最後の女

蒲公英

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 秀一にスリップの上から胸の先端を摘まれたとき、茜は身体を引いた。
「手抜きしちゃ、だめ」
 問いかける顔の秀一の首に、手を回して囁く。
「ちゃんと、キスからして」
 秀一の上半身を覆う薄手のシャツは筋肉に押し上げられ、窓際に立つ茜をベッドに運ぶ準備をしている。茜を胸の中に抱きこみ、秀一は茜の上唇を噛んだ。歯列をなぞり、上顎を舐め上げる。その合間にスリップのストラップを肩から外した。
「もっと……ん……」
 唇を何度も強請る茜に応えながら、胸を揉みしだく。
「もっと、キス……」
 絡めた舌を引き出すと、銀色の糸が引いた。
「おまえの口は、甘いな」
 味覚に訴えてくるものは、糖度として計れるものじゃない。けれど秀一は確かに、その甘みを感じる。それは惚れた女の甘みなのか、己自身が酔う期待なのか。
「秀さん……私、ちゃんと奥さんだよね?」
 離れきらない唇の隙間から、茜は吐息だけで囁く。
「ああ、間違いなくそうだ」
「ずっと?」
「おまえが俺を見捨てなければな」
「じゃあ、ずっとだね」

 スリップは足元に落ちた。ショーツも落ちた。窓越しの夜景が茜を照らす。まだ頼りない細い肩のライン、重みのない腰の高さは、かつての秀一には魅力を感じなかったものだ。
「ベッドに連れてって」
 腕も脚も秀一に絡ませて、茜はあどけない顔のままでせがむ。自分がリードしていたはずが、茜のペースに持って行かれている。
 きっと一生そうなるのだろうと、秀一は思う。はじまりから、いつの間にか茜のペースに巻き込まれ、気がつくと自分のほうが夢中になっている。社内で口を利こうとも思わなかった若い女は、たった一年で秀一を絡めとり、半年足らずで生活を丸ごと変化させた。それを楽しんでいる自分と、冷静に自分を観察するもうひとりの自分がいて、どちらも秀一自身だ。
 理屈なんかはどうでもいいな。この女と生活していくのだと決めたのは、俺だ。

「ん……もっと、ゆっくり、して……」
 言われるがままに、秀一は動きを緩めた。
「どうした、苦しいか」
 耳元の囁きに、茜はぴくりと身体を震わせた。
「もったい、ない、の……こんな、時間、もっと」
 驚いたことに、茜は涙を浮かべていた。
「秀さん、あったかくて……やさしくて、しあわせ、なの……」
 繋がったまま抱き込む細い身体は、どこまでも従順に秀一に委ねられている。暖かくて優しいのは、自分を受け入れるその身体ではないだろうか?

 おまえが最後まで俺の傍らにいる女だと言うのなら、俺もまた最後までおまえの傍らにいたい。人生が順当ならば、俺はおまえを置いていかなくてはならないけれども、少なくとも生きながらえていられるうちは。
 折り返し地点に来た人生の中で、こんな幸福が得られるのならば、生きていくのも悪くない。


「朝ごはん、下のダイニングまで降りなくちゃ」
「面倒だな、高層階ってやつは」
「マッシュルームでオムレツ作ってもらおっと」
 朝起きて元気にシャワーを浴びた茜は、ショッピングモールをウロウロするのを楽しみにしているらしい。生活雑貨の店やら上質の石鹸の店やら、秀一は知らないファッションブランドらしき店やらと、楽しげにあげつらねている。
「それ、俺もつきあうのか?」
「せっかく来たんだから、寄りたいところがたくさん。楽しみにしてたんだもん」
 家からここまで来ても、一時間はかからない。
「友達とでも来たらどうだ?」
「やだっ! おしゃれして来たんだから、秀さんとデートなのっ!」
 朝食の席に着き、普段は摂らないパンやオムレツを目の前に、秀一はこっそりと溜息を吐く。若いカップルがわんさといる場所で、混んでいるであろう店内を連れまわされると思うだけで目が回る。
 若い母ちゃんをもらうのは、やっぱり楽じゃない。
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