肩越しの青空

蒲公英

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 ボクササイズのクラスを終えて、お風呂に向かう途中で原口先輩に会う。通路にいると、余計に大きく見える。
「今日はトレーニングルームじゃないのか」
「うん。お風呂に入って帰る」
「俺はこれからサーキット。タイミング悪いな」
 あたしに向かって話すとき、熊は膝に両手をつく。見下ろされるより幾分話しやすいけど、保育園で幼児と向き合うときって、しゃがんでも幼児の目線より上なんじゃないだろうか。

「待ってようか?」
 自分の口から意外な言葉が出た。意識して出た言葉じゃなくて、ごく普通に。
「いつも先輩が待ってるんだもん。たまには、あたしが待とうか」
 意味がわからないといった顔で、原口先輩はあたしを見返した。それから、やっぱり笑う。
「いいよ、気なんか遣わなくても。それとも、待っていたい?」
「誰が!」
 つい、反射的に言い返す。原因はこれだ。なんでこう、言い返さないと気が済まないんだろう。目尻にいっぱい皺を寄せた先輩は、あたしの頭にポンと手を置いて、トレーニングルームに向かって歩き出した。

 んん、微妙。あたしは別に、話はないんだけど。前回、他の男とデートしたって言った時の、先輩の反応がどうも引っかかるのよね。片一方がつきあってる気分になっちゃって、思い込みで嫉妬して逆上するってパターンは時々あるけど、どうもそんな感じじゃなかったし。逆にそんなんだったら、あたしはもう熊に近づかないに違いない。危険人物認識になるもん。強いて言えば、その後気にし続けてるか知りたいってとこ。
 あたしがそこに気を遣う義理なんか、まったくもって全然ないんだけど。

 そんなこと考えながらぼーっとお風呂に入って、髪乾かして、ついでに一緒にレッスン受けた子とショッピング情報なんか交換してたら、時間が経った。そろそろ熊がマシントレーニングを終える時間。
 待っていたかったなんて思われたくないし、だけどちょっと気になるし。ロッカールームで服やタオルを畳みながら逡巡して、また時間を食う。結局フロントで遭遇しても、ちっともおかしくない時間になってしまった。

 うう、会いませんように、なんて祈りながらフロントに鍵を返していると、後ろから威圧感のある気配。振り向かなくてもわかる筋肉。
「お、やっぱり待っててくれた?」
「今、帰るところです!」
 まあまあ、なんてラウンジに連れて行かれて、結局差し向かいでお茶を頼んだりする。あ、やばい、眉描いてない。
「よさこいの指導料代わりに、お茶でも奢るわ」
「安っ!」


 夜の公園で待ち合わせなのに、毎度のことながらジャージ着用。熊と色っぽいことをする気も、今のところないけどね。
 原口先輩の筋肉は、専ら重いものを担いだり走ったりするためのもので、踊るためのものじゃない。だからしなやかな動きはできないのだ。形は間違ってないのに、踊ってるんじゃなくて体操してるみたい。
「手首が硬いから、もっとこう」
 一緒になって踊っているうちに、結構な汗をかく。
「篠田、細いのに意外にタフだな」
「この踊りは、疲れないで進めるようにできてるのよ。変なところに力が入ってるんじゃない?」

 ベンチに座ってスポーツドリンクで給水する先輩の横に立って、あたしも給水する金曜日の晩。先輩は翌日も仕事だと言う。ああそうか、土曜日が休みの保護者ばっかりじゃないものね。
「もうじき、梅雨に入るもんなあ。公園で練習ができなくなる」
「お祭りは8月末じゃない。急がなくても」
「保育園の夏祭りで、子供たちと踊るんだ」
 狭い園庭で子供たちが鳴子を鳴らしながら踊るのは、想像しただけで可愛らしい。その中に立つ原口先輩は、秋刀魚の中の鯖どころか、シシャモの中の鯖だろう。

「だから、後ろ向いて笑うなって」
 腰を引っ張られたと思ったら、先輩の膝の上に座っていた。子供じゃないんだから、そう軽々と持ち上げたりしないで欲しい。
「軽いな」
 すぐに降りようと思ったんだけど、あたしの腰に腕がまわっているのだ。何故かがっちりホールドされて、動けません。基礎体温高いな、この人。

 膝っていうより太腿の上、あたしの顔は先輩と垂直方向だ。まさかの展開に妙にドキドキしてしまい、あたしは表情を消すしかない。
「こうしないと、篠田と同じ高さにならない」
 先輩の満足そうな目尻の皺を、横目で見る。背中から腰を支える太い腕の、とんでもない安定感。この感覚を一言で言うなら「反則」だ。その気がなくても、雰囲気に呑まれそうになる。

「先輩、ちょっと手を離して欲しいんですけど」
「ん? クッション悪いか?」
 じゃなくって。あたしに向ける先輩の顔が近すぎて、いたたまれない。
「熊に喰われそうな気がする」
「美味い物は最後にとって置く性質なんだ。でも、味見くらいはさせとけ」
 空いていた筈のもう片側の手が、あたしの肩を熊の方に向けた。いきなりもろにぶつかる視線、猛獣相手に目を逸らしてはいけません。逃げるときは、目を合わせたまま後ずさりするもの……

 うわ、ちょっとちょっと待って!顔を寄せられても、あたし、その気はまったくないんですけど!でも、夜の公園で膝抱っこのシチュエーションで、しかも揺るぎない安定感。
「ん……」
 すっごくロマンチック、だ。

「どうも本気にしてないみたいだから、ちゃんと宣言しとこうと思って。俺は篠田と結婚するから」
「結婚って、片一方が宣言してもできないよ、先輩」
「だから、その気になってもらわないと」
 まだ膝の上のまま、唇にキスの感触は残ったままで、ちょっときまり悪い。キスくらいでどうこう言う年齢なんて過ぎてるけど、好きじゃない男になんて、させたことない。
「とりあえず、冗談ではないと理解すれば良いのね?」
「そういうこと」
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