最後の女

蒲公英

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「平野さんのダンナって、現場の人なんだって?」
 丸山の頭の中では、茜の言ったことが尾を引いていたらしい。
「それじゃあ肉体労働者、バカにできないもんなあ。学歴よりも所得優先って感じ? 何やってるの?」
 アルバイトが終わった後のスタッフルームで、戦闘開始モードだ。自分より学歴と年齢が下の茜に負け犬扱いされたことが、余程腹に据えかねたのか。
「土方の監督」
 わざと差別的な言葉を投げ返した茜も、戦う気満々である。こんなバカに負けてたまるもんか。
「ふうん。じゃあ、すっごい身体してるんだ。肉体派好みって、いるよね」
「腕の太さは、丸山さんの倍くらいあるかもね。筋肉フェチじゃないけど、必要で鍛えられた筋肉は頼もしいと思うよ」
 一見のどかな会話なのに、まわりがハラハラしているのがわかる。言葉の端々に、尖りが潜んでいるのだ。

「土方とか鳶職とかって、元ヤンキーが多いでしょ? 平野さんのダンナも、悪かった……」
 丸山が言いかけたとき、茜の笑いが起きた。ステロタイプにバカにするには、あまりにも見当外れだ。
「土方って何するか知ってる? 国家資格は名刺の裏にぎっしりあるし、測量もしなくちゃならない。技術も機械も日進月歩で、指導者側は誰よりも先に知ってなくちゃいけないから、研修や展示会も手は抜けない。ついでに言えば、うちのダンナ様は中堅企業の正社員だから、大学も出てるよ」
「ふうん? でも現場で働いてる人って、日雇いばっかりじゃん。酒呑んでパチスロ行って風俗? みたいな。平野さんのダンナがどうかは知らないけど、外から見れば同じに見えるだろ。そう見られても平気なんだ?」
 確かに、そんな人もいる。けれどそうでない人も多いのだ。日雇いの人工も、茜が知る限りでは腰の低い、真面目な人たちだった。元ヤンキーだろうが高校中退だろうが、気を抜いて仕事にかかれば怪我をするし、実力さえあれば自分の腕一本でのし上がれる商売なのだ。朝の五時に集合がかかれば、弁当持参で現場に集まる。そのために共に寝起きしている家族まで、笑われたも同然。
「それ以上言わないほうがいいよ、口の中に砂詰めたくなるから。他人様の生活をどうこう言うよりも、自分の将来でも考えたら?」
 後半部分は、余計な言葉だった。アルバイトを終えて帰る筈の人間たちも、スタッフルームから出られない雰囲気だ。

 大人相手には素直で人懐っこい茜だが、同年代ならば遠慮なんかしない。卒業してしまったが、成績優秀者なりのプライドは維持しているのだ。バカにバカだと言われて黙っているような賢さは、まだ身についてはいない。真っ当な理屈で負けるくらいなら、掴み合いで負けたほうがマシである。
「年下で、就職が決まったからって偉そうに。契約職員だろ? 一年後に再契約の見通しなんて、ないじゃないか」
「昼の十二時まで寝て、アルバイトと日雇い派遣掛け持ちして、金がない金がないって言ってる人とどっちがマシ?」
 それで自分にふさわしい働き口がないなんて言ってるヤツに、容赦する気なんてない。たとえば懸命な求職活動でも悉く断られるような場合になら、茜だってこんな言いかたをする気はない。こんなご時勢だから、諦めなければ良い事があるよ、くらいの言葉も言えるってもんである。
「働きたいと思える会社がないんだよ! ハローワーク行けば、ひどい条件ばっかり出されるし!」
 丸山の声に感嘆符がついたところで、仲裁が入った。さすがにまずいと思った主婦が、まあまあと割って入る。
「丸山さん、うちの亭主は水道屋だから外仕事だけど、酒も賭け事も苦手よ。知らない職業に偏見持つほど頭固くて、どうするの。平野さんもね、丸山さんだって一生懸命就職のことを考えてるんだから、あんまりきついこと言わないの。すっごいお金持ちになるかも知れないよ」
 仲裁の言葉に緩和されて、帰り支度の済んだ何人かがスタッフルームを出て行く。まだユニフォームのままだった茜も、着替える気になった。

 乱暴にユニフォームを畳んで丸めながら、まだ何か言い足りない気がする。中堅企業であるとはいえ、秀一はあれ以上の役職には着かないであろうことは、茜にも見当がつく。デスクワークで指示だけ出せるタイプには程遠く、本人も嫌がるだろうことは想像に難くない。
 でもね、秀さんの良いところは、そんなとこじゃない。どこに出しても恥ずかしくない社会人なんだから、自慢しちゃってもいいくらい。
 ユニフォームを詰め込んだバッグを抱えてロッカールームを出ると、同じように着替えた丸山がそこにいた。続きを心配した主婦が、待っていてくれたらしい。茜を見て、帰ろうと微笑んだ。
「平野さん、自転車でしょ? 私もだから、自転車置き場まで」
 ドアを開けようとして、丸山と目が合った。(っていうか、丸山はずっと茜を見ていた)

「会わせろよ」
 丸山の言葉を、主婦と茜が同時に聞き返す。
「あんたの言う、俺よりもまともな肉体労働者ってヤツに会わせろよ。自分の目で見て偏見だったって認めれば、あんたの言うことも信じてやる」
「信じなくたって、現実にそうだっていうの。思い込んでバカにしてればいいんじゃない? 私は恥掻かないし」
 余計なことを言い出しちゃった口は、そうそう止まらないのだ。
「会わせると、過剰擁護がばれるからか」
 まだ喧嘩腰なのは、着替えている間にもう一度腹を立てたからなのだろう。丸山もまた、自分のプライドの行き先が折れそうなのだ。
「擁護じゃなくて、ジ・ジ・ツ」
 一緒に出ようとした主婦が、またはらはらしている。
「事実かどうか、会わせろっての。ロリコンだけだって犯罪なのに、そんなのに惚れ込んでる女も……」
「ロリータじゃないっ! 会わせるわよ、首洗って待ってなさい!」
 ロリータの一言に、つい反応した。自分がまだ自立していないことは、自分で知っている。けれどそれまで嘲りの対象にすることなんて、許せない。

「丸山さんって、平野さんのこと好きだったんだね」
 自転車置き場で鍵を取り出しながら、主婦が言う。
「へ? そんなこと、あるわけないじゃないですか」
 意外な言葉に笑う茜に、主婦は苦笑を返した。
「辞めるまでなんだから、あんなにムキになっちゃダメよ。丸山さんって結構捻くれた性格してるから、何言われるかわかんないよ」
「負けませんもん」
 理屈と事実では、負けない。丸山が好意を抱いているというのなら、あんな風に食って掛かったりしてくるのは、どう考えてもおかしい。だから好きだったんだね、なんて言葉には頷いたりはしない。
「旦那様に会わせるの?」
「本当は、秀さん巻き込んじゃ、いけませんよねえ」
「会わせなければ会わせないで、うるさそうだよねえ。面倒だね」
 そんな会話で、自転車置き場から出た。
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