最後の女

蒲公英

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 押入れの隅っこから出てきた幾葉かの写真を、茜はじっと見ていた。若い頃の秀一は無骨なりに髪を整え、体格も表情も現在よりもすっきりしている。言い換えれば、重みが少ない。
 ふうん。変わってないって聞いたけど、やっぱり若い頃はオジサンじゃないよね。重ねて束ねてあるものを、次々と捲ってみる。そして、それを見た。秀一の横に立つ女は、夏の薄いワンピースを着ている。秀一は女のほうに顔を向け、女は前を向いて微笑を浮かべている。背景は、多分どこかの寺だ。
 前の奥さんの写真だ、これ。何で捨ててないの? 次々開いていくと、女だけの写真も残っていた。黙って捨ててしまおうかと考えてから、それはルール違反だと自分を戒めた。茜自身は学生時代、恋人が変われば写真も交換したものも捨ててはいたけれども、そうしない友人も確かにいた。気が知れないとは思っていたが。
 見れば、写真はいくつもの季節にまたがっている。夏の高原らしき場所、花見の席、中華街。女は茜のようなシャツの重ね着にショートパンツなんかじゃなく、長いスカートにパンプスが多い。秀一は現在と同じくジーンズだが、Tシャツの上に羽織ったシャツが若々しい。生まれたときからおっさんじゃないのだから、当たり前である。
 秀さん、前の奥さんとは結構出かけて写真撮ったりしてるんだな。私がカメラ向けても、いらないとか言うくせに。
 茜の表情は、複雑だ。

「押入れ、ちょっと片付けた。この箱とか、何かに使う?」
「ああ、いらないと思ったら、捨てていい」
 引きずり出したものが、居間兼食堂の隅に積まれている。中には秀一ですら入れた覚えがないものがある。一時的な保管場所のつもりで入れて、そのままになっているのだろう。
「これは? アルバムとかに整理しないの?」
 茜は写真の束を出した。鼓動が早くなった。
「古い写真か? 何か箱にでも、入れときゃいいさ」
 一瞥しただけで秀一はそう言い放ち、煙草に火を点けた。
「中、確認しないの?」
「あんまり好きじゃねえんだ、写真」
「でも、秀さん嬉しそうに写ってるよ?」
 ストレートには聞こえ難い言い回しに、秀一はやっと気がついた。

「見せてみろ」
 茜から写真を受け取って、数枚捲る。若い頃の自分が写っている。俺も老けたもんだと思いながら捲くっていくと、いきなり別れた妻の顔があった。この写真は日光か? そう言えば行ったな、なんて思いながら、しばらく眺めた。
「それ、前の奥さん?」
「まあ、そうだな」
「美人だね」
 本当は、美人だなんて思ってはいない。ただ年回りといい服装といい、写真の二人がちゃんと夫婦に見えたことがショックだった。離婚経験があるのは承知していても、結局理解なんてしてなかったのである。自分より前に誰かが秀一と生活していたのだと、実感なんてしていなかった。
「小綺麗にはしてたけど、美人ってもんじゃなかったな」
 写真から目を離して、揃えて輪ゴムをかけた秀一は、それを茜に差し出した。
「もう古い話だよ。しまっといてくれ」
 捨てないの? と訊くことは、できない雰囲気だった。

「なんで、離婚なんてしたの?」
「セーカクのフイッチってやつだ。価値観の相違とも言うな」
「好きで結婚したんでしょ?」
「結婚しなくちゃわからないことだって、あるさ」
 気の進まない口調で、秀一は言う。今までだって、別れた妻の話など誰にもしていない。言葉を尽くしても、人間の心のうちなんて説明できるもんじゃない。どちかが浮気をしたとか経済的に破綻したとかじゃなくて、生活に求めるものが違ったのだ。
「我慢できないくらいイヤな相手だから、離婚するんじゃないの?」
 茜の両親の離婚は、父の浮気が原因だと聞いたことがある。茜に父親の記憶はないから、離婚後に子供に会いには来なかったのだろうが。ただ、そんな風にどちらかの非での離婚ならば、なんとなく納得できる気がする。
「イヤな女、ではなかったな。意見がすりあわないと喧嘩になるから、それでお互い疲れた」
「秀さんも喧嘩するの?」
 秀一が言い争っている姿なんて、茜には想像できない。
「喧嘩って言い方は、間違ってるか。そんなにやりあっちゃいない」
 今思えば自分は卑怯だったと秀一は思う。希望と意見を滔滔と述べる妻を鬱陶しがって、布団を被って背を向けた日のほうが多かった。気に食わないのならさっさと出て行っちまえと思いながら、自分から別れを切り出すこともしなかった。
 ふうっと小さく溜息を吐いて、秀一は隣に座っていたゴンベを膝に乗せた。

 写真の束を空いている箱に収めながら、茜の胸の内は複雑である。幸福そうに他の女と写真に収まっていた男は、自分の夫だ。しかも、イヤな女ではなかったと言う。
 批判するような言葉が欲しかったのだと、自分の中を覗く。別れた女を批判し、二度と会いたくないと言ってくれれば、自分は満足したのか――いや、秀一はそんなことはしない。そんなことをしたら、自分はきっと失望するだろうと思う。
 嫉妬してるんだな、私。似合いの夫婦に見える写真の秀さんと、親子だって言われちゃう私じゃ、全然違うもの。あんな風に一緒に出かけてないのって、やっぱり私と一緒じゃ話が合わないとか思ってるのかな。
 肩が落ちたまま押入れの中に物を押し込む茜の後姿を、秀一は黙って見ていた。 
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