肩越しの青空

蒲公英

文字の大きさ
16 / 28

曇天に舞う青空 2

しおりを挟む
 不機嫌な顔を見ながら、手近な喫茶店で向かい合わせに座る。あ、あたし、まだ背中に大きくリボン結びだ。慌てて外して、向かい側の表情を伺いながら畳む。
「怒って……る?」
「怒ってないよ」
 ほら、怒ってるじゃない。思わず上目遣いになっちゃう。

 おまえの鳴子、と鳴子を差し出されて、バッグにしまう。ああ、なんか居づらいです。お店の人がオーダーを聞きに来たので、アイスコーヒーを頼もうとすると、レモネードに変更された。
「あと、できれば水を、ピッチャーで置いていってください。その分払いますから」
「いえ、結構ですよ。踊り子さんは水分補給しないと」
 先輩は頭を下げた後に、やっとあたしの顔を見た。
「飲め。そして、冷やせ」

 エアコンの効いた店内で、身体が回復してくると、やっとあたしも頭が働く。子供たちを驚かせちゃった。助っ人じゃなくて、迷惑を掛けちゃった。こんな天気の日は、熱中症になりやすいと知っていたのに。
「……ごめんなさい」
「謝るのは、こっちだ。自分はちゃんと給水したのに、おまえにまで気が回らなかった。踊り慣れてるんだから、当然できるだろうと思ってた」
 そうなのだ。踊り子が自分の脱水を気にかけるのは、鉄板の約束事で、できない方が間違ってる。保育士さんは、あの混沌の中で、自分のことをちゃんとできてるのか。
「大人が倒れたら、子供たちの世話ができなくなるだろ?だから一番に、自分の手当てをする習慣がついてんだ。おまえは素人だから、そんなことできないっての忘れてた」
 素人のお手伝いとプロフェッショナルじゃ、心構えから違うのだ。中途半端に世話を焼かれたら、子供たちだって却って困ったかも。

 申し訳なくて、もう一度頭を下げる。
「ごめんね」
 先輩の顔が柔らかくなる。この人はすごく良いタイミングで、こんな顔をする。
「腹を立てたのは、自分に対してだ。静音は悪くない。軽くて良かった」
 お水ばっかり何杯も飲み、先輩がポケットから出した塩分補給のタブレットを齧ったら、眠くなってきた。
「慌てて、強く言い過ぎた。悪かった」
 先輩の声が、少し遠い。
「だるくて、眠い」
「ああ、もうちょっと休憩したら、送ってってやる。歩いて来たのか?」
「自転車」
「じゃ、2ケツだな」
 道路交通法違反です、あきふみせんせい。5分くらいウトウトしたみたいで、気がついたら先輩はレジを済ませていた。
「回復するまで、フォローできなかった侘びもしないとな」
 ううん、それは違う。公務じゃなくても、先輩は園児たちの先生なのだ。先生が子供たちを放って自分の気になることを優先したら、あたしは先輩に失望していた。


 二日間のお祭だけど、二日目にエントリーはない。卒園児たちがあちこちのチームで踊るから、なんて言う先輩と待ち合わせ。学生のころは自分が踊るのに精一杯で、他のチームの演舞を楽しむことは難しかった。ライバル視ギンギンで、あのチームの衣装はとか振り付けはとか、そんなところばっかり見えてた。まるっきり余所の人の視点になると、本当に楽しい。
 肩ストラップのワンピースと、夏のお約束の日傘。踊りが流して行くのを見ながら、少し飲んじゃうつもりだから、自転車はやめておく。
 昨日の晩の先輩、自転車漕ぎ難そうだったな。26インチのママチャリのサドルを目一杯上げて、ゆらゆら。

 今日は昨日踊った場所とは別の会場に行く。保育園チームが踊ったコースはとても短いし、屋台も少ないんだもの。
 長いコースを繰り返しで踊るコンテスト参加チームたちは、粋で華やかだ。美容院で結い上げてもらった髪に花を差し、腕の高さや腰の高さまで綺麗に揃えて、踊りが流していく。あたしが以前参加していたチームも、衣装や振り付けに趣向を凝らし、曲もプロに作ってもらっていた。
 昨日は最後さえちゃんとしてれば、楽しかったな。来年、踊っちゃおうかな。笑夢の美少女、復活……少女じゃないか。

 先輩との待ち合わせは、目印はいらない。大体の場所さえ決めておけば、雑踏の中に飛び出る頭。
「今日はずいぶん、可愛い格好してるな」
「いつも、何着ても可愛いでしょうが」
 先輩と会うときはジャージかジーンズが基本だから、女の子服を見たのは、池袋で鉢合わせした時だけだったかも。
「体調は大丈夫か」
「うん、なんでもない。今日はビール飲みながら、ゆっくり見物だし」
「利尿作用で脱水が怖いから、アルコールは止めとけ」
 過保護じゃないですか、あきふみせんせい? 賑やかな会場を歩きながら、時々小学校低学年の子供に声援を送る。声をかけられた子供は嬉しそうにこちらを見るけど、踊りながら前に進んで行く。手なんか振ってたら、進み損ねるんだよね。だけど声援は励みになるの。
 お祭だとは言っても、長いコースを踊るので、知った顔に会うことは少ない。きっとこの雑踏の中には、知り合いが何人もいるはずなんだ。

「手足が痺れたりしないか?」
「大丈夫だってば、そこまで体力は低くない」
 反発しながら、ちょっと嬉しい。そんな風に、心配してくれてたんだね。ごめんね、本当にごめん。きっとまた同じことをするから、叱っていいです。
 人混みで邪魔な日傘を畳んで、並んで踊りを見ていた。

「原口先生」
 後ろから声をかけられて振り向くと、小学校の低学年の男の子と、若いお母さんだった。
「お久しぶりです」
 幾分硬くなった先輩は、すぐに子供のほうにしゃがみこんだ。
「ずいぶん大きくなったなあ。元気だったか」
 子供は恥ずかしそうに、先輩と話している。母親の視線は、あたしに向いていた。

「原口先生は、デートですか」
「そうです」
 立ち上がった先輩が、あたしの肩を抱く。なんか、すごく微妙な空気だ。自分が世話をしていた子供に、こんな場面を見せたがるような人じゃない。先輩の顔を見上げ、母親の顔を見てから、子供に目を落とした。
「幸せそうで、良かったわ。私もね、結婚しました」
 先輩の指の力が、少し緩くなった。
「おめでとうございます。お幸せに」

 去っていく母子の後姿を見て、先輩がこっそり吐いた溜息で、事情がわかったような気がした。あの人と何かあったんでしょうなんて、問い詰めたりはしたくない。何かあったんだとしても、それは個人の問題だ。
 流し踊りが賑やかに進む通りを見ながら、先輩は小さく「わかっちゃったよな、ごめんな」と言った。
「なりたての母子家庭と新米の保育士なんて、ベタな組み合わせだろ。もう二度と会わないと思ってたんだけどな。市内なら、そんなわけないか」
「いいよ、別に気にしないから」
 嘘。すっごく気になる。
「自分が寝た後に母親が出掛けたことに気がついた子供が、夜の11時にパジャマのまま警察に保護された。一度眠ったら起きない子だから、なんて言葉を鵜呑みにした自分のバカさ加減に嫌気がさした。」
「聞きたくない」
「俺があれもこれも、甘く見てた証拠だ。寄りかかってきている人の抱えているモノを、引き受ける覚悟はできてなかった」
「聞きたくないってば」
 バカ正直な熊。適当に誤魔化して、あたしの疑問だらけの顔なんて無視すればいいのに、それを放っておけない人。この人は誠実と正直で損をしてきたんだろう。あたしの条件反射で反発する癖と同じように、損をしても修正の効かない部分がここにある。

 過去の恋愛なんて、気にするだけ間違ってる。だって先輩は今、あたしの横にいるんだから。あたしが知っているのは、現在の先輩なんだから。
 だけど、この先は? この先、あたしがどうなるんだか、知りたい。あたしはこの人を選ぶと決めているんだろうか?

 曇天の下に広がる、空色のふらふ。先輩の作る青空を、振り返って確認したあたし。
 覚悟を決めよう。あたしはもう、先輩の手の内だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

イケメン社長からの猛烈求愛

鳴宮鶉子
恋愛
イケメン社長からの猛烈求愛

人質同然だったのに何故か普通の私が一目惚れされて溺愛されてしまいました

ツヅミツヅ
恋愛
異国の王国に人質として連れて行かれた王女・レイティア。 彼女は政治的な駆け引きの道具として送り込まれたはずだったが、なぜかその国の王であるアナバスから異常なまでに執着される。 冷徹で非情な王と噂されるアナバスは、なぜレイティアに強く惹かれるのか? そして、王国間の陰謀が渦巻く中、レイティアはどのように運命を切り開いていくのか? 強き王と穏やかな王女の交錯する思いが描かれる、「策略と愛が交錯する異国ロマンス」。 18Rには※がついております

消えるはずだった予知の巫女は、今日もこの世界で生きている ――異端と呼ばれる騎士さんが、私には綺麗すぎる

豆腐と蜜柑と炬燵
恋愛
役目を終えれば、この世界から消えるはずだった。 予知の巫女・美桜は、力も特別な姿も失ったまま、 「生き続ける」という選択肢だけを与えられる。 もう誰かを守る存在でも、選ばれる存在でもない。 そう思い、偽名“ミオ”として宿屋で働きながら、 目立たない日常を送っていた。 ――二度と会わないと決めていた騎士と、再会するまでは。 彫りの深い顔立ちゆえに“異端”と呼ばれながらも、 誰よりも強く、誰よりも誠実な騎士・レイス。 巫女だった頃の自分を知る彼に、 今の姿で向き合う資格はないと分かっているのに、 想いは簡単には消えてくれない。 身分も立場も、守られる理由も失った少女と、 前に立ち、守ることしか知らなかった騎士。 過去と現在、選ばれなかった時間を抱えたまま、 二人はもう一度、距離を測り直していく。 これは、 消えるはずだった少女が、 “今の自分”で恋を選び直す物語。

お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚

ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。 五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。 ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。 年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。 慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。 二人の恋の行方は……

Ring a bell〜冷然専務の裏の顔は独占欲強めな極甘系〜

白山小梅
恋愛
富裕層が集まる高校に特待生として入学した杏奈は、あるグループからの嫌がらせを受け、地獄の三年間を過ごす羽目に。 大学に進学した杏奈は、今はファミリーレストランのメニュー開発に携わり、穏やかな日々を送っていた。そこに突然母親から連絡が入る。なんと両親が営む弁当屋が、建物の老朽化を理由に立ち退きを迫られていた。仕方なく店を閉じたが、その土地に、高校時代に嫌がらせを受けたグループのメンバーである由利高臣の父親が経営するYRグループが関わっていると知り、イベントで偶然再会した高臣に声をかけた杏奈だったが、事態は思わぬ方向に進み--⁈

処理中です...