下っ端公務員の俺は派遣のαに恋してる【完結済】

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翌朝

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翌朝。
市役所の建物はいつも通りの音を立てていた。
コピー機の始動音、書類をめくる紙の擦れる音、電話のベル。
すべてが昨日までと同じはずなのに、
どこかで、少しだけ音が濁って聞こえた。

デスクに腰を下ろし、書類を整理する。
指先にまだ、昨夜の温度が残っている気がして、
それを振り払うようにペンを握った。

「おはようございます」
背後から、あの声。
思わず背筋が伸びる。

「……おはようございます、朝比奈さん」
できるだけいつも通りの声を出す。
彼もまた、穏やかな笑顔を浮かべていた。
けれど、その笑顔がほんの少しだけ“知っている者の笑み”に見えた。

「昨日は、ありがとうございました」
「い、いや……こちらこそ」
「楽しかったです」

他の職員が通り過ぎる音。
その中で、彼の声だけが妙に澄んでいた。

「今日の資料、僕がまとめておきますね」
「え、でも――」
「任せてください。昨日、少し話を聞いて思ったんです。
 野々宮さん、一人で抱え込みすぎです」

柔らかな言葉。
けれど、その中に微かに命令の響きがある。
断る隙を与えない声。
気づけば、頷いていた。

「……お願いします」
「はい」

朝比奈さんは軽く笑い、書類を受け取ってデスクに戻った。
その背中を見送りながら、
なぜか胸の奥で、
“またあの手を取られるかもしれない”という予感がした。

窓の外には、昨夜と同じ春の光。
それなのに、どこかで風の色が変わって見えた。


昼休みのチャイムが鳴る。

いつもなら弁当を片手に職員休憩室へ向かう時間だが、
今日はどうにも足が動かなかった。
机の上の書類を無意味に整えながら、
朝比奈さんが少し離れた席で電話を切るのを眺めていた。

「……昼、もう行きました?」
声をかけられて、少しだけ肩が跳ねた。
「い、いや。まだです」
「よかった。食堂、混んでるみたいだから、資料室で食べません?」
「資料室、ですか?」
「静かで落ち着くんですよ。僕、よく一人で使ってるんです」

気づけば頷いていた。

薄暗い資料室は、窓際だけが柔らかな光に包まれていた。
埃の匂いと紙のざらつき。
昼下がりの静けさが、外の時間を遠ざけているようだった。

「昨日のこと、誰かに言いました?」
「……何を?」
「飲みに行ったこと」
「い、いや……言ってないけど」
「ふふ、他に何かありましたっけ?」

軽く笑って、朝比奈さんは弁当の蓋を開けた。
湯気がゆらゆらと立ちのぼり、
光の筋を縫うように消えていく。

「野々宮さん」
「はい」
「昨日、話してたじゃないですか。仕事のこと」
「うん」
「少しでも、息抜きした方がいいと思うんです」

静かな口調。
それなのに、その言葉が妙に近く聞こえた。

「今度、行ってみたい店があるんです。パンケーキが有名で……でも一緒に行ってくれる人がいなくて」

言いながら、少しだけ照れくさそうに視線を逸らす。
その仕草が、どういうわけか胸に残った。

「……へえ」
「行きません? 土曜の午後とか。あ、でも無理ならいいんです」

一瞬、断ろうと思った。
けれど、彼の言葉の最後にほんの少しだけ寂しさが混じっていて――
気づけば、口が勝手に動いていた。

「……いいですよ。たまには、甘いものも悪くないし」

「ほんとですか?」
弾けるように顔を上げた朝比奈さんは、
次の瞬間、スマートフォンを取り出した。

「ここなんです。ほら、見てください!」

画面には、
生クリームの塔みたいなパンケーキが映っていた。
金色の皿に小さな花が添えられている。

「すごい……こんなの、俺食べたことない」
「でしょ? このお店、ずっと行きたくて。
 限定メニューが今月までなんですよ」

画面を見せながら、朝比奈さんが少し身を乗り出す。
窓の光に照らされて、頬がやけに明るく見えた。

いつもより声が弾んでいて、
ちょっと嬉しそうなその様子が、
なんだか新鮮だった。

「予約しておきますね!」

スマホを握ったまま笑う朝比奈さんに、
“可愛い”って言葉が一瞬浮かんで、
慌てて頭の中で打ち消した。

昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴って、
ふたりの間の空気だけ、
少し温かいままだった。

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