【魔法使いの世界を旅する一年 2010/12〜】

Zezilia Hastler

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序章

食べ歩き

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 ふー、食った食った。

 結局、ご飯は十二回もおかわりしてしまったし、ビールも何杯も飲ませてもらった。

 ぼくは、最後のビールを啜った。

「よく食うね」ティムさんは楽しそうな様子で言った。「なんでそんなに細っこくてちっこいんだ? 手の平サイズじゃんか。ポケットに入れて持って帰っちまうぞ」

「も~、ティムさんったら変態ですね~」ぼくは、お腹が膨れて、お酒も入っていてそれなりにご機嫌だったので、身長のことを言われているのだと思うことにした。「ナンパのつもりですか? 下手くそですね~、絶対独身でしょ」

「ぐさっ、そうさ……、ニホニアにゃんに出逢っちまった時、俺はニホニアにゃんと結婚するって決めたのさ……」

「わー、きんも……」ぼくは笑った。「うちの家系は代々こうなんです」ぼくは、ポテトチップスを摘んだ。ぼりぼりと、堅揚げのケトルチップスを噛みながら、ぼくは何かを忘れていることに気がついた。なんでここに来たんだっけ……、そうだ、ニホニアというこの国に馴染むために必要な情報を集めに来たんだ……。なんでそんなことをしに来たんだっけ……。そうだ、このAWと呼ばれる世界を見て周りたいからだった。「ティムさん」

「ソラ」
「はい?」
「ラディッシュのピクルスどうだった?」
「美味しかったですよ」
「味噌スープは?」

 ぼくは、言葉に詰まった。正直言って微妙だった。

「和食を勉強してるんだが、レシピもなにもないもんでな」
「鰹節っていうのが日本にはあるんです。それを煮詰めて、出汁を取って使ってみたら美味いかもしれませんよ」
「カツオブシ?」
「ものすごく硬くなるまで加工したカツオです。武士や侍や忍者が闊歩していた江戸時代では、鰹節を削ったもので要人暗殺をしたこともあったほどの硬度を誇るのです。ジャパニーズソードの一種ですね。将軍の料理人を処罰する際に、よく使用されたようです」

「おいおい、日本人は料理の材料に、剣を使ってたってのか?」ティムさんはメモを取りながら、首を傾げた。「ニホニアにゃんといい、カツオブシといい、日本ってのは変な国だな」

 ぼくは内心ニヤニヤしながら、困惑しつつも興味深そうな様子のティムさんを見て、ふと、実家のしば犬を思い出した。「ニホニアにゃん? 日本から伝来したんですか?」

「この国のマスコットキャラクターさ。以前、日本から来た旅行者のアイデアから生まれたのさ。おかげでニホニアにゃん目当てで数万キロ先からやってくる奴も出て来たくらいだ。ニホニアも栄えたもんさ」

「数万キロっ? おっきいんですねー、この世界」

「世界地図がある。地球を元に作られたから、大陸の形とかも似てるんだ」

「どれくらい広いんですか?」

「俺は地球を知らないんだが、以前、地球からやってきた旅人が教えてくれた話だと、スケールは地球の12倍らしい。総人口は、360億人」

「そんなに? 全員が魔女や魔法使いなんですか?」

 ティムさんは頷いた。「他にも、ヒト族だと妖精やヴァルキリーやエルフやヴァンパイアなんかも。あとは、幻獣もたくさんいる。ユニコーンなんか……、あれだ、なんつってたっけな、そうだ、ユニコーンは地球でいうバイクで、ユニコーンの馬車はタクシーみたいなもんで、ドラゴンは飛行機、クラーケンは客船みたいなもんだな。移動手段だと、スライムが人気なんだ。水陸両方行ける。スライムに気に入ってもらえれば、体内に取り込んでくれるから、中で寝ながら移動できる。もっとも、好かれてると思ってたら内心嫌われてた、なんて場合だったら、取り込まれたまま消化されちまうなんてこともあるけどな」ティムさんは笑いながら言った。

 そこって笑っていいところなの……? と思いつつ、ぼくも笑っておいた。

「まあ、スライムみたいな温厚で優しい可愛い純粋なヤツらを怒らせるようなヤツなら、そんな目に遭って当然だ。以前、地球について色々教えてくれた奴がいたんだ。そいつは、スライムのことを、キャンピングカーみたいなもんだなって言ってた。筋トレしたスライムは結構早いんだぜ」

 ぼくは笑った。
 スライムの筋トレ……、触手を伸ばしてバーベル上げをしたり、トレッドミルの上で人のように走ったりするのかもしれない。汗だくのスライムが、震える触手でバーベルを上げている。せいやぁっ、せいあぁっ。トレーナーのスライムが激励を向ける。あと一回! もう一回っ! がんばれっ! お前ならやれるっ!

「ゴツゴツしてそうですね」

 スライムってどんな感じで走るんだろ……、そんなことを考えるだけで、胸がときめきニヤニヤ出来た。球体のまま飛び跳ねるように移動するのか、ひょこひょこ這うように移動するのか、転がりながら移動するのか、人の姿になってクラウチングスタートをしたりするのかもしれない。

「ギネス記録は最高時速12000kmだ」

「それはやばい」そんなゴツゴツしたムキムキのスライムにそんな速度で駆け抜けられた日には、ユーラシア大陸は荒野と化すだろう。「え、じゃあ、普通の、ぷるぷるしたスライムは? 可愛いヤツ」

「それはあんま速くないし、燃費も良くないぜ。時速120kmくらいだった気がする。自分で走った方が早いな」

「燃費?」

「スライムも生き物だからな。食べる必要があるんだ。人を運ぶともなれば、消費カロリーもでかいから、確か、3時間に一回は休ませてやらなきゃいけないんじゃなかったかな。あんま酷使させると幻獣保護委員会にしょっ引かれちまうし、可哀想だから優しくしてやらないとな」ティムさんはタバコに火をつけた。「スライムっていうのは、基本的に子供の愛玩動物なんだ。交通手段とか、俺たちの生活や簡単な仕事を手伝ってくれたりもするがな。野良のスライムもいるが、みんなから愛されてる」

「どこで買えるんですか?」
「買う? なにを?」
「スライム」

 ティムさんは、タバコの煙を吐いた。「あぁ、スライムの食べる草なら、そこらへんに生えてるもんで大丈夫だぜ。可愛がってる連中はステーキとか、質の良い草を買って食わせたりするけど、その草にしても、あんま高くないぜ」

「そうなんですね。いや、スライムは、どこで買えるのかなって」

「バカ言うな。幻獣売買は人身売買に並ぶ大罪だぞ。連中は生き物だ。商品じゃない。買うなんてとんでもないぜ」

 ぼくは頷きながら、記憶の引き出しを開けた。
 引き出しから取り出した記憶は、ドイツのペット事情に関するものだった。「じゃあ、ブリーダーから?」

「そういう場合もあるが、手近なところだと、幻獣保護委員会に問い合わせて、生まれたてのスライムをもらうって手が主だな」

「なるほど……」生まれたてのスライム……。なんだかすっごくすべすべぷにぷにして、良い匂いがしそう……。「小さい頃に読んだファンタジー小説にも、ドラゴンは出てくるんですけど、大体が悪役で、最後には聖剣とかで首を切り落とされたりしてますよ」

「地球ってのはつくづく変わった場所だな。この世界じゃ、幻獣は俺たちと共存している。平和なもんだぜ」
「この世界は、何年前から?」
「この世界が生まれたのは、1226年の10月3日だ。ロームァっていう場所に」

 ぼくはほくそ笑んだ。
 多分、その場所のマスコットキャラクターはロームァにゃんだろう。

「どうした?」
「そこにもマスコットキャラクターがいるのかなって思って」
「いるぜ。ロームァーにゃんだ」

 おしかった……、だが、確かにそっちの方が呼びやすそうだ。「行ってみたくなって来ました」

「行くべきだ。この世界の中心で、始まりの土地って言われてる。記念碑があるんだ。この世界の創造主の銅像もある。賑わいも街並みもこの国の比じゃない。なんだかんだでこの国は世界の端っこだからな」

「そうですか? この国も綺麗ですよ」

「そう思うのはここ以外を知らないからだ。俺はサウス・アメリックのヴェネズーラから来たんだ。自然豊かで、良質なミネラルの含まれた岩塩とか調理用オイルが湧き出る良い土地さ」

「どうしてニホニアに?」

「旅好きなスペーニアの女に惚れて、しばらく一緒に旅をしていたんだ。居心地が良くってここに住み着くことになっちまった」

「なるほど、いつの時代も、きっかけは恋なんですね」

「分かったような口きくじゃんかよマセガキ」ティムさんはぼくのほっぺを優しく摘んで引っ張った。

「ぼくが初めて来た場所ですからね。ぼくにとっては特別な場所です」

 その後も、ぼくはティムさんと話をして、この街、この国、この世界について、教えてもらった。

 店が混んできたのを頃合いに、ぼくは、ティムさんにお礼を言って、サルーンを出た。


ーーー


 ぼくは、ニホニアの中心広場にいた。

 先程の西部劇の舞台のようなウェスタン・ニホニアンと違い、この一帯は、石畳の足元に、煉瓦造りの建物といった、以前訪れた西欧の街の旧市街のようだった。
 町のあちこちにある花壇には、優しいそよ風に揺られる花々に混じって、ダンシングニホニアにゃんが踊っていた。
 空は晴れ渡っていて、薄雲が漂っている。
 日陰の下では肌寒く、日差しの下では程よい暖かさだった。

 ぼくは、カフェのテラス席に腰掛けると、ジャケットを脱いだ。
 晴れた日に、Tシャツとデニムという、リラックスできる格好で過ごせるのは、幸せなことだった。

「なににしますか?」

 ぼくは、やってきたウェイトレスさんを見上げた。
 堀の深い顔立ち。
 小麦色の肌。
 黒髪で藍色の目。
 背が高くほっそりとした体型だが、胸はデカかった。
 こいつは間違いなくぼくにケンカを売っていた。

「メニューをもらえますか?」ぼくは言った。

 ウェイトレスさんが指を振るうと、カフェの店内から、紙のメニューがゆらゆらと漂いながら、こちらにやってきた。

 メニューには、数種類のお酒や料理が、数十種類ずつ書かれていた。

 先ほどたらふくビールを飲ませてもらったのだけれど、それらはとっくに外に出て行ってしまったので、飲み直しだ。

 ビールのリットルグラスは一杯1.2FUから。

 ぼくは、安い順番から、一杯ずつ違う銘柄のビールを飲むことにした。「じゃあ、一番上のビールを」

「リットル?」
「ええ、お願いします。あと、サーモンのムニエルも」ぼくは、メニューを隣の椅子に載せた。

 丸テーブルの上に開くのは、ニホニアの観光案内所で買った世界地図だった。

 ティムさんが仰っていたように、この世界の大陸の形や位置の大まかなところは、地球と同じだった。
 だが、州の数は地球よりも多く、国境の数は異常なほどに少ない。
 数えてみたが、州の数は24で、国の数は100もない。
 また、地図上には、地球にあるはずの国のいくつかが存在しておらず、そこは、広大な砂漠や巨大な森と記されていた。
 ここ、ニホニアは日本と同じ場所にあった。
 ティムさんが仰っていたロームァーにゃんの生息地は、イタリアのローマの部分にあり、そこがこの世界地図の真ん中だった。
 地図の右端にはニホニア、左端にはアメリカやカナダ、中南米アメリカが存在した。
 表記されている名前は、いずれも地球での名称をもじったものばかりだ。
 この世界の歴史は800年近いらしいが、地球にアメリカがないときからAWにはアメリックやカナドゥアがあったのだろうか。
 それとも、元となった地球の地名やその歴史に応じて、この世界の地名も変わっていったのかもしれない。

 ビールを飲みながら、そんなことを思っていると、足元に何かが擦り寄ってきた。

「あら」見れば、砂色の毛並みの可愛い仔ネコだった。

「にゃー」仔ネコは、ぼくを見上げて鳴いた。まるで、『さて、飯をねだるにしてもなにをするにしても、まずは挨拶からだよな、このお嬢ちゃんは俺を見た途端に目を輝かせて笑顔を浮かべた、ちょろい相手だ、俺らネコが好きなんだろうな、ま、当然ってヤツだな、人間どもは俺らが大好きだからよ、さて、お次は足元に擦り寄って距離を縮め、媚びた鳴き声でもう一鳴きして相手の心に入り込む、そして、見上げて、お嬢ちゃんが俺の顎の下を撫で始めたら、今日のランチゲットだぜ』、とでも言っているかのようだ。

 そんな仔ネコの心の声をおぼろげながらに聞いていながらも、ぼくは、ランチ目当てにすり寄ってきたこの仔猫の魅力に抗うことが出来なかった。「あらあらあら可愛いですねぇおやおやおや」

 ぼくは仔ネコの背中を撫でようとしたが、ふと、妙な寄生虫や病原菌がこの世界にいないとも限らない、いや、いないはずがない、と思い直し、手を引っ込めた。

 そういったものに対する抗体を、ぼくの体が保持しているとも限らない。

 そもそも、この魔素濃度の高いこの大気が、地球で生まれ育った魔法使いであるぼくの体にどんな影響を及ぼすかも判ったものじゃない。

 この世界に来てから、3時間ほどが経った。
 そろそろ帰ったほうが良いかもしれない。
 授業もあるし……。

「あ……」そのとき、ぼくはある事実に気がついた。「あー……」ぼくは、自分の手の平を見た。もうすでにユニコーンを撫でちゃったから、そんなこと気にしても手遅れか……。体調に意識を向ける。心拍数、体調、しゃーない……、ひとまずもふるか……、そんなことを考えながら、舌なめずりをして仔ネコと目を合わせると、あざとく首を傾げる仔ネコの背中に、何かを見つけた。「ん?」

 よく見てみると、何かがおかしい。
 背中には、ワシの翼のようなものが生えていた。
 グリフォンだ。
 見れば、あちらこちらで、グリフォンたちがテラス席の客に食事をねだっていた。
 グリフォンたちは、ネコっぽかったり、ワシっぽかったり、翼が大きくて分厚くて立派だったり、小さくて薄くて可愛かったりと、個性も豊かだった。
 どうやら、ネコっぽいグリフォンの翼はハトの翼っぽいフォルムで、ワシっぽいグリフォンの翼はワシの翼っぽい立派なフォルムだった。

「……ちっ」ぼくは笑顔を仕舞い、舌打ちをした。

 デフォルメされた顔のニホニアにゃんは良いし、ただのネコも良い。
 だが、こういうキメラっぽいのはダメだ。

 キッシュをつまみ、隣のテーブルの足元に放った。

 グリフォンは、ぼくを見上げてにゃあ、と鳴くと、ぱちぱちと瞬きをして、するりと身を捻り、てってってっ……、と、そちらへ向かった。

 たくっ……、ふざけたデザインしやがって……。

 ぼくは、テーブルの上に広げた地図を見た。
 この世界は、隅々まで見て周るには広すぎる。
 そして、ぼくは魔法使いであり、人間よりも寿命が長いとはいえ、せいぜい300から360歳。
 行きたい場所を絞り込み、ルートを考え、行く方法を考えないと、目的地にたどり着く前に、野垂れ死んでしまう。
 いや、ムキムキのスライムに乗せて貰えば、効率よく世界を周れるかもしれない。

 ウェイトレスさんが、三杯目のビールを運んできてくれた。

 一番安いビールも美味かったが、二番目に安いビールも美味かった。
 今飲んでいるビールは、柑橘系の風味のするホワイトビールで、先程のサルーンで飲んだものとは違ったが、こちらもこちらで美味かった。
 アルコール度数も、地球のビールより高かったが、あんまり酔えない。
 アルコールに強いのもまた、魔法使いの肉体の長所であり、短所だ。

「すみません。──」ぼくは、ウェイトレスさんに話を聞くことにした。どうやら、ムキムキのスライムはそれなりの値段がするらしい。ニホニアからウズベキスタニアまでが、日本からイギリスまでのエコノミークラスの航空券代くらい、ニホニアからグレートブリタニアやトルキアまではその二倍、ティムさんの故郷であるヴェネズーラまでだと、三倍近い値段がするらしい。細マッチョのスライムはもう少し安いみたいで、燃費も良く、より環境的で近年注目を集めているらしいのだが、馬力が足りず、最高速度もムキムキのスライムに及ばず、山道などではペースが更に落ちるらしい。それでも、コストパフォーマンスを考えるなら、細マッチョのスライムかもしれない。

「上等な箒を買うっていう手もあるけど、高いしね……」
「箒を買う?」
「自分で生み出す箒よりも、自分よりも優れた魔法使いたちが生み出した箒のほうが早いのよ。コントロールには慣れが必要だけどね。それにオーダーメイドだから高くなる。お嬢ちゃんは、どんな魔法を使えるの?」
「純魔の魔力と生命の魔力で、火と土です」
「自然同化の魔法は?」
「まだ教わってないんです。高等部からだから」
「そっか。生命の魔力と火の魔法が使えるなら、うまく使えればビューンって飛んでけるのにね」
「そうなんですか?」

 ウェイトレスさんは頷いた。「ニホニアからグレートブリタニアまでなら、大体半日で着くはずよ。直線のルートを選んで、寄り道しなければだけどね」

「ほうほう」帰ったら、グロリアにご教授願うことにしよう。「ありがとう」

 ウェイトレスさんは可愛く微笑んだ。「お代わりは?」

「もらいます」ぼくは、メニューの四番目を指差した。「あ、そうだ。あの、グリフォンって」ぼくは、あちらこちらでにゃーにゃー言っている連中を指さした。

 ウェイトレスさんは、連中を見た。「あぁ……」彼女は冷めた目で頷いた。「可愛いわよね。ただ、ネコの顔の方は性格悪いわよ。あいつら、子供みたいな目でこっちの様子を伺いながら擦り寄ってくるでしょ? あれって、デカく出ても大丈夫な相手かなって考えてるのよ。ちょっと甘い顔して餌あげると、それを服従の証と勘違いして、急に態度がデカくなって、テーブルに乗って皿を食い散らかすから気をつけなさい」

「とんでもないですね」

「そ、調子に乗る奴には甘い顔しちゃダメってこと。同じグリフォンでもワシの顔の方は大丈夫よ。お嬢ちゃんも旅人なら、肝に銘じておきなさい。どうせ、あいつら、お腹空いたらゴミ箱に落ちてる残飯とか雑草とか砂とか勝手に食ってるんだから、お嬢ちゃんは餌付けしないようにね」

「はい、教えてくれてありがとうございます」
 ぼくは、こちらを見上げて口の周りを舐めるネコ顔のグリフォンを思いっきり睨みつけた。

 ネコ顔のグリフォンは、弾かれたように素早い動きで身を翻して、遠くへ走っていった。

 ぼくは足を組み、ご機嫌でビールを啜った。


ーーー


 ぼくは、箒に乗って、空中に浮かぶ【飲酒運転禁止】という虹色の馬鹿でかい文字の横を通り過ぎた。
【この先日本】の文字の横を急上昇する。

 魔法で生み出したラップとダクトテープで紙袋の口は覆っておいたので、ニホニアにゃん達は落ちない。

 ぼくは、空中に浮かぶ、日本の国旗が描かれたドアの前にやってきた。

「……ひっく」

 ぼくはドアを開け、あの用務員室に戻った。
あの男性は、ぼくに気がつくと、にこ、っと微笑んだ。「おかえり」

「落とされてびっくりしましたよ……。空を飛べなかったらどうするつもりだったんです?」
「そしたら、あっちの奴らが君を助けてたさ。良いところだったろ?」

「楽しかったですよ。また明日来ます」掃除用具室の壁掛け時計を見る。「あれ?」

「あっちでは、時間の進むスピードが遅いんだ。君があっちに行ってから30分だから、6時間ってところか」
「なんか夢みたいですね」
「夢?」
「ほら、夢の中でどんな長い時間を過ごしても、目を覚ましたら8時間しか経ってなかったって感じ」

 男性は、にっこりと微笑んだ。「良い表現だな。ギルだ」

「ソラです」
「なあ、ソラ」
「なんですか?」
「きみって、トランス?」
「そうですよ」
「せっかく可愛いのに」
「知ってます。でも、ぼくは男だから」
「もったいないな」

「残念でしたー」ぼくは、笑いながら舌を出した。

「じゃあ、男らしくハグで別れるか?」ギルさんは、両手の指を、にぎにぎと曲げた。

 ぼくの全身に鳥肌が立った。「やです。長い付き合いになるんですから、軽々しいスキンシップはやめましょう」

 ギルさんは首を傾げた。「じゃ、ハイタッチ」

「ぼくは日本人なので、お辞儀で」ぼくは、ギルさんにお辞儀をした。「では、失礼します」

 ギルさんは、にっこりと微笑んだ。「またおいで」

 ぼくは、彼に微笑みを返し、掃除用具室を出た。
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