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【聖者の薔薇園-プロローグ】
159.変化の予兆
しおりを挟むマーテルが物語開始までの眠りについた今、僕達には時間の余裕ができた。
聖者はきっと、兄様達を魅了にかけ、僕の最も心強い味方であるシモンを倒して、僕を孤立させたと誤った認識を持って眠りについたはず。そうでないと、このタイミングで眠りにつくなんて悠長な選択はしなかっただろうから。
聖者が現状を誤解している今が絶好のチャンス。そう、今が好機なのだ。
だというのに、僕は早々みんなの足を引っ張る出来事を起こしてしまった。
「けほっ…うぅ…」
「死ぬなチビィ!!」
「病人の前で叫ぶなバカイゼル」
「誰がバカイゼルだ!!」
恒例の双子喧嘩がベッドの傍で繰り広げられる。いつもなら微笑ましいそれも、今は頭にがんがん響いて少しだけむっとしてしまった。
それをいち早く察したシモンが二人の首根っこを掴み、寝室の隅にぽいっと放る。「静かに出来ないなら出禁にしますよ」と軽い脅しを吐くシモンに、兄様達は慌てた様子で口元をばってんして噤んだ。
とは言え、心配してくれていることは純粋に嬉しい。シモンはちょっとだけおこだけれど。
特に、なぜか以前と同じような態度のディラン兄様にもちょっとだけ驚きだ。あの冷たい態度はどこに行ってしまったのだろう、と思いつつ、頭がぐるぐるするのでそれ以降は考えられなかった。
まぁいいか。兄様が優しい兄様に戻っているのだから、それはそれで。
そもそも、元はと言えばこんな大事な時に風邪を引いて寝込んでしまった僕が悪い子なのだ。
きっと夜の冷気と噴水の軽い飛沫を浴びながら、呑気にお話ししてしまった昨夜のことが原因なのだろうけれど…それにしたって、シモンやルルはぴんぴんしているのに僕だけ体調を崩してしまうなんて。
今日はみんなを集めて、全て知ってしまったみんなと一緒に前世のことを話そうと思っていたのに。
「…ぁ…ぅう…」
兄様たちをじっと見つめて口を開く。大丈夫だから来て、と言いたかったのに、声は咳に消えて紡がれることはなかった。
上がった体温のせいで理性や衝動が堪えられなくなっているのか、思い通りに声を発せないことが異常なほど悲しくなる。行き場のない疲労ばかりが溜まって、瞳に涙が滲んだ。
「にぃ…さま…」
手を伸ばしたいのに、指一本動かすことすら億劫でどうしようもない。
それでも、蚊の鳴くような掠れた声は確かに聞こえたようで、口をちゃっくしていた兄様達がハッと目を見開いて駆け寄って来た。
「兄様はここに居る。安心しろフェリ」
「チビ!俺がいるからな!大丈夫だからな!」
僕よりも苦しそうな顔をして励ましの声をかけてくる兄様たち。ありがとう、うんうんと視線だけで微笑みを浮かべると、ふいにある疑問が湧いて首を傾げた。
そういえば、学園は大丈夫なのかな。出席日数とかの概念、まさか無いわけじゃないだろうし…。
兄様たちのことだから、全て大丈夫にしたうえで帰ってきてくれたのだと思うけれど…それでも二日連続で邸にいる兄様たちに少しだけ違和感を覚えた。
同じく学生のレオは、一度も僕に姿を見せてくれていないのに…なんて思って、はっとした。
そうだ、シモンがみんなに前世の話をしたといった日。その日から、僕はレオの姿を一度も見ていない。
「に、さま…れお…は…」
けほっこほっと咳をしながらなんとか尋ねる。
三人は幼なじみだし、学園でも仲が良い。レオの近況をきっと何かしら把握しているはずだ。そう思って問い変えたそれに返ってきた答えは、なんだか煮え切らないものだった。
「あー…あいつはまぁ…忙しいんじゃねぇか、生徒会とかあるしな」
「会長職も今年で最後だからな。忙しいのだと思う」
そうか。そういえばもう、そんな時期なのか。
レオも兄様達も今年で高等部の三年。つまり、学園での生活も今年で最後。となるとレオは皇太子としての学びに今後一層力を入れていくだろうし、生徒会の引継ぎやら何やらと、今が一番忙しい時期なのだろう。
それなら仕方ない…と思いつつ、やっぱりどこか不安が拭えない。
少しだけ違和感のある兄様達の歯切れの悪さも、レオから一通の手紙すら届かないことも。
手紙自体は重要じゃない。レオにはレオの都合があるだろうし、ただ単に忙しくて書けなかったのなら何の心配も無い。
けれど、僕が体調を崩して寝込むと真っ先に手紙を送ってくるレオが、突然手紙一つ送ってくれなくなるのは……正直、少し不安だった。
もしかして何かあったのでは?そう本気で思ってしまうくらいには、普段のレオは過保護でマメな人だから。
「そっかぁ…れおに…むり、だめって…いって」
「……あぁ。分かった。無理はするなと伝えておく」
「ん…あぃがと…」
段々意識が沈んでいく。自分の理性や気持ちとは裏腹に、まるで見えない何かに吸い込まれるかのように。
体から力が抜けて、声も呂律が徐々に怪しくなる。ふにゃあっと頬を緩めて目を閉じると、たちまち意識は夢の中に引き込まれていった。
* * *
次に目を覚ましたのは、微かな物音がベッドの傍から聞こえた時。
熱が高いせいで感覚は鈍くなりそうだけれど、こんな小さな音でも目が覚めるのだから感覚はいつもより機敏らしい。
兄様たちか…シモンが動いたのかな、なんて思いながら視線を向け、そこにいた人物に目を見開いた。
「……らぃ…ねす…?」
カタッ…と小さな音を立てて椅子に座ったライネス。僕が起きたことを呼びかけで知ると、驚いた様子でビクッと肩を揺らした。
「ごめんね…起こしちゃった…?顔を見たらすぐに帰ろうと思ってたんだけど…」
熱のせいでふっくらと熱くなった頬に大きな手が添えられる。陶器のような肌のその手は、いつか呪いがかけられていた過去を忘れてしまいそうなほど綺麗に見えた。
ひんやり冷たい手が頬に触れて思わず目を細めた。きもちいい。ひんやり、もっと触ってほしい。
「おみまぃ…きて、くれたの…?」
「うん。フェリが風邪を引いたって聞いて、居ても立っても居られなくなってね。さっきまでローズも来ていたけど、用事があるみたいで帰ってしまったんだ」
「ろ…ずも…」
なんと、ローズも来てくれていたのか。ローズは気配を消すのが得意だから、ライネスが来た時みたいに気付けなかったみたいだ。申し訳ない。
はっ…は…と荒い呼吸を繰り返して、やがてライネスをそろりと見上げる。風邪が治ったらローズにもお礼を言わないと、なんて考えながら、冷たいライネスの手に自分の手を重ねた。
やっぱり、ひんやりしていてきもちいい。
「らぃ…ねす…」
「うん。なぁに?」
「…ぜんせの…こと…せいじゃ…の、こと…」
何か言わないと。熱でぼーっとした頭が、色んな物事をぐちゃぐちゃに乱して思考をおかしくする。
会話が噛み合わない、あまりに突然変わる話題にも、ライネスは何一つ困惑した様子を見せずに静かに頷いた。
せっかくライネスが来てくれたのだから、前世のことについて何か話したい。ライネスがシモンから一度目の人生のことを聞いて、どう思ったのか知りたい。聞きたい。
突然湧き上がった衝動に理性が追い付かなくて、浅く呼吸をしながら何とか聖者の話を口にする。ライネスは冷静な色の滲んだ瞳を細めると、ふいにゆるゆると首を振った。
「大丈夫。大丈夫だよフェリ。そのことは、皆ちゃんと考えてる。フェリだけが抱え込む必要は無いんだ。だから今は、ゆっくり休もう」
ね?と優しい表情を向けられて、思わずこくりと頷いた。
さっきまで荒れたり乱れたりと忙しなかった心情や思考も、ライネスの甘い声を聞いた途端嘘みたいに落ち着いていく。
再び意識が沈んでいく直前に、どうしても離れない不安についてを尋ねてしまった。
「れおも…いっぱい、かんがえてるの…?」
額から頭にかけてを優しく撫でていた手がふと止まる。重く閉じていく視界の中最後に見えたのは、困ったような淡い微笑みだった。
「……うん。レナードは…特に沢山、考えていると思うよ」
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