44 / 60
44.
しおりを挟む
「平野さんのダンナって、現場の人なんだって?」
丸山の頭の中では、茜の言ったことが尾を引いていたらしい。
「それじゃあ肉体労働者、バカにできないもんなあ。学歴よりも所得優先って感じ? 何やってるの?」
アルバイトが終わった後のスタッフルームで、戦闘開始モードだ。自分より学歴と年齢が下の茜に負け犬扱いされたことが、余程腹に据えかねたのか。
「土方の監督」
わざと差別的な言葉を投げ返した茜も、戦う気満々である。こんなバカに負けてたまるもんか。
「ふうん。じゃあ、すっごい身体してるんだ。肉体派好みって、いるよね」
「腕の太さは、丸山さんの倍くらいあるかもね。筋肉フェチじゃないけど、必要で鍛えられた筋肉は頼もしいと思うよ」
一見のどかな会話なのに、まわりがハラハラしているのがわかる。言葉の端々に、尖りが潜んでいるのだ。
「土方とか鳶職とかって、元ヤンキーが多いでしょ? 平野さんのダンナも、悪かった……」
丸山が言いかけたとき、茜の笑いが起きた。ステロタイプにバカにするには、あまりにも見当外れだ。
「土方って何するか知ってる? 国家資格は名刺の裏にぎっしりあるし、測量もしなくちゃならない。技術も機械も日進月歩で、指導者側は誰よりも先に知ってなくちゃいけないから、研修や展示会も手は抜けない。ついでに言えば、うちのダンナ様は中堅企業の正社員だから、大学も出てるよ」
「ふうん? でも現場で働いてる人って、日雇いばっかりじゃん。酒呑んでパチスロ行って風俗? みたいな。平野さんのダンナがどうかは知らないけど、外から見れば同じに見えるだろ。そう見られても平気なんだ?」
確かに、そんな人もいる。けれどそうでない人も多いのだ。日雇いの人工も、茜が知る限りでは腰の低い、真面目な人たちだった。元ヤンキーだろうが高校中退だろうが、気を抜いて仕事にかかれば怪我をするし、実力さえあれば自分の腕一本でのし上がれる商売なのだ。朝の五時に集合がかかれば、弁当持参で現場に集まる。そのために共に寝起きしている家族まで、笑われたも同然。
「それ以上言わないほうがいいよ、口の中に砂詰めたくなるから。他人様の生活をどうこう言うよりも、自分の将来でも考えたら?」
後半部分は、余計な言葉だった。アルバイトを終えて帰る筈の人間たちも、スタッフルームから出られない雰囲気だ。
大人相手には素直で人懐っこい茜だが、同年代ならば遠慮なんかしない。卒業してしまったが、成績優秀者なりのプライドは維持しているのだ。バカにバカだと言われて黙っているような賢さは、まだ身についてはいない。真っ当な理屈で負けるくらいなら、掴み合いで負けたほうがマシである。
「年下で、就職が決まったからって偉そうに。契約職員だろ? 一年後に再契約の見通しなんて、ないじゃないか」
「昼の十二時まで寝て、アルバイトと日雇い派遣掛け持ちして、金がない金がないって言ってる人とどっちがマシ?」
それで自分にふさわしい働き口がないなんて言ってるヤツに、容赦する気なんてない。たとえば懸命な求職活動でも悉く断られるような場合になら、茜だってこんな言いかたをする気はない。こんなご時勢だから、諦めなければ良い事があるよ、くらいの言葉も言えるってもんである。
「働きたいと思える会社がないんだよ! ハローワーク行けば、ひどい条件ばっかり出されるし!」
丸山の声に感嘆符がついたところで、仲裁が入った。さすがにまずいと思った主婦が、まあまあと割って入る。
「丸山さん、うちの亭主は水道屋だから外仕事だけど、酒も賭け事も苦手よ。知らない職業に偏見持つほど頭固くて、どうするの。平野さんもね、丸山さんだって一生懸命就職のことを考えてるんだから、あんまりきついこと言わないの。すっごいお金持ちになるかも知れないよ」
仲裁の言葉に緩和されて、帰り支度の済んだ何人かがスタッフルームを出て行く。まだユニフォームのままだった茜も、着替える気になった。
乱暴にユニフォームを畳んで丸めながら、まだ何か言い足りない気がする。中堅企業であるとはいえ、秀一はあれ以上の役職には着かないであろうことは、茜にも見当がつく。デスクワークで指示だけ出せるタイプには程遠く、本人も嫌がるだろうことは想像に難くない。
でもね、秀さんの良いところは、そんなとこじゃない。どこに出しても恥ずかしくない社会人なんだから、自慢しちゃってもいいくらい。
ユニフォームを詰め込んだバッグを抱えてロッカールームを出ると、同じように着替えた丸山がそこにいた。続きを心配した主婦が、待っていてくれたらしい。茜を見て、帰ろうと微笑んだ。
「平野さん、自転車でしょ? 私もだから、自転車置き場まで」
ドアを開けようとして、丸山と目が合った。(っていうか、丸山はずっと茜を見ていた)
「会わせろよ」
丸山の言葉を、主婦と茜が同時に聞き返す。
「あんたの言う、俺よりもまともな肉体労働者ってヤツに会わせろよ。自分の目で見て偏見だったって認めれば、あんたの言うことも信じてやる」
「信じなくたって、現実にそうだっていうの。思い込んでバカにしてればいいんじゃない? 私は恥掻かないし」
余計なことを言い出しちゃった口は、そうそう止まらないのだ。
「会わせると、過剰擁護がばれるからか」
まだ喧嘩腰なのは、着替えている間にもう一度腹を立てたからなのだろう。丸山もまた、自分のプライドの行き先が折れそうなのだ。
「擁護じゃなくて、ジ・ジ・ツ」
一緒に出ようとした主婦が、またはらはらしている。
「事実かどうか、会わせろっての。ロリコンだけだって犯罪なのに、そんなのに惚れ込んでる女も……」
「ロリータじゃないっ! 会わせるわよ、首洗って待ってなさい!」
ロリータの一言に、つい反応した。自分がまだ自立していないことは、自分で知っている。けれどそれまで嘲りの対象にすることなんて、許せない。
「丸山さんって、平野さんのこと好きだったんだね」
自転車置き場で鍵を取り出しながら、主婦が言う。
「へ? そんなこと、あるわけないじゃないですか」
意外な言葉に笑う茜に、主婦は苦笑を返した。
「辞めるまでなんだから、あんなにムキになっちゃダメよ。丸山さんって結構捻くれた性格してるから、何言われるかわかんないよ」
「負けませんもん」
理屈と事実では、負けない。丸山が好意を抱いているというのなら、あんな風に食って掛かったりしてくるのは、どう考えてもおかしい。だから好きだったんだね、なんて言葉には頷いたりはしない。
「旦那様に会わせるの?」
「本当は、秀さん巻き込んじゃ、いけませんよねえ」
「会わせなければ会わせないで、うるさそうだよねえ。面倒だね」
そんな会話で、自転車置き場から出た。
丸山の頭の中では、茜の言ったことが尾を引いていたらしい。
「それじゃあ肉体労働者、バカにできないもんなあ。学歴よりも所得優先って感じ? 何やってるの?」
アルバイトが終わった後のスタッフルームで、戦闘開始モードだ。自分より学歴と年齢が下の茜に負け犬扱いされたことが、余程腹に据えかねたのか。
「土方の監督」
わざと差別的な言葉を投げ返した茜も、戦う気満々である。こんなバカに負けてたまるもんか。
「ふうん。じゃあ、すっごい身体してるんだ。肉体派好みって、いるよね」
「腕の太さは、丸山さんの倍くらいあるかもね。筋肉フェチじゃないけど、必要で鍛えられた筋肉は頼もしいと思うよ」
一見のどかな会話なのに、まわりがハラハラしているのがわかる。言葉の端々に、尖りが潜んでいるのだ。
「土方とか鳶職とかって、元ヤンキーが多いでしょ? 平野さんのダンナも、悪かった……」
丸山が言いかけたとき、茜の笑いが起きた。ステロタイプにバカにするには、あまりにも見当外れだ。
「土方って何するか知ってる? 国家資格は名刺の裏にぎっしりあるし、測量もしなくちゃならない。技術も機械も日進月歩で、指導者側は誰よりも先に知ってなくちゃいけないから、研修や展示会も手は抜けない。ついでに言えば、うちのダンナ様は中堅企業の正社員だから、大学も出てるよ」
「ふうん? でも現場で働いてる人って、日雇いばっかりじゃん。酒呑んでパチスロ行って風俗? みたいな。平野さんのダンナがどうかは知らないけど、外から見れば同じに見えるだろ。そう見られても平気なんだ?」
確かに、そんな人もいる。けれどそうでない人も多いのだ。日雇いの人工も、茜が知る限りでは腰の低い、真面目な人たちだった。元ヤンキーだろうが高校中退だろうが、気を抜いて仕事にかかれば怪我をするし、実力さえあれば自分の腕一本でのし上がれる商売なのだ。朝の五時に集合がかかれば、弁当持参で現場に集まる。そのために共に寝起きしている家族まで、笑われたも同然。
「それ以上言わないほうがいいよ、口の中に砂詰めたくなるから。他人様の生活をどうこう言うよりも、自分の将来でも考えたら?」
後半部分は、余計な言葉だった。アルバイトを終えて帰る筈の人間たちも、スタッフルームから出られない雰囲気だ。
大人相手には素直で人懐っこい茜だが、同年代ならば遠慮なんかしない。卒業してしまったが、成績優秀者なりのプライドは維持しているのだ。バカにバカだと言われて黙っているような賢さは、まだ身についてはいない。真っ当な理屈で負けるくらいなら、掴み合いで負けたほうがマシである。
「年下で、就職が決まったからって偉そうに。契約職員だろ? 一年後に再契約の見通しなんて、ないじゃないか」
「昼の十二時まで寝て、アルバイトと日雇い派遣掛け持ちして、金がない金がないって言ってる人とどっちがマシ?」
それで自分にふさわしい働き口がないなんて言ってるヤツに、容赦する気なんてない。たとえば懸命な求職活動でも悉く断られるような場合になら、茜だってこんな言いかたをする気はない。こんなご時勢だから、諦めなければ良い事があるよ、くらいの言葉も言えるってもんである。
「働きたいと思える会社がないんだよ! ハローワーク行けば、ひどい条件ばっかり出されるし!」
丸山の声に感嘆符がついたところで、仲裁が入った。さすがにまずいと思った主婦が、まあまあと割って入る。
「丸山さん、うちの亭主は水道屋だから外仕事だけど、酒も賭け事も苦手よ。知らない職業に偏見持つほど頭固くて、どうするの。平野さんもね、丸山さんだって一生懸命就職のことを考えてるんだから、あんまりきついこと言わないの。すっごいお金持ちになるかも知れないよ」
仲裁の言葉に緩和されて、帰り支度の済んだ何人かがスタッフルームを出て行く。まだユニフォームのままだった茜も、着替える気になった。
乱暴にユニフォームを畳んで丸めながら、まだ何か言い足りない気がする。中堅企業であるとはいえ、秀一はあれ以上の役職には着かないであろうことは、茜にも見当がつく。デスクワークで指示だけ出せるタイプには程遠く、本人も嫌がるだろうことは想像に難くない。
でもね、秀さんの良いところは、そんなとこじゃない。どこに出しても恥ずかしくない社会人なんだから、自慢しちゃってもいいくらい。
ユニフォームを詰め込んだバッグを抱えてロッカールームを出ると、同じように着替えた丸山がそこにいた。続きを心配した主婦が、待っていてくれたらしい。茜を見て、帰ろうと微笑んだ。
「平野さん、自転車でしょ? 私もだから、自転車置き場まで」
ドアを開けようとして、丸山と目が合った。(っていうか、丸山はずっと茜を見ていた)
「会わせろよ」
丸山の言葉を、主婦と茜が同時に聞き返す。
「あんたの言う、俺よりもまともな肉体労働者ってヤツに会わせろよ。自分の目で見て偏見だったって認めれば、あんたの言うことも信じてやる」
「信じなくたって、現実にそうだっていうの。思い込んでバカにしてればいいんじゃない? 私は恥掻かないし」
余計なことを言い出しちゃった口は、そうそう止まらないのだ。
「会わせると、過剰擁護がばれるからか」
まだ喧嘩腰なのは、着替えている間にもう一度腹を立てたからなのだろう。丸山もまた、自分のプライドの行き先が折れそうなのだ。
「擁護じゃなくて、ジ・ジ・ツ」
一緒に出ようとした主婦が、またはらはらしている。
「事実かどうか、会わせろっての。ロリコンだけだって犯罪なのに、そんなのに惚れ込んでる女も……」
「ロリータじゃないっ! 会わせるわよ、首洗って待ってなさい!」
ロリータの一言に、つい反応した。自分がまだ自立していないことは、自分で知っている。けれどそれまで嘲りの対象にすることなんて、許せない。
「丸山さんって、平野さんのこと好きだったんだね」
自転車置き場で鍵を取り出しながら、主婦が言う。
「へ? そんなこと、あるわけないじゃないですか」
意外な言葉に笑う茜に、主婦は苦笑を返した。
「辞めるまでなんだから、あんなにムキになっちゃダメよ。丸山さんって結構捻くれた性格してるから、何言われるかわかんないよ」
「負けませんもん」
理屈と事実では、負けない。丸山が好意を抱いているというのなら、あんな風に食って掛かったりしてくるのは、どう考えてもおかしい。だから好きだったんだね、なんて言葉には頷いたりはしない。
「旦那様に会わせるの?」
「本当は、秀さん巻き込んじゃ、いけませんよねえ」
「会わせなければ会わせないで、うるさそうだよねえ。面倒だね」
そんな会話で、自転車置き場から出た。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる