【魔法使いの世界を旅する一年 2010/12〜】

Zezilia Hastler

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ニホニア編 Side空

4日目 ラシアへ

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 フィリップとマークは、ウェスタン・サルーンにいた。
 二人はこの数日、ソラの護衛を探していた。
 勘が良く、気軽さと身軽さを好み、そして、他者の意思に敏感で、自らの意思で道を選び、自らの足でその道を歩くことを好む、と、オルガからは聞かされていた。
 そうなると、ジェロームは最適だった。
 ジェロームは、ニホニアでは有名な魔獣だった。
 見た目は普通の黒猫と変わらず、魔力の扱いを熟知しており、魔力を持たないライオンやクマどころか、魔力を持っているだけで扱いこなせていない、理性や知性を持たない魔獣など歯牙にも掛けない強さを持っている。
 数年連続箒乗りチャンピオンで、毎年変わることでも有名なジェロームのパートナーを務めた数人の魔女たちは、みんなその後、有名になり、様々なところからの真摯なオファーと真摯なサポートを受けて、望む道を思いのままに進んでいる。
 セウェードゥン政府の助力で、ジェロームのパートナーとなった魔女たちと接触をし、話をしてみたが、みんなジェロームと出た箒乗り大会をきっかけに、充実した人生を歩んでおり、そのキューピットとなった黒猫を愛し、感謝もしていた。
「彼は何の見返りも求めなかった」
「ただ、わたしが箒に乗っている姿が好きで、一緒に飛んで見たいって、そう言ってくれたの」
「いつだって優しくて、思いやりがあって、励ましてくれたわ」
「一緒にいると落ち着けるし、癒されるし、彼って聞き上手だし、話し上手なの」
「彼がネコでホント残念……」
 魔女たちは、口々にそう言っていた。
 ジェロームの性格に疑いの余地はなかったし、ソラもまさか、ネコが何らかの意図をもって自分のそばにいるなど思いもしないだろう。
 そして、ジェロームがその小さな胸に抱いている意図とは、ソラの行く末をコントロールすることには一切繋がらないものだ。
 加えて、ジェロームはソラを気に入っていた。
 フィリップとマークは、生命の魔力を宿す指輪と、ジェロームの体に譲り授けたフィリップの魔力のおかげで、ソラとジェロームの会話を聞くことが出来た。
 ジェロームがソラに話していたことは本当だった。
 ただ、ジェロームはソラに話していないこともあった。
 自らがフロンジェリーヌを離れた理由だった。
 それを知っているのは、ジェロームと、ジェロームを愛するモン・サン・ミシェルの修道女、そして、ジェロームを調べたセウェードゥン政府の者数人だけだった。
 フィリップとマークも、その数人のうちだった。
 二人はジェロームに、「ソラを守ってくれ。そうすれば、フロンジェリーヌに帰れる」と、伝えた。
 はじめは興味を示さなかったジェロームだったが、二人は様々な条件を提示して、最終的には引き受けてくれた。
「あの黒猫、本当に信じられるの?」マークが言った。彼は今、小柄なドワーフの変装をしていた。
 フィリップは頷いた。彼は付け髭をしていた。「良い奴だ。信じられる。俺と話もあったしな」結婚を控えているフィリップは、今も昔も冗談を口にするのが好きなムードメーカーで、頭の回転が早いが故に勉強もスポーツも人付き合いもこなせるモテモテのタイプだったが、20代になった今と違い、10代の頃は遊んでばかりいた。「あいつを見ていると、昔の俺を思い出すぜ」ふっ……、と、10代の頃の思い出に浸るフィリップだった。
 マークは、そんなフィリップを見て、鼻を鳴らした。「それって、あの昔のロックスターみたいな、ダサいキラキラした服着てた時のこと? それともダサい髪型してた時のこと?」
「当時はアレがイケてたんだよ。お前はどうなんだ?」
「なにが?」
「彼女は?」
 マークの顔が、ぱっ、と、赤く染まった。「か、かかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかか」
 マークは壊れた。
 フィリップは楽しそうに笑った。
「っか、かんけーないだろっ」
「いーから」フィリップは、ニヤニヤしながら、マークの肩を突いた。「おにーさんに聞かせてみろって。内緒にしてやるから」
 と、そこに、黒猫がやってきた。『よう、お二人さん、なにしてんだ? 楽しそうだな』
「別に、こいつの恋の話してたの」
 ジェロームは、からかうように『お~?』と、声を上げて、ニヤニヤとマークを見上げた。
「してない。そんな可愛い目で見上げればぼくが話すと思うなんて、大間違いだ」
『聞かせてみろよぼくちゃん』ジェロームはマークの隣の椅子に飛び乗り、マークの足に、自分のその小さな前足を、ぽんっ、と乗せた。『目を見て話せるようになったか?』
「おーっ、良いこと聞くねっ。俺も気になるわ。どうなんだよ?」フィリップは、マークを見た。
 マークは、顔を真っ赤にして、俯いてしまった。「良いんだよ。ぼくは。それよりも、ソラとはどうなんだ?」
『なんだよつまんねーな。委員長かよ。上手くいってるよ。今日中にラシアに行く』ジェロームは、フィリップを見上げると、その琥珀色の目を細めた。『ところで、本当に、フロンジェリーヌには行けるんだろうな』
 フィリップは頷いた。「もちろんだ。彼女とは、ラシアを出るまでは一緒にいてやってくれ。可能なら、フロンジェリーヌとジェルマニアの国境の辺りまで」
『ソラのことは好きだから良いが、ソラは一人で身軽にいたいみたいだからな。あんなんでもレディだし、レディの意思を尊重しないっていうのは、俺の主義に反する』
「そんなお前だから信じられるんだ。俺を信じろ。アルゼス=ロレインヌの辺りでお別れすれば良い。そこまでは、楽しみつつ、見守ってやってくれよ」
 ジェロームは、椅子の上でお行儀良く座りながら、しっぽをしゅるりと振りつつ、ソラを見た。
 フィリップとマークもそちらを見る。
 ソラは、こちらに向けていた。呑気な様子で、ステーキを食べ、ビールを飲んでいた。
 ジェロームは、俯いた。『……なんだか、騙してるみたいで気が咎めるな……』
 フィリップはジェロームの背中を、そっと優しく撫でた。
『……ソラは、俺と出会ったのが偶然だと思ってる。旅のいい思い出の一つだと思ってるんだ……。ほんとは、先回りしたってのに……』
「確かに嘘を吐いてるみたいだが……、それは別に、あの子を貶める為じゃない。純粋無垢な旅好きの少女が、旅を楽しめるように見守るためだ。それに、その罪悪感の報酬が、フロンジェリーヌへの帰国だと思えば、頑張れないか?」と、フィリップ。
 ジェロームは、フィリップを見上げた。『約束だぞ?』
「もちろんだ」フィリップは頷いた。「俺もマークも、ちゃんと見守ってる。お前たちから数キロ離れたところからな。お前に俺の魔力の一部を預けた。お前にも、俺の居場所がわかるはずだ」
 ジェロームは、フィリップを睨みつけた。『俺がソラに何かしたら、その魔力を使って俺を殺すんだろ?』
「しないだろ?」
『するわけない』
「知ってるよ」フィリップは頷いた。「そんな機能はつけてない。お前たちの無事は保証される。お前の仕事は、仮にソラに何かがあったときに、俺たちが駆けつけるまでの間、彼女を守ることだ。ラシアを出るまでの間な。失敗の条件は、彼女を守りきれなかった場合だけ。その場合も、君に報酬が支払われないだけ。ソラには、可能な限り、仕事だってことは伝えない。損はないだろ」
『行く方向が同じなら、ラシアの後もついていって良いぜ。彼女が望めばだがな』ジェロームは、椅子の上で、天井を見上げた。
 マークは、ジェロームの視線の先を追ったが、そこには、クルクルと回るプロペラがあるだけだった。
 ジェロームは、瞳を閉じた。『クレマンス……』
 マークは、このネコどうしちゃったの? と言った感じでフィリップを見た。
 フィリップは、わかるよ……、とでも言うような目で、ジェロームを撫でながら、家で待つ婚約者の顔を頭に思い浮かべた。
 ジェロームは、喉をゴロゴロと鳴らし、目を開けた。『そうだ。今朝、ソラとは本屋で出会ったんだ』
 フィリップは頷いた。
『そこの主人が、ソラの買った本とかペンに、魔法をかけてた。精神の魔力で、追跡出来るようになってたし、昏倒の呪いがかけられてた。普通の奴は、そんなことしないよな』ジェロームは、フィリップを見上げた。
「しないな……」フィリップは言った。
「しないね……」と、マーク。
 フィリップはマークを見た。
 この少年はなにを考えるか、自分と同じ考えに辿り着くか、あるいは自分では思いもつかないような発想をするか、そういったことを確認したかったフィリップは、言葉を発さずに、ナッツを口に運んだ。
「ソラとその店主はなにを話してた?」と、マークは言った。
 フィリップは、良いぞ……、だが平凡な疑問だな……、と思いながら、何食わぬ顔でビールを啜った。
 ジェロームは頷いた。『途切れ途切れだがな。あっちの世界がどうとか、あんたらが気にしてる様子のヴェルとか、あとは、マンドラゴラとかケーキとか、文房具を割引してやるだなんだ、言ってたぜ。ソラはマンドラゴラやらについて何にも知らないんだな。ほんと、俺無しでちゃんと野宿出来んのかよ……』ジェロームは、やれやれ……、と、首を横に振った。
 フィリップは、ジェロームの頭を撫でた。「その、文房具の魔力はちゃんと無視したか?」
『いや? 祓ったけど』
「祓った?」
『教会仕込みの魔法でな。精神を削る類の呪いも込められてたから、危ないだろ』
 フィリップはマークを見た。
 マークは暗い顔をしていた。「……ジェローム。それだと、ここで魔力が消えたって、そいつにバレちゃうだろ?」
 ジェロームは、キョトンとしたような顔をした。『あ……、そうだな。ヤバいな』
「対処するよ」フィリップは言った。「祓った件については、よくやった」
「失敗だろ?」マークは言った。
 フィリップは、戯けるように顔をしかめた。「めくじら立てるなよ委員長」
『男の委員長キャラは萌えないぞ』
「こういった些細な失敗に対処するのも、俺らの仕事だ」フィリップは、ジェロームを撫でながら、暖かな微笑みとともに、小さく鼻を鳴らした。「心配するな。ジェローム。お前は10分以内に、ここからソラを連れ出してくれ」
『あいよ。報告と言ったらそんくらいだな』退屈そうに欠伸をして、フィリップを見た。『じゃ、お守り行ってくるぜ。委員長は、ちゃんと好きな子に告れよ』
「うるさいっ」マークは、顔を真っ赤にして、ジェロームを睨みつけた。
『ムッツリめ』黒猫は、椅子から飛び降りて、魔女たちの中に飛び込んでいった。『へっへっへーっ、お待ちどうっ、ぼくちゃんが来たぜっ!』
 魔女たちの間から、黄色い歓声が上がった。
 フィリップはナッツを口に運美、ビールを啜った。
 マークはオムライスをスプーンで掬って口に運び、何かを考えるように、口を動かした。
 フィリップは、ビールのグラスを置いた。「どう思う?」
 マークはオレンジジュースを啜った。「店主がどこまで知ってるかによるね。もしも、あっちの世界の存在を知っているなら、ヴェルがあっちから来た人間だってことについても知ってる。ヴェルの冒険について熟知してるなら……」マークは首を傾げた。「もしも、あっちの世界の存在を知らないなら、ただ単に、高級な紙とインクをそれなりの値段で売っておいて、後から盗み返そうとしてるか……、わからないね。聞いてみる?」
 フィリップは頷いた。「そうしよう」
 先日の晩、ユアン、ノエル、ビルギッタはゾーイと話をした。
 その結果、4人は一度、あちらの世界に行き、グロリア・グローティウスと、その友人と共に戻ってくることになった。
 ノエルはあちらで色んな美容品を買えると言って喜んでいたし、ビルギッタはカップヌードルやお菓子を買えると言ってはしゃいでいたが、こちらとあちらの時間の流れの違いを考えると、そう長くはいられないだろう。
 いずれにしろ、フィリップは、マークとともに、あちらの世界よりも時間の流れが早いこちらの世界のニホニアで、あちらよりも長い時間を待たなければいけなくなった。
 ソラの警護はジェロームに任せることとなったし、調査に繰り出しても、問題はないだろう。
「出るみたいだよ」
 フィリップは、マークの言葉に顔を上げた。
 ソラは、店主のティモシーに何かを渡していた。
 ティモシーは、嬉しそうな笑顔で、ソラとハグをした。
 ジェロームは、ソラのデニムを這い上がり、彼女の肩に乗った。
 黒猫を肩に乗せたソラは、店を出る時、フィリップたちへ向けて、笑顔を向け、手を振った。
 フィリップは、小さく息を呑んだ。
 ジェロームは、そんなソラを見て、フィリップたちを見て、やべ……、という顔で、首を横に振った。
 フィリップにはわかった。
 ジェロームは言っていない。
 それはわかっている。
 ジェロームの発言は、彼に流し込んだフィリップ自身の魔力によって、全て聞こえていた。
 それだけでなく、ジェロームの体を微弱に振るわせるソラの声も、フィリップには伝わっていた。
 ジェロームはなにも伝えていないし、ソラは気づいていたような素振りを言動に見せなかったし、動揺のようなものを声色に乗せてすらいなかった。
 それにも関わらず、変装を見破られていた。
 フィリップは、マジか……、と思いながら、ソラに手を振り返した。
 一人の時間を愛しながらも、先日、自分たちに敬意を払っていた彼女は、友好的な笑顔を浮かべながら、店を出て行った。
 勘が良いのか、観察力に秀でているのか、この護衛任務は、思った以上に難しくなりそうだ、そう思いながら、フィリップは、ビールを飲み干し、近くを通りかかったウェイトレスに、おかわりを注文した。





 お店を出る時、ティムさんに漬物とポテトチップスを渡すと、「また来いよ」と、ダンディな笑顔で見送られた。
 ついでに、ドワーフの格好をしたマークくんと、顎髭を引っ付けたフィリップさんたちにも笑顔で見送られたけれど、なんだか二人の笑顔はとっても強張っていたので、声をかけるのはやめておいた。
 誰にでも、会話をしたい時としたくない時があるものだ。
 ジェロームくんは、ぼくを見上げた。『そろそろ行こうか』
「もう一泊しようかなって思ってたんだけど」
『良いだろ。君に彼女の話をしたら、早く行きたくなった』
「どうしよっかな……」
『行こうぜ。ほれほれ』ジェロームくんは、ほれほれと言いながら、そのふわふわのしっぽの先で、ぼくの鼻をくすぐった。『ほれほれ』
「くちゅんっ、わかったよ……、まあ、居座る理由もないしね」ぼくは右手に箒を生み出した。「乗って」
 ジェロームくんは、箒の柄の先に、軽やかに飛び乗った。
 ぼくは、地面を蹴って、空に舞い上がった。
 辺りはもう真っ暗で、遠くに見える中央広場が、オレンジ色に光っているのが見えた。お祭りか何かだろうか……。フィリップさんとマークくんは、これからアレに参加するのかもしれない。あそこに行けば、ユアンさんやノエルさんやビルギッタちゃんにも会えるかも……。「……やっぱりもう一泊しない?」
『しない。行くぞ』
 ぼくは小さく笑って星空を見上げ、星の位置で方角を確認すると、音速をはるかに超える速度で、箒を飛ばした。
 眼下に広がる街が、次から次へと、後ろに流れていく。
 街は、あっという間にはるか後方へと、置き去りになった。
 薄暗かった星空が、徐々に明るくなっていく。
 それにつれて、眼下に見える明かりが少なくなっていく。
 ぼくは、森の上を飛んでいた。
 渓谷の上を通り過ぎて行き、山脈の間を通り過ぎていく。
 しばらくすると、眼下には海が見え始め、さらに少し経つと、周囲に、陸地は見えなくなった。
「……眠くなったらどうしよう」
 ジェロームくんは、ぼくを振り返った。『そうなったら海へ真っ逆さまだな。この時期の海は寒いぜ』
「ニホニアへは、どうやってきたの?」
『俺はこんなだからな。ただ生きていくだけでも、誰かの助けが必要なのさ』
「女の子に頼ったわけね。ヒモかよ」
 ジェロームくんは笑った。『空を見てみろよ』
 言われるまでもなく、気づいていた。
 空には、今まで見た、どんな星空よりも綺麗な景色が広がっていた。
 満月は途方もなく明るく、天の川は、その中の一番奥で光っている星まで吸い上げられてしまいそうなほどに、淡く透き通っている。
 気がつけば、ぼくは、お気に入りの歌を口ずさんでいた。
 イギリスの歌手で、軽快ながらも少しだけ寂しげなリズムの曲ばかりを歌わされている歌手だ。
 ジェロームくんは、静かにしたまま、ぼくの歌に合わせて、左右に肩を揺らし、尻尾で指揮をしていた。
 はるか彼方まで、水平線が広がっている。
 雲一つない空には、満点の星空。
 今飛んでいる場所までは、波の音も届かない。
 辺りに響くのは、ぼくの歌声だけ。
 ぼくは、自由だった。
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