十二回の死を繰り返した悪役令嬢、破滅回避は諦めました。世界のバグである司書と手を組み、女神の狂ったシナリオをぶっ壊します

黒崎隼人

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第5話「人形たちの円舞曲」

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 レオンという共犯者を得て、オフィーリアの世界を見る目は完全に変質した。もはや彼女は物語の登場人物ではない。舞台裏から操り糸に気づいた観客であり、この歪な劇そのものを破壊しようと目論む破壊者だった。

「まずは、いつも通りに振る舞ってください。断罪を回避したあなたは、既に女神にとって観測すべき『イレギュラー』になっているはず。下手に動けば強制的にリセットされる可能性もある」

 禁書庫の隠し部屋でレオンはそう忠告した。彼の言う通りだった。焦りは禁物だ。まずはこれまで通りに日常をこなしながら、水面下で情報を集め、計画を練る必要がある。
 オフィーリアは再び公爵令嬢の仮面を被り、社交界という名の舞台へと戻った。しかし一度真実を知ってしまえば、そこは滑稽な人形劇にしか見えなかった。

「やあ、オフィーリア。先日は大変だったね。君が騒ぎに関わっていなくて心から安堵したよ」

 声をかけてきたのは婚約者のユリウスだった。その完璧な微笑みは以前にも増して薄っぺらく、その裏にある深い空虚が透けて見えるようだった。彼は聖女毒殺未遂事件という大きな筋書きが消えてしまったことで、自らの「役割」を見失い、戸惑っているのだ。

『哀れな人』

 オフィーリアは内心でつぶやいた。彼は与えられた台本がなければ、立つことも話すこともできない、ただの美しい人形なのだ。

「ご心配をおかけいたしました、ユリウス殿下。私もリリアンヌ様がご無事であったことを、心よりお慶び申し上げますわ」

 オフィーリアが完璧な淑女の笑みで応じると、ユリウスの瞳が一瞬揺らいだ。彼はオフィーリアの中に以前とは違う何かを感じ取っているのだろう。だがそれが何なのかを理解する術を、彼は持たない。

 そのリリアンヌは、今日も多くの貴族たちに囲まれ天使のような微笑みを振りまいていた。しかしオフィーリアには見える。彼女の瞳の奥で渦巻く黒い感情が。計画が失敗しオフィーリアを断罪できなかったことへの苛立ち。そして思い通りにならない物語への不満。
 彼女は他人の不幸という蜜を吸えずに渇いているのだ。その渇きが彼女の可憐な仮面を僅かに、しかし確実に歪ませていた。時折見せる、ぞっとするほど冷たい目がその証拠だった。

「オフィーリア様、先日は私の不注意で、大変なご心配をおかけしました……」

 リリアンヌが殊勝な表情でオフィーリアに近づいてきた。周囲の貴族たちは「なんて心優しい聖女様なのだ」と感嘆の声を上げる。茶番もここまで来ると芸術の域だった。

「いいえ、リリアンヌ様。あなたがお気になさることではございませんわ。それよりも、あなたの侍女が見つからないとのこと、心を痛めております」

 オフィーリアがそう言うと、リリアンヌの肩が微かに震えた。自分が口封じのために始末した侍女のことを、まさかオフィーリアが話題に出すとは思ってもいなかったのだろう。彼女の笑顔が、一瞬だけ引きつったのをオフィーリアは見逃さなかった。

 護衛騎士のアレスもまた変化を見せていた。彼は以前にも増して寡黙になり、その視線は常に何かを追い求めるように彷徨っていた。断罪という彼の「正義」を執行するべき舞台が消えたことで、彼の存在意義そのものが揺らいでいるのだ。
 彼は信じるべき正義、斬るべき悪を失った鞘のない剣だった。その行き場のないエネルギーは内側で熱を増し、今にも暴発しそうな危うさを孕んでいる。

「オフィーリア様。お側をお守りいたします」

 夜会の帰り道、アレスはいつも以上に硬い声で言った。その瞳には焦燥の色が浮かんでいる。

「ありがとう、アレス。でもあなたは少し考えすぎよ。もっと肩の力を抜いたらどう?」

「……私には、分かりません。何が正義で何が悪なのか。この頃、何もかもが歪んで見えるのです」

 アレスが初めて弱音を吐いた。オフィーリアは驚きを隠せなかった。彼もまたこの世界の「歪み」に気づき始めているのかもしれない。あるいは主要な登場人物たちが、世界の矛盾に耐えきれず少しずつ狂い始めているのか。

 彼らは皆、哀れな人形だ。女神の気まぐれな脚本に踊らされ、心をすり減らし壊れていく。かつては憎しみさえ感じた彼らに、オフィーリアは今、一種の憐憫を覚えていた。
 だが同情はしない。彼らもまたこの狂った世界を構成する部品なのだ。彼らを救う術は、この世界そのものを破壊する以外にない。

 夜、自室に戻ったオフィーリアは、レオンから渡された特殊なインクで、今日観察した記録を羊皮紙に記した。それは特定の薬品を塗らなければ読むことのできない不可視のインクだ。

『ユリウス、役割の喪失により、精神の不安定化が進行。』
『リリアンヌ、計画の失敗により、嗜虐性の抑制が困難に。攻撃対象を他に求める可能性あり。』
『アレス、正義の対象を失い、自己の存在意義に疑問。暴走の危険性。』

 これらの記録は侍女に化けたレオンの協力者が定期的に回収し、図書館の隠し部屋へと届けられる手筈になっていた。
 オフィーリアとレオンは直接会う危険を避けながら、着々と情報を共有し分析を進めていた。禁書庫に眠る文献の解読と、オフィーリアがもたらす「舞台」の生の情報。その二つを組み合わせることで、世界のシステムの核心へと少しずつ迫っている実感があった。

 ある日、レオンから新たな指令が届いた。
『王城の地下深くにある、旧時代の礼拝堂を調査されたし。そこに女神が世界を管理するための、古い端末のようなものが残されている可能性がある』

 旧時代の礼拝堂。そこは建国よりもさらに昔、忘れ去られた神々が祀られていた場所だと聞く。今はもう誰も近づかない不気味な廃墟。
 オフィーリアはループの中で得た王城の隠し通路の知識を使い、深夜、一人で地下深くへと潜った。冷たく湿った空気が肌にまとわりつく。カビと埃の匂いが鼻をついた。

 長い階段を下りた先にその礼拝堂はあった。巨大な石の扉は辛うじて開く。内部は荒れ果てていた。祭壇は崩れ、壁画は剥がれ落ち、かつての荘厳さは見る影もない。
 オフィーリアはランプの灯りを頼りに、内部を慎重に調査した。そして崩れた祭壇の裏に、不自然なほど滑らかな壁があるのを見つけた。壁にはあの無名の本と同じ、奇妙な紋様が刻まれている。
 壁に手を触れるとひやりと冷たい。力を込めて押してみる。びくともしない。何か仕掛けがあるはずだ。
 オフィーリアは紋様の形を記憶し、ひとまずその場を離れた。これ以上の深入りは危険だと本能が告げていた。

 隠し部屋に戻りレオンに紋様のことを報告すると、彼は興奮したように目を見開いた。

「間違いない。それはシステムの管理者だけが使える認証紋様です。おそらく、あなたの血……王家の血を引く公爵家の血筋が、鍵になるはずだ」

「私の、血が?」

「ええ。女神は、この世界の管理者としていくつかの古い血筋に特別な権限を与えている節がある。あなたが悪役令嬢という重要な『役割』に選ばれたのも、その血筋が理由かもしれません」

 血。役割。全てが最初から決められていた。自分の意志などどこにも存在しなかった。
 込み上げてくる吐き気をオフィーリアはぐっと堪えた。今は感傷に浸っている場合ではない。

「分かったわ。もう一度、試してみる」

 覚悟を決めたオフィーリアの目に、強い光が宿っていた。
 人形たちの円舞曲はもうすぐ終わる。
 この手で終わらせてみせる。
 たとえその先に待っているのが、完全な無だったとしても。
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