最後の女

蒲公英

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 夜景の見える鉄板焼きの店にしようと決めると、さっさと予約をする茜を秀一は不思議そうに見ている。
「メシ食うのにも、ケータイか?」
「週末だから、予約しないと入れないと思うよ?外で待つの、イヤだもん」
 予約が必要な店になんて行ったことのない茜ですら、そんなことは予測がつく。かっこつけるってのは面倒なこっちゃ、と秀一はちらっと頭の片隅で思う。娘に贅沢をさせてやろうという親心を、自分の怠惰で無碍にしてしまうわけにはいかず、しぶしぶネクタイを締めなおした。
「やっぱりこの前のピンクのネクタイ、買っとけば良かったかなあ」
「絶対締めねえ」
 ピンクだの花柄だののネクタイは、秀一には許容範囲外である。いかに茜が自分の着るものをコントロールしようと、そこだけは譲れないのだ。
「日焼けしてるから、サーモンピンクのシャツなんかでもー」
「冠婚葬祭用の白だけで充分だ」
 日常的に着ないものを、タンスの肥やしにしておく趣味はない。それでなくとも、タンスの半分と押入れ下段は茜に占拠されているのだ。唇を尖らせた茜を促し、コートを羽織る。十年物のトレンチである。

 酒のリストを見て機嫌が良くなるなんて、現金なものだ。
「これ、十四代って今あるんですか」
 秀一が指差したのは、茜が友人とのランチにかける金額よりも高価い。たまの(っていうか、はじめての)贅沢だからと、茜も口を出すのは差し控えておく。窓の外に広がる夜景や目の前で調理されて供される料理は、日常生活の中にはないものだ。繊細な切子の猪口で口に運ぶ酒は、香り良くすっきりと旨い。美味しいね、綺麗だねと言い合える相手がいることは、幸せだ。
「次は獺祭もらおうかな」
 そろそろ三合目である。茜はデザートにアイスクリームを鉄板焼きしてもらい、満腹になっている。秀一が機嫌良く飲んでいるのだから、あまり水は差したくない。差したくないが、そろそろ店を出て歩きたいところだ。
「上善如水ってのも、いい酒だぞ」
「……それで、終わりにしてね」
 まだ八時前なので、秀一には少々物足りない。
「おまえも飲めばいいだろうが」
「一応、新婚旅行のつもりなんだけど」
 横に座っている茜の耳に、秀一は小声を吹き込んだ。
「忘れてねえ。大丈夫だって、ちゃんと可愛がってやるから」
 酔いの上気でない赤みが、茜の頬に上った。
「そーゆーこと言ってるんじゃないの! まだ街を歩ける時間だし、歩きながら夜景見られるしっ!」
 声を張り上げられない内容なのが、なんとも悲しい。

 ゆりかもめ一駅分くらい、歩くのはなんでもない。暮れのお台場は、あちこちクリスマス仕様だ。電気代の無駄遣いだなどとケチをつけるつもりは、秀一にもない。きらきら光る街を、茜ははしゃぎながら秀一の腕にぶらさがって歩く。その仕草は無邪気で子供っぽく、やはり庇護しなくてはと思ってしまう。
―――私だけは最後まで、秀さんと一緒にいるの!
 そうなのか? 本当にいつまでも、俺と一緒にいてくれるつもりなのか? 若いうちの思い込みなんじゃないのか?
 その危惧はいつでも秀一の頭の片隅にあって、時折妙な焦りが出る。茜を信用していないわけじゃない。信用していないのは「若さ」だ。

 歩いてホテルまで帰りミネラルウォーターを半分ずつ飲むと、茜はバスルームに消えていった。アメニティグッズのバスバブルを試したいらしい。秀一はシャワーブースだけで問題ないので、ソファに座っテレビをつけた。少し酔っているかも知れない。窓の外の夜景が、殊更に美しく見える。
 脱いでしまったものをクローゼットに収め、秀一もシャワーを済ませる。自分の家よりも遥かに上等なタオルで頭をこすっていると、バスルームの扉が開いた。

 備え付けてあったナイトシャツじゃない。茜は白いスリップ姿だ。光沢のある生地を繊細なレースが縁取り、前にあるスリットが、足の付け根まで切れ込んでいる。普段のショートパンツでそんな下着を身につけたりはしないので、わざわざ購入してきたのだろう。なかなか大人っぽいデザインのチョイスではある。
「新婚旅行だしな」
「そうだよ。だから、ちゃんとサムシングブルー」
 ちらりと裾を捲って見せると、ショーツの脇に青いリボンが見えた。
「気合入ってんな」
「新婚旅行だも……きゃぁ!」
 秀一はスリップのストラップに指をかけて、するりと外した。
「期待してたか?」
「そっちの期待じゃない! 見てよ! 輸入のレースなんだよ? 綺麗でしょ?」
 慌ててストラップを戻しながら、茜が窓まで後ずさる。

「ああ、脱がせながら鑑賞してやる。パンツより中身の鑑賞のほうが好きだけどな」
 窓まで後ずさっているのだから、押し付けてしまうのは簡単だ。
「カーテン開いてるぅぅ!」
「高層階の窓なんて、どこから覗けるって言うんだ、バカ」
 茜の足の間に膝をこじ入れ、秀一はもう一度ストラップに手をかけた。
「ま、こんなのも一興だな。夜景見ながらやるか」
「ちょっと待って! ここで? そこに、大きなベッドがあるのに?」
「どっちがいい?」
 言いながらスリップの裾をたくし上げ、秀一の手はショーツにかかる。
「せっかく、ロマンチックにぃぃ!」
「俺は西山一之じゃないからな。ロマンチックなら、求める相手が間違ってるぞ?……なんだこれ、結んであるだけか」
 ショーツのサイドを支えるリボンを解き、茜の唇を舌で割る。首に腕が回されると、茜の一番の弱点である耳に息を吹き込んで、スリップの上から身体の線を確かめはじめてから、夕方の会話からの疑問を口にした。
「ところで、ラグジュアリーってどういう意味だ?」
 ロマンチックじゃない夜は、それなりに更けてゆく。 
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