最後の女

蒲公英

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 高遠はテーブル席の向かい側ではなく、茜の隣にすとんと腰を下ろした。
「え? 隣?」
「うん、混んでくると話が聞こえにくくなるでしょ。こっちの方が、食べるものとか分けやすいし」
 言われてみれば尤もなのだが、強烈な違和感だ。四人掛けに四人座って交互にお喋りするのならば、この距離は別に違和感はないのだが。
「隣に座られるの、いや?」
「そうじゃないけど」
 嫌悪じゃないけれど、居心地は悪い。メニューを広げて一緒に覗き込む高遠の肩が茜の肩に触れる。この距離は、女友達の距離だ。

 秀一は普段、自分からはこんな風に寄って来ない。腕を組むのも茜からで、家の中で胡坐を掻いている秀一に纏わりつくのも茜で、行ってらっしゃいのキスをするのも茜だ。そんなベタベタしたスキンシップを秀一が求めるなんて想像もできないし、あまりにも似合わない。
「茜ちゃん、本当にソフトドリンク?」
「サワーかカクテル系一杯だけって念押された」
「おうちの人、本当に厳しいんだね」
 おうちの人は多分、今頃持ち帰り弁当を買っている。メニューをあれこれ指差しながら、ちらっと申し訳ないなーなんて思う。家でテレビを見ながら冷めかけた出来合いを食べる人がいるのに、こんな場所で法的に認められてない飲酒をしようとしてる。
「やっぱり、オレンジジュースにする」
「ずいぶん真面目だねえ。大丈夫だよ、酔ったら送ってくから」
 それは、ちょっと困る。

「就活も忙しくてさ」
「ふうん、大学生も大変なんだね」
「茜ちゃんはずっとフリーター?」
「高校卒業して、一回就職はしたよ」
「大学には行こうと思わなかった?」
「高校で私立行っちゃったから、大学行くには奨学金じゃ足りなくて。先生には勿体無いって言われたけど」
「高校、この辺?」
「うん、K女。特進クラスで進学しなかったの、私だけだった」
 高校は公立に行って、三年間アルバイトをしながら通うつもりだった。そうすれば、公立の大学に行くことはできるつもりでいたのだ。茜の長期計画は、中学校三年生の後半のインフルエンザでコケた。受験日に高熱を出しながら布団を被って泣いている茜に、母は手をついて謝った。大丈夫、学費くらいは何とかするから。そんな言葉を鵜呑みにできるほど、茜は幼くなかった。
「K女の特進って、茜ちゃん、そんなに頭いいの?」
「頭がいいのとお勉強が上手なのって、別だよ。私、頭は良くない」
「謙虚で、そんなとこもいいなあ」
 高遠は嬉しそうに、茜の指を弾いた。

 高遠の指は細くて長い。少々長めの前髪と、綺麗な二重瞼。アルバイト先の女の子がイケメンだって言ってるけど、確かにそうだなと茜も思う。料理が来れば皿に取り分けてくれて、茜の知らない話題は噛み砕いて説明してくれる。きっと他の女の子たちは、羨ましがる。二杯目のサワーにグレープフルーツを絞りながら、高遠はまだ茜を楽しませようとしている。
 秀さんと結婚してなければ、きっと好きになってるんだろうな。優しくてかっこよくて、自分の知らない情報を持ってきてくれる。たとえばお母さんが頑張るって言ってくれた言葉に甘えて、大学生になってたりすれば、こんな人とつきあってたのかも知れないな、そんな風に思う。
 友達たちが「次はこんな人とつきあうー」なんて言うのは、茜にとって不思議な言葉だったけれど、今日になってわかる。次は高遠みたいな人も悪くない。

 次?次って、何?

 自分の考えに驚いて、茜の笑いは止まった。私に、次はないんだ。私はもう、選んで決めちゃったんだ。
「どうしたの? 何か思い出した?」
「ん? 何でもない」
 そうだ。結婚してるんだ、私。秀さんが好きで一緒にいたくて、会社の中でまで秀さんの世話したくて、はじめてアパートに行った時なんて、嬉しくて嬉しくて。
「そろそろ、帰る」
 落ち着かなくなった茜に、高遠はゆったりと微笑む。
「急に誘っちゃったんだもんね。次はどこかに出掛ける?」
 そわそわした生返事になるのは、茜が他のことに気が取られている証拠だ。
「送らなくて、大丈夫?」
「自転車だもん。またね」
 割り勘で居酒屋を出て、自転車置き場で高遠は茜に握手を求めた。
「またメールする」
「うん、おやすみなさい」
 走り出した茜は、高遠にまだ必要なことを告げていないことに気がつき、かなり後ろめたい気分になった。
 でも、今は一刻も早く秀さんのいる部屋に帰りたいの。そして、秀さんの胡坐の中に座らせてもらうんだ。 
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