27 / 60
27.
しおりを挟む
お台場に立つそのホテルの部屋からは、レインボウブリッジが一望できた。
「封鎖できません!」
いささか古いせりふを言いながら、茜は窓に張りついてはしゃいでいる。食事つきプランではなくて、秀一は安堵しながら出かけてきた。ドレスコードがあるような場所では、何をどう食べるのか安心して味わえない。襟のあるシャツとネクタイはどうにも慣れないが、インナーをセーターに替えればあっという間にカジュアルになるブレザーならば、気楽である。ウェルカムドリンクのシャンパンをサービスしたボーイはもう部屋から去っており、整った部屋は清潔で静かだ。
観光地の旅館ではなく都心のホテルなので、チェックインは抵抗がない。先に日程を予約しておけば、フロントでクーポン券を出しておしまいだ。慇懃な従業員たちはカップルの組み合わせに無作法な目を向けたりしないし、記念日プランとはいっても、別に記念日の証拠を提示しろと言われるわけでもない。
これが和風旅館で、仲居が茶を淹れたり布団敷きに来たりしてみろ。娘と旅行に見えるか、若い女と不倫旅行でもしてるエロ親父か。
茜と生活するようになって秀一の見た目はずいぶん若返っているのだが、(着る物も持ち物も、言われるがままである)いかんせん立ち居振る舞いがおっさんのままである。秀一が携わる工事現場は男社会であり、女と言えば会社内のお姉ちゃんと玄人さんしか見ていない生活をしていたのだ。それでも若い頃はずいぶんと気をつけていたつもりだが、気を使う場所のない習慣は、身に染み付いてしまっている。ネクタイを抜いて胸元のボタンを開け、秀一はソファにどっかりと腰を下ろした。
夜景をうっとりと見ていた茜は、振り向いて部屋を見回した。クラシカルな家具と白いリネン類、テーブルの上のフルートグラスの中には、まだ泡の残るシャンパンとイチゴのボウルだ。贅沢だなあともう一度うっとりしてから、ソファの秀一に目を留めた。
「……台無し」
うっかりと口から出てしまった言葉は、別に他意はない。ファッション雑誌のグラビアに出てくるシチュエーションに立っている自分が嬉しかっただけなのだが、そこにひとつだけ異彩を放つリアルが放り込まれているのだ。
「あ?」
ぽかっと開けた秀一の口からは、大量の煙が流れ出た。
「秀さんって、しみじみこういう場所の人じゃないね……」
続けて出たのも、本音である。まるでフレンチレストランのメニューに、もつ煮込みが混ざっているかのようだ。
「こういう場所の人って、どういうヤツだ」
秀一の声は、いささか不愉快である。
「んっと、もっとラグジュアリーでオトナな……タレントだと、西山一之みたいな」
そのタレントは、秀一も知っている。秀一と同年代で、もっと若い頃はダンスで売り出したアイドルグループの一員だった。調味料に喩えれば「醤油」と言われるあっさりした美貌で、最近はスーツ姿でテレビに出演して、若い肉体の維持を誇っている。言うなれば泥臭い秀一とは、真逆だ。繰り返して言うが、茜に他意はない。
「あれ、俺より二歳年上だぞ」
今度ははっきりむくれた声である。
「中年には見えないもん。かっこいいし」
何心なく茜は答える。ただの正直な感想だから、別にそれでどうだって言うわけじゃない。部屋に似合うのはタレントのような人だと言っただけで、秀一を否定してなんかいないのだから、世間話の延長のようなものだ。
「悪かったな。中年で、かっこよくなくて」
茜が慌てて口を閉じても、遅かりし由良の介である。ソファに座っているのは美貌のタレントじゃなくて、中年代表(しかも、怖い)のような秀一なのだ。そして気がつけば自分も、ファッション雑誌を飾るような一流ブランドを身につけているわけでもなく、スタイリストにヘアメイクしてもらったわけでもない、普段の茜だ。
「ごめーん。でも、西山一之より、秀さんが好きなんだよ?」
「とってつけたように言うな、バカ。茜が俺をどう思ってるのか、よーくわかった」
若干、大人気ない。
ホテルのレストランの食事は、肩が凝る。茜はコースのあるレストラン自体が未体験で、少々惜しいような気がしたが、まだむくれている秀一の機嫌をとるほうが先だ。スマートフォンの中にいくつか保存しておいた検索で夕食の場所を決めようと、秀一に画面を提示する。
「ねえ。炉辺のお店とか、お寿司がいい?このお店は、各地の地酒が揃えてあるって……」
秀一だっていつまでもこんなことで臍を曲げているほど、大人気なくはない。茜が普段のように足を剥き出しにしていないのは見えているのだし、少々小マシな場所には行ってやろうと思ってはいる。それでも一生懸命機嫌をとろうとしているのが可愛いので、放っておいているだけだ。
「ねえ、これ見て?」
茜が差し出したスマートフォンを受け取り、画面を確認する。
「字、どうやってでかくするんだ?」
「え? やだ、見えない?」
「……悪かったよ、最近焦点が合いづれえんだ」
秀一は、再度むくれた声を出した。
「封鎖できません!」
いささか古いせりふを言いながら、茜は窓に張りついてはしゃいでいる。食事つきプランではなくて、秀一は安堵しながら出かけてきた。ドレスコードがあるような場所では、何をどう食べるのか安心して味わえない。襟のあるシャツとネクタイはどうにも慣れないが、インナーをセーターに替えればあっという間にカジュアルになるブレザーならば、気楽である。ウェルカムドリンクのシャンパンをサービスしたボーイはもう部屋から去っており、整った部屋は清潔で静かだ。
観光地の旅館ではなく都心のホテルなので、チェックインは抵抗がない。先に日程を予約しておけば、フロントでクーポン券を出しておしまいだ。慇懃な従業員たちはカップルの組み合わせに無作法な目を向けたりしないし、記念日プランとはいっても、別に記念日の証拠を提示しろと言われるわけでもない。
これが和風旅館で、仲居が茶を淹れたり布団敷きに来たりしてみろ。娘と旅行に見えるか、若い女と不倫旅行でもしてるエロ親父か。
茜と生活するようになって秀一の見た目はずいぶん若返っているのだが、(着る物も持ち物も、言われるがままである)いかんせん立ち居振る舞いがおっさんのままである。秀一が携わる工事現場は男社会であり、女と言えば会社内のお姉ちゃんと玄人さんしか見ていない生活をしていたのだ。それでも若い頃はずいぶんと気をつけていたつもりだが、気を使う場所のない習慣は、身に染み付いてしまっている。ネクタイを抜いて胸元のボタンを開け、秀一はソファにどっかりと腰を下ろした。
夜景をうっとりと見ていた茜は、振り向いて部屋を見回した。クラシカルな家具と白いリネン類、テーブルの上のフルートグラスの中には、まだ泡の残るシャンパンとイチゴのボウルだ。贅沢だなあともう一度うっとりしてから、ソファの秀一に目を留めた。
「……台無し」
うっかりと口から出てしまった言葉は、別に他意はない。ファッション雑誌のグラビアに出てくるシチュエーションに立っている自分が嬉しかっただけなのだが、そこにひとつだけ異彩を放つリアルが放り込まれているのだ。
「あ?」
ぽかっと開けた秀一の口からは、大量の煙が流れ出た。
「秀さんって、しみじみこういう場所の人じゃないね……」
続けて出たのも、本音である。まるでフレンチレストランのメニューに、もつ煮込みが混ざっているかのようだ。
「こういう場所の人って、どういうヤツだ」
秀一の声は、いささか不愉快である。
「んっと、もっとラグジュアリーでオトナな……タレントだと、西山一之みたいな」
そのタレントは、秀一も知っている。秀一と同年代で、もっと若い頃はダンスで売り出したアイドルグループの一員だった。調味料に喩えれば「醤油」と言われるあっさりした美貌で、最近はスーツ姿でテレビに出演して、若い肉体の維持を誇っている。言うなれば泥臭い秀一とは、真逆だ。繰り返して言うが、茜に他意はない。
「あれ、俺より二歳年上だぞ」
今度ははっきりむくれた声である。
「中年には見えないもん。かっこいいし」
何心なく茜は答える。ただの正直な感想だから、別にそれでどうだって言うわけじゃない。部屋に似合うのはタレントのような人だと言っただけで、秀一を否定してなんかいないのだから、世間話の延長のようなものだ。
「悪かったな。中年で、かっこよくなくて」
茜が慌てて口を閉じても、遅かりし由良の介である。ソファに座っているのは美貌のタレントじゃなくて、中年代表(しかも、怖い)のような秀一なのだ。そして気がつけば自分も、ファッション雑誌を飾るような一流ブランドを身につけているわけでもなく、スタイリストにヘアメイクしてもらったわけでもない、普段の茜だ。
「ごめーん。でも、西山一之より、秀さんが好きなんだよ?」
「とってつけたように言うな、バカ。茜が俺をどう思ってるのか、よーくわかった」
若干、大人気ない。
ホテルのレストランの食事は、肩が凝る。茜はコースのあるレストラン自体が未体験で、少々惜しいような気がしたが、まだむくれている秀一の機嫌をとるほうが先だ。スマートフォンの中にいくつか保存しておいた検索で夕食の場所を決めようと、秀一に画面を提示する。
「ねえ。炉辺のお店とか、お寿司がいい?このお店は、各地の地酒が揃えてあるって……」
秀一だっていつまでもこんなことで臍を曲げているほど、大人気なくはない。茜が普段のように足を剥き出しにしていないのは見えているのだし、少々小マシな場所には行ってやろうと思ってはいる。それでも一生懸命機嫌をとろうとしているのが可愛いので、放っておいているだけだ。
「ねえ、これ見て?」
茜が差し出したスマートフォンを受け取り、画面を確認する。
「字、どうやってでかくするんだ?」
「え? やだ、見えない?」
「……悪かったよ、最近焦点が合いづれえんだ」
秀一は、再度むくれた声を出した。
0
あなたにおすすめの小説
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
会社員の青年と清掃員の老婆の超越した愛
MisakiNonagase
恋愛
二十六歳のレンが働くオフィスビルには、清掃員として七十歳のカズコも従事している。カズコは愛嬌のある笑顔と真面目な仕事ぶりで誰からも好かれていた。ある日の仕事帰りにレンがよく行く立ち飲み屋に入ると、カズコもいた。清掃員の青い作業服姿しか見たことのなかったレンは、ごく普通の装いだったがカズコの姿が輝いて見えた。それから少しづつ話すようになり、二人は年の差を越えて恋を育んでいくストーリーです。不倫は情事かもしれないが、この二人には情状という言葉がふさわしい。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる