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レーディング15(R15)・表現深化バージョン~刺激的な表現を含みます
第97話 傘はまた開く ~差し掛ける問い~
しおりを挟む目を開ける感覚はなかった。
でも、彼女は『目を開けている』とわかった。
そこには光も闇もなく、ただ、『彼』の気配だけがあった。
彼は何も言わない。
でも、彼の手が、彼の想いが、彼女の輪郭をなぞっていく。
それは、形を与える行為。
それは、意味を与える行為。
彼の指先が触れるたび、彼女の髪は白くほどけ、風に揺れる糸のように長く伸びていく。
肌は青白く、雨に濡れた紙のように透けていき、その上に、傘の骨のような文様が浮かび上がる。
肩に、背に、腕に。
まるで、かつての傘が彼女の中に沈み込み、今度は彼女自身が『差す者』として生まれ変わるかのように。
頭上には、ひとりでに現れた黒い笠。
その縁には、四角く切り抜かれた窓があり、そこから覗く彼女の片目が、赤く、静かに光っていた。
その目は、かつて『傘の窓』だった左目。
今はもう、傘がなくても、世界の断片を映し出す。
彼女の衣は、闇を編んだような布でできていた。
袖は風に揺れ、裾は霧に溶け、その姿は、まるで『問いそのもの』が形を持ったようだった。
「・・・私、もう終わったはずだったのに」
その声は、誰にも届かない。
でも、『彼』には届いている気がした。
彼女は、問い続ける。
なぜ私なの?
なぜあなたは、私を呼び戻したの?
これは、償い?
それとも、罰?
私は、もう終わったはずだった。
あの瞬間、すべてを見届けて、すべてを受け入れて、ようやく静かに、傘を閉じたはずだった。
あの赤い雨の中で、私は確かに『終わった』のに。
なのに、どうして。
どうして、また目を開けているの?
彼女の中に、かつての赤い雨が流れる。
傘の窓に映った断片が、今は彼の瞳に宿っている。
まるで、今度は彼が『問いを持つ者』になったかのように。
「・・・あなたの未来に、私は必要なの?」
その問いに、答えはない。
でも、彼の手が止まらない限り、彼女は『形』になっていく。
それは復讐の道具かもしれない。
それは問いかける妖怪かもしれない。
それは、ただの記憶の残響かもしれない。
でも、彼女の心は、静かにこう呟いていた。
「・・・なら、せめて、私の目で見せて。あなたが選んだ未来を」
目覚めは、音のない水面のようだった。
揺れもなく、波もなく、ただ、意識が浮かび上がっていく。
彼女は、目を覚ました。
けれど、それは『目覚める』というより、『形を与えられた』という感覚だった。
彼の手がなぞった輪郭は、もう人間のものではない。
それは、問いを宿すための器。
傘の骨のようにしなやかで、雨を受け止めるために広がる形。
彼女は、自分の名前を思い出せなかった。
人間だった頃の名は、傘の外側を流れる赤い雨に溶け、静かに、確かに、地面へと落ちていった。
右目は、長く垂れた髪の下に隠れている。
もう見る必要はない。
見るべきものは、左目に映る。
その左目が、赤く光った。
傘の窓だった場所。
今はもう、傘がなくても、世界の断片が流れ込んでくる。
彼女は、歩き出す。
自分の選択を見届けるために。
そして、同じように選択をし、問いを持って帰ってきた仲間たちの『生末』を、この目で見届けるために。
誰が問いを持ち続け、誰が問いを失い、誰が『モノ』になったのか。
それを知ることが、今の彼女の存在理由だった。
彼女は歩き出す。
傘は持っていない。
でも、彼女の周囲には、赤い雨が触れない。
それは、問いが結界になっているから。
それは、彼女が『妖怪』であるから。
そして、彼女は仲間たちに向けて、最後にこう呟いた。
「・・・もし、あなたが『モノ』になったのなら。私が、あなたの問いを代わりに持つ」
その言葉に、風が静かに応えた。
そして、赤い雨が再び降り始めた。
傘の窓はもうない。
でも、彼女の目は、未来を映す力を宿していた。
それは断片ではなく、連なった時間の流れだった。
彼女は見た。
赤い雨の中、傘を差して立つ少女たち。
その瞳には、かつての自分と同じ不安と希望が宿っていた。
でも、彼女はその前に立っていた。
妖怪として。
問いを持つ者として。
そして、敵として。
彼女の手が動く。
問いが刃となり、言葉が呪となる。
それは、答えを求めるのではなく、沈黙を裂くための力だった。
少女たちは逃げる。
叫ぶ。
そして、傷つく。
彼女は、その未来を見て、静かに目を閉じた。
「・・・私が、壊すの?」
「私が、かつての私を、傷つけるの?」
その問いは、誰にも届かない。
でも、彼女の中で、深く響いた。
彼女は知っている。
その未来は、避けられないかもしれない。
『彼』の願い。
仲間たちの痛み。
『モノ』になった者たちの沈黙。
それらすべてが、彼女をその未来へと押し出している。
でも、彼女は、もう一つの問いを持っていた。
「・・・もし、私が問いを持ち続けるなら。その未来に、意味を与えられる?」
彼女は、戦うかもしれない。
傷つけるかもしれない。
でも、問いを持っている限り、ただの加害者にはならない。
それは、贖罪ではない。
それは、正義でもない。
それは——記憶の継承。
彼女は、未来を見て、歩き出す。
その足取りは重く、でも確かだった。
「・・・なら、私は問う。あなたは、誰を守りたいの?」
その問いが、未来の中で誰かに届くことを願って。
赤い雨は、静かに降り続けていた。
彼女は、問いを持って歩き続ける。
誰かの記憶を背負い、誰かの未来を見つめながら。
彼女の姿は、霧の中に溶けていく。
でも、傘の窓に映った問いは、まだ消えていない。
「あなたは、誰を見捨てたの?」
「あなたは、何を見なかったの?」
「あなたは、誰かの痛みに、目を向けたことがある?」
その問いは、次の誰かに届く。
まだ名前も知らない、別の誰か。
彼もまた、赤い雨の中に立っている。
そして、運命に流される音が、静かに始まる。
かつての名前は忘れたけれど。
新しい名前とともに、再び立つ私がいる。
雨の日には、涙を受ける雨傘を。
晴れの日には笑い声を拒絶する日傘を。
気持ちが折れた日には折れていても開く折り畳み傘を。
陽気な朝には洋傘を。
和みの昼には和傘を。
複雑な一日には蝙蝠傘を。
私はいつでも差しましょう。
この『差傘ひより』が。
「・・・え?」
カルマが歩き出す。
妖怪たちは、その背中を見送り、ゆっくりと動き出す。
その中で、ひよりは言葉を飲み込んだ。
見なかった『未来』が、そこにある。
『達磨』が歩いていた。
『テケテケ』が立っている。
しかも、『名前』が付いている。
他の妖怪はともかく、『達磨』と『テケテケ』には名前がなかったはずだ。
「・・・未来が、変わっている・・・」
そう感じた。
何かが、変わったのだ。
それが、なんなのかを見定めなくては——。
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