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ニホニア編 Side空
4日目 はじめてのビール
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空がジェロームと共にウェスタン・サルーンを後にした、その3分後、ある男性がサルーンにやってきた。
男性は、店主のティモシーに、アジア系の、小柄な魔女を見なかったか、と尋ねた。
ティモシーは、男性と目を合わせた途端、あからさまに不機嫌な態度を示し、見ていない、と、答えた。
男性は、舌打ちをして店を後にすると、箒に乗って中央広場まで向かった。
今日はお祭りが開かれていた。
祝祭日だった。
男性は、賑やかな様子には脇目も振らず、中央広場から伸びる大通りを曲がり、細い通りに入り、そして、その通りにある本屋へと入った。
眉間にシワを寄せた男性は、カウンターの奥に入り、コーヒーを啜った。
この店の店主だった。
フィリップは、店のドアをノックした。
店主の男性は、跳ねるように顔を上げ、ドアの向こうに立つフィリップを見た。
フィリップは、人懐っこい笑顔を浮かべながら、ドアを開け、店に入った。「こんばんは。まだやってるかな」
「ついてるね。もうすぐ閉めるところだ」
「良かった」フィリップは、店主に背を向けて、ドアを閉めた。「聞きたいんだけど、この店は呪いの道具を売っているのか?」
店主は、肩をピクリ、とさせ、フィリップに笑顔を向けた。「なんだって?」
「聞こえたろ」フィリップは、笑顔を消して、店主を見据えた。
店主の目が、徐々に形を変える。
それに応じて、彼の顔は赤く染まっていく。「なんだ」
「あの子をどうするつもりだったんだ?」フィリップは、店主を見据えたまま言った。
「別に。ビジネスだ。お前には関係ない」
「それならここには来ていない」
「帰れっ」店主はカウンターを蹴り上げた。カウンターの上で、コーヒーカップが倒れ、コーヒーがこぼれた。「後ろを向いて、出ていけ。二度と顔を見せるな」
フィリップは、ゆったりと、首を横に振った。「答えろよ。あの子に、なにをするつもりだった」
「なにが聞きたいんだ。ただ文房具を売ってやっただけだ。たくさん買ってくれたからサービスをしてやった。それだけだ」
フィリップは、あの子、としか言っていないのに、店主には、それが誰のことなのか、わかっている様子だった。
罪悪感を持ちながらやっているのか……、と、フィリップは思った。罪悪感がストッパーにならない人種は、フィリップが嫌うものの一つだった。「なるほど、サービスであんな呪いまでつけてやったってのか。ちょっと気になって、この店のことを調べたぞ。例えばーー」フィリップは、当事者でなければ知り得ない情報を口にした。それらが、これ以上なく下劣な行いであるという言葉や、そんな行いをしている店主の人格を蔑むような言葉をあえて選ぶ一方、その声色はどこまでも平坦で、無感情だった。まるで、店主の人間性が腐りきっていることがただの事実であるというような話し方を、フィリップは選んだ。
自己弁護ばかりをする自己愛の強い性格の犯罪者は、自分にとって都合の良い要素だけを掬い上げ、それを基にした妄想で、事実を自分にとって都合よく曲解する。
曲解する余地を与えない為には、感情を用いずに、淡々と話すのが一番なのだ。
大声で威圧するのは、あまり効果がない。
威圧された相手は、その時は反省するそぶりを見せるが、すぐに逆恨みをして、そして、その恨みを別の相手にぶつける。
それが、店主のような人間性の持ち主だった。
フィリップの話を聞いた店主の顔が、怒りの為に血の気を増す。
店主の全身が、怒りに震える。
「ーーってゆーわけみたいだな。まさかそんなことをする奴が、この世の中にいるなんて思ってもみなかったが、その顔を見る限り、どうやら本当みたいだ。確認は取れた。その上で、聞かせて欲しいんだ。もう一度聞くぞ」フィリップは、落ち着いた声色で、言った。「あの子になにをするつもりだった」
店主は手の平に拳銃を生み出してフィリップに向けた。
それと同時に店のドアが勢いよく開いた。
木の葉も揺らさないような静けさと、大木をへし折る突風のような激しさを持ってして店内に飛び込んできたのは、小柄な12歳の少年、マークだった。
マークは、今まさにフィリップに向けて引き金を引こうとしていた店主の懐に、その指先が引き金を引くよりも素早く、一瞬で飛び込むと、店主のその逞しい腕を蹴り上げた。
銃弾が店の照明を砕き、店内は薄暗闇に包まれた。
マークは、店主のこめかみを、突き抜けるような速さの拳で、一息に殴り飛ばした。
店主の体は、硬い石の床の上に倒れ込んだ。
マークは、店主の鳩尾に、右足に履いた硬いブーツの底を叩きつけた。
フィリップは、マークの後頭部と、床に倒れ込む男性の顔を見下ろした。
男性は、その震える目で、フィリップと、自分の鳩尾を踏みつける少年の顔を、交互に見ていた。
「もう一度聞くぞ?」フィリップは、再び唇を開いた。「あの子になにをするつもりだった?」
「やめてくれ……、俺には娘が」「いるわけねーだろ。てめーみてーな奴に」フィリップは、店主の言葉を遮った。「調べたって言っただろ?」
「フィル」少年は言った。「こいつ、嘘言ってない。トッレにいるみたいだ」
「え……」フィリップは、言葉を失い、息を呑んだ。
店主は息を呑んだ。「なんで……」
フィリップは、店主を見下ろした。「……そいつに嘘は通じない。お前と同じさ。精神の魔法だ。人の心が見えるし、聞こえる」フィリップは、静かにため息を吐いた。「子供がいるのに、なんでそんなことが出来るんだ?」
「この世の中は、弱肉強食だ」マークは、自己愛が強いが故に口を開こうとしない店主の心の内を読み上げた。「弱い奴が死ぬのは仕方のないことだ。強い者の糧になる」
「その理屈だと、お前がここで死ぬのも、お前の娘が露頭に迷うのも仕方ないってことになるんだけど、それについてお前どう思う」フィリップは、店主に言った。
「それは嫌だ、怖い、死にたくない」マークは言った。「逃げ切らないと、娘の為にも」
店主は呻き声を漏らした。
マークが、右足を振り上げ、男性の鳩尾を踏み潰したのだ。
「マーチャント」フィリップは言った。「世の中には、こういう連中もいるんだ。娘の為と言って、なんの罪もない他人の子を利用して金を作る。子供を愛する親の胸を引き裂くような思いをさせて、もう二、三個嘘を吐くだけで更に金を毟り取れれば儲けもんだ、なんて考えてる。こういう奴らは、自分以外を人だとは思ってない。愛を知らず、愛を拒んできた者達の末路だ。こいつらは、人を利用する為に嘘を吐く。人を騙し、利用することしか考えていない。だからいつも怯えてるんだ。いつか報復されるんじゃないか、自分よりも強く、賢い者に、食われるんじゃないかってな。こういう奴らがいるから人を見る目が大事なんだ」
「ぼくには必要ないよ。魔法があるから」
フィリップは、マークを見た。
精神の魔法を扱う魔法使いは、精神的に不安定だ。
風に触れるように、景色を見るように、周囲のあらゆる感情や思考に触れ、見えてしまうからだ。
彼らには、人を思いやる言葉やその場を和ませるための建前が、虚しい虚構としてしか映らない。
それ故に、精神の魔法を扱う魔法使いたちは、感受性が豊かな、若者のうちに自殺してしまうことが多いのだ。
マークは、今、彼自身が踏みつけている店主と同じ力を持っている。
「ぼくは、こいつとは違う」マークは言った。
マークに思考を読まれてしまったことに気がついたフィリップは、意識して、思考と心を無にした。
「ぼくは、こんな奴にはならない」マークは、静かに息を吐いた。その息遣いは、抑え込んでいる興奮故に、震えていた。「どうする? 本屋の仕事なら、片手を失っても娘の為に働くことは出来るだろ」マークは、腰に刺している短剣を抜いた。
店主は息を呑んだ。
「良く聞け」フィリップは、マークが感情を爆発させてしまうのを抑制するために、マークの怒りと憎悪の対象である、店主に対して言葉を発した。フィリップは、右手でジャケットの内ポケットを探りながら、店主を見た。「この店のこと、お前のやったこと、すでにニホニアの警察と国際警察に伝えておいた」フィリップが取り出したのは、金属製の、無地のシガレットケースだった。フィリップはそこから一本抜き、人差し指の先から伸ばした火でタバコの先を炙った。彼は、静かに煙を吐いた。「次やれば、一生を刑務所で過ごすことになる」フィリップは、マークの肩に優しく触れた。
マークは、もう一度店主の鳩尾を踏みつけると、身を翻し、店を出た。
フィリップは、何の感情も浮かんでいない目を店主に向けると、指を振るった。
それだけの所作に、店主は、肩を震わせ、息を呑んだ。
フィリップの指先から放出された魔力が、砕けて床に散らばった電球の破片に注がれた。
電球の破片は、宙に浮き、天井に上がっていき、砕ける前の元の形に戻っていった。
店内に、明かりが戻った。
フィリップを見上げる店主の目は、震えていた。
顔からは血の気が引いていた。
フィリップは、店主に背を向け、店を出た。
店の外では、マークが空を見上げていた。
彼の視線を先を追えば、雲一つない星空が広がっていた。
今日は、綺麗な満月だった。
フィリップは、マークの頭を撫でた。
マークのサラサラの髪が、くしゃくしゃになった。
「行くぞ。シャワー浴びて、さっさと寝ちまおう」
「殺さなくて良かったの?」マークは、不満げな声色で言った。
「俺たちはセウェードゥン政府の人間で、ニホニア政府からの依頼は受けていない。あれ以上は越権行為だ」
マークは舌打ちをした。
「それに今は他の仕事で忙しいだろ」フィリップは、月を見上げながら、タバコの煙を吐いた。「どんな奴にもやり直すチャンスはくれてやるべきだ」
「同じことをしたらどうするんだ?」
「出来ないさ。これからあいつは監視下に置かれる。それに奴の心はお前が折った」
マークは、鼻を鳴らした。
フィリップは小さく笑った。「もう、奴にはなにも出来やしない。自らを顧みて、悔い改めない限り、惨めに生きて、惨めに死んでいくだけだ」
マークは、小さく頷いた。
彼の幼さの残る顔に張り付いていた険しさが和らいだ。
未だに不満げながらも、少しばかり誇らしげで、満足している様子だった。
「……フィリップも何かやったことあるの?」
「俺か?」フィリップの頭に、新しい闇落ちのドラゴンと疑われているヴェルのことが浮かんだ。「俺は……、若い頃に、友達と喧嘩したんだ。やりすぎて、逮捕された」
マークは口笛を吹いた。「相手は馬鹿だったんだろ」
フィリップはニヤリとした。「なんでわかる?」
「フィリップを怒らせたんだから」
フィリップは笑った。
通りの向かいからやってきたカップルが、ビクッ、と震えて、フィリップたちを見た。
フィリップは、笑い声を引っ込めると、はー……、と、深く息を吐いた。
中央広場の方を見れば、こんな時間だというのに、オレンジ色の明かりで輝いており、人々の、騒々しいながらも心を躍らせる笑い声が聞こえてきた。
ほんのりと、肉の焼ける良い香りも漂ってくる。
俺も、少しはマシになれたかな……、と、フィリップは、ぼんやりと思った。
「昔のフィリップは知らないけど、今のフィリップは好きだよ」
「おいっ」フィリップは笑った。「プライバシーどうなってんだよ」
マークは俯いた。「ごめん……」
「たく……」フィリップは、マークの頭を、撫でるように小突いた。そして、楽しそうで、幸せな雰囲気に満ちた中央広場を見た。音楽が聞こえてきた。ストリートミュージシャンが、ここぞとばかりに稼いでいるのだろう。中央広場に背を向け、こちらにやってくる人たちは、みんな、満ち足りた、幸せそうな笑顔を浮かべている。みんな、今日は幸せな気持ちで眠りにつき、楽しい夢を見るのだろう。「あっち見てくか。楽しそうだ」
「良いの?」
「ユアンたちも、まだあっちの世界にいるだろ。行こうぜ」
マークは頷いた。「うん。腹減った」
「ビールも飲むか?」
「良いのっ?」マークは目を輝かせた。
フィリップは、唇の前で、人差し指を立てた。「ノエルには内緒だぞ?」
「やったっ」
二人は並んで、賑やかな中央広場に入った。
肉の焼ける香ばしい香り、ソースの香りやハーブの香り。
あちらには串に刺さった肉、こちらにはピラフ、そちらにはヌードル、ハンバーガー、ホットドッグ、ブリトー、タコスやシュワルマ、ナチョスやポテトチップスやポップコーン、チュロスやプレッツェルやドーナッツ、計り売りのお菓子、木の手籠や帽子やリネンの衣類やバッグなどといった手作りの民芸品……。
あちらこちらでは、ニホニアにゃんの仮装をした人たちが、魔法使いの格好をしていたり、吸血鬼の格好をしていたり、箒に乗って空を飛んでいたり、ブレイクダンスをしたりしていた。
木製のテーブルに腰掛けて食事をする人々。
マークは、ステーキを食べながらビールを飲んだりワインを飲んだり会話をしたり笑ったりといったことをしている、明るく軽やかな雰囲気のテーブルを見つけると、そこに腰を落ち着けた。
今日から三日間、何かを祝うお祭りが開かれるようだった。
「なににする?」フィリップは聞いた。
「ハンバーガーっ」マークは、キラキラと目を輝かせて言った。
「俺もそれにしよっと。買ってくるから、待ってろよ」フィリップは、ハンバーガーとビール、そして、他にも色々買って、それらとともに、マークの下に戻った。
マークは、ビールの入ったグラスを見た。「これなに?」
「一番美味いビールだ。俺が初めて飲んだビールでもある。飲んでみろ」
「かんぱーいっ! おろろろろ」マークはビールを吐き出した。「にが……、まずっ」
フィリップは、笑いながら、マークにリネンのナプキンを渡した。
男性は、店主のティモシーに、アジア系の、小柄な魔女を見なかったか、と尋ねた。
ティモシーは、男性と目を合わせた途端、あからさまに不機嫌な態度を示し、見ていない、と、答えた。
男性は、舌打ちをして店を後にすると、箒に乗って中央広場まで向かった。
今日はお祭りが開かれていた。
祝祭日だった。
男性は、賑やかな様子には脇目も振らず、中央広場から伸びる大通りを曲がり、細い通りに入り、そして、その通りにある本屋へと入った。
眉間にシワを寄せた男性は、カウンターの奥に入り、コーヒーを啜った。
この店の店主だった。
フィリップは、店のドアをノックした。
店主の男性は、跳ねるように顔を上げ、ドアの向こうに立つフィリップを見た。
フィリップは、人懐っこい笑顔を浮かべながら、ドアを開け、店に入った。「こんばんは。まだやってるかな」
「ついてるね。もうすぐ閉めるところだ」
「良かった」フィリップは、店主に背を向けて、ドアを閉めた。「聞きたいんだけど、この店は呪いの道具を売っているのか?」
店主は、肩をピクリ、とさせ、フィリップに笑顔を向けた。「なんだって?」
「聞こえたろ」フィリップは、笑顔を消して、店主を見据えた。
店主の目が、徐々に形を変える。
それに応じて、彼の顔は赤く染まっていく。「なんだ」
「あの子をどうするつもりだったんだ?」フィリップは、店主を見据えたまま言った。
「別に。ビジネスだ。お前には関係ない」
「それならここには来ていない」
「帰れっ」店主はカウンターを蹴り上げた。カウンターの上で、コーヒーカップが倒れ、コーヒーがこぼれた。「後ろを向いて、出ていけ。二度と顔を見せるな」
フィリップは、ゆったりと、首を横に振った。「答えろよ。あの子に、なにをするつもりだった」
「なにが聞きたいんだ。ただ文房具を売ってやっただけだ。たくさん買ってくれたからサービスをしてやった。それだけだ」
フィリップは、あの子、としか言っていないのに、店主には、それが誰のことなのか、わかっている様子だった。
罪悪感を持ちながらやっているのか……、と、フィリップは思った。罪悪感がストッパーにならない人種は、フィリップが嫌うものの一つだった。「なるほど、サービスであんな呪いまでつけてやったってのか。ちょっと気になって、この店のことを調べたぞ。例えばーー」フィリップは、当事者でなければ知り得ない情報を口にした。それらが、これ以上なく下劣な行いであるという言葉や、そんな行いをしている店主の人格を蔑むような言葉をあえて選ぶ一方、その声色はどこまでも平坦で、無感情だった。まるで、店主の人間性が腐りきっていることがただの事実であるというような話し方を、フィリップは選んだ。
自己弁護ばかりをする自己愛の強い性格の犯罪者は、自分にとって都合の良い要素だけを掬い上げ、それを基にした妄想で、事実を自分にとって都合よく曲解する。
曲解する余地を与えない為には、感情を用いずに、淡々と話すのが一番なのだ。
大声で威圧するのは、あまり効果がない。
威圧された相手は、その時は反省するそぶりを見せるが、すぐに逆恨みをして、そして、その恨みを別の相手にぶつける。
それが、店主のような人間性の持ち主だった。
フィリップの話を聞いた店主の顔が、怒りの為に血の気を増す。
店主の全身が、怒りに震える。
「ーーってゆーわけみたいだな。まさかそんなことをする奴が、この世の中にいるなんて思ってもみなかったが、その顔を見る限り、どうやら本当みたいだ。確認は取れた。その上で、聞かせて欲しいんだ。もう一度聞くぞ」フィリップは、落ち着いた声色で、言った。「あの子になにをするつもりだった」
店主は手の平に拳銃を生み出してフィリップに向けた。
それと同時に店のドアが勢いよく開いた。
木の葉も揺らさないような静けさと、大木をへし折る突風のような激しさを持ってして店内に飛び込んできたのは、小柄な12歳の少年、マークだった。
マークは、今まさにフィリップに向けて引き金を引こうとしていた店主の懐に、その指先が引き金を引くよりも素早く、一瞬で飛び込むと、店主のその逞しい腕を蹴り上げた。
銃弾が店の照明を砕き、店内は薄暗闇に包まれた。
マークは、店主のこめかみを、突き抜けるような速さの拳で、一息に殴り飛ばした。
店主の体は、硬い石の床の上に倒れ込んだ。
マークは、店主の鳩尾に、右足に履いた硬いブーツの底を叩きつけた。
フィリップは、マークの後頭部と、床に倒れ込む男性の顔を見下ろした。
男性は、その震える目で、フィリップと、自分の鳩尾を踏みつける少年の顔を、交互に見ていた。
「もう一度聞くぞ?」フィリップは、再び唇を開いた。「あの子になにをするつもりだった?」
「やめてくれ……、俺には娘が」「いるわけねーだろ。てめーみてーな奴に」フィリップは、店主の言葉を遮った。「調べたって言っただろ?」
「フィル」少年は言った。「こいつ、嘘言ってない。トッレにいるみたいだ」
「え……」フィリップは、言葉を失い、息を呑んだ。
店主は息を呑んだ。「なんで……」
フィリップは、店主を見下ろした。「……そいつに嘘は通じない。お前と同じさ。精神の魔法だ。人の心が見えるし、聞こえる」フィリップは、静かにため息を吐いた。「子供がいるのに、なんでそんなことが出来るんだ?」
「この世の中は、弱肉強食だ」マークは、自己愛が強いが故に口を開こうとしない店主の心の内を読み上げた。「弱い奴が死ぬのは仕方のないことだ。強い者の糧になる」
「その理屈だと、お前がここで死ぬのも、お前の娘が露頭に迷うのも仕方ないってことになるんだけど、それについてお前どう思う」フィリップは、店主に言った。
「それは嫌だ、怖い、死にたくない」マークは言った。「逃げ切らないと、娘の為にも」
店主は呻き声を漏らした。
マークが、右足を振り上げ、男性の鳩尾を踏み潰したのだ。
「マーチャント」フィリップは言った。「世の中には、こういう連中もいるんだ。娘の為と言って、なんの罪もない他人の子を利用して金を作る。子供を愛する親の胸を引き裂くような思いをさせて、もう二、三個嘘を吐くだけで更に金を毟り取れれば儲けもんだ、なんて考えてる。こういう奴らは、自分以外を人だとは思ってない。愛を知らず、愛を拒んできた者達の末路だ。こいつらは、人を利用する為に嘘を吐く。人を騙し、利用することしか考えていない。だからいつも怯えてるんだ。いつか報復されるんじゃないか、自分よりも強く、賢い者に、食われるんじゃないかってな。こういう奴らがいるから人を見る目が大事なんだ」
「ぼくには必要ないよ。魔法があるから」
フィリップは、マークを見た。
精神の魔法を扱う魔法使いは、精神的に不安定だ。
風に触れるように、景色を見るように、周囲のあらゆる感情や思考に触れ、見えてしまうからだ。
彼らには、人を思いやる言葉やその場を和ませるための建前が、虚しい虚構としてしか映らない。
それ故に、精神の魔法を扱う魔法使いたちは、感受性が豊かな、若者のうちに自殺してしまうことが多いのだ。
マークは、今、彼自身が踏みつけている店主と同じ力を持っている。
「ぼくは、こいつとは違う」マークは言った。
マークに思考を読まれてしまったことに気がついたフィリップは、意識して、思考と心を無にした。
「ぼくは、こんな奴にはならない」マークは、静かに息を吐いた。その息遣いは、抑え込んでいる興奮故に、震えていた。「どうする? 本屋の仕事なら、片手を失っても娘の為に働くことは出来るだろ」マークは、腰に刺している短剣を抜いた。
店主は息を呑んだ。
「良く聞け」フィリップは、マークが感情を爆発させてしまうのを抑制するために、マークの怒りと憎悪の対象である、店主に対して言葉を発した。フィリップは、右手でジャケットの内ポケットを探りながら、店主を見た。「この店のこと、お前のやったこと、すでにニホニアの警察と国際警察に伝えておいた」フィリップが取り出したのは、金属製の、無地のシガレットケースだった。フィリップはそこから一本抜き、人差し指の先から伸ばした火でタバコの先を炙った。彼は、静かに煙を吐いた。「次やれば、一生を刑務所で過ごすことになる」フィリップは、マークの肩に優しく触れた。
マークは、もう一度店主の鳩尾を踏みつけると、身を翻し、店を出た。
フィリップは、何の感情も浮かんでいない目を店主に向けると、指を振るった。
それだけの所作に、店主は、肩を震わせ、息を呑んだ。
フィリップの指先から放出された魔力が、砕けて床に散らばった電球の破片に注がれた。
電球の破片は、宙に浮き、天井に上がっていき、砕ける前の元の形に戻っていった。
店内に、明かりが戻った。
フィリップを見上げる店主の目は、震えていた。
顔からは血の気が引いていた。
フィリップは、店主に背を向け、店を出た。
店の外では、マークが空を見上げていた。
彼の視線を先を追えば、雲一つない星空が広がっていた。
今日は、綺麗な満月だった。
フィリップは、マークの頭を撫でた。
マークのサラサラの髪が、くしゃくしゃになった。
「行くぞ。シャワー浴びて、さっさと寝ちまおう」
「殺さなくて良かったの?」マークは、不満げな声色で言った。
「俺たちはセウェードゥン政府の人間で、ニホニア政府からの依頼は受けていない。あれ以上は越権行為だ」
マークは舌打ちをした。
「それに今は他の仕事で忙しいだろ」フィリップは、月を見上げながら、タバコの煙を吐いた。「どんな奴にもやり直すチャンスはくれてやるべきだ」
「同じことをしたらどうするんだ?」
「出来ないさ。これからあいつは監視下に置かれる。それに奴の心はお前が折った」
マークは、鼻を鳴らした。
フィリップは小さく笑った。「もう、奴にはなにも出来やしない。自らを顧みて、悔い改めない限り、惨めに生きて、惨めに死んでいくだけだ」
マークは、小さく頷いた。
彼の幼さの残る顔に張り付いていた険しさが和らいだ。
未だに不満げながらも、少しばかり誇らしげで、満足している様子だった。
「……フィリップも何かやったことあるの?」
「俺か?」フィリップの頭に、新しい闇落ちのドラゴンと疑われているヴェルのことが浮かんだ。「俺は……、若い頃に、友達と喧嘩したんだ。やりすぎて、逮捕された」
マークは口笛を吹いた。「相手は馬鹿だったんだろ」
フィリップはニヤリとした。「なんでわかる?」
「フィリップを怒らせたんだから」
フィリップは笑った。
通りの向かいからやってきたカップルが、ビクッ、と震えて、フィリップたちを見た。
フィリップは、笑い声を引っ込めると、はー……、と、深く息を吐いた。
中央広場の方を見れば、こんな時間だというのに、オレンジ色の明かりで輝いており、人々の、騒々しいながらも心を躍らせる笑い声が聞こえてきた。
ほんのりと、肉の焼ける良い香りも漂ってくる。
俺も、少しはマシになれたかな……、と、フィリップは、ぼんやりと思った。
「昔のフィリップは知らないけど、今のフィリップは好きだよ」
「おいっ」フィリップは笑った。「プライバシーどうなってんだよ」
マークは俯いた。「ごめん……」
「たく……」フィリップは、マークの頭を、撫でるように小突いた。そして、楽しそうで、幸せな雰囲気に満ちた中央広場を見た。音楽が聞こえてきた。ストリートミュージシャンが、ここぞとばかりに稼いでいるのだろう。中央広場に背を向け、こちらにやってくる人たちは、みんな、満ち足りた、幸せそうな笑顔を浮かべている。みんな、今日は幸せな気持ちで眠りにつき、楽しい夢を見るのだろう。「あっち見てくか。楽しそうだ」
「良いの?」
「ユアンたちも、まだあっちの世界にいるだろ。行こうぜ」
マークは頷いた。「うん。腹減った」
「ビールも飲むか?」
「良いのっ?」マークは目を輝かせた。
フィリップは、唇の前で、人差し指を立てた。「ノエルには内緒だぞ?」
「やったっ」
二人は並んで、賑やかな中央広場に入った。
肉の焼ける香ばしい香り、ソースの香りやハーブの香り。
あちらには串に刺さった肉、こちらにはピラフ、そちらにはヌードル、ハンバーガー、ホットドッグ、ブリトー、タコスやシュワルマ、ナチョスやポテトチップスやポップコーン、チュロスやプレッツェルやドーナッツ、計り売りのお菓子、木の手籠や帽子やリネンの衣類やバッグなどといった手作りの民芸品……。
あちらこちらでは、ニホニアにゃんの仮装をした人たちが、魔法使いの格好をしていたり、吸血鬼の格好をしていたり、箒に乗って空を飛んでいたり、ブレイクダンスをしたりしていた。
木製のテーブルに腰掛けて食事をする人々。
マークは、ステーキを食べながらビールを飲んだりワインを飲んだり会話をしたり笑ったりといったことをしている、明るく軽やかな雰囲気のテーブルを見つけると、そこに腰を落ち着けた。
今日から三日間、何かを祝うお祭りが開かれるようだった。
「なににする?」フィリップは聞いた。
「ハンバーガーっ」マークは、キラキラと目を輝かせて言った。
「俺もそれにしよっと。買ってくるから、待ってろよ」フィリップは、ハンバーガーとビール、そして、他にも色々買って、それらとともに、マークの下に戻った。
マークは、ビールの入ったグラスを見た。「これなに?」
「一番美味いビールだ。俺が初めて飲んだビールでもある。飲んでみろ」
「かんぱーいっ! おろろろろ」マークはビールを吐き出した。「にが……、まずっ」
フィリップは、笑いながら、マークにリネンのナプキンを渡した。
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連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
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