【魔法使いの世界を旅する一年 2010/12〜】

Zezilia Hastler

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ニホニア編 Side空

4日目 ウェスタンサルーンで過ごすひととき

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「にゃあ」大勢の魔女たちに抱かれてご満悦の様子のジェロームくんは、おっぱいに頬ずりをしながら、ぼくを見て、ニヤッとしながら、与えられたステーキの切れ端をもぐもぐした。

「そういうことね……」ぼくは呟いた。なんだかちょっぴり、いや、ものすっごくジェロームくんが羨ましかった。ぼくもネコだったらな……。

「お連れさまは大人気みたいだな」

 聞き覚えのあるその声に椅子を回し、カウンターの向こうを見れば、ティムさんがいた。ちょうど、ぼくの前に1リットルのビールグラスを置いたところだった。

「ありがと」ぼくはビールを啜って、ジェロームくんを指差した。「一緒に旅することになったの」

 ティムさんは口笛を吹いた。「魔獣のお供か。頼もしいじゃんか。可愛いし」

「そ、可愛い。おかげでぼくの可愛さが半減」

「可愛さ二倍の間違いだろ」

「あら」ぼくは小さく笑った。「お客さんを喜ばせるのが上手ですね」

「ごまを擦り続けてこの道30年」ティムさんはウィンクをした。

 ぼくは笑った。「確かな実績ですね」

 ティムさんは笑った。「なににする?」

「ステーキをお願いします。この間と同じものを。今日はちゃんと払いますよ。ビールの分もね」

 ティムさんは笑った。「旅って、どこに行くんだ?」

「ラシアです」

「ムキムキのスライムは雇えたか?」

 ぼくは首を横に振った。「結局箒で行くことにしました。ラシアでもスライムは借りれるでしょう?」

「ラシア語しか話しやがらないがな。プリヴィエット」

「疲れたり、景色に飽きたらスライムを雇おうかと」

「良い選択だな。あそこは同じ景色ばかりで飽きる。瞑想にはちょうど良いがな。ステーキ待ってろ。焼き加減は?」

「一番美味いので」
「了解。待ってな」
「ありがとうございます」

 ティムさんは厨房に入った。

 ぼくはビールを啜った。

 きゃーっ、という声にそちらを振り返ると、ジェロームくんの鳴き声に、魔女たちが胸を締め付けられているところだた。

 店内は、なんだか様相が変だった。
 あっちのテーブルには吸血鬼やエルフやニンフのコスプレをしたセクシーな魔女たちがいたし、そっちのテーブルにはいかにも魔法使いといった格好をした魔法使いたちがいたし、ちょっと離れたテーブルには、ドワーフの格好をしたマークくんと付け髭をしたフィリップさんがいた。 
 二人は、なんだか会話を楽しんでいる様子だったので、話しかけるのは控えておいた。
 目があったら手を振るくらいにしておこうと思ったけれど、二人は会話に夢中なようで、こちらに気づく様子は一向になかった。

 ぼくは、リュックサックから先程買った、白紙のハードカバーのような、12冊の立派な日記帳と、万年筆と、インクを取り出した。
 なんて事のない文房具のように見える。
 日記帳のページをぱらぱらとめくっても見るが、なにもない気がする。

 それでも、なんだか胸騒ぎがした。

 ぼくの保有する生命の魔力と、ぼくが扱える生命の魔法は、人の生命力に影響するものであり、生命力や、ありとあらゆる生命に宿る魔素や魔力なども感知することが出来た。

 ジェロームくんのように快活な人柄の持ち主は、その体にポジティブな生命力を漲らせていて、その全身から溢れ出る爽やかな生気に触れていると、心が軽くなり、心地良い暖かみも感じられる。

 一方で、先ほどの本屋さんの男性もまた、生命力を漲らせていたし、全身から溢れ出ている正気には暖かみも感じられたが……。

 先ほど向けられた、あの居心地の悪さを感じさせた視線が頭に浮かんだ。

 生命の魔法は、人の生命力や全身から醸し出す雰囲気などを触れるように感知することが出来るが、心の中まで見られるわけじゃない。

 心の中を見るためには、精神の魔法や万能の魔法を扱える必要があるが、ぼくには扱えない。

 ただ……。

 ぼくは、指先に魔力を込めた。
 指先に生み出したのは、眼鏡だった。
 ぼくは、眼鏡をかけた。

 全ての生き物に宿る魔素もまた、ぼくの生命の魔法が敏感に感知することの出来る【生命力】の一つだった。
 メガネのレンズには、魔素を高度に感知し、可視化する機能をつけておいた。

 レンズ越しに文房具を見たぼくは、眉をひそめた。

 文房具には、霧状の魔素がまとわりつき、染み付いていた。
 霧状の魔素、色はグレー。
 この色は、精神の魔素のものだった。
 ちなみに、生命の魔素の色は黄金色、万能の魔素は琥珀色だ。
 見た感じだと、ぼくが購入した文房具には精神の魔法がかけられていた。
 マンドラゴラの本には、なんの魔法もかかっていなかった。

 ぼくは考えた。

 呪いというものがあるが、あれは精神の魔法が生み出すものだった。
 呪いの文房具だから、あの本屋の男性は、格安で譲ってくれたのだろうか。
 呪いの文房具を手放せる上に、お金も入る。
 あちらとしては、悪くない話だ。

 なんだか、頭がくらくらしてきた。
 気持ちが悪い……。
 視界が、ぼんやりとしてきた……。

 その時。

 サラサラの毛並みが、ぼくの頬と鼻先をくすぐった。
 ジェロームくんが軽やかにカウンターに飛び乗ったのだ。

 途端に、先程の、深い酩酊状態のような気分の悪さが、嘘のように消え去った。

 彼は、その小さく丸い黒の手の先で、日記帳と万年筆とインクに触れた。
 彼の小さな前足が触れた先から、灰色の魔素が消え去り、文房具は淡い琥珀色に輝いた。

 ジェロームくんは、ぼくを見上げた。『あいつの魔力は祓っておいた。これで大丈夫だ』

「大丈夫って?」

『これで一人旅が出来る』ジェロームくんは、カウンターから飛び降りて、魔女たちの元へ戻った。

 ぼくは、ジェロームくんの言葉の意味を考えた。

 その時気がついた。
 魔法使いは、物質に宿らせた自分の魔力を感知することが出来る。

『観光客か……?』と、あの男性はぼくに尋ねてきた。

 ぼくをストーキングして、押し倒そうとしたのかもしれない……。
 最悪……。

 ティムさんが、ステーキを持って現れた。

 ぼくは文房具をしまい、眼鏡を外した。
 メガネは生命の魔素を表す黄金色の霧となり、ぼくの皮膚に吸い込まれた。

「お待ちどう」

 ぼくは、両手で顔を覆い、両掌で、鼻を前に引っ張った。
 鼻先はまだ、琥珀色に輝いていた。
 ジェロームくんの魔力だ。
 ぼくはため息を吐いた。「……わけわかんない」

 ティムさんは、キョトンとした。「ステーキだよ。頼んだろ。返品なんて言わないでくれよ。俺の夕食にしたって良いけど……、ちょっとな」

「違いますよ。ありがとう。いただきます。さっき本屋に行ったんです。そこの男性がぼくを気に入ったみたいで、文房具に魔力を注ぎ込んで、ストーキングしようとしていたみたいなんです」

 ティムさんは、眉をひそめた。「で、その魔力はどうしたんだ?」

「ジェロームくんが祓ってくれました」
「ジェローム?」
「あの猫です」

 ティムさんは、魔女の歓声に包まれるジェロームくんの方を、ぼくの肩越しに見て、ぼくの肩に、優しく手を置いた。「どんな奴だった?」

「親切でしたよ。ただ、目がちょっと、なんだか常に観察されてるみたいで居心地悪かった」

 ティムさんは頷いた。「一人旅だろ? 気をつけないとダメだ。他人からプレゼントされたとしても、受け取る時は相手を選べ。選べる余裕を常に作っておけ」ティムさんは、ぼくの肩から手を離し、親指を立てて、自分の胸を、指した。「胃袋と心の中にな。親切に飢えないで済むようにしろ。そうすれば、その親切が純粋なものか、作り物かがわかる。冷静に見られるようになる。そのためには、常に自分を大切にして、その上で人に親切にするんだ。そうすれば相手もそれに応えてくれる。応えてくれずに更なる親切を求めるような奴が相手ならすぐに離れろ。そいつは搾取するだけの奴だ。君はそんな奴になっちゃダメだ。短い仲だが、きみは良いところを持ってる。そこを大切にして、そこを伸ばすんだ。そこに漬け込もうとして来る奴は君の持ってる素敵な人間性を鼻で笑い、否定してくるだろうが、君を利用しようとしているだけだ。連中の言葉は無視して、テキトーにあしらえ。君は善い奴でいるんだ。だが、馬鹿にはならないようにな。健全な幸せを得られるコツさ」

「ちょっとわからないんですけど……」

「若いからな。そのうちわかる。あと、あれだ。男には近づくな。どんな奴にもだ。イケメンでも面白い奴でも優しそうな奴でもだ。声かけられても、すぐに離れろ。メモしろ」

 ぼくは、万年筆を取って、どの日記帳にしようか選んだ。なんだか嫌な感じのことなので、オレンジ色の日記帳には書きたくなかった。新緑の日記帳を選び、その最後のページに書いた。万年筆を置いて、日記帳を置いて、頭を抱えた。「……せっかくのステーキなのに」

 ティムさんは、申し訳なさそうに、眉を垂れた。
「嫌な気分にさせちまって悪いな。代わりに、良い気分になるまで酒はサービスするよ」

「飲み放題?」

 ティムさんは、笑顔でステーキを指差した。「ステーキはタダにしてやんないぞ」

「悪いよ。ちゃんとお酒のも払います」

「ビールの原価知ってるか? そのステーキの切れっ端程度さ」ティムさんはぼくの肩を叩いて、「はいよっ!」と、言って、ウェイトレスの伝票を受け取り、厨房に戻った。

「いただきます」ぼくは、ビールを啜り、付け合わせのたくあんを摘んだ。この間のお礼に、あっちの世界のたくあんやきゅうりや茄子の漬物や、白菜のお新香なんかを持ってきた。
 他にも、簡単に漬物を作れるヤツとかも。
 でも、前回に引き続き今回も酒をタダにしてもらってしまった。
 何か付け加えようか。
 先日のジェンナーロさんを見た感じだと、あっちの食品は、こちらでは結構重宝されるもののようだ。
 ウェスタン・サルーン全部がそうなのかはわからないけれど、ここはどうやら、気軽に飲んで食べれるカジュアルな場所のようだった。
 でも、ポテトチップスやトルティーヤチップスや、フィッシュ&チップスなら、ここにもあるだろうし……。
 どんなお返しなら、喜んでくれるかな。

 そんなことを思いながら、味噌汁を啜り、ご飯を食べた。
 肉を食べるには、もう少しお腹と心が落ち着いてからが良い。
 でも、冷めてしまったら美味しくない。

『美味しそうだな』ジェロームくんが、カウンターに乗って、ぼくのステーキを見ていた。

「お肉食べれる?」
『三切れくれ』
「それだけで良いの?」
『じゃあ6』

 ぼくは、笑いながら、ステーキを切り分けて、小皿に乗せた。

 ジェロームくんは、ステーキを加えて、もぐもぐした。『うめー』

 ぼくは笑った。「おいし?」

『うん。でも、もうお腹一杯だ。魔女たちと来たら、どいつもこいつも俺を箒に乗せたがったぜ。俺はソラについてくって決めてんのにな』

「さっきの魔法、なにしたの?」

『日記帳とかペンに嫌な感じがついてたから、祓ったんだ。あの店、立地が良くなくてな。悪い地縛霊が住んでるから、よく買った物に憑いてくるのさ。そういう悪いものを祓う力は、大聖堂の女の子から教えてもらったんだ』ジェロームくんはステーキをかじった。『あの子の笑顔が恋しいぜ。ソラも撫でるのが上手いが、彼女には敵わない』

「一途なんだね」
『彼氏はいるのか?』
「いないよー、興味ないし」
『恋はしてみるもんだぜ』

 ぼくは声を上げて笑った。「そうだねー、ま、良い人がいたらね」

『ま、そうだな』

「このお店の人に、お酒タダにしてもらっちゃったんだけど、君は飲むの?」

 ジェロームくんは鼻を鳴らした。『冗談だろ。俺が飲むのはミルクだけだぜ』

「一杯飲む?」

『お、悪いね』

 ぼくは手を上げてウェイトレスさんを呼び、ジェロームくんにミルクを一杯頼んだ。

 ミルクはすぐに運ばれてきた。

 ぼくの隣の席に腰掛けるジェロームくんは、その小さな赤い舌でミルクをすくい、前足で口の前を毛繕いした。『うめーにゃ……』と、唐突な可愛さアピールをしてから、彼はぼくを見た。『タダにしてもらったって、なんでだ?』

「なんかちょっと重い話して、美味しくステーキを食べれなくなったから、優しくしてくれたの」

『良い人だな』

「前回来た時は、初めてだからってタダにしてもらっちゃったし、なんかお礼上げたいんだけど、なにが良いかな」

『なにをあげるつもりだったんだ?』

「ピクルスが好きな人だから、それの詰め合わせみたいな感じのものをあげるつもりだったの。でも、それは前回のお礼だから、何か付け加えたいなって。面白い味のポテトチップスもいくつかあるんだけど」

『面白い味?』
「ブイヤベース味とか、パエリヤ味とか」
『ポテトチップスで? 面白いな。それで良いじゃんか』

 そう言われれば、それで良い気がしてきた。
 ぼくは、ステーキを切り分け、箸を使って、食べ始めた。
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