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第2話「歪な舞台の観測者」
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大聖堂に足を踏み入れた瞬間、肌を刺すような視線の奔流に晒された。憎悪、侮蔑、好奇、そして僅かな憐憫。集まった貴族たちの感情が、波のようにオフィーリアへと押し寄せる。いつものことだ。彼女はもはや、その他大勢の感情に心を揺さぶられるほど脆くはなかった。
ゆっくりと赤い絨毯が敷かれた中央通路を進む。その先、祭壇の前には特設された壇上があり、国王と、そして彼女の婚約者であるユリウス王子が冷然と座っている。その隣には、純白のドレスに身を包んだ聖女リリアンヌが、守られるべきか弱い花のように、しかし確固として存在していた。
彼女がこの茶番の主役だ。
壇上へと導かれ、オフィーリアは膝をつくことを強要された。冷たい大理石の床が薄いドレス越しに体温を奪っていく。見上げれば、ユリウスの美しい、しかし感情の欠落した青い瞳と視線がぶつかった。
「オフィーリア・フォン・ヴァインベルク」
ユリウスの声はよく響くテノールだった。誰もが聞き惚れるような甘く、それでいて威厳のある声。だがオフィーリアには分かっていた。その声には何の魂もこもっていない。ただ台本を読み上げる役者のように、完璧な王子という役割を演じているだけだ。
「そなたにかけられた嫌疑、すなわち、聖女リリアンヌ様への毒殺未遂、及び、我が国を混乱に陥れようとした反逆の罪。これについて何か弁明はあるか」
形式的な問い。ここで何を言っても無駄なのだ。十二回の経験がそれを証明している。無実を叫べば往生際が悪いと嘲笑され、黙秘すれば罪を認めたと解釈される。全ては彼女を「悪役令嬢」として断罪するための出来レースに過ぎない。
だが今回は少しだけ趣向を変えてみよう。
オフィーリアはゆっくりと顔を上げた。その唇にかすかな笑みが浮かんでいることに、誰が気づいただろうか。
「弁明、でございますか。ユリウス殿下」
彼女はあえて婚約者としての呼び名ではなく、一段劣る呼び方をした。ユリウスの眉が僅かにぴくりと動く。
「この場にいる皆様が既に私を罪人だと信じて疑わないのでしたら、私の言葉にどれほどの意味がありましょう。物語は、既に結末を迎えているのではございませんか?」
「……何が言いたい」
ユリウスの声に初めて感情の揺らぎが混じった。苛立ち。彼の完璧な脚本にない台詞を、オフィーリアが口にしたからだ。
面白い。この空っぽの人形にも感情というものがあったらしい。
「いいえ、何も。ただ、この素晴らしい舞台を私も楽しませていただこうと思ったまでですわ」
オフィーリアはクスクスと笑った。聖堂内が水を打ったように静まり返る。罪を断罪される場で不謹慎にも笑みを浮かべる公爵令嬢。その異常な光景に誰もが息を呑んだ。
隣で震えていたリリアンヌが、ここぞとばかりに口を開いた。
「ひどいですわ、オフィーリア様! ご自分の犯した罪を、何とも思っていらっしゃらないのですね……!」
涙を浮かべ、か細い声で訴えるリリアンヌ。その姿に貴族たちから同情のため息が漏れる。ああ、見事な演技だ。彼女はいつもそうだ。自分の可憐さと無垢さを最大限に利用し、他者の同情と庇護欲を掻き立てる。
だがオフィーリアは知っている。十二回のループの中で偶然見てしまったのだ。彼女が自分に逆らった侍女を、誰にも見られない裏庭で、恍惚とした表情を浮かべながら魔法で痛めつけていた姿を。彼女は他者の苦痛を蜜とする本物の悪魔だ。
「リリアンヌ様。あなたが本当に心を痛めているのは、私の犯したとされる罪ですか? それとも私があなたの思い通りに絶望し、泣き喚かないことですか?」
「なっ……! 何を、おっしゃって……」
リリアンヌの顔からさっと血の気が引いた。その動揺は演技ではない。図星を突かれた者の本物の反応だった。
オフィーリアはゆっくりと立ち上がった。枷をはめられた両手がじゃらりと音を立てる。制止しようとしたアレスの動きを、片手を上げて静かに止めた。
「皆様、よくご覧ください」
オフィーリアは聖堂にいる全ての貴族たちを見渡した。その瞳にはもはや罪人の卑屈さはない。ただ全てを見透かすような冷たい輝きがあった。
「この世界は、まるで出来の良い舞台劇のようですわ。完璧な王子様、心優しき聖女、そして彼女を妬む悪役令嬢。役者は揃い、筋書きも完璧。けれど、皆様は疑問に思ったことはございませんか?」
彼女はゆっくりとユリウスの方へ向き直った。
「殿下。あなたは本当に私を断罪したいのですか? それとも、そうすることがあなたの『役割』だからですか?」
「黙れッ!」
ユリウスが思わずといったように叫んだ。彼の完璧な仮面が初めて大きくひび割れた瞬間だった。空虚な瞳に焦りと恐怖の色が浮かんでいる。彼は恐れているのだ。自分がただの人形であることを、見抜かれるのを。
次に、オフィーリアはリリアンヌに視線を移した。
「リリアンヌ様。あなたが流すその涙は誰のためのもの? 私のため? いいえ、違うわね。あなたは悲劇のヒロインを演じる自分自身に酔っているだけ。他人の不幸を踏み台にして輝く自分に、悦に入っているだけよ」
「ち、違います……! 私は、ただ……」
リリアンヌは後ずさり、ユリウスのマントに隠れるように身を寄せた。その怯えた姿さえ計算され尽くした演技に見える。
最後に、オフィーリアは背後に立つアレスを振り返った。
「アレス。あなたはあなたの信じる正義のために剣を振るう。けれど、その正義は本当にあなた自身のもの? 誰かに与えられた盲目的な正義ではないの? あなたのその剣は、真実を見極めることなく、ただ『悪』と定められたものを斬るためだけの無機質な鉄の塊ではないかしら」
「……黙ってください、オフィーリア様」
アレスはうつむいたまま低い声で言った。その拳は固く握りしめられている。彼の心もまた、オフィーリアの言葉によってかき乱されていた。
聖堂は異様な沈黙に包まれていた。誰もが悪役令嬢の放つ言葉の毒に当てられ、身動きが取れない。
これはただの断罪劇ではなかった。悪役令嬢による告発の舞台だった。
オフィーリアは満足げに息をついた。これでいい。この小さな石が、いずれ大きな波紋を呼ぶかもしれない。この歪な舞台に少しでも多くの亀裂を入れてやる。
「もう結構ですわ」
彼女は国王に向かって静かに頭を下げた。
「判決を。どのような罰でも甘んじてお受けいたします」
もはや彼女にとって処刑は恐怖ではなかった。次のループへのただの入口に過ぎない。重要なのは死ぬことではない。死ぬまでにどれだけの「歪み」を見つけ、どれだけの「違和感」の種を蒔けるかだ。
国王が震える声で判決を言い渡す。
オフィーリア・フォン・ヴァインベルクを、死罪とする、と。
兵士たちに両脇を固められ、処刑台へと引き立てられていく。その道すがら、オフィーリアの視界の端に一つの違和感が映った。
大聖堂の二階席、その薄暗い隅に一人の男が立っていた。平民が着るような簡素な服。その顔は影になってよく見えない。貴族たちが集うこの場所に、なぜあのような男が?
男はただ静かにオフィーリアを見下ろしていた。その視線には他の者たちのような憎悪も侮蔑も感じられない。まるで舞台を観劇する観客のように。いや、それ以上に――同じ舞台に立つ役者の動きを観察する演出家のような冷徹さがあった。
『誰……?』
これまでの十二回のループで、あそこに人影など見たことはなかった。これもまた新たな「歪み」。
男と視線が合ったように感じた。その瞬間、男がほんの少しだけうなずいたように見えたのは、気のせいだっただろうか。
処刑台に立たされ、首を断頭台に固定される。冷たい鉄の感触が十三回目でもやはり不快だった。
集まった群衆の喧騒が遠くに聞こえる。
刃が振り下ろされる、その瞬間。オフィーリアは先ほどの男のことだけを考えていた。
あの男は何者だ?
そしてなぜ、私を見てうなずいた?
刃が風を切る音と共に、オフィーリアの十三回目の意識は暗転した。
次に目覚めるのは、またあの牢獄の天井の下だろう。
だが今度の目覚めは、これまでとは違う。
謎の男という、新たな観測対象を見つけたのだから。
十四回目の舞台はきっともっと面白くなる。
ゆっくりと赤い絨毯が敷かれた中央通路を進む。その先、祭壇の前には特設された壇上があり、国王と、そして彼女の婚約者であるユリウス王子が冷然と座っている。その隣には、純白のドレスに身を包んだ聖女リリアンヌが、守られるべきか弱い花のように、しかし確固として存在していた。
彼女がこの茶番の主役だ。
壇上へと導かれ、オフィーリアは膝をつくことを強要された。冷たい大理石の床が薄いドレス越しに体温を奪っていく。見上げれば、ユリウスの美しい、しかし感情の欠落した青い瞳と視線がぶつかった。
「オフィーリア・フォン・ヴァインベルク」
ユリウスの声はよく響くテノールだった。誰もが聞き惚れるような甘く、それでいて威厳のある声。だがオフィーリアには分かっていた。その声には何の魂もこもっていない。ただ台本を読み上げる役者のように、完璧な王子という役割を演じているだけだ。
「そなたにかけられた嫌疑、すなわち、聖女リリアンヌ様への毒殺未遂、及び、我が国を混乱に陥れようとした反逆の罪。これについて何か弁明はあるか」
形式的な問い。ここで何を言っても無駄なのだ。十二回の経験がそれを証明している。無実を叫べば往生際が悪いと嘲笑され、黙秘すれば罪を認めたと解釈される。全ては彼女を「悪役令嬢」として断罪するための出来レースに過ぎない。
だが今回は少しだけ趣向を変えてみよう。
オフィーリアはゆっくりと顔を上げた。その唇にかすかな笑みが浮かんでいることに、誰が気づいただろうか。
「弁明、でございますか。ユリウス殿下」
彼女はあえて婚約者としての呼び名ではなく、一段劣る呼び方をした。ユリウスの眉が僅かにぴくりと動く。
「この場にいる皆様が既に私を罪人だと信じて疑わないのでしたら、私の言葉にどれほどの意味がありましょう。物語は、既に結末を迎えているのではございませんか?」
「……何が言いたい」
ユリウスの声に初めて感情の揺らぎが混じった。苛立ち。彼の完璧な脚本にない台詞を、オフィーリアが口にしたからだ。
面白い。この空っぽの人形にも感情というものがあったらしい。
「いいえ、何も。ただ、この素晴らしい舞台を私も楽しませていただこうと思ったまでですわ」
オフィーリアはクスクスと笑った。聖堂内が水を打ったように静まり返る。罪を断罪される場で不謹慎にも笑みを浮かべる公爵令嬢。その異常な光景に誰もが息を呑んだ。
隣で震えていたリリアンヌが、ここぞとばかりに口を開いた。
「ひどいですわ、オフィーリア様! ご自分の犯した罪を、何とも思っていらっしゃらないのですね……!」
涙を浮かべ、か細い声で訴えるリリアンヌ。その姿に貴族たちから同情のため息が漏れる。ああ、見事な演技だ。彼女はいつもそうだ。自分の可憐さと無垢さを最大限に利用し、他者の同情と庇護欲を掻き立てる。
だがオフィーリアは知っている。十二回のループの中で偶然見てしまったのだ。彼女が自分に逆らった侍女を、誰にも見られない裏庭で、恍惚とした表情を浮かべながら魔法で痛めつけていた姿を。彼女は他者の苦痛を蜜とする本物の悪魔だ。
「リリアンヌ様。あなたが本当に心を痛めているのは、私の犯したとされる罪ですか? それとも私があなたの思い通りに絶望し、泣き喚かないことですか?」
「なっ……! 何を、おっしゃって……」
リリアンヌの顔からさっと血の気が引いた。その動揺は演技ではない。図星を突かれた者の本物の反応だった。
オフィーリアはゆっくりと立ち上がった。枷をはめられた両手がじゃらりと音を立てる。制止しようとしたアレスの動きを、片手を上げて静かに止めた。
「皆様、よくご覧ください」
オフィーリアは聖堂にいる全ての貴族たちを見渡した。その瞳にはもはや罪人の卑屈さはない。ただ全てを見透かすような冷たい輝きがあった。
「この世界は、まるで出来の良い舞台劇のようですわ。完璧な王子様、心優しき聖女、そして彼女を妬む悪役令嬢。役者は揃い、筋書きも完璧。けれど、皆様は疑問に思ったことはございませんか?」
彼女はゆっくりとユリウスの方へ向き直った。
「殿下。あなたは本当に私を断罪したいのですか? それとも、そうすることがあなたの『役割』だからですか?」
「黙れッ!」
ユリウスが思わずといったように叫んだ。彼の完璧な仮面が初めて大きくひび割れた瞬間だった。空虚な瞳に焦りと恐怖の色が浮かんでいる。彼は恐れているのだ。自分がただの人形であることを、見抜かれるのを。
次に、オフィーリアはリリアンヌに視線を移した。
「リリアンヌ様。あなたが流すその涙は誰のためのもの? 私のため? いいえ、違うわね。あなたは悲劇のヒロインを演じる自分自身に酔っているだけ。他人の不幸を踏み台にして輝く自分に、悦に入っているだけよ」
「ち、違います……! 私は、ただ……」
リリアンヌは後ずさり、ユリウスのマントに隠れるように身を寄せた。その怯えた姿さえ計算され尽くした演技に見える。
最後に、オフィーリアは背後に立つアレスを振り返った。
「アレス。あなたはあなたの信じる正義のために剣を振るう。けれど、その正義は本当にあなた自身のもの? 誰かに与えられた盲目的な正義ではないの? あなたのその剣は、真実を見極めることなく、ただ『悪』と定められたものを斬るためだけの無機質な鉄の塊ではないかしら」
「……黙ってください、オフィーリア様」
アレスはうつむいたまま低い声で言った。その拳は固く握りしめられている。彼の心もまた、オフィーリアの言葉によってかき乱されていた。
聖堂は異様な沈黙に包まれていた。誰もが悪役令嬢の放つ言葉の毒に当てられ、身動きが取れない。
これはただの断罪劇ではなかった。悪役令嬢による告発の舞台だった。
オフィーリアは満足げに息をついた。これでいい。この小さな石が、いずれ大きな波紋を呼ぶかもしれない。この歪な舞台に少しでも多くの亀裂を入れてやる。
「もう結構ですわ」
彼女は国王に向かって静かに頭を下げた。
「判決を。どのような罰でも甘んじてお受けいたします」
もはや彼女にとって処刑は恐怖ではなかった。次のループへのただの入口に過ぎない。重要なのは死ぬことではない。死ぬまでにどれだけの「歪み」を見つけ、どれだけの「違和感」の種を蒔けるかだ。
国王が震える声で判決を言い渡す。
オフィーリア・フォン・ヴァインベルクを、死罪とする、と。
兵士たちに両脇を固められ、処刑台へと引き立てられていく。その道すがら、オフィーリアの視界の端に一つの違和感が映った。
大聖堂の二階席、その薄暗い隅に一人の男が立っていた。平民が着るような簡素な服。その顔は影になってよく見えない。貴族たちが集うこの場所に、なぜあのような男が?
男はただ静かにオフィーリアを見下ろしていた。その視線には他の者たちのような憎悪も侮蔑も感じられない。まるで舞台を観劇する観客のように。いや、それ以上に――同じ舞台に立つ役者の動きを観察する演出家のような冷徹さがあった。
『誰……?』
これまでの十二回のループで、あそこに人影など見たことはなかった。これもまた新たな「歪み」。
男と視線が合ったように感じた。その瞬間、男がほんの少しだけうなずいたように見えたのは、気のせいだっただろうか。
処刑台に立たされ、首を断頭台に固定される。冷たい鉄の感触が十三回目でもやはり不快だった。
集まった群衆の喧騒が遠くに聞こえる。
刃が振り下ろされる、その瞬間。オフィーリアは先ほどの男のことだけを考えていた。
あの男は何者だ?
そしてなぜ、私を見てうなずいた?
刃が風を切る音と共に、オフィーリアの十三回目の意識は暗転した。
次に目覚めるのは、またあの牢獄の天井の下だろう。
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