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全年齢対応・表現マイルドバージョン
第79話 風雷は吹きて惑わず ~帰り着く場所~
しおりを挟む──命令が届いた。
「かすみ、出番だよ。人間を蹴散らす、簡単なお仕事だ」
私は——葉隠霞。
だけど・・・。
霞という名は、もう過去のもの。
今のあたしは、ただの『かすみ』だ
『かすみ』って呼ばれるたびに、霞だった頃の自分が遠のいていく気がした。
彼の言葉は耳に届く前に、風が運んでいた。
雷は、胸の奥で小さく震えた。
それは、怒りでも、恐怖でもない。
ただ、静かな『了承』だった。
霞は、目を閉じる。
風が頬を撫でる。
雷が、皮膚の下で脈打つ。
「人間か」
その言葉に、何の感情も乗っていない。
かつてなら、ためらいがあった。
かつてなら、誰かの顔が浮かんだ。
でも今は──風がそれを吹き飛ばした。
雷が、それを焼き払った。
「命令なら、従うだけだよ」
それは、霞の声ではなかった。
風に染まった声。
雷に焼かれた声。
彼女の『意思』は、もう力の中に沈んでいた。
でも──ほんの一瞬だけ、胸の奥が軋んだ。
風が、問いかけるように揺れた。
雷が、迷いのように弾けた。
「・・・人間を『人間という枠』を壊す。それって、あたしが『完全にこっち側』になるってことだよね?」
誰かが囁いた。
そのとき、ほんの一瞬だけ、誰かの名前が浮かびそうになった。
「もう戻れないよ」
霞は、笑った。
それは、風に乗った笑み。
雷に染まった笑み。
「戻る気なんて、ないよ。だって──あたしを壊したのは、人間だった」
風が、彼女の背を押す。
雷が、彼女の足元を照らす。
霞は、歩き出す。
その足取りは、軽く。
その瞳は、赤と金に染まっていた。
──葉隠霞。
風雷の乙女。
今、かつての『仲間』を標的に定める。
◇
──足音が近づいてくる。
ダンジョンの奥へと踏み込む探索者たち。
その中には、見覚えのある顔もあった。
同じ制服。
同じ教室。
同じ昼休みの、くだらない会話。
霞は、岩陰に身を潜めながら、風の中にその気配を感じ取っていた。
雷が、胸の奥で小さく鳴る。
それは、懐かしさではなく──警告だった。
「・・・あたし、あそこにいたんだよな」
風が、彼女の髪を揺らす。
それは、過去をなぞるような優しい動きだった。
それでも霞は、団扇を握りしめる。
その表面に刻まれた桜と紅葉が、微かに震える。
「もう、戻れない。あたしは『こっち側』なんだ」
──モンスター。
そう呼ばれる存在。
ダンジョンの奥に潜み、探索者を喰らう者。
でも、霞は『かつて』彼らと同じ側にいた。
同じ制服を着て、同じ未来を語っていた。
「それでも、あたしを差し出したのは『人間』だった」
雷が、指先に集まる。
風が、彼女の背を押す。
霞の瞳が、赤と金に染まる。
「だったら、あたしは──『人間という枠』を壊す」
その言葉に、風がざわめく。
雷が、喜びのように弾ける。
でも、ほんの一瞬だけ。
霞の胸が軋んだ。
制服の袖に残る、かつての仲間の手の感触。
教室の窓から見た、同じ空。
「・・ごめんね」
その声は、誰にも届かない。
風が、かき消した。
雷が、焼き払った。
そして、静かになった。
まるで、何もなかったかのように。
霞は、廊下の角から姿を現す。
探索者たちの目が、彼女を捉える。
驚き。
恐怖。
混乱。
「葉隠・・・? え?」
その問いに、霞は答えない。
ただ、団扇を振る。
風が唸り、雷が走る。
──葉隠かすみ。
かつての仲間を前に、モンスターとして立つ。
その心は、風に引き裂かれ、雷に焼かれながらも──確かに、進んでいた。
──風が裂けた。
雷が走った。
探索者たちの隊列は、瞬く間に崩れた。
「うわっ!」
「隊列が乱れた! 後衛、下がれ!」
「風が・・・風圧が強すぎる!」
「雷が・・・走る!」
悲鳴が、風に乗って霞の耳に届く。
雷が、彼らの足元を焼き、風が視界を奪う。
誰もが、散り散りに逃げていく。
秩序は崩れ、連携は断たれ、ただ『個』として逃げ惑う。
霞は、その光景を見下ろしていた。
団扇を振るたび、風が唸り、雷が咆哮する。
その力は、もはや『技』ではなく、『本能』だった。
「・・・弱いな」
ぽつりと漏れた言葉。
それは、嘲笑ではない。
ただ、事実の確認。
「隊列が崩れただけで、もう何もできないのか」
風が、彼女の髪を逆立てる。
雷が、皮膚の下で脈打つ。
霞の瞳は、赤と金に染まりながらも、どこか遠くを見ていた。
──かつて、自分もその隊列の中にいた。
──風を読み、雷に怯えながら、それでも前に進んでいた。
──誰かの隣に立つことを、選んでいた。
「・・・あたしは、もう隣には立てない」
その言葉に、風が揺れた。
雷が、胸の奥で軋んだ。
でも、霞は団扇を振る。
風が、逃げる者の背を切り裂き、雷が地を焼く。
「逃げても無駄だよ。風は、どこまでも追いかける。雷は、心の奥まで届く」
その声は、誰にも届かない。
風が、かき消した。
雷が、焼き払った。
霞は、力を振るい続ける。
それは、怒りでも、憎しみでもない。
ただ、『役割』としての行動。
ダンジョンの守護者としての、当然の振る舞い。
でも──ほんの一瞬だけ。
逃げる背中の中に、見覚えのある髪型があった。
かつて、昼休みに隣で笑っていた誰か。
風が、その記憶を運んできた。
霞は、団扇を止める。
雷が、指先で震える。
風が、問いかける。
「それでも、振るうか?」
霞は、目を閉じる。
そして、静かに呟いた。
「・・・あたしは、もう『人間』じゃない。だから、迷う必要もない」
団扇が再び振るわれる。
風が唸り、雷が咆哮する。
逃げる者たちの背に、容赦なく襲いかかる。
──葉隠霞。
かつての仲間を見送りながら、力を振るう。
その心は、風に引き裂かれ、雷に焼かれながらも──確かに、進んでいた。
◇
──風が、止んだ。
雷も、沈黙した。
空気が、やけに澄んでいる。
まるで、何もなかったかのように。
霞は、立っていた。
足元には、焼け焦げた残骸が静かに横たわっていた。
人間だったもの。
名前も、顔も、もう思い出せない。
あるいは、思い出さないようにしているだけかもしれない。
「・・・やり過ぎたか?」
ぽつりと漏れた言葉に、風は応えない。
雷も、もう何も言わない。
ただ、静寂だけが、霞の耳を満たしていた。
「苦しむ時間は、あったか?」
問いかけるように、残骸を見下ろす。
返事はない。
当然だ。
もう、声を持たないのだから。
霞は、目を細める。
その表情に、怒りも悲しみもない。
ただ、冷たい静けさ。
それは『冷静』と呼ぶには、あまりにも無感情すぎた。
──これが、あたしの役目。
──隊列を崩し、数を減らす。
──前進を許す者と、ここで終わる者を分ける。
「・・・任務完了。問題なし」
そう呟いた声は、まるで報告のようだった。
誰に向けたものでもない。
ただ、自分自身に言い聞かせるように。
でも、胸の奥が軋んだ。
ほんのわずかに。
風が、そこを通り過ぎた。
雷が、そこを叩いた。
霞は、気づかないふりをした。
いや──『気づかないように』した。
「冷静だよ、あたしは。ちゃんと判断して、ちゃんと選んだ。だから、これは・・・正しい」
その言葉に、風は揺れなかった。
雷も、鳴らなかった。
まるで、彼女の『正しさ』を否定することすら、もう興味がないかのように。
霞は、踵を返す。
炭となった二本に背を向けて、静かに歩き出す。
──風は、まだ彼女の名を覚えている。
──雷は、まだ彼女の心を見ている。
でも、霞はもう、自分の声すら聞こうとしなかった。
残り、10人。
◇
──足音が、静かに響く。
霞は、任務を終えて帰還する。
風も雷も、今は沈黙している。
まるで、彼女の背に寄り添うように。
拠点の入り口に立つと、そこにカルマがいた。
かつての仲間。
今の主。
カルマは、微かに頷きながら、霞の目をまっすぐ見ていた
そして・・・。
「おかえり」
当たり前のように声を掛けられた。
『ご苦労』ではない。
『見事だった』でもない。
『おかえり』。
その言葉は、風よりも柔らかく、雷よりも温かかった。
霞の胸の奥に、静かに染み込んでいく。
──おかえり。
それは、かつて家に帰ったときに聞いた言葉。
それは、誰かの隣にいた頃に交わした言葉。
それは、もう二度と聞けないと思っていた言葉。
霞は、虚を突かれたように立ち尽くす。
その言葉が、どこに届いたのか、自分でもわからなかった。
団扇を握る手が、少しだけ緩む。
風が、彼女の髪を撫でる。
雷が、胸の奥で静かに鳴る。
「・・・ただいま」
その声は、霞自身も驚くほど自然だった。
まるで、ずっとここにいたかのように。
まるで、これが『帰るべき場所』だったかのように。
霞は、拠点の奥へと歩き出す。
その足取りは、任務の帰還ではなく──帰宅のようだった。
部屋に入る。
扉を閉める。
そのくらい当たり前に、奥に置かれたソファに腰かけた。
風が、壁を撫でる。
雷が、床を温める。
『おかえり』——その言葉に、『かすみ』としてのあたしが、初めて居場所を得た気がした。
「・・・ここが、あたしの居場所なんだ」
その言葉に、風が優しく吹いた。
雷が、静かに脈打った。
それは、肯定でも否定でもない。
ただ、霞の『今』を受け入れる音だった。
──葉隠かすみ。
かつての探索者。
今は、ダンジョンの守護者。
そして、カルマのもとに帰る者。
その心は、風に包まれ、雷に導かれながら──確かに、居場所を見つけていた。
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