ヤバい奴に好かれてます。

たいら

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「野坂くん」
 ジョンソンと五階の通路の窓を拭いていると、木村さんから声をかけられた。
「ちょっといいかな?」
「はい」
「三階の会議室を掃除してきてくれる? もうすぐ来客があるらしいんだ」
「はい」
 一人で掃除道具を乗せたカートを動かし、三階の会議室に向かった。ここは小さく、隅っこにおまけで作られたような場所にあって、あまり使われていない。
 俺は窓を軽く拭き、窓の桟を拭き、テーブルを拭いて掃除機をかけた。まだ建てられてからそれほど建っていないこのビルは、元々それほど汚れてもいないのだ。
「よし、終わりっ」
「だいぶ仕事に慣れたみたいですね」
「うわっ!」
 振り返るといつの間にか久保田が立っていた。
 瞬時に久保田の後ろにある出口を確認し、久保田をすり抜けてここから抜け出す方法を考えた。
 一番警戒し恐れていたことが今、まさに起きようとしていると肌で感じた。
「どうしました?」
 久保田が一歩近寄ったが、俺はじりじりと後退った。
「ち、近づくなっ」
 壁を避けながら久保田から遠ざかろうとするも、二歩で追い詰められ、抱きかかえられた。
「いやぁっ!」
「お静かに」
 テーブルの上に乗せられ、はりつけのように両手首を掴まれた。
「ま、待って」
 ここでは無理。絶対無理! どうやったら久保田の体を蹴り上げ、抜け出せるかを考える。
「ひ、人が来るから」
「大丈夫です。会議は一時間ですから」
「だから」
「僕とあなたの会議が」
「クソがっ」
 久保田の鉄仮面が目前まで近づき、俺は横を向いて避けた。何度見ても久保田の顔が至近距離にあると怖い。
「どうしてですか? 朝はいっぱいさせてくれたじゃないですか」
「朝は朝!」
 しかしそんなことを言っても久保田には何の効果もないことは分かっていた。久保田の鋼鉄の体に俺の抵抗など何の意味もない。
 だからこいつと同じ職場は嫌だったんだ! 違う部署なら大丈夫だと思ったのに!
「安心してください。キスしかしませんから」
「お前には前科がある!」
 久保田が鼻で笑った。
「そうですねぇ。たまには場所を変えてしてみるのもいいかもしれませんねぇ」
「よくないっ」
 しかしやっぱり、俺の抵抗はこいつには意味がなかった。
 ギリギリと絞め上げられる手首がそれを物語る。俺にはいつも逃げ場所がない。常にこいつの愛情を一方的に押し付けられる状況にある。
 俺はいつまでこれに耐えればいいんだ? いつまで耐えられるんだっ⁉
 久保田の唇が首筋に押し付けられた。
「あなたには中毒性があるんです」
「そんなことっ……」
 久保田の唇と息が首筋を愛撫するように動いた。それだけで体がビクリと震えた。
 嫌だここでは。久保田が鍵をかけたかもしれないが、すぐ外を人が歩いていると思うと気が気じゃない。こんなところじゃ迂闊に声も出せない。
 手首を絞められながら唇が重ねられる。
「……いやっ……」
 ……最後まで抵抗しなくちゃ。
 でも久保田の舌が俺を誘い出す。
 久保田の右手が離れ、俺のベルトに触れた。
「……あ、……やめ……」
 ベルトが引き抜かれ、あろうことかそのベルトで両手首が拘束された。
「おいっ!」
「あと五十分です」
 久保田の唇が下がっていく。靴を床に落とされ、下着ごと履いていた作業着のズボンが下ろされる。足を持ち上げられ、太腿にキスをされる。
「……やめろって!」
 俺の抵抗はなんの意味もないのか?
 足の間で頭を揺らす久保田を感じながら、虚しさを感じていた。
「……んっ、……あっ、あっ、あっ、……あっ……」
 ……悔しい。
 やりたい放題かよ。俺の気持ちなんてどうでもいいのかよ。なんでこんな奴と付き合ってんだよ。なんで付き合う羽目になってんだよ!
「……あっ……」
 俺の人権はどうなってる? 俺が持ってた物は全部捨てられ、久保田に与えられた物だけで生かされている。俺が持っている物はもうこの体にしかない。それさえも久保田は捨てさせようとしている。
 もしかしたらこの体もすでに俺の物じゃないかもしれない。
「……あっ……もう、だめ……だめっ……‼」
 久保田の髪を両手で掴み最後の抵抗を試みたが、抵抗も虚しく、久保田の口の中に射精していた。
「…………っ」
 こんなの信じたくない。二度と会社ではこんなことしたくないと思っていたのに。
 起き上がると、久保田が俺を見ながら自分のベルトをはずしていた。
「野坂さん、まだ時間はありますよ?」
「…………」
 こんな奴、もう嫌だ。
 久保田が机に座った。俺は床に下りて、両手首をベルトで拘束され、ズボンは片方の足首まで下ろされたまま、久保田の前にしゃがんだ。
 久保田が鍵をかけていることを切に願う。下半身丸出しで、手首を拘束されて、男の前にしゃがんでいるなんて人に見られたら生きていけない。
「野坂さん」
 久保田は机に座ったまま、自分の乱れた髪を直しながら、俺の髪をかき上げ、透明のレンズ越しの冷たい目で見下ろしながら、言った。
「今のあなたが一番好きです」
「………」
 こいつは人でなしなんだ。
 俺に一番優しいくせに、一番酷いことをする。俺から全てを奪おうとしている。全部自分のものにしようとしているんだ。
 結局久保田は、きっちり一時間で解放してくれた。
 すっかり脱がされてしまった体に服を着せ、ヘトヘトになりながら会議室をて、メンテナンス部へ戻った。
 するとジョンソンが一人で椅子に座り、コンビニで買ってきたと思われるアイスを食べていた。
「どうした? のさか」
 ジョンソンが首を傾げた。
 そりゃそうだ。十五分ですむところを一時間も掃除してたんだから、おかしいだろう。
「くびまであかいよ?」
「…………」
 久保田の奴! キスだけって言ったくせに!






 ヤバいんだ。
 徐々に久保田の歯止めがきかなくなってきている。
 家でも職場でもこんなんじゃ俺の精神が保たない。外で働き出せば変わるかと思ったけれど、さらに悪い方向に向かっている。ますます息苦しくなっている。
「野坂くん」
「はい」
「三階の会議室お願いできるかな?」
 俺は久保田が水筒に入れてくれた黒豆玄米ハトムギジャスミンタンポポ茶を飲んでいた。
「……はい」
 目の前のジョンソンが、机に並べたお菓子の中からポテトチップスを摘みながら言った。
「なんでいつものさかだけしめいされるの?」
 ……もっともな意見だ。
 全部あいつのせいだ。あいつが俺に会いたくなると五分でも十分でもいいからと木村さんを使っては呼び出し、会おうとするのだ。行く先々にあいつが現れる現象は恐怖でしかない。こっちは真面目に仕事してるのに邪魔ばっかりしやがるし、今日だって何回目の呼び出しだよ!
 ……早く、あいつをどうにかしないと。
「木村さん」
 俺は会議室に行く前に、掃除道具を片づけていた木村さんに話しかけた。
「久保田さんの新人のころ知ってるんですよね?」
「うん」
 あいつにだって情けない新人のころがあったんだ。俺はその話が聞きたかった。
「どんな奴だったんですか? 教えてください」
「……久保田くんの新人のころは……」
 木村さんはそう言いかけたところで、突然ゴホッゴホッと咳き込み始めた。すると、ジョンソンが突然飛び跳ねた。
「あ! もうばいとおわるじかんだ! かえってうちゅうせんかんやまとみなきゃ!」
 ジョンソンがそう言うと、木村さんも腕時計を見た。
「あ、本当だ。早く帰って孫の面倒見なきゃいけないんだよ。野坂くん悪いね、残業お願いできるかな?」
「えっ、ちょっと!」
 二人は急いで作業着を着替え始めた。
「あ、残業代はちゃんと出るからね」
 そう言って着替え終わると、木村さんとジョンソンはいそいそと帰って行った。
 なんでだよ! 今日俺しか働いてないじゃん!
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