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秋の半ばに、茜は二十歳になった。茜の母と妹に招かれて、秀一も女所帯の中で祝った。(居心地の悪さったら、なかった)女だけの家で、妹はまだ高校生なのである。祝いの席にビールの一本も出ず、食後は甘いものだった。大体、秀一は愛想笑いなんてできない。
茜の実家を辞した秀一が大きな溜息をついたので、茜は口の端でくすっと笑った。
「金のチェーンなんてもらっちゃった。お母さん、大変なのになあ」
女手で娘二人を育てた母は腰の低いしっかり者だが、あれこれ決定するのは早く、豪快ですらある。茜を大学に行かせてやれなかったと、それだけが後悔の元らしく、「茜が勉強をしたがったら、学費は出すから」と頼まれたことがある。まあ、子供ができてしまえば、その時に考えれば良いことである。親っていうのは、子供が結婚しても親なのだなと思うのみだ。
「俺からも、何か欲しいか?」
「年の数だけ、赤いバラ。あと、真珠」
「却下。自分で買ってくるなら、財布渡すわ」
「それじゃ、プレゼントじゃない!箱にこう、リボン掛かってて」
どの面下げてバラだの真珠だの買えってんだ、この小娘は。
「えっとね、秀さんとお酒飲みに行くっていうのは?」
茜が秀一の腕に腕を絡める。たまの車でない外出に、茜は楽しそうだ。
「おでんと焼き鳥と、どっちだ?」
「ナイフとフォーク使う食事して、大人向けのバーで」
「却下」
秀一は苦虫を噛み潰す。俺で遊んでやがるな、と思う。
「あ、じゃあ浦安のテーマパークで、おそろいの耳つけて」
「大却下!」
返事と同時に、腕にぶらさがったままの茜が吹き出した。
「想像しただけでも、無茶!」
「本当は、何が欲しい?」
「なーんにもいらない。秀さんの好きなお店に、お酒飲みに連れてって」
本当は、二十歳の記念に何かしたかった。けれど秀一を自分の年代のノリに連れてくることは、できない。二十歳の秀一がどんな青年だったか、茜は知らない。二十三年前、茜を形作るものなど存在していなかったのだし、写真なんか見ても想像はつかない。もっとも周りの人間に言わせれば、秀一は変わっていない、らしい。その頃の秀一に会ったら、自分は若い秀一を選ぶだろうか。
ううん。私の秀さんはオジサンで、怖い顔しててぶっきらぼうなの。でも実は意外に生真面目で、ちょっと可愛いんだよ。
未成年だからと茜を酒の席に出したがらなかった秀一は、自身も外で飲むことがめっきり減っていた。ご無沙汰気味の焼き鳥屋で、一杯飲むのは悪くない。
「じゃ、来週末にでも行くか? バイトは?」
「日曜日は入ってないよ。土曜日に浴びるほど飲んでも、大丈夫」
「……そこまで飲ませるか、バカ」
『茜ちゃんのお誕生日だったんだって? なんでこっちに言わないの』
秀一の母から電話が来たのは、その週の半ばである。
「いや、別に何も……」
入籍ですら事後承諾だった男は、妻の誕生日の報告なんかしない。
『二十歳になったんでしょ?節目なんだから、きちんとしなさい。お金送るから、何か記念になるものでも』
母の言葉は一度途切れ、何か考えた後にトーンを変えて続いた。
『そういえば、茜ちゃんは結婚式挙げたがらなかったの?』
秀一と茜は、結婚式を挙げていない。茜が身の回りのものを、修一の部屋に運び込んだだけだ。茜の家には余裕はないし、茜自身も会社員は一年しか経験がないので、大層な貯蓄は持っていない。もとより、秀一は二度目だということもあり、深くは考えていなかった。
『あちらさんのお母さん、何も仰ってないけど、娘の花嫁姿は見たいだろうねえ』
茜の家の経済事情や係累の少なさを鑑みれば、茜の実家からは何も言えないだろう。秀一は無言のまま、母親の言葉の続きを待った。
『どこか身内だけで結婚式やってくれるところが、あるといいわねえ。余所様のお嬢さんなんだから、きちんとしておいたほうがいいね』
「いや、もう一緒に住んでるし」
『入籍してから結婚式なんて、よくある話よ。せめて写真だけでも残しなさい』
茜の誕生日の話はどこへやら、何故か結婚式の話になって、電話は切れた。
「聡子さんが、日曜日に来るって」
金曜日の晩の電話で、秀一は妹がやって来ることを知った。
「何しに?」
「お母さんのおつかい、とか言ってた。早い時間に来て、レストラン回るよって。秀さんも一緒に来るように、だって。何だろ?」
「レストラン?」
「だから、土曜日はちょっと飲みに行けないなあ。ざんねーん」
本気で翌日に持ち越すほど飲むつもりだったのかというツッコミはさておき、妹がやって来る理由は秀一にだけ、見当がつく。
「でも、聡子さんが来るのは嬉しいな。日帰りじゃゆっくりできないね」
夏の里帰りから、茜は聡子と仲が良い。だから来るのを楽しみにするのは、有難いと言えば有難い。けれど、母のおつかいの内容を、秀一は知っているのである。レストランで身内だけとなれば、和装じゃなくて洋装だ。食事会じゃない、母親は「式」だと言った。茜はドレスが着たかったろう。それは、なんとなくわかっている。けれど、秀一本人は。
ドレスの傍らに立つ男は、普段のスーツじゃ許されない。タキシード? 勘弁してくれ!
ものすごく張り切った顔の聡子が、電車を乗り継いでやってきたのは、日曜日の朝の九時前だった。
茜の実家を辞した秀一が大きな溜息をついたので、茜は口の端でくすっと笑った。
「金のチェーンなんてもらっちゃった。お母さん、大変なのになあ」
女手で娘二人を育てた母は腰の低いしっかり者だが、あれこれ決定するのは早く、豪快ですらある。茜を大学に行かせてやれなかったと、それだけが後悔の元らしく、「茜が勉強をしたがったら、学費は出すから」と頼まれたことがある。まあ、子供ができてしまえば、その時に考えれば良いことである。親っていうのは、子供が結婚しても親なのだなと思うのみだ。
「俺からも、何か欲しいか?」
「年の数だけ、赤いバラ。あと、真珠」
「却下。自分で買ってくるなら、財布渡すわ」
「それじゃ、プレゼントじゃない!箱にこう、リボン掛かってて」
どの面下げてバラだの真珠だの買えってんだ、この小娘は。
「えっとね、秀さんとお酒飲みに行くっていうのは?」
茜が秀一の腕に腕を絡める。たまの車でない外出に、茜は楽しそうだ。
「おでんと焼き鳥と、どっちだ?」
「ナイフとフォーク使う食事して、大人向けのバーで」
「却下」
秀一は苦虫を噛み潰す。俺で遊んでやがるな、と思う。
「あ、じゃあ浦安のテーマパークで、おそろいの耳つけて」
「大却下!」
返事と同時に、腕にぶらさがったままの茜が吹き出した。
「想像しただけでも、無茶!」
「本当は、何が欲しい?」
「なーんにもいらない。秀さんの好きなお店に、お酒飲みに連れてって」
本当は、二十歳の記念に何かしたかった。けれど秀一を自分の年代のノリに連れてくることは、できない。二十歳の秀一がどんな青年だったか、茜は知らない。二十三年前、茜を形作るものなど存在していなかったのだし、写真なんか見ても想像はつかない。もっとも周りの人間に言わせれば、秀一は変わっていない、らしい。その頃の秀一に会ったら、自分は若い秀一を選ぶだろうか。
ううん。私の秀さんはオジサンで、怖い顔しててぶっきらぼうなの。でも実は意外に生真面目で、ちょっと可愛いんだよ。
未成年だからと茜を酒の席に出したがらなかった秀一は、自身も外で飲むことがめっきり減っていた。ご無沙汰気味の焼き鳥屋で、一杯飲むのは悪くない。
「じゃ、来週末にでも行くか? バイトは?」
「日曜日は入ってないよ。土曜日に浴びるほど飲んでも、大丈夫」
「……そこまで飲ませるか、バカ」
『茜ちゃんのお誕生日だったんだって? なんでこっちに言わないの』
秀一の母から電話が来たのは、その週の半ばである。
「いや、別に何も……」
入籍ですら事後承諾だった男は、妻の誕生日の報告なんかしない。
『二十歳になったんでしょ?節目なんだから、きちんとしなさい。お金送るから、何か記念になるものでも』
母の言葉は一度途切れ、何か考えた後にトーンを変えて続いた。
『そういえば、茜ちゃんは結婚式挙げたがらなかったの?』
秀一と茜は、結婚式を挙げていない。茜が身の回りのものを、修一の部屋に運び込んだだけだ。茜の家には余裕はないし、茜自身も会社員は一年しか経験がないので、大層な貯蓄は持っていない。もとより、秀一は二度目だということもあり、深くは考えていなかった。
『あちらさんのお母さん、何も仰ってないけど、娘の花嫁姿は見たいだろうねえ』
茜の家の経済事情や係累の少なさを鑑みれば、茜の実家からは何も言えないだろう。秀一は無言のまま、母親の言葉の続きを待った。
『どこか身内だけで結婚式やってくれるところが、あるといいわねえ。余所様のお嬢さんなんだから、きちんとしておいたほうがいいね』
「いや、もう一緒に住んでるし」
『入籍してから結婚式なんて、よくある話よ。せめて写真だけでも残しなさい』
茜の誕生日の話はどこへやら、何故か結婚式の話になって、電話は切れた。
「聡子さんが、日曜日に来るって」
金曜日の晩の電話で、秀一は妹がやって来ることを知った。
「何しに?」
「お母さんのおつかい、とか言ってた。早い時間に来て、レストラン回るよって。秀さんも一緒に来るように、だって。何だろ?」
「レストラン?」
「だから、土曜日はちょっと飲みに行けないなあ。ざんねーん」
本気で翌日に持ち越すほど飲むつもりだったのかというツッコミはさておき、妹がやって来る理由は秀一にだけ、見当がつく。
「でも、聡子さんが来るのは嬉しいな。日帰りじゃゆっくりできないね」
夏の里帰りから、茜は聡子と仲が良い。だから来るのを楽しみにするのは、有難いと言えば有難い。けれど、母のおつかいの内容を、秀一は知っているのである。レストランで身内だけとなれば、和装じゃなくて洋装だ。食事会じゃない、母親は「式」だと言った。茜はドレスが着たかったろう。それは、なんとなくわかっている。けれど、秀一本人は。
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