秋月の鬼

凪子

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九、

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姿を消した春日と入れ違いに現れた使者は、五人を控えの間から大広間に移すとこう言った。

「本日の宵から夜半にかけて、お一人ずつ面会の時間を持つとの上様のお達しです。くれぐれも粗相そそうのないようと、御家老からの厳命が下されております。少しでも無礼狼藉を働いた者は、首で贖うことになると肝に銘じておかれますよう」

電流の走ったような面持ちで、五人は互いの顔を見交わした。

とうとう上様へのお目通りが叶うのだ。

夕霧が一緒ならと悔やまれてならなかった。

彼女なら、たとえ鬼と恐れられる上様とでも背筋を張って堂々と対峙しただろう。

あの時置き去りにしていなければ、今ごろきっと喜びを分かち合い、夜に向けて策を練っていたに違いない。

春日は無事だといったが、容態も気にかかる。

夜までの時間は各自思い思いに過ごすようにとのお達しがあり、常盤はそっと控えの間を抜け出し本丸へと忍び込んだ。

二度目の内宮は、一度目に入った時のような足が震えるほどの緊張は覚えなかった。

だが、夕霧の居場所を探しているつもりが、複雑に入り組んだ回廊のせいか、自分が今どこに立っているのかさえ見失ってしまう。

歩いても歩いても方向が掴めなかった。

「何をしておるのじゃ?」

襖が開いてひょっこりと顔を覗かせた少女に、常盤は安堵の息をついた。

「露姫様」

床に膝をついて平伏する。

「その節はお世話になりました。おかげさまで無事、試練を突破することができました。ありがとう存じます」

「のう常盤。そなた、今宵は兄様の夜伽よとぎをするのじゃろ」

解釈の相違があるようだったが、常盤は曖昧に頷いた。

露姫はご満悦の様子で、

「嫁御選びは面白そうじゃの。どれ、また露がそなたに力を貸してやろう」

常盤の腕を引いて部屋に引っ張りこんだ。

「よろしいのですか」

「構わぬ。誰ぞ、召し物と香の支度をするのじゃ」

声を張って手をたたくと、次の間に控えていた侍女が現れて常盤の質素な服を脱がせ、目にも鮮やかな蒼い羅紗や打掛や帯を取り出した。

簪には珊瑚と真珠で作った花があしらわれており、豊かな袖には見事な蘭が描かれている。

まばゆいほどの美しい衣装に身を包む最中、常盤は露姫の手の甲の傷に気づいた。

無数の切り傷やひっかき傷が、赤黒くみみず腫れのようになっている。

由来を問いかけようとすると、

「兄様は嫁御探しの前は、政事まつりごとに夢中じゃった。いつも周りの者をとっかえひっかえして、国という玩具で遊ぶのが好きなのじゃ」

独特の言い回しに、常盤はくすりとした。

「最近はとんと会いにきてはくださらぬ。兄様に飽きられて捨てられて、露はいつも一人ぼっちじゃ」

うつむく目の縁を、濃い睫毛が覆う。

「皆が露を奥の間に閉じ込める。つかの間会った者からも、すぐに忘れ去られる。生きている意味などありはせぬ」

「いいえ。露姫様はお一人ではありません」

着物を着がえ、化粧を終え、見違えるほど美しくなった常盤が言った。

結い上げた黒髪はつやつやとし、瞳は黒曜石の輝き、うなじは雪のように白く、あでやかな着物と胸高に締めた帯は豪華絢爛。

他国の姫君とも見紛うほどの姿に、露姫はほうと息をついた。

「わたくしがいます」

常盤は露姫の手を取り、真摯に語りかけた。

「まことか」

露姫の声の軸がぶれる。

初めて彼女の、黒に近い濃紺の瞳の底が揺らいだ。

「はい」

常盤は固く頷いた。

「わたくしは必ず京次郎様のお傍に召し上げていただき、露姫様の義姉にならせていたただきます。そしていつの日か、露姫様に外の世界をごらんに入れましょう。城下の暮らしを、お伽話でしか知らないことを、広い天地を、その目で見るのです」

曙光が差したように、露姫の表情に生気が戻る。

「ともに参りましょう。わたくしは、いつも露姫様の味方です」

露姫は白魚の小指を伸ばして、あどけなく笑った。

「約束じゃぞ」

常盤はこうべを垂れると、自らの小指をそこに絡ませた。
































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