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【聖者の薔薇園-プロローグ】
閑話.シモンを休ませたい話(終)
しおりを挟む「シモン。湯浴みはひとりでだいじょぶ。シモンはおやすみして」
夜。湯浴みの為に服をぬぎぬぎしようとして、不意にシモンに声をかけた。
いつものように湯浴みの手伝いをしようとしてくれたシモンは、僕の言葉にぴくっと手を止めてぐっと黙り込む。どうしたのだろうと首を傾げると、不満と困惑が入り混じった複雑な視線を向けられてぱちくりと瞬いた。
「……俺、何かしてしまいましたか」
「うん?」
ぼそっ。小さく呟かれた言葉を聞き返す。小声だったからよく聞こえなかった。
きょとんとする僕をじっと見下ろすシモン。そんなシモンは、やがて諦めたように溜め息を吐いて立ち上がった。
僕が脱いだジャケットをたたんで腕に抱え「残りは脱いだらそこの台に置いて下さい」とテーブルを指さす。
着替えは僕が湯に浸かっている間に持ってきてくれるということなので、それには素直に甘えることに。
着替えを持ってきてくれたらもう仕事を終えていいよと言うと、冷静な表情が途端にさーっと青褪めた。
またこの顔だ、とぱちくりする僕の正面に膝をついたシモンが、激情を抑えるような声で小さく尋ねてきた。
「お、おやすみのぎゅーは、必要ないんですか?」
「む?うん、だいじょぶ。僕、きちんと一人でねむねむできる」
こくっとしっかり頷く。僕は賢いお兄さんだから、もうシモンのぎゅーが無くたって一人で眠れるのだ。だから全然大丈夫。
安心させるために語った言葉だったけれど、シモンの顔は安堵に緩むどころか更に蒼白して色を無くしてしまった。どうしてだろうと困惑する僕を数秒見下ろし、やがてそろりとシモンが立ち上がる。
「…湯浴みが終わるまでは待機します」と静かに呟いたシモンが、やっぱり元気なさそうに眉を下げて出て行った。
「むぅ……」
一向に良くならないシモンの体調。今日一日眠れば回復するかなーと祈りながら服をぬぎぬぎし、すっぽんぽんになったところでそろりそろりとお湯に向かった。
「んしょ、んしょ」
とりあえず、いつもの動きを再現するようによっこらせと椅子に座ってみる。しゃーっと軽く体を洗って、適当にボトルの中身を肌や髪に塗りたくり、またお湯でざばーっと流す。よくわからないけれど、まぁこれでいいか。
えっさほいさとバスタブに向かい、よっこらせと足を引っかける。中に入ってあたたまって、しっかり服を着替えればミッション完了だ。そこまで考え安堵で力を抜いた途端、それは起こってしまった。
ずるっ。突然タイルで滑る片方の足。引っかけていた方の足のバランスが瞬く間に崩れ、がくんっと体勢が前のめりになった。
「わぷっ」
変な声を発しながら顔と水面が接触する。ざぷーん!という強い飛沫の音を立てながら、すっぽんぽんの体がバスタブの中に投げ出された。
「ぶくぶくぶく…」
泡がひとつふたつと唇の端から上がっていく。これはまずい、と思った時にはもう遅くて、突然の出来事に対する衝撃で体が硬直してしまった。
ぽかんとしたまま瞬いていると、不意に体がくるっと回って仰向けになる。水面をじっと見つめてフリーズした後、わぷっと呼吸が苦しくなり始めた。
「っ…っぷく…」
まずい。これはかなりとってもまずい。
泡と一緒に目尻から零れた涙が上がっていくのを視界に入れると、途端に胸がきゅーっとなった。こわい、こわい。じわじわ湧き上がってくる恐怖と共に浮かんだのは、一番信頼する大好きな侍従のこと。
シモン。心の中で叫んだ名前。
水中だから有り得ないと分かっていても、一瞬本当に声を上げてしまったのかと錯覚した。なぜなら名前を内心叫んだ瞬間、水面を影が覆ったから。
「フェリアル様!!」
ざぷんっ!と腕が伸びてきて、すかさずその大きな手をぎゅっと鷲掴む。
人間のものとは思えないほど強い力で引き寄せられると、お湯から軽々ひょいっと抱き上げられた。
けほっこほっと咳をしながら温もりにしがみつく。手足をくるりと回してコアラみたいに抱きついて、微かに震えるその人の首元にすりすりと擦り寄った。
「しも…っ…しもん……」
シモン、シモン。何度も名前を呼んで荒れた呼吸を落ち着かせる。呼ぶ度シモンの体は酷く強ばって、ぎゅーの力強さも増してきた。
「もうっ…何やってるんですか…!」
ぎゅーっと強く抱き締められる。服が濡れることも厭わず僕に触れるシモンが、背中をぽんぽんと宥めるように撫でてくれた。
やがて落ち着いてきて、ふすっと息を吐きながら体を離す。もう手遅れだけれど、シモンの服がびっしょり濡れているのを見てハッとしたのだ。けれどシモンは離れてくれなくて、むしろ僕が離れようとすればするほどぎゅうっと腕の力を強めた。
「だめです…もう離しません…嫌われても、フェリアル様の安全の為なら無理にでもぎゅってしますから」
「……?」
無理にでも…?シモンは一体何を言っているのだろう。僕がシモンとのぎゅーを無理だなんて思ったこと、一度もないのに。聞き間違いかなとふむふむ頷いて、じーっとシモンの様子を窺ってみる。
悲しそうに、けれど決意を宿した表情で俯くシモンの瞳と視線が合って、ぱちぱちと瞬き呟いた。
「僕、シモン好き。嫌い、ならない。ぜったい」
「……え?で、でも…俺のこと避けて…」
思わず紡いだ好きの言葉を、シモンがぽかんと目を見開いて否定した。そんなわけない、だって、って。避けているって何のことだろう。
一瞬フリーズしてきょとんと考え、やがて浮かんだまさかの誤解にさーっと青褪めぶんぶん首を横に振った。
* * *
「俺を休ませたかった?」
すっぽんぽん状態で話すのはアレだからと、きちんと服を着て寝室に戻った後。
僕の髪をふわわっと乾かして梳いていたシモンが、説明を聞いてぽかーんと目を丸くした。
「うむ。シモン、げんきない。お休みすれば、元気なるとおもった」
最初はただ、多忙なシモンに休暇を与えたいという気持ちだけだったけれど。途中からシモンの具合が本当に悪くなったものだから、これはいけないと慌てて動いてしまった。
シモンより先に起きて、自分で着替えをして。シモンより先に掃除をしたし、自分で湯浴みもこなそうと思った。けれど、結局だめだった。
思い返してみれば、無理に起きようと半ば徹夜みたいになってしまったせいで昼はずっと眠かったし、着替えも丁寧とは言えない着方だったから皺がたくさんで、ボタンも結局留められなくてお行儀よくなかった。掃除は全然綺麗に出来ていなかったし、湯浴みもさっきの通り。
僕は一人じゃだめだめだったのだ。毎日どれだけシモンに甘えて、シモンの力を頼りにしているのか。それを痛いほど思い知った一日だった。
「シモンすごい…僕、なんにもできなかった…シモンいないと、なにもできない…だめな子…」
シモンが息を呑む。しょぼぼんへにゃりと眉を下げる僕を見下ろし、髪を梳く手をぴたっと止めた。
そそくさと正面に回り込み、僕をひょいっと抱き上げてぎゅーっと抱き締めるシモン。触れた首からシモンの体が冷え切っていることに気付き、慌ててむぎゅっと抱き締め返してあげた。ぽかぽかぬくぬくにしてあげないと。
むぎゅむぎゅしながら「はぁっ……」と深い溜め息を吐いたシモンは、耳元で小さく呟いた。
「俺だって…フェリアル様がいないと何も出来ませんよ…」
きょとん。シモンは一人でなんでもできる人なのに、僕がいないと何も出来ないってどういうことだろう。首を傾げると、ふにゃりとした微笑が返ってくる。
「フェリアル様がいなければ、おはようを言いたい相手も居ないし掃除なんてしない。湯浴みの手伝いも散歩も、しようなんて思わないんです」
「……」
「俺は本来抜け殻みたいな空っぽの人間なんです。俺に生き甲斐と行動意義を与えてくれているのは、フェリアル様なんですよ」
だから、僕がいないと呼吸の意味も分からなくなるのだと。そう語るシモンにはっと目を見開いた。
僕がシモンを苦しめていたのか。良かれと思って休ませようと、遠ざけようとした事実が、結果的にシモンを傷付けて思い悩ませていたなんて。
ふかく…むねん…。がっくしと肩を落としながらも、ぎゅっと抱き着いてうりうり頬擦りした。
「わかった。じゃあ、シモン具合悪いとき、僕がお休みする!」
「え。フェリアル様がお休みするんですか?」
「うむ。僕がお休みして、シモンのじじゅーやる!そしたら、ずっといっしょ!」
完璧な発想…まさに名案でござるふすふすとどどやぁすると、シモンは何故か感極まった様子でどばーっと滂沱の涙を流し始めた。
突然の涙にあわあわしつつ、シモンの頬を包むように手を添えて「だいじょぶ…?」と尋ねてみる。こくこくと頷いたシモンは、へにゃっと笑いながら答えた。
「流石フェリアル様…すごいです、天才です…っ」
泣き笑いで告げられたいつもの誉め言葉に、ぱあっと瞳を輝かせてふふんっとむぎゅーした。
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