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第3話「王立図書館のしおり」
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十四回目の目覚めは、やはり牢獄の天井の下だった。しかしオフィーリアの心は奇妙なほど凪いでいた。絶望にも無力感にも支配されていない。そこにあるのは冷徹なまでの探究心。あの男の正体を突き止めたいという、ただ一つの目的が彼女の心を支えていた。
いつものように侍女が朝食を運び、いつものように騎士アレスが迎えに来る。だがオフィーリアは彼らとのやり取りの中で常に観察を怠らなかった。侍女の言葉の端々にある棘、アレスの瞳の奥に宿る狂信の光。それらの「歪み」は、世界の真実に繋がる重要なピースなのだ。
そして、断罪の舞台である大聖堂。
オフィーリアは壇上にひざまずかされると、真っ先に二階席の隅に視線を送った。
いた。
前回と寸分違わぬ場所にあの男が立っている。簡素な服にフードを目深にかぶっていて顔は見えない。だがその佇まいだけで、彼が他の誰とも違う異質な存在であることが分かった。彼はこの茶番劇に囚われていない。ただ観測している。まるでオフィーリアと同じように。
『あなたも、気づいているの? この世界の異常に』
心の中で問いかける。もちろん答えが返ってくるはずもない。
今回の断罪劇で、オフィーリアは前回とは違う行動を取った。一切の言葉を発さず、ただ黙してうつむき、涙を流してみせたのだ。か弱く罪を悔いる哀れな令嬢を演じた。するとユリウスは満足げに、しかしその瞳は変わらず空虚なまま判決を下した。リリアンヌは勝ち誇ったような、それでいて物足りなさそうな複雑な表情を浮かべていた。
役者たちの反応の変化を一つ一つ記憶に刻み込む。
処刑台へと向かう道すがら、再び男と目が合った気がした。彼は今回も微かにうなずいたように見えた。それは彼女の演技を評価しているようでもあり、あるいは何かを伝えようとしているようでもあった。
そして十四回目の死。
十五回目。十六回目。十七回目。
オフィーリアは断罪の場で様々な「悪役令嬢」を演じ分けた。激しく無実を訴え呪いの言葉を吐く令嬢。錯乱して泣き叫ぶ令嬢。全てを諦め虚無の表情を浮かべる令嬢。
その度にユリウスやリリアンヌたちの反応は微妙に変化した。そして二階席の男は、いつも同じ場所に立ち、静かに彼女を見つめていた。彼の存在だけがこの狂ったループの中で唯一の「不変」だった。
彼に接触しなければならない。彼こそがこのループを抜け出すための鍵、あるいは世界の真実を知る唯一の同類かもしれない。
だがどうやって? 断罪されるまでのこの一週間では、行動があまりに制限されすぎている。
十八回目の人生。オフィーリアは決意した。
『断罪イベントを、回避する』
これまではどうせ無駄だと諦めていた。だが、あの男に会うためならば話は別だ。ループで得た膨大な知識を使えば不可能ではないはず。
まずリリアンヌが仕掛けてくる毒殺未遂の罠。これは彼女がオフィーリアの紅茶に毒を盛る瞬間と場所を、過去のループで既に特定済みだ。夜会からの帰り道、温室の死角。先回りしてその計画を阻止すればいい。
その日の夜。オフィーリアは侍女に体調が悪いと嘘をつき、夜会を早々に抜け出した。そして護衛のアレスを巧みにまき、一人で温室へと向かう。月明かりだけが差し込むガラス張りの空間は、昼間の華やかさが嘘のように静まり返っていた。
息を潜め、巨大な観葉植物の影に隠れる。やがて一人の人影が、こそこそと温室に入ってきた。リリアンヌだ。彼女は辺りを警戒しながら、懐から小さな小瓶を取り出した。中には紫色の液体が入っている。あれがオフィーリアを罪人に仕立て上げるための毒。
リリアンヌがオフィーリアの侍女に金で言うことを聞かせ、紅茶に毒を盛らせる手筈になっている。その現場を押さえれば証拠は十分だ。
だがオフィーリアの目的はリリアンヌを告発することではない。そんなことをすれば、また別の筋書きで断罪されるだけだ。目的は断罪を回避し、自由な時間を手に入れること。
リリアンヌが立ち去るのを待ち、オフィーリアは行動を開始した。彼女は毒を盛られる予定の侍女を呼び出し、ありったけの宝石を渡して今すぐ王都から逃げるように命じた。侍女は最初こそ戸惑っていたが、公爵令嬢の気迫と宝石の輝きに抗えず、泣きながらうなずいて姿を消した。
これで毒殺未遂事件そのものが起こらない。
翌日、当然ながら王宮は騒然となった。聖女の侍女が、毒を盛られるはずだった公爵令嬢の侍女が、二人とも姿を消したのだから。リリアンヌは顔面蒼白で何かを訴えていたが、物的証拠が何一つない以上、彼女の言葉はただの妄言として片付けられた。
ユリウスは珍しく苛立った様子でオフィーリアを詰問してきたが、彼女は「何も存じません」と微笑むだけ。筋書きが崩れたことで、完璧な王子様の仮面にも焦りが見える。実に滑稽だった。
こうしてオフィーリアは初めて、断罪されることなく一週間を乗り越えた。処刑の鐘が鳴るはずだった日の朝、彼女は久しぶりに牢獄ではない自室のベッドで目を覚ました。
自由。
ほんの少しの自由時間。だが彼女にとっては計り知れない価値があった。
オフィーリアは早速、王都で最も多くの知識が集まる場所へと向かった。
王立図書館。
古今東西のあらゆる書物が収められた知の殿堂。もしこの世界の真実に関する記述が残っているとしたら、ここしかない。
身分を隠すため、質素なドレスにフード付きの外套を羽織る。公爵令嬢の顔が知られていては何かと面倒だ。
巨大な図書館に足を踏み入れると、古い紙とインクの匂いが彼女を迎えた。天井まで届く本棚が迷路のように連なり、静寂が空間を支配している。
彼女はまずこの国の建国神話に関する書物を手当たり次第に調べ始めた。どの本にも、世界を創造した慈悲深き女神と、その恩恵を受ける人々というありきたりな神話が記されているだけ。ループや世界の「歪み」に関する記述などどこにも見当たらない。
『やはり、表向きの書物には何も残されていない、か』
ならば禁書庫はどうか。王族や特別な許可を得た者しか入れない場所。そこに何か手がかりがあるかもしれない。
だがどうやって入るか。許可を得るなど今の状況では不可能だ。
途方に暮れ、書架の間を彷徨っていた、その時だった。
「何か、お探しですか?」
背後から不意に声をかけられた。驚いて振り返ると、そこに一人の男が立っていた。
背が高く痩身。埃っぽい司書の制服を着こなし、色素の薄い髪を無造作にかき上げている。そしてその切れ長の瞳はどこか飄々としていて、全てを見透かすような不思議な光を宿していた。
どこかで会ったことがあるような……。
いや、違う。会ったことはない。だがこの感覚は知っている。
大聖堂の二階席から、彼女を観測していた、あの視線。
「あなたは……」
オフィーリアが言葉を紡ぐより先に、男は人差し指を口の前に立て、静かに、と合図した。そして悪戯っぽく片目をつぶると、こう言った。
「『舞台の筋書きにない本』をお探しなのでは? お嬢さん」
その言葉にオフィーリアは息を呑んだ。
間違いない。この男は知っている。この世界が作られた舞台であることを。
男はオフィーリアの驚愕を楽しんでいるかのように、口元に笑みを浮かべた。
「自己紹介が遅れましたね。私はここの司書です。さあ、立ち話もなんですし、少し場所を変えましょうか。もっと『物語』の核心に触れられる場所へ」
そう言うと男は、オフィーリアにしか見えないように一冊の古い本を掲げてみせた。その表紙にはタイトルも著者名も書かれていない。ただ中央に奇妙な紋様が描かれているだけ。
それはオフィーリアがループの中で、ただ一度だけ見たことのある紋様だった。偶然迷い込んだ城の隠し部屋の壁に、それは刻まれていたのだ。
男はオフィーリアの返事を待たずに、書架の奥へと歩き出す。
迷いはなかった。オフィーリアは彼の後を追った。
この出会いが新たな絶望の始まりか、それとも初めての希望の糸口になるのか。
まだ誰にも分からない。
ただ、十三回死んで何も変わらなかった世界が、今、確かに音を立てて動き出したことだけは間違いなかった。
いつものように侍女が朝食を運び、いつものように騎士アレスが迎えに来る。だがオフィーリアは彼らとのやり取りの中で常に観察を怠らなかった。侍女の言葉の端々にある棘、アレスの瞳の奥に宿る狂信の光。それらの「歪み」は、世界の真実に繋がる重要なピースなのだ。
そして、断罪の舞台である大聖堂。
オフィーリアは壇上にひざまずかされると、真っ先に二階席の隅に視線を送った。
いた。
前回と寸分違わぬ場所にあの男が立っている。簡素な服にフードを目深にかぶっていて顔は見えない。だがその佇まいだけで、彼が他の誰とも違う異質な存在であることが分かった。彼はこの茶番劇に囚われていない。ただ観測している。まるでオフィーリアと同じように。
『あなたも、気づいているの? この世界の異常に』
心の中で問いかける。もちろん答えが返ってくるはずもない。
今回の断罪劇で、オフィーリアは前回とは違う行動を取った。一切の言葉を発さず、ただ黙してうつむき、涙を流してみせたのだ。か弱く罪を悔いる哀れな令嬢を演じた。するとユリウスは満足げに、しかしその瞳は変わらず空虚なまま判決を下した。リリアンヌは勝ち誇ったような、それでいて物足りなさそうな複雑な表情を浮かべていた。
役者たちの反応の変化を一つ一つ記憶に刻み込む。
処刑台へと向かう道すがら、再び男と目が合った気がした。彼は今回も微かにうなずいたように見えた。それは彼女の演技を評価しているようでもあり、あるいは何かを伝えようとしているようでもあった。
そして十四回目の死。
十五回目。十六回目。十七回目。
オフィーリアは断罪の場で様々な「悪役令嬢」を演じ分けた。激しく無実を訴え呪いの言葉を吐く令嬢。錯乱して泣き叫ぶ令嬢。全てを諦め虚無の表情を浮かべる令嬢。
その度にユリウスやリリアンヌたちの反応は微妙に変化した。そして二階席の男は、いつも同じ場所に立ち、静かに彼女を見つめていた。彼の存在だけがこの狂ったループの中で唯一の「不変」だった。
彼に接触しなければならない。彼こそがこのループを抜け出すための鍵、あるいは世界の真実を知る唯一の同類かもしれない。
だがどうやって? 断罪されるまでのこの一週間では、行動があまりに制限されすぎている。
十八回目の人生。オフィーリアは決意した。
『断罪イベントを、回避する』
これまではどうせ無駄だと諦めていた。だが、あの男に会うためならば話は別だ。ループで得た膨大な知識を使えば不可能ではないはず。
まずリリアンヌが仕掛けてくる毒殺未遂の罠。これは彼女がオフィーリアの紅茶に毒を盛る瞬間と場所を、過去のループで既に特定済みだ。夜会からの帰り道、温室の死角。先回りしてその計画を阻止すればいい。
その日の夜。オフィーリアは侍女に体調が悪いと嘘をつき、夜会を早々に抜け出した。そして護衛のアレスを巧みにまき、一人で温室へと向かう。月明かりだけが差し込むガラス張りの空間は、昼間の華やかさが嘘のように静まり返っていた。
息を潜め、巨大な観葉植物の影に隠れる。やがて一人の人影が、こそこそと温室に入ってきた。リリアンヌだ。彼女は辺りを警戒しながら、懐から小さな小瓶を取り出した。中には紫色の液体が入っている。あれがオフィーリアを罪人に仕立て上げるための毒。
リリアンヌがオフィーリアの侍女に金で言うことを聞かせ、紅茶に毒を盛らせる手筈になっている。その現場を押さえれば証拠は十分だ。
だがオフィーリアの目的はリリアンヌを告発することではない。そんなことをすれば、また別の筋書きで断罪されるだけだ。目的は断罪を回避し、自由な時間を手に入れること。
リリアンヌが立ち去るのを待ち、オフィーリアは行動を開始した。彼女は毒を盛られる予定の侍女を呼び出し、ありったけの宝石を渡して今すぐ王都から逃げるように命じた。侍女は最初こそ戸惑っていたが、公爵令嬢の気迫と宝石の輝きに抗えず、泣きながらうなずいて姿を消した。
これで毒殺未遂事件そのものが起こらない。
翌日、当然ながら王宮は騒然となった。聖女の侍女が、毒を盛られるはずだった公爵令嬢の侍女が、二人とも姿を消したのだから。リリアンヌは顔面蒼白で何かを訴えていたが、物的証拠が何一つない以上、彼女の言葉はただの妄言として片付けられた。
ユリウスは珍しく苛立った様子でオフィーリアを詰問してきたが、彼女は「何も存じません」と微笑むだけ。筋書きが崩れたことで、完璧な王子様の仮面にも焦りが見える。実に滑稽だった。
こうしてオフィーリアは初めて、断罪されることなく一週間を乗り越えた。処刑の鐘が鳴るはずだった日の朝、彼女は久しぶりに牢獄ではない自室のベッドで目を覚ました。
自由。
ほんの少しの自由時間。だが彼女にとっては計り知れない価値があった。
オフィーリアは早速、王都で最も多くの知識が集まる場所へと向かった。
王立図書館。
古今東西のあらゆる書物が収められた知の殿堂。もしこの世界の真実に関する記述が残っているとしたら、ここしかない。
身分を隠すため、質素なドレスにフード付きの外套を羽織る。公爵令嬢の顔が知られていては何かと面倒だ。
巨大な図書館に足を踏み入れると、古い紙とインクの匂いが彼女を迎えた。天井まで届く本棚が迷路のように連なり、静寂が空間を支配している。
彼女はまずこの国の建国神話に関する書物を手当たり次第に調べ始めた。どの本にも、世界を創造した慈悲深き女神と、その恩恵を受ける人々というありきたりな神話が記されているだけ。ループや世界の「歪み」に関する記述などどこにも見当たらない。
『やはり、表向きの書物には何も残されていない、か』
ならば禁書庫はどうか。王族や特別な許可を得た者しか入れない場所。そこに何か手がかりがあるかもしれない。
だがどうやって入るか。許可を得るなど今の状況では不可能だ。
途方に暮れ、書架の間を彷徨っていた、その時だった。
「何か、お探しですか?」
背後から不意に声をかけられた。驚いて振り返ると、そこに一人の男が立っていた。
背が高く痩身。埃っぽい司書の制服を着こなし、色素の薄い髪を無造作にかき上げている。そしてその切れ長の瞳はどこか飄々としていて、全てを見透かすような不思議な光を宿していた。
どこかで会ったことがあるような……。
いや、違う。会ったことはない。だがこの感覚は知っている。
大聖堂の二階席から、彼女を観測していた、あの視線。
「あなたは……」
オフィーリアが言葉を紡ぐより先に、男は人差し指を口の前に立て、静かに、と合図した。そして悪戯っぽく片目をつぶると、こう言った。
「『舞台の筋書きにない本』をお探しなのでは? お嬢さん」
その言葉にオフィーリアは息を呑んだ。
間違いない。この男は知っている。この世界が作られた舞台であることを。
男はオフィーリアの驚愕を楽しんでいるかのように、口元に笑みを浮かべた。
「自己紹介が遅れましたね。私はここの司書です。さあ、立ち話もなんですし、少し場所を変えましょうか。もっと『物語』の核心に触れられる場所へ」
そう言うと男は、オフィーリアにしか見えないように一冊の古い本を掲げてみせた。その表紙にはタイトルも著者名も書かれていない。ただ中央に奇妙な紋様が描かれているだけ。
それはオフィーリアがループの中で、ただ一度だけ見たことのある紋様だった。偶然迷い込んだ城の隠し部屋の壁に、それは刻まれていたのだ。
男はオフィーリアの返事を待たずに、書架の奥へと歩き出す。
迷いはなかった。オフィーリアは彼の後を追った。
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