【魔法使いの世界を旅する一年 2010/12〜】

Zezilia Hastler

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ラシア編 Side 空

5日目 ハバネロフスク

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箒を握る手は、すっかりかじかんでしまい、柄を上手く握ることが出来なかった。
 顔に当たる雪は小さな氷のように硬く、痛かった。
 遠くに、ラシアの雪原が見えた。
 オレンジ色の街明かりが、雪の霧越しに、ぼんやりと光っている。
 眼下の海はすっかり凍りついてしまい、浮かんでいる氷の大地の隙間から見える海は真っ黒で、うっすらと恐怖を感じられた。
「寒くない?」ぼくは、箒の先に座り込んでいるジェロームくんに聞いた。
『大丈夫だ』と、ジェロームくんは言った。心なしか、ニホニアにいた頃よりも、ジェロームくんのもふもふ度が上がっている気がした。『寒いのか?』
「……ちょっとね」体温調節魔法を使っているのだけれど、あんまり効果がないようだった。目の前でオレンジ色に光っているあの街に着いたら、まず、コートを調達しよう。そう思いながら、ぼくは、箒を握る力に、精一杯の力を込め、前屈みになって、飛行速度を上げた。


ーーー


 分厚い雪を踏むと、くぐもった音が返ってきた。
 ぼくは手の平にコートを生み出し、それを着た。

「……ふっ」豪雪に叩かれながら、街の入り口で光っている看板に、キリル文字で書かれている文字を見て、ぼくは鼻を鳴らした。

 ハバネロフスク。
 それがこの街の名前らしい。
 雪の降り積もる街。
 通りの真ん中で光る街灯の灯りはオレンジ色で、通りの両端に並び立つ、背の低い木造建築から漏れる灯りはレモン色。

 今のところ、ハバネロ要素は見受けられないけど……、どこにあるんだろ……。
 そう思いながら、ぼくは、ひとまず、レストランを探すことにした。
 お腹は空いていなかったけれど、ひとまず暖を取りたかった。


ーーー


「はいよー。ハバネロフスク名物の、ハバネロシキだよ」まん丸とした体型の、堀の深い顔立ちの女性が運んできたお皿に乗っているのは、どう見てもピロシキだった。この分だと、一緒に頼んだハバネロシチは、おそらくボルシチそっくりに違いない。

 ぼくは、両手を合わせて、口を開いた。「いただきます」

『ボナペティ』と、ジェロームくんも、椅子の上でお行儀よくお辞儀をした。彼の前に置かれているのはハバネロルク。ほんのり赤いホットミルクだった。ジェロームくんは、その小さな血色の良い舌で、ハバネロルクを掬った。『お、あったかくて辛くてちょうど良いな』気に入ったようだ。

 ぼくは、ハバネロシチをナイフとフォークで半分に切った。

 具は、毒々しいほど赤い、微塵切りの何かだった。
 色が全部一緒だから見ただけではわからないし、匂いもなんだか辛そうで、具になにが使用されているか、判別がつかなかった。

 これはもう、このいかにも胃に悪そうな物体を食べて、自分の下で確認するしかないな……。
 ぼくは、決意を固めた。
 震える手は、抜け切らない寒さゆえか、それともスプーンで掬い上げた未知の物質ゆえか……。
 これで実は甘い、なんていうケースが一番ゾッとする。
 そう思いながら、ぼくは、ハバネロシチを口に含んだ。もぐもぐもぐもぐ……、ごくん……。「……おぉー」ぼくは、静かに声を上げた。「美味しい」サクサクのパイ生地に包まれた具は、牛肉、ニンニク、玉ねぎ、ニンジンだった。調味料は、ハバネロと、なんだろう。コンソメっぽい。とにかく美味しい。「良いね」

『美味しいの? それ。俺にもくれよ』
「玉ねぎ入ってるから体壊すよ?」
『うぇー、玉ねぎっ! うぇーっ!』

 ぼくは笑った。

「美味しいかい?」と、先程料理を運んできてくれた、恰幅の良い女性が、笑顔を浮かべてぼく達を見下ろしていた。彼女の手には、スープ皿が乗っていた。おそらく、ハバネロシチだろう。

「はいっ、とってもっ! 温まりますねっ」

「ありがとう。旦那が喜ぶわ」女性は、ロシア語で言いながら、テーブルの上にスープ皿を置いた。ボルシチそっくりなスープ。ハバネロシチだ。「寒かったでしょう。ゆっくりして行きなさい」

「ありがとう。実は、宿を探してるんです」
「宿なら、すぐそこの通りにあるわよ」
「高いですか?」
「どうだったかしら……、一泊5FUとかだったと思うわ」
「おっ、安い」

 ぼくの向かいに座っているジェロームくんは、尻尾をひゅるりと揺らしながら、ぼくを見た。『俺も泊まれるかな?』

「ペットはオーケーですか?」
『おい、俺はペットじゃないっ』
「そう聞いた方がスムーズでしょ?」

 女性は首を傾げた。「どうだったかしら。確かオッケーよ。ベッドには入れないかもしれないけどね」
『じゃーケージに入れられるのか?』と、ジェロームくん。『なんで金払って箱の中で一泊しねーといけねーんだよ』

 という、ジェロームくんの不満を女性に伝えると、女性は笑った。

「確か、ペット達は、同じ部屋で過ごすことになるはずよ」

 ジェロームくんは、その一見するとなにを考えているのかわからない無表情で、女性を見上げた。

「だってさ、良かったね」ぼくはジェロームくんに言った。「友達出来るかも」

 ジェロームくんは唇を撫でた。舌舐めずりだ。同じ旅猫の可愛い女の子との出会いでも妄想しているのかもしれない。『それなら良いか……。だが、ケージは勘弁だぜ? そうなったら、ソラ、悪いが俺を君のコートの中に隠して寝室まで運んでくれ。くすぐったいだろうが、ほんのちょっとの辛抱だぜ』
 ぼくは頷いた。


ーーー


 ハバネロシチとハバネロシキによって温められた体も、外に出れば一瞬で凍りつきそうだった。
 ぼく達は、雪の上を走って、宿屋に向かった。
 木造で、3階建て。
 雪を落として受付に向かう。

 分厚いガラスの向こうに座っているブロンドの女性は、その緑色の瞳で、無感情にぼくたちを見た。
 その吸い込まれそうな美しいエメラルドのような瞳は憂いを帯びていた。
 長いまつげ、艶とハリのある、瑞々しい、ミルクのような肌、サラサラのブロンドのボブ……。

 ラシア美人だ……。
 と、ぼくは、涎を垂らしながら、受付の彼女に見惚れた。

 胸元のバッジには、【レセプショニスト-B・セラノワ】と書かれている他、国旗が数十個プリントされていた。
 それらの言語を扱えるということだ。

 彼女は、小さく微笑んで、唇を開いた。「いらっしゃい。寒かった?」

「とっても」ぼくはロシア語で言った。

「ラシア語上手ね」セラノワさんは、眼差しを暖かくして、微笑みを深くした。

 なんだか、豪雪に凍りついた心が、心地良く溶けていくようだ。「ありがとうっ。勉強する機会があったので」

「勉強は西ラシアで?」
「いえ」
「あっちの訛りがあるから、てっきり。どこから来たの?」
「ニホニアです」
「こんにちは」セラノワさんは日本語、もといニホニア語で言った。

 ぼくは笑った。「こんにちはっ、上手ですね」

「ニホニアの男性と付き合ってたの」セラノワさんの頬が、ぽっ……、と赤く染まった。相変わらず無表情だったが、なんだか可愛かった。「今日はいつもより吹雪いてるわ。シャワーは24時間浴びれる。そこの帳簿に名前を書いて」と、彼女は、その細長い指で、レセプションカウンターの上に乗っている帳簿を指さした。

 ぼくは、そこに名前を書いた。
 ペットの欄には、1、と……。「すみません。うちのネコ、狭いところが嫌いなんですけど、一緒の部屋で寝ても大丈夫ですか? ベッドには入れないので」

「猫? それなら、ペットルームがあるわ。見る?」セラノワさんは、分厚いガラスの向こうで立ち上がった。

 分厚いガラスの隣にあったドアが開いた。

 セラノワさんの身長は、190センチくらいあったが、ほっそりとしていた。 彼女は、ぼくの手の平にルームキーを載せた。「着いてきて」


ーーー


「にゃー」
「ニャーニャー」
「にゃおん」
「にゃ?」

 案内された先は、この世の天国だった。
 ペットルームには、たくさんの猫がいた。
 二段ベッドのような作りになっているポールの上では、ネコたちがそのしなやかな身を寄せ合って眠っている。
 中には、ぐでー、と、ベッドの淵から頭をぶら下げている者もいた。
 カーペットの上では、まだ寝たくないネコ達が戯れあったり、マタタビを齧って酔っ払ったネコが談笑中の猫にぶつかって『おーい、頼むぜ』と、怒られ、『あー、すみません……』と、謝ったりしていた。
 仔猫が、セラノワさんを見上げて、にー、と鳴いた。『あー、おねーさんだー、ごはん?』と、仔猫はセラノワさんのパンツスーツを這い上がった。

 セラノワさんは、仔猫を抱いて、その頭を撫でた。「ここなら、くつろげるんじゃない?」

『マジかよ、マタタビもあんのかよ。良いね。じゃ、俺ここでくつろいでるから』と、ジェロームくんは、ネコ達の中へ入っていった。『やあやあ、こんばんは、どうもどうも』

『こんばんはー』
『なんだこいつ』
『誰お前?』
『毛並み綺麗じゃん』
『シャンプーなに使ってるの?』
『待って、リンスの香りもする』

 ジェロームくんは鼻を鳴らした。『俺さ、ニホニアから来たんだ。ライディング・ブルーム・チャンピオンのジェロームって聞いたことある?』

『なにそれ」
『誰それ』
『あるわ』
『わたしもあるっ』
『まさか……』
『ねーねー、シャンプーなに使ってるの?』

 ジェロームくんは小さく笑った。なんだか得意げだ。『あれ俺』

 にゃーっ!!! と、声を上げて、お互いの顔を見合わせたりするネコ達。

『うっそーっ!』
『まじかよ……』
『すごーいっ!』
『ねえねえ、シャンプーなに使ってんの?』

 ぼくはセラノワさんを見上げた。「気に入ったみたいです」
「良かった。部屋を案内するわね」と、セラノワさんは、ペットルームのドアを閉めた。


ーーー


 案内された部屋は、こじんまりとしていたが、ベッドも机も、バスルームもついていた。
 浴槽まであった。
 シャワーを浴び、お風呂に浸かって、パジャマに着替え、日記を書いたぼくは、ベッドに入った。
 凝り固まった体が、フカフカのベッドに吸い込まれるようだ。
 室内は暖かかったが、温度調整は出来ないみたいだった。
 ぼくは、ぼんやりと、窓の外を見た。
 雪がチラチラと降っていた。
 葉っぱが落ちてしまった街路樹が、街灯に照らされていた。
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