルの方へやってくると、明るい声を上げた。「美味しそう」彼女は、微笑みの浮かんだ顔でぼくを見た。ぼくの頭を撫でて、リビングに置かれているミニクローゼットから着替えを取り出し、バスルームへ向かった。バスルームから出てきたルナさんは、黒のスラックスに、白いシルクのシャツにローファーという格好をしていた。

 血色の良いきめ細やかな乳白色の肌。
 ふんわりとした黒の髪。
 グレーの目。
 白黒写真から出てきたお姫様のような彼女は、リヒテンシュタインとオーストリアと日本の血を引いている人間だった。
 魔法使いとかのヒトなら、その遺伝子に含まれる魔素の影響で目の色や髪の色が決まるものだが、人間であるルナさんの場合は、ただ単にリヒテンシュタインの血とオーストリアの血が目の色や身長の辺りに濃く出ているだけだった。
 ルナさんは、180cmの身長に、スレンダーな肩幅に、それなりに出ている胸、柔らかなシルエットながらも彫りの深い顔立ちといった、モデルみたいな人だった。
 ダイニングテーブルに着いた彼女は、お箸を持って、ローストビーフをつまみ、コーヒーを啜った。「ソラちゃんは良い嫁になるね」と、俺の嫁は言った。

 ぼくはトーストを齧った。「ルナさんならお嫁にもらってあげても良いよ」

「はっ? わたしがなってあげるんだよ」

「そういうことにしといてやろうか」

「今のうちに慣れときなよ。結婚したらソラちゃんの言い分が通ることなんかないし、口喧嘩でわたしに勝てることなんか絶対にないんだから」

 ぼくは肩を竦めた。「ま、今日のところはそういうことにしておきましょうか。いつ式場見に行きます?」

「休みが合えばね」

「最近忙しい?」

 ルナさんもまた、グロリアと同じく学園の仕事を手伝う立場にあった。優秀な生徒は、高等部に上がった段階から、そういったことを任されたりする。ちなみに、ルナさんとグロリアは幼馴染の親友で、ぼくがグロリアと知り合えたのは、幼い頃にルナさんが紹介してくれたおかげだった。「勉強だよ。ソラちゃんは?」

「高等部進級に必要な単位はもう取り終わったから、今は本ばっかり読んでる」

「どんなの?」

「ヴェルの冒険」

 ルナさんの顔に暖かい笑顔が浮かんだ。「冬休みはあっちに帰るの。一緒に来る?」

 ぼくは曖昧に笑った。「正直言って、ファドゥーツは、ぼくには少し退屈で」ルナさんや弥子と一緒なら、別に行っても良いんだけれど、あの楽しそうな世界を知ってしまった今となっては、ファドゥーツかAWか、迷わないはずもなかった。

「ファドゥーツにはドラゴンもユニコーンもいないしね」

 ぼくは笑った。「そんなもん……」あれ……、そういえば……。「ロシアの奥とかギアナとか群馬県にしかいないし……」ぼくは、考えながら言った。「……そんなところ行ってもキツイだけで楽しめないし……」

 そうだ。地球において、幻獣は秘境にしかいない。
 アラスカとかマリアナ海溝とかバミューダトライアングルとかアメリカの群馬県と名高いネブラスカ州とか……。
 欲深く見栄っ張りな人間たちによってツノや牙をへし折られたり、ハゲるほどに体毛をむしり取られたりといった過去の苦い経験をもとに、幻獣たちは人目を避けるため、そんなところにまで引っ込んでしまったのだ。
 そういった話を聞けば、美しいものは人目を避ける、という言葉の意味もなんとなくわかった気になれる。
 にも関わらず、ヴェルの冒険で描かれる幻獣たちは、いずれも魔法使いや人間といったヒト族と共存している。
 これはどういうことだろう。ひょっとすると……。

 ぼくは、ローストビーフを噛みながら、頭に浮かんだアイデアについて、思いを馳せた。
 ヴェルの冒険の作者であるヴェルは、誰にも居場所がわからない、ということで知られている。
 ぼくの頭に、ヴェルの冒険の表紙や挿絵の数々と、AWでの思い出が浮かんだ。
 ひょっとすると……、ヴェルは……。
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