最後の女

蒲公英

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「いつ見せるんだよ、口ばっかりか」
 顔を合わせるたびに、丸山が言う。仕事だからとウイークデイは逃げ切っても、アルバイトの期間は残り二週間余りある。
「どうせ禄でもない親父なのに、見栄張ったんだろ。やっぱり見せられないんだろ」
 適当に遣り過ごすには、面倒な相手だ。しつこい上に、くどい。毎日のように通うアルバイト先のスタッフルームで、茜は口をへの字に曲げた。
「もう、うるさいから旦那様に頭下げたら?」
 同じシフトの主婦が、自転車置き場で言う。揉めた時に心配して、仲裁してくれた人だ。
「だって、きっと嫌がるもん。くだらない喧嘩すんなって、怒られるかも」
「丸山さん、平野さんの旦那様よりも自分のほうが価値がある、って言いたいんじゃないかなあ。土木作業に興味があって、知りたがってる人がいるとかなんとか言って、連れ出しちゃいなさいよ。丸山さんも、面と向かって差別的なことは言わないでしょ」
「秀さん、呆れないかなあ」
「そこは平野さんが、上手く誘導するのよ。じゃないと、辞めてからでも連絡来そうだよ」
 シフト相談のために登録したSNSには、今のところ丸山からの書き込みはない。けれど無視を続けると、そちらにも書き込まれそうだ。茜はうんざりして、深い溜息をひとつ吐いた。

「えっとね、バイト先で、土木の仕事に興味のある人がいて、話を聞いてみたいんだって」
 夕食が終わって床の上に新聞を広げた秀一に、茜はおずおずと話を切り出した。
「職人希望か? 知ってる親方が何人か、若いヤツ探してるぞ? 根性ないと、すぐ辞めちまうけどな」
「希望、までは行かないの。どんな仕事するのか、話を聞いてみたいって。だからね、秀さん」
 名前を呼ばれて、秀一は新聞から目を離した。なんだか面倒なことを言われるような予感がする。
「だから、なんだ」
「会ってみたいんだって」
 じっと茜の顔を見た秀一は、その後視線を新聞に戻した。
「いつだ?」
 ハラハラしていた茜が、そっと小さく息を吐いたのが聞こえた。
「ありがと、秀さん。土曜の午後か日曜の昼にするね」

 まったく、多分なんだか面倒なことになってるんだろ、と秀一は思う。深刻にならないように気をつけてはいたが、あの表情は懇願だ。また変な男に目をつけられて、結婚してるなら証拠を見せろとかなんとか。自分だけじゃ対処できなくて俺に泣きついたのか、バカが。隙だらけだからそんな破目に陥るんだ。
 茜の夫として外に出ることは、あまり嬉しくない。どう見ても不似合いなのは知っているし、自分が威圧的に見えることも知っている。けれど茜の困った顔には、助けてくれと書いてある。
「手間かけるから、明日はお酒買ってきちゃう。何がいい?」
 機嫌をとるように言う茜に、普段よりも少し値の張る銘柄を答えておく。行きがけの駄賃に貰うのなら、適当な代物だ。

 秀一の時間を取ると言うと、逆に丸山は怯んだ顔をした。嫌がらせを言っていただけだったのかと茜は少々腹が立ったが、さすがに会わないとは言えない様子だ。
「じゃ、日曜日のシフトに入る前ね。一時間もあれば、いいでしょ?」
 茜自身は日曜日にアルバイトは入れていないので、出たついでに普段と違うスーパーマーケットに行こうという算段だ。
「俺、日曜は十時からなんだよなあ」
「じゃ、九時にしよう」
「起きられるかなあ」
 自分で会わせろと言っておきながら、勝手な言い分である。
「秀さんを丸山さんの都合に合わさせるなんて、できないよ。別にこっちに用事はないんだから」
 相手が怯んだので、茜は強気だ。もとより、秀一の休みをそんなことで使ってしまうことが申し訳なくて、なるべく早く済ませてしまいたい。茜の言い分で時間と場所を決め、意気揚々とスタッフルームを後にした。

 約束の朝、約束のファミリーレストランで、茜と秀一はドリンクバーのコーヒーのお代わりをした。早めに着いてしまったとはいえ、時間は十分ばかり過ぎている。
「時間、間違えてねえか?」
「十時からバイトのはずだから、間違ってない」
 そう答えたとき、丸山が姿を見せた。
「いつもよりも早く起きたから、頭がぼーっとする」
 開口一番の言葉は、遅れた詫びでも初対面の挨拶でも、朝の挨拶でもなかった。オーダーを取りに来たウェイトレスに、「ドリンクバー」と短く言い、それからやっと茜と秀一の顔を見る。
「おはよう、丸山さん。うちの主人だよ」
「あ、はじめまして。平野さんと一緒のアルバイトの、丸山です」
 秀一の表情が変わらないので、丸山は秀一が怒っていると思ったらしい。実際は呆れているのだが、初対面の人間にそんなことを言うほど、秀一は世慣れていないわけじゃない。
「ね、秀さん。丸山さんが、秀さんに仕事の話を聞きたいって」
「それより、飲み物持ってきてやれ。丸山君、だよね? 何飲む?」
 にこりともしない男に質問されるのは、男同士でも結構怖い。まして向かい側に座っている秀一は、今時ちょっと見ないようなコワモテだ。
「いや、自分で行きますから」
「アルバイトの時間、迫ってるんだろ。遅れた分時間が減ったんだから、聞きたいことに答えよう。茜、コーヒーでも持って来い」

 茜がコーヒーと自分用の飲み物をトレーに載せて席に戻ったとき、秀一は土木の請け負う範囲を話していたが、丸山にはまったく理解できないようだった。
「監督と親方って同じですか」
 見当違いな質問に、秀一が苦笑する。
「仕事について聞きたいんじゃないんだな。職人志望かと思ったんだが」
「いや、僕は肉体よりも頭脳派で」
 そう言った後に、しまったと思ったらしい。言い訳がましく秀一の締まった体型を褒めた。
「うちの親父なんて、腹出ちゃって肩も丸まっちゃって。そういうとこ、かっこいいですよね。肉体が若いと、奥さんが若くても違和感ないですか?」
「君のお父さんより、少しは年下だと思うが。母ちゃんが若かろうがトシだろうが、他人様の迷惑にはならんだろうよ。それより、土木の何が知りたかった?」
「いや、収入はどうかなー、とか」
「職人なら、やりゃあやっただけの報酬だ。俺らみたいに監理側は、普通の会社員」
 結局のところ、丸山は茜の亭主を見たかっただけだろうと、秀一は見当をつける。当の茜はオレンジジュースの上にハイビスカスティを注ぎ込んで、二層にすることに熱中しているが。

 時間だからと席を立った丸山を見送った後、秀一は机の横の伝票に気がついた。それを茜に押しやり、思わず溜息を吐く。
「おまえに寄りたい男が現れるたび、俺がこうやって出張るのか?」
「なんのこと? 丸山さん、なんか現場仕事を、すっごくバカにしたかったみたいなんだけど」
 それはな、お前の亭主だからだ。あんな風に気概も迫力もない男が、他人を継続してバカにするような気力やプライドなんて持つか。
 答えてやりたいところだが、それは言わないでおく。茜は気がついていないのだし、上手く追い払えたのかどうかもわからない。粘着しそうな男だな、と思うだけにしておく。
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