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第4話「禁じられた頁の囁き」
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司書と名乗る男の後について、オフィーリアは図書館の奥深くへと足を進めた。利用者の姿はとうに消え、巨大な本棚の影がまるで生き物のように床を這っている。男は迷いのない足取りで特定の書架の前で立ち止まった。そしてこともなげに一冊の本を引き抜くと、背後の壁が音もなく横にスライドした。隠し通路だ。
「どうぞ。我々のような『筋書きから外れた登場人物』のための、ささやかな書斎です」
男は肩をすくめて、オフィーリアを中に促した。通路の先は小さな部屋になっていた。壁一面が本で埋め尽くされているのは図書館と同じだが、その雰囲気はまるで違う。ここに並べられているのは装丁も紙質もバラバラな、およそ王立図書館の蔵書とは思えない雑多な本や羊皮紙の巻物、そして誰かの手によるものらしい膨大な量の覚え書きだった。
「ここは……?」
「私の仕事場であり研究室であり、そして……この狂った世界の法則性を記録し続けた、孤独な観測者のための檻、とでも言っておきましょうか」
男は机の上に置かれたランプに火を灯した。揺らめく炎が彼の顔に深い影を落とす。その色素の薄い瞳は、やはりどこか人間離れした光を宿していた。
「あなたは一体何者なの? なぜ私がループしていることを知っているの?」
オフィーリアは単刀直入に問いかけた。もはや回りくどい探り合いは不要だ。目の前の男は間違いなく自分と同じ、あるいはそれ以上の真実に触れている。
「おっと、焦らないで。紅茶でもいかがです? 残念ながら毒は入っていませんが」
軽口を叩きながら男は手際よく茶の準備を始めた。その飄々とした態度に、オフィーリアは苛立ちよりもむしろ奇妙な安堵を覚えていた。少なくともユリウスたちのような仮面を被った狂気は感じられない。
「まず、あなたの疑問にお答えしましょう。なぜあなたのことを知っているか。それは私もあなたと同じだからです。何度もこの同じ時間を繰り返している」
カップを差し出しながら、彼は静かに告げた。その言葉は重く、確かな響きを持っていた。
「あなたほど多くはない。私が最初にこの異常に気づいたのは、今から七回前のループです。それまではただのしがない司書として、決められた日々を漫然と生きていただけでした」
七回。オフィーリアの十八回に比べれば少ないが、それでも常人が耐えられる回数ではない。目の前の男もまた地獄を生き抜いてきたのだ。
「ある時、ふと気づいたんです。昨日読んだはずの本が今日になったら内容が僅かに変わっている。存在しなかったはずの書物がいつの間にか書架に増えている。そして……毎週同じ曜日に、決まって、公爵令嬢オフィーリア・フォン・ヴァインベルクが断罪され、処刑される」
男は壁に貼られた巨大な年表を指さした。そこにはオフィーリアがループの中で取った行動と、それによって周囲がどう変化したかがびっしりと書き込まれていた。
『十三回目、聖堂にて罪を認めず、王子、聖女を挑発。聴衆の反応、混乱。』
『十四回目、黙して涙を流す。聴衆の反応、同情多数。』
『十七回目、錯乱を装う。聖女、怯えるも口元に僅かな笑み。』
大聖堂の二階席から、彼は全てを観察し記録していたのだ。
「あなたは特別だった。他の登場人物たちはループの度に僅かな『設定変更』――我々はそれを『歪み』と呼んでいますが――が加えられるだけで、基本的には同じ行動を繰り返す。だがあなただけは違った。明確な意志を持って毎回違う行動を取っていた。あなたは、この世界の法則から外れたイレギュラーだったのです」
「あなたも、そうなのね」
「ええ。私もどうやらこの『物語』の主要な登場人物ではなかったらしい。ただの背景、その他大勢。だからこそ女神の目から逃れ、僅かな自由意志を保つことができたのかもしれません」
女神。その単語にオフィーリアの心臓がどきりと跳ねた。
「女神……。やはりこの世界は……」
「ええ。我々が慈悲深い母と崇める女神様が、この箱庭の創造主であり観測者であり、そして……このくだらない悲劇の脚本家ですよ」
男は嘲るように言った。その声には深い絶望と、それを乗り越えた末の乾いた諦観が滲んでいた。彼は一冊の、黒い革で装丁された分厚い本を手に取り、オフィーリアの前に置いた。
「これはある狂った学者が遺した文献です。彼は女神の存在に疑念を抱き、その正体を探ろうとした。そして世界の真実にたどり着いてしまった」
オフィーリアは恐る恐るその本を開いた。そこには震えるような文字で、信じがたい事実が綴られていた。
この世界は女神が「完璧な物語」を観測するために創り出した実験場であること。
人々は女神に与えられた「役割」を演じるだけの駒に過ぎないこと。
そして物語が停滞した時、女神は世界を「リセット」する。それがループの正体であること。
「断罪イベントは物語を盛り上げるためのクライマックス。そしてあなたの『悪役令嬢』という役割は、世界をリセットするための生贄……」
オフィーリアの唇から言葉が漏れた。全身から血の気が引いていくのが分かる。
自分の人生も苦しみも、十二回の死も、全てがただの茶番を盛り上げるための演出だったというのか。あまりに残酷な真実だった。
「なぜ……。なぜこんなことを……」
「さあ? 神様の考えることなんて我々人間には分かりませんよ。退屈しのぎか、芸術の創造か。理由なんてどうでもいい。重要なのは、我々がこのループする箱庭に閉じ込められているという事実。そしてそこから抜け出す方法を探すことです」
司書はオフィーリアの目を真っすぐ見た。
「私は一人でずっとその方法を探してきました。そして一つの結論に達した。この状況を打破するには、もう一人、同じ覚悟を持った『イレギュラー』が必要だと。だからずっとあなたを待っていた、オフィーリア・フォン・ヴァインベルク」
彼の言葉は熱を帯びていた。それは初めて見つけた同志に向けられた期待の光だった。
「私に、どうしろと?」
「まずは知りましょう。この世界のより深いシステムを。そして女神の正体を。そのためにあなたの力が必要なんです。あなたの、ループの中で蓄積した膨大な知識と、主要登場人物として舞台の中心に立てる、その立場が」
司書は部屋の奥にある、厳重に鍵がかけられた鉄の扉を指さした。
「あの奥が本当の禁書庫です。女神が自らの存在を隠すために封印した、世界の根幹に関わる文献が眠っている。それを共に解き明かし、反撃の糸口を見つけるのです」
十八回のループの中で、初めて差し伸べられた手だった。それが蜘蛛の糸であったとしても、オフィーリアには他に掴むものなどなかった。
絶望の淵で彼女は初めて、誰かと視線を交わした。
それは恋でも友情でもない。
ただ同じ地獄を共有し、そこからの脱出を目指す「共犯者」の瞳だった。
「いいわ。協力する」
オフィーリアは静かに、しかし力強くうなずいた。
「その代わり、あなたの名前を教えて。いつまでも『司書さん』では呼びにくいわ」
男は一瞬きょとんとした顔をしたが、やがて諦めたように息をつくと、観念したように名乗った。
「……レオン、とだけ。今はそう呼んでください」
レオン。その名をオフィーリアは記憶に刻んだ。
十三回死んだ悪役令嬢と、七回時を遡った司書。
二人のイレギュラーによる神への反逆が、今、静かに始まろうとしていた。
「どうぞ。我々のような『筋書きから外れた登場人物』のための、ささやかな書斎です」
男は肩をすくめて、オフィーリアを中に促した。通路の先は小さな部屋になっていた。壁一面が本で埋め尽くされているのは図書館と同じだが、その雰囲気はまるで違う。ここに並べられているのは装丁も紙質もバラバラな、およそ王立図書館の蔵書とは思えない雑多な本や羊皮紙の巻物、そして誰かの手によるものらしい膨大な量の覚え書きだった。
「ここは……?」
「私の仕事場であり研究室であり、そして……この狂った世界の法則性を記録し続けた、孤独な観測者のための檻、とでも言っておきましょうか」
男は机の上に置かれたランプに火を灯した。揺らめく炎が彼の顔に深い影を落とす。その色素の薄い瞳は、やはりどこか人間離れした光を宿していた。
「あなたは一体何者なの? なぜ私がループしていることを知っているの?」
オフィーリアは単刀直入に問いかけた。もはや回りくどい探り合いは不要だ。目の前の男は間違いなく自分と同じ、あるいはそれ以上の真実に触れている。
「おっと、焦らないで。紅茶でもいかがです? 残念ながら毒は入っていませんが」
軽口を叩きながら男は手際よく茶の準備を始めた。その飄々とした態度に、オフィーリアは苛立ちよりもむしろ奇妙な安堵を覚えていた。少なくともユリウスたちのような仮面を被った狂気は感じられない。
「まず、あなたの疑問にお答えしましょう。なぜあなたのことを知っているか。それは私もあなたと同じだからです。何度もこの同じ時間を繰り返している」
カップを差し出しながら、彼は静かに告げた。その言葉は重く、確かな響きを持っていた。
「あなたほど多くはない。私が最初にこの異常に気づいたのは、今から七回前のループです。それまではただのしがない司書として、決められた日々を漫然と生きていただけでした」
七回。オフィーリアの十八回に比べれば少ないが、それでも常人が耐えられる回数ではない。目の前の男もまた地獄を生き抜いてきたのだ。
「ある時、ふと気づいたんです。昨日読んだはずの本が今日になったら内容が僅かに変わっている。存在しなかったはずの書物がいつの間にか書架に増えている。そして……毎週同じ曜日に、決まって、公爵令嬢オフィーリア・フォン・ヴァインベルクが断罪され、処刑される」
男は壁に貼られた巨大な年表を指さした。そこにはオフィーリアがループの中で取った行動と、それによって周囲がどう変化したかがびっしりと書き込まれていた。
『十三回目、聖堂にて罪を認めず、王子、聖女を挑発。聴衆の反応、混乱。』
『十四回目、黙して涙を流す。聴衆の反応、同情多数。』
『十七回目、錯乱を装う。聖女、怯えるも口元に僅かな笑み。』
大聖堂の二階席から、彼は全てを観察し記録していたのだ。
「あなたは特別だった。他の登場人物たちはループの度に僅かな『設定変更』――我々はそれを『歪み』と呼んでいますが――が加えられるだけで、基本的には同じ行動を繰り返す。だがあなただけは違った。明確な意志を持って毎回違う行動を取っていた。あなたは、この世界の法則から外れたイレギュラーだったのです」
「あなたも、そうなのね」
「ええ。私もどうやらこの『物語』の主要な登場人物ではなかったらしい。ただの背景、その他大勢。だからこそ女神の目から逃れ、僅かな自由意志を保つことができたのかもしれません」
女神。その単語にオフィーリアの心臓がどきりと跳ねた。
「女神……。やはりこの世界は……」
「ええ。我々が慈悲深い母と崇める女神様が、この箱庭の創造主であり観測者であり、そして……このくだらない悲劇の脚本家ですよ」
男は嘲るように言った。その声には深い絶望と、それを乗り越えた末の乾いた諦観が滲んでいた。彼は一冊の、黒い革で装丁された分厚い本を手に取り、オフィーリアの前に置いた。
「これはある狂った学者が遺した文献です。彼は女神の存在に疑念を抱き、その正体を探ろうとした。そして世界の真実にたどり着いてしまった」
オフィーリアは恐る恐るその本を開いた。そこには震えるような文字で、信じがたい事実が綴られていた。
この世界は女神が「完璧な物語」を観測するために創り出した実験場であること。
人々は女神に与えられた「役割」を演じるだけの駒に過ぎないこと。
そして物語が停滞した時、女神は世界を「リセット」する。それがループの正体であること。
「断罪イベントは物語を盛り上げるためのクライマックス。そしてあなたの『悪役令嬢』という役割は、世界をリセットするための生贄……」
オフィーリアの唇から言葉が漏れた。全身から血の気が引いていくのが分かる。
自分の人生も苦しみも、十二回の死も、全てがただの茶番を盛り上げるための演出だったというのか。あまりに残酷な真実だった。
「なぜ……。なぜこんなことを……」
「さあ? 神様の考えることなんて我々人間には分かりませんよ。退屈しのぎか、芸術の創造か。理由なんてどうでもいい。重要なのは、我々がこのループする箱庭に閉じ込められているという事実。そしてそこから抜け出す方法を探すことです」
司書はオフィーリアの目を真っすぐ見た。
「私は一人でずっとその方法を探してきました。そして一つの結論に達した。この状況を打破するには、もう一人、同じ覚悟を持った『イレギュラー』が必要だと。だからずっとあなたを待っていた、オフィーリア・フォン・ヴァインベルク」
彼の言葉は熱を帯びていた。それは初めて見つけた同志に向けられた期待の光だった。
「私に、どうしろと?」
「まずは知りましょう。この世界のより深いシステムを。そして女神の正体を。そのためにあなたの力が必要なんです。あなたの、ループの中で蓄積した膨大な知識と、主要登場人物として舞台の中心に立てる、その立場が」
司書は部屋の奥にある、厳重に鍵がかけられた鉄の扉を指さした。
「あの奥が本当の禁書庫です。女神が自らの存在を隠すために封印した、世界の根幹に関わる文献が眠っている。それを共に解き明かし、反撃の糸口を見つけるのです」
十八回のループの中で、初めて差し伸べられた手だった。それが蜘蛛の糸であったとしても、オフィーリアには他に掴むものなどなかった。
絶望の淵で彼女は初めて、誰かと視線を交わした。
それは恋でも友情でもない。
ただ同じ地獄を共有し、そこからの脱出を目指す「共犯者」の瞳だった。
「いいわ。協力する」
オフィーリアは静かに、しかし力強くうなずいた。
「その代わり、あなたの名前を教えて。いつまでも『司書さん』では呼びにくいわ」
男は一瞬きょとんとした顔をしたが、やがて諦めたように息をつくと、観念したように名乗った。
「……レオン、とだけ。今はそう呼んでください」
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