肩越しの青空

蒲公英

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距離はどれくらい? 1

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 夕方遅くになってくると、小腹がすく。ちょこちょことジャンクな食べ物をつまみながら、熱の冷めない通りを歩いた。
「今日はどこも混雑してるしなあ。メシ、どうする?」
「何かテイクアウトしようか。涼しくなってきたから、アルコール解禁」
「テイクアウトして、公園か?」
 こういうとこ、鈍い。
「先輩のアパート。暑いのに、なんで公園よ?」
「いや、いいけどさあ」
 珍しく言い澱んだ先輩は、あたしの肩に目を遣った。
「そんな裸の肩出して、男のアパートに来るのか?」
 裸の肩!直截すぎて、色気もヘチマもないセリフだ。色気はないくせに、見てることはちゃんと見てるってわけ。
「気になる?」
「密室だと思うとね」

「あたしはそれでも、いいんだけど」
 ああ、言っちゃった。さっき以前の恋人に会ってしまってから、先輩のテンションは微妙に落ちていて、あたしはそれが気になって仕方がない。別に対抗してるわけじゃなくて、なんかこう、そんなことがあっても、あたしは大丈夫だよって言いたいだけ。現在の先輩を、それで差し引いたりしないよって。
「それでもいいって言ったな?」
 あたしの視線を捉えて、先輩が言った。逸らさないよ、すっごく照れくさいけど。
「言ったよ」
「すぐ、帰るぞ」
 ちょっと待って、急だな。
「お祭り、まだ終わってないよ」
「終わるまでなんて、待ってられるか」
「卒園児の演舞は?」
「来年見る」
「来年踊ってるかどうかなんて、わかんないじゃない。衣装も振り付けも違うんだよ?」
「約束してるわけじゃない。こっちのほうが火急だ」

 駅前で軽食とビールを何本か買うと、先輩は賑わっている通りと別の方向へ歩き出した。普段よりも少し早足で、それが彼の取り繕う限界なんだろう。
 うわあ、いいって言っちゃったよ、あたし。今日もいっぱい汗掻いてるのに。そうして、自分にもう一度確認する。場の勢いとかノリとか、そんな理由の通じない相手なんだから。
 この人と、続けていく気はある?
 うん、ある。大丈夫。多分、後悔したりはしない。このペースだと、シャワーとか言い出せない気がしないでも、ないけど。

 アパートに着くと先輩はいきなり、居間兼食堂と寝室の境目の引き戸を開けた。ベッドマットを直接床に置いたみたいな低い寝床と、マンガ本でぎゅうぎゅうの本棚と、コルクボードに無造作に張られたスナップ写真。保育園の写真だあ。確かに子供たちが、何人もぶら下がってる。
 ……なんてものを、じっくり眺める余裕は、与えてもらえなかった。掠れた声で呼ばれたと思った次の瞬間、あたしはベッドの上で先輩の膝に抱え込まれていた。

「シャワーは?」
「後で」
「お腹、すかない?」
「後で」
 まだ空調の効きはじめていない部屋の中は蒸し暑くて、先輩の高い体温が触れている部分には、汗が滲んでくる。そんな体勢で唇を塞がれ、自分の背中のファスナーの音を聞く。
「そんな、高校生みたいに焦らなくても」
「高校生も大人も、こんな時には似たようなもんだ」
 反論する間もなく、もう一度唇が降ってくる。汗もシャワーも空腹も、後回し。

 胡坐の中で横座りになったまま、キスは唇から胸へと移っていった。ワンピースを腕から抜かれると、下着があらわになった。ストラップレスのブラは、ホックを外しただけで下に落ちてしまう。
「真っ白だな」
 服を脱がす手を一瞬止めた先輩が、愛おしむように胸を包んだ。小鳥でも撫でるみたいな、やさしくて慎重な掌だ。それから胸の間にキスを落として、頬ずりをする。とても大切なものに、はじめて触れたように。
「こうしたかった」
 胸に押し付けられた先輩の頬が何往復もし、その後やっと胸の頂に唇が届いた。立ち膝になって先輩の頭を抱えた。太い首は、やっぱり熱い。汗なんてもう、どうでもいい。

 柔らかくキスしていた唇が動いて、甘く歯が立てられる。思わず、息を吸い込む。ふくらみの大きさを確かめるように、もう片側に手が添えられる。後ろに倒れこみたいのに、背中はしっかり抱えられている。
「やっ……」
 舌が熱い。抱えられた背中にも、疼きが広がってくる。
 上半身がすべてさらけ出され、更にスカートがはだけたところで先輩のシャツに気がついた。あたしだけが身体を晒し、先輩の着衣はそのままで、なんだか心細い。
「あたしだけがこんな格好、やだ……」
 ワンピースが脱がせ易いように、首にしがみついて腰を浮かせながら、先輩の首にキスをした。ちょっと汗の味。

 片手であたしをベッドに寝かせながら、先輩はシャツを脱ぐ。厚くて硬い胸に抱き寄せられ、不思議な恍惚感があたしを満たした。
「こんなに小さいくせに、存在感だけやけに大きくて」
 頭の天辺にもキスが落とされ、あたしは目を閉じる。ぴったりくっついた肌から、先輩の鼓動が伝わってきた。
「先輩、ドキドキしてるね」
「嬉しくて、緊張してんだ」

 何度もキスが繰り返される。舌を絡めとられて吸い上げられ、上唇を噛まれ、下唇を吸われる。キスが深くなるごとに、あたしの呼吸はどんどん浅くなっていく。
 耳元で名を呼ばれても、身体の線を辿る指の感触に息が詰まって、返事ができない。ショーツをするりと取られて、先輩はあたしのうなじに唇を這わせながら、器用に自分のジーンズを外した。
 短い髪に覆われたその頭に、指を差し込んだ。あたしの足より太い腕が、あたしの頭を抱き起こして、唇が頬と耳を掠ってゆく。

 先輩の指は下腹を辿り、足に到着する。大事そうに何度も足の上を往復する手に焦れて、先輩の手首を掴んだ。その間唇はまだ胸の先端を含んだまま、尖りきったそこをなぶり続けている。

 声が出る。すがりつけるものを、頂戴。

 足の間を探り始めた指が敏感な核を暴いて、指に掬ったものを擦りつけてゆく。呼吸を吸い込んでしまいそうなキスに出口を塞がれた感覚が、身体の中で暴れまわる。確認するように遠慮がちに伸びた指は、いつの間にか本数が増えてあたしの中を探っていく。

 いやだ。
 与えられるだけの快感で、自分を押し上げられるのは、いや。
 ひとりでそこに辿り着くのは、いや。

「せん、ぱい……いやっ……っあ」
 渾身の力を振り絞って、先輩の肩を拳で叩く。指を止めた先輩が、あたしの顔を覗き込む。
「指じゃ、いや……あたし、だけ、は、いや……」
 言葉は伝わったろうか?一生懸命開いた目に、先輩の顔がぼやけた。
「昭文だよ」
 掠れ声の返事が戻った。
「先輩じゃなくて、昭文だ」
 直後、指は激しさを増し、唐突に引き抜かれた。


 枕元の引出しを開けた先輩が、口に咥えて片手でちぎって開けたのは、ラテックス製の薄い膜のパッケージだ。
「……あるんだ?」
「あるさ、いつ押し倒そうかって考えてたんだから」
 あたしの膝の裏側を掴んで持ち上げながら、先輩が呟く。
「ああ、もったいない」
「もったい、ない?」
 弾む息が苦しくて、散り散りになる言葉たち。
「最後に食おうとした好物を、口に入れる気分だ」
 言うなり、先輩は押し入ってきた。息が苦しい。じりじりと入ってくる圧迫感を呼吸で逃すのに、必死だ。

「ん……あ…っん……」
ゆるゆると動きながら、顔にキスが降る。あたしにきっちりと収まった熱が、あたし自身の動きを伝えてくる。
「静音の中、熱いな」
「せ、んぱ…いっ……」
 何か言葉になりそうなのに、あたしの口から漏れるのは、意味のない叫びだ。
「あきふみ、だ。呼んでくれ」
 胸に抱え込まれて、先輩の背中に手を回す。ああ、あたしの腕の長さじゃ抱えきれない。
「あき、ふみ……」
 緩やかに動いていた腰が、強く押し付けられた。
「もう一回、呼んでくれよ」

「あきふみっ……あき、ふみ……っ……あっ……あっ…」
 爪が立っていたかも知れない。胸に抱えられたまま、身体が勝手に力み、揺れる。苦しい息を吸い込むたび、あたしの中に持ち込まれた熱が、ますます熱くなるみたいな気がする。汗はもう、どちらが流しているのかわからない。
「こんなに綺麗なのか。ああ、本当にもったいない。もったいないのに、くせになりそうだ」
 そんなことを言うくせに、あたしから出て行こうとはしない。くせになって、中毒になればいい。もっと、あたしの奥まで来て。火傷するほど熱くなって。

 反り返って暴れたがる背を、大きな手が支える。胸をもう一度含む唇からは、荒くなった息。
「やあぁぁぁっ!あきふみっ!やあっ……」
 もうこれ以上、どこにも行けない。到達点はひとつだけ。
「そんなに、強く締めないでくれ……くっ……」
 高みを見るなら、一緒がいい。ああ、あたしの足先からも、何かが昇ってくる。意識を手放したくなくて、頭が左右に振れる。
 もう一度、唇にキスを頂戴。

 刻まれるリズムは、鼓動とどちらが早いだろう。背に回した手の指先は、あたしの意思とは無関係に、爪の先を立てている。
「いっ……いやあっ!来ちゃう!」
 強く抱きしめられて、耳元で名をを呼ばれた。その瞬間、あたしの背が強く反った。
「静音っ!」
 最奥が、熱い。熱い。短い呻きと共に、一番奥に届くもの。深い溜息で、それを受け止めた。

 あたしの呼吸が整うまで身体を包んでいた胸が離れて行くと、汗で濡れた身体が急に心許なくなる。まだ始末している人に腕を差し出し、腕枕をせがんだ。
「なんだ、そんな風に甘えんのか」
「甘えられるの、嫌い?」
「嬉しい。甘えて欲しいと思ってたんだから」
 潰しそうで怖いなと言いながら、あたしの隣に横たわって、あたしの髪を梳く。先輩の脇の下に頭を乗せて、漂流した海から生還したあたしは、妙に満ち足りた気分だ。
 大きな手はとても優しかったし、先輩が満足した顔をしているのが嬉しい。芯熱の高そうな身体は本当に熱くて、硬い筋肉が頼もしい。
 性急な行為だったけれども、強引じゃなかった。

「……腹、減ったな」
「その前に、シャワー貸して。どうしようもなく汗だらけ」
 放り投げられたワンピースを拾い、狭いバスルームで一人になった時、自分が幸福だと高揚していることに気がついた。
 もう、逃げられない。逃げる気はない。あたしはこれから先輩と向き合いながら、自分の行く場所を探すのだ。

 車で送ってもらうために、買ってきたビールは飲めなかった。そして「原口先輩」は「昭文」になった。
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