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秀一が玄関の鍵を開けて部屋に入ると、茜は鍋の前に立ったまま「おかえり」と言った。いつもなら、音がした瞬間に火を消して、ドアを開けると同時に茜の顔が目の前にあるのに。少々気にはなったが部屋に入り、まず煙草に火をつけた。普段ならばその次に「お風呂」と言われるべき場面だ。だから当然のように作業着を脱いで洗濯籠に放り込み、下着一枚になった。
「あ、ごめん! まだお風呂、用意してない」
慌てた顔で脱衣所を開けた茜を不審に思いながらシャワーだけでいいと言い、茜が見ている前で裸になり、浴室に入る。
どうした? 何かあったか?
夕食後に鳴ったメールの着信音を確認して、返信しなかった茜を見逃すほど、秀一は無関心じゃない。イマドキの若者である茜は、友人とのメールのやりとりは早い。そして、最近の傍若無人な時間の連絡を組み合わせることくらい、勘を働かせるまでもない。秀一の把握していない誰かと、何かあったのだ。
浮気か? いや、そんなに器用な女じゃないし、纏っている気配は変わってない。いくら秀一でも、上の空の女を抱けばそれ相応にしか応えないのは、わかる。ただ秀一には見せたくない何かを、持っているのは間違いない。見せたくないっていうのは、若干の後ろめたさ――そう考えれば、やはり男絡みだろう。
男がどんな風に女を見るのか、獲物だと定めたときにどう行動に出るのか、茜は知らない。好意を示した人間とあっさり仲良くなるのは茜の美点だが、それで痛い目にあったことがない。
布団を敷く時分に、茜の携帯電話がまた鳴る。
「うるさいなあ」
どことなく繕った様子で茜は呟き、秀一の胸に鼻をすり寄せる。
「秀さんが一番好き」
その言葉で、秀一の疑問は確信に変わった。
「ちょっと座れ」
秀一の顔に浮かんだ表情に、茜は少し怯んだ顔をした。
「この前から、何かおかしくないか。俺に言えないことしてるんじゃないか?」
「してない」
「最近、夜中にまで携帯弄ってるな。相手、言えるか?」
これに対し、茜は多少言い難そうにではあるが、はっきりと返事をした。
「高遠君」
「学校の友達か」
「女子高に男の子なんていないよ。お店のお客さんで、最近友達になって……」
「どうやって」
「帰りに、話してみたかったって声かけてくれて、楽しい人だなあって……」
秀一は煙草を深々と吸い込んで眉間に皺を寄せたあとに、煙と同時に吐き出した。
「そいつと、何かあったんだろう」
秀さん、私のこと何か疑ってるんだ! 茜は慌てた顔で、首を横に振った。
「何にもないよ! 友達だと思ってたし!」
「思ってた、だあ? 過去形だってのは、どういう意味だ」
秀一の顔は、普段でも充分怖い。
「……つきあって欲しいって言われた……でも、断ったよ、もちろん!」
「当たり前だ、バカ! 大体、結婚してる女にそんなこと言うバカが、どこにいるってんだ。おまえ、言ってなかったろう」
「だって、友達だと思って……聞かれなかったし……話してみたいって言われただけだったから……」
語尾が弱くなるのは、茜も失策に気がついているからである。
「バカ! 連れ込み宿で看板どおりに『ご休憩ご商談』するヤツがあるか」
「連れ込み宿って、何?」
「ラブホテルのことだ、バカ!」
「バカバカ言わなくたって、いいじゃない」
それがそもそもの今回の原因だと、充分理解している茜の声は小さい。そして普段から怖い秀一の顔は、眉間に皺が寄っている。
秀さんが怒ってる。そう思ったら、泣きたくなった。
「おまえはね、自分から言わなければ、誰も結婚してるなんて思ってくれないんだよ。だから、そんなことになるんだ」
「……ごめんなさい」
「俺じゃない、相手に言え。若い男が女に声かけるときなんて、そいつとやれるかどうかってのが先に来るもんだ」
そこまで行くと結構な暴論のような気が、しないでもない。
「で、断るときには、結婚してるって言ったんだろうな」
「……言ってない。慌てて、言いそびれました」
「バカ! そういうヤツは、また来るぞ!」
吽仁王は子鬼を踏みつけるような顔になって、茜を睨んだのだった。
布団の中で秀一の胸にすり寄った茜のパジャマが捲り上げられ、茜の身体の緊張は、一気にほぐれた。
秀さん、そんなに怒ってない。さっきは怖かったけど、大丈夫、いつもの秀さんの手だ。胸を撫でる手はいつも通り、繊細ではないが力の加減をしてくれているし、唇は思いの外やさしい。たっぷりと耳にキスしてくれるのもいつも通りで――茜は甘い。
実は秀一の「面白くない」は継続しているのである。ガキが俺の女に目をつけやがって、とか思っているのだ。隙だらけの茜のほうが問題なのだが、そこはそれ、自分の身内の非は認めたくないものだし、少なくとも茜の擦れてなさ加減は、秀一も知っている。しかし、やっぱり気は済まない。
茜の足の間に指を進めると、秀一の目に留まったのはその長くて膝頭の小さな脚だ。茜の中で一番男の目を惹く部分。
「あっ…ん……んんっ……」
膝の上に唇をつけると、茜の腰はくねり、秀一を誘う。誘う部分を指で宥めながら、秀一は大きく口を開けた。
「あんっ……いたっ……痛いっ…やっ! 痛ーいっ!」
逃げようとする茜の脚を両手で押さえ込み、秀一は力一杯太腿の下の部分に噛み付いた。
「やーっ! 痛いーっ! やだーっ!」
気が済んで口を離すと赤紫色に歯型が残り、秀一は頬に笑いを浮かべた。これでしばらく、普段のショートパンツもミニスカートも穿けまい。茜が自分で気に入っている部分は、他人も気になるんだから。
それでな、おまえ、本当はそいつのこと、ずいぶん気に入ってたろう。早くに相手を決めたこと、実は少し後悔したんじゃないか。そんな風に問い詰めたところで、お互いが気まずくなるばかりで、何も生まない。だからそれは秀一の心の中だけの呟きだ。
そうかも知れない、そうではないかも知れないと思いあぐね、けれど何事もなかったかのような顔をして生活は続いていく。これもまた夫婦の醍醐味である。
秀一の若干大人気ない仕返しで、茜はしばらく膝丈以上の長さのボトムスを着用しなくてはならない。それにがっかりしたのは茜ではなく、アルバイト先及び普段買い物に使う商店街やスーパーの男たちだったが、秀一も茜もそんなことは知らない。
「あ、ごめん! まだお風呂、用意してない」
慌てた顔で脱衣所を開けた茜を不審に思いながらシャワーだけでいいと言い、茜が見ている前で裸になり、浴室に入る。
どうした? 何かあったか?
夕食後に鳴ったメールの着信音を確認して、返信しなかった茜を見逃すほど、秀一は無関心じゃない。イマドキの若者である茜は、友人とのメールのやりとりは早い。そして、最近の傍若無人な時間の連絡を組み合わせることくらい、勘を働かせるまでもない。秀一の把握していない誰かと、何かあったのだ。
浮気か? いや、そんなに器用な女じゃないし、纏っている気配は変わってない。いくら秀一でも、上の空の女を抱けばそれ相応にしか応えないのは、わかる。ただ秀一には見せたくない何かを、持っているのは間違いない。見せたくないっていうのは、若干の後ろめたさ――そう考えれば、やはり男絡みだろう。
男がどんな風に女を見るのか、獲物だと定めたときにどう行動に出るのか、茜は知らない。好意を示した人間とあっさり仲良くなるのは茜の美点だが、それで痛い目にあったことがない。
布団を敷く時分に、茜の携帯電話がまた鳴る。
「うるさいなあ」
どことなく繕った様子で茜は呟き、秀一の胸に鼻をすり寄せる。
「秀さんが一番好き」
その言葉で、秀一の疑問は確信に変わった。
「ちょっと座れ」
秀一の顔に浮かんだ表情に、茜は少し怯んだ顔をした。
「この前から、何かおかしくないか。俺に言えないことしてるんじゃないか?」
「してない」
「最近、夜中にまで携帯弄ってるな。相手、言えるか?」
これに対し、茜は多少言い難そうにではあるが、はっきりと返事をした。
「高遠君」
「学校の友達か」
「女子高に男の子なんていないよ。お店のお客さんで、最近友達になって……」
「どうやって」
「帰りに、話してみたかったって声かけてくれて、楽しい人だなあって……」
秀一は煙草を深々と吸い込んで眉間に皺を寄せたあとに、煙と同時に吐き出した。
「そいつと、何かあったんだろう」
秀さん、私のこと何か疑ってるんだ! 茜は慌てた顔で、首を横に振った。
「何にもないよ! 友達だと思ってたし!」
「思ってた、だあ? 過去形だってのは、どういう意味だ」
秀一の顔は、普段でも充分怖い。
「……つきあって欲しいって言われた……でも、断ったよ、もちろん!」
「当たり前だ、バカ! 大体、結婚してる女にそんなこと言うバカが、どこにいるってんだ。おまえ、言ってなかったろう」
「だって、友達だと思って……聞かれなかったし……話してみたいって言われただけだったから……」
語尾が弱くなるのは、茜も失策に気がついているからである。
「バカ! 連れ込み宿で看板どおりに『ご休憩ご商談』するヤツがあるか」
「連れ込み宿って、何?」
「ラブホテルのことだ、バカ!」
「バカバカ言わなくたって、いいじゃない」
それがそもそもの今回の原因だと、充分理解している茜の声は小さい。そして普段から怖い秀一の顔は、眉間に皺が寄っている。
秀さんが怒ってる。そう思ったら、泣きたくなった。
「おまえはね、自分から言わなければ、誰も結婚してるなんて思ってくれないんだよ。だから、そんなことになるんだ」
「……ごめんなさい」
「俺じゃない、相手に言え。若い男が女に声かけるときなんて、そいつとやれるかどうかってのが先に来るもんだ」
そこまで行くと結構な暴論のような気が、しないでもない。
「で、断るときには、結婚してるって言ったんだろうな」
「……言ってない。慌てて、言いそびれました」
「バカ! そういうヤツは、また来るぞ!」
吽仁王は子鬼を踏みつけるような顔になって、茜を睨んだのだった。
布団の中で秀一の胸にすり寄った茜のパジャマが捲り上げられ、茜の身体の緊張は、一気にほぐれた。
秀さん、そんなに怒ってない。さっきは怖かったけど、大丈夫、いつもの秀さんの手だ。胸を撫でる手はいつも通り、繊細ではないが力の加減をしてくれているし、唇は思いの外やさしい。たっぷりと耳にキスしてくれるのもいつも通りで――茜は甘い。
実は秀一の「面白くない」は継続しているのである。ガキが俺の女に目をつけやがって、とか思っているのだ。隙だらけの茜のほうが問題なのだが、そこはそれ、自分の身内の非は認めたくないものだし、少なくとも茜の擦れてなさ加減は、秀一も知っている。しかし、やっぱり気は済まない。
茜の足の間に指を進めると、秀一の目に留まったのはその長くて膝頭の小さな脚だ。茜の中で一番男の目を惹く部分。
「あっ…ん……んんっ……」
膝の上に唇をつけると、茜の腰はくねり、秀一を誘う。誘う部分を指で宥めながら、秀一は大きく口を開けた。
「あんっ……いたっ……痛いっ…やっ! 痛ーいっ!」
逃げようとする茜の脚を両手で押さえ込み、秀一は力一杯太腿の下の部分に噛み付いた。
「やーっ! 痛いーっ! やだーっ!」
気が済んで口を離すと赤紫色に歯型が残り、秀一は頬に笑いを浮かべた。これでしばらく、普段のショートパンツもミニスカートも穿けまい。茜が自分で気に入っている部分は、他人も気になるんだから。
それでな、おまえ、本当はそいつのこと、ずいぶん気に入ってたろう。早くに相手を決めたこと、実は少し後悔したんじゃないか。そんな風に問い詰めたところで、お互いが気まずくなるばかりで、何も生まない。だからそれは秀一の心の中だけの呟きだ。
そうかも知れない、そうではないかも知れないと思いあぐね、けれど何事もなかったかのような顔をして生活は続いていく。これもまた夫婦の醍醐味である。
秀一の若干大人気ない仕返しで、茜はしばらく膝丈以上の長さのボトムスを着用しなくてはならない。それにがっかりしたのは茜ではなく、アルバイト先及び普段買い物に使う商店街やスーパーの男たちだったが、秀一も茜もそんなことは知らない。
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