最後の女

蒲公英

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「なんかね、はじめにやさしいこと言われて、騙されて結婚したんだろうって言ってたよ」
 アルバイト仲間の女子大生が、帰りに寄ったカフェでそんな風に茜に告げた。
「はあ?」
「初対面だっていうのに不機嫌な顔されて、横柄な態度でって。なんか、平野さんが言ってる人と全然違う人に聞こえた」
「ちょっと待って。無愛想なのは認めるけど、呼び出しといて遅れたのは丸山さんだし、まともに仕事の話なんかしなかったのも丸山さんで」
「ああ、興味のない話を延々聞かされたって……会話のセンスがない、とも言ってた。ひどいもんだね、まったく」
 女子大生は別に、丸山の話を真に受けているわけじゃない。話しぶりからすれば、丸山の批判をしているのだ。
「平野さんは女子高だったから男に免疫なくて、上手いこと丸め込まれたんだ、とかね」
「誰に言ってるの、それ?」
「いろんな人に言ってるよ。丸山さんのシフトはバラバラだから、合った時間の人全部に言ってるんじゃない?」
「何それ!」

 会わせろとしつこいから会わせて、更に非礼を働いた人間が何を言うのか。発端は茜の就職が決まったことへの、僻みだった筈だ。それに対して茜の対応が拙かったから、と言うのなら、話は理解できる。それが何故秀一への批判にすり替わっているのだろう。
「まあ、もうちょっとすれば会わなくなる人だしねー。腹立つだろうけど」
 自分の陰口ならば、バカに何を言われても平気、なんて笑えるだろう。けれど茜の頼みを聞いて、休みの朝から出たくもない場所に出た秀一に。
「何を考えて、そんなこと言えるの? しかも店中にって」
「本気にしてる人ばっかりじゃないと思うけどね。うるさいから、ご清聴申し上げちゃうわけよ。平野さんはオロオロして横暴なダンナに言われるがまま、らしいよ?」
「……きもっ。誰がそんな相手と結婚したがんのよ」
「丸山さんの頭の中には、そうできあがってるみたいだよ。何か憑かれちゃったね」
 辞めるまでの間、それを言われ続けるのだろうか。

 その週末にアルバイト仲間で、ささやかながら茜の送別会が開かれることになった。茜がアルバイトに入っているのはほぼ昼間なので、夜中心のシフトを組んでいたり早朝勤務の人間は含まれない。子供のいない主婦や学生ばかりの席は、茜も気楽だ。夕食の支度を済ませた後に約束の場所に顔を出すと、男も何人か混ざっている。
「平野さんと飲むのなんて、はじめてじゃね?」
「あ、そうだね。最初で最後だー」
 家事を行うため、基本的に夕方以降には出歩かない茜は、アルバイト帰りのお茶程度にはつきあったことはあるが、その後連れ立って遊びに出たことがない。だから接点は多くとも、男の子たちにとって茜は未知の遊び相手だ。
「人妻だもんなあ。見えねーけど」
 言われた言葉に、笑顔で返す。
「人妻で団地妻だぞ? 滲み出る色気にクラクラするでしょ?」
 笑いあう後ろに、丸山が歩いていた。参加すると言ったときに、来るなとは言えない。居酒屋はすぐそこだ。

 送別会なんていっても、実際は茜分の会費を全員で割っているだけの、飲み会に過ぎない。家に用意してきた夕食はカレーだから、いくら不精な秀一でも皿の一枚くらいは洗っておいてくれるだろう。今日はたくさん飲んじゃおうかなーなんて、気持ち良くサワーにグレープフルーツを絞る。同年代の集まりは、話題に事欠かなくて気楽だ。
「平野さん、意外に食べるねえ。食事に気を使って細いのかと」
「太れない体質みたい。胸のあたりに肉つけろってダンナに言われるんだけど、ピンポイントでなんて無理ー。おっぱいって重要かなあ」
「おっぱい好きってマザコンだって話だけどねえ」
 わいわいと喋る楽しさは、酒の席ならではである。
「平野さんのダンナがマザコンなんて、ありえないっしょ。ずっと年上なんでしょ?」
「オジサンだよ。中年の星、みたいな」
「なんか、すっごく怖いんでしょ? 丸山さんが、現場工事のバイトに引きずり込まれそうになったって」
「はあ?」
「断ったら殴られるんじゃないかと思ったって、言ってたけど」
「そんな話、してないけど。大体、秀さんの会社はアルバイトなんて採ってない」
 どんな話を広げているのだ。丸山は隅でスマートフォンを弄り回している。喋りの輪に加わらずにそんなことをしているくらいなら、参加する意味はない。話は徐々に逸れていき、茜の家庭の話は終わりになった。けれど楽しいはずの宴席で、茜の頭の中にはぶすぶすと不完全燃焼が残る。

「時間延長オーケーでーす。このまま二次会に突入でーす」
 幹事役の大学生が声を上げ、主婦が帰り支度をはじめる。主役の茜がそこで帰れるはずもなく、一度テーブルの上を片付けるというので、店員に協力したりする。幾分丸山と席が近くなったのが腹立たしいが、仕方ない。丸山は会話に参加しないまま、二次会にも残っているらしい。人数が減った分会話は落ち着き、恋愛の話や就職の話が低いトーンではじまる。
「そっか、平野さんみたいに永久就職っていうのもアリかなあ」
「大学卒業したら、彼女と一緒に住もうと思って」
 そんな会話では、丸山はますます入れない。酔った席ではもう、誰も気なんか遣わないのだ。だから丸山が少しずつ席を移動して茜の横に座ったときも、茜ですら気にしていなかった。
「平野さん、あんな親父とどうして結婚してんの?」
 丸山の唐突な問いを、誰も不思議に思わないほど酔いは回っている。
「言っちゃ悪いけど、騙されたとしか思えない。あんな冴えないおっさんに言い寄られて、寄り切られたんじゃないの?」
 隣の席のぼそぼそした言葉がメインで聞こえるのは、茜だけだ。
「腹立てたらDVとかに走りそうな感じだよね。遅くまで遊んでて、帰ったら殴られるんじゃない?」
 ぷつり。こいつは一体何の権利があって、他人の連れ合いを悪し様に言うのだ。
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