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第2話 団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いした拾われ娘が、朝から掃除と炊事と規律改善まで始めてしまう件
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翌朝。
ヴァルド・アークライトは、屋敷の廊下で足を止めた。
静かだ。
いつも通りの、静かな屋敷――の、はずだった。
……だというのに。
「おはようございます!保護施設のみなさーん!」
明るい声が、階段の下から突き抜けてきた。
しかも、なぜか響きが良い。天井が高い屋敷に、よく通る声が反射して、まるで朝の号令だ。
ヴァルドは眉間を寄せたまま、階段を降りる。
途中から、香りがした。
温かいパンの香りと、煮込みの匂い。
……厨房からだ。間違いなく。
嫌な予感は、当たる。
厨房に入ると、そこには――
「団長さん!起きてましたね!」
フィオナがいた。
エプロンをつけ、髪をざっくりまとめ、やたら生き生きして。
そして、オルガ婆やが、なぜか嬉しそうに腕を組んで立っていた。
「団長様。朝食が整っておりますよ」
「……整っている、のか」
厨房は、整っていた。
“整っている”などという言葉が、この屋敷の厨房に似合う日が来るとは。
棚の瓶はラベルごとに並び替えられ、鍋は磨かれ、台の上には布巾が二枚――用途別に折りたたまれて置かれている。
完璧だ。
完璧すぎる。
ヴァルドはフィオナを見る。
「……勝手にするなと言った」
フィオナは胸を張った。
「はい!だから“勝手”じゃないように、許可を取りました!」
「誰から」
「婆やさんから!」
オルガ婆やが、にこにこした。
「ええ。よろしいと思いまして。団長様の屋敷は、少々……いえ、かなり……」
言葉を濁した。
濁すまでもない。散らかっていた。散らかっている自覚はある。
ヴァルドが視線を逸らすと、フィオナが勢いよく紙を一枚差し出した。
「あと、これ!」
そこには大きく、こう書いてあった。
【保護施設 当番表】
「……」
ヴァルドの沈黙が、深くなった。
フィオナは悪びれない。
「保護施設って、綺麗だと安心するじゃないですか。あと、人は役割があると落ち着くじゃないですか。だから――当番表です!」
「屋敷だ」
「屋敷型保護施設!」
「違う」
いつもの否定が、虚しく響く。
そのとき、厨房の入口に影が差した。
「団長。朝の報告を――」
副官セシルだった。
彼は一歩入った瞬間、匂いと光景に気づいて、目を細めた。
「……これは」
フィオナが元気よく頭を下げる。
「おはようございます!翻訳係さん!」
「翻訳係では――」
セシルが言いかけて、途中でやめた。
昨日から、言葉で勝てる相手ではないと理解している。
「セシル。説明しろ」
ヴァルドが淡々と言うと、セシルは視線を宙に漂わせたまま答えた。
「……保護対象の方が、屋敷を保護施設と誤認し、衛生環境と生活導線と士気を改善しています」
「士気?」
「厨房の香りで、騎士たちが廊下に集まり始めています」
その言葉通り、廊下の奥がざわつき始めた。
鎧の擦れる音。胃袋に素直な男たちの足音。
フィオナがぱっと扉のほうへ向き直り、明るく声を張る。
「おはようございます!保護施設の皆さん!朝ごはんですよー!」
廊下にいた騎士たちが、ぴたりと止まった気配がする。
次の瞬間、誰かが小声で言った。
「……団長の屋敷って、保護施設だったのか」
「しっ、聞こえる」
「でもいい匂いだ……」
ヴァルドは、こめかみが痛くなるのを感じた。
「フィオナ」
「はい!」
「勝手に騎士団の者を招き入れるな」
フィオナは真面目な顔で頷いた。
「わかりました!じゃあ“勝手”じゃないように、許可をください!」
「……許可、とは」
「みんな、朝ごはん食べてもいいですか?って」
その問いは、まっすぐだった。
あまりにもまっすぐで、言い返す隙がない。
オルガ婆やが、くすりと笑った。
「団長様。朝から皆の腹が鳴っております。少しくらい、よろしいのでは?」
「……規律が」
「規律は、空腹で守れません!」
フィオナが即答した。
正論すぎて、ヴァルドは口を閉じた。
セシルが小さく息を吐く。
「団長。許可を出したほうが、被害が少ないかと」
「被害とはなんだ」
「……団長の威厳です」
「……」
廊下にいた騎士たちが、なぜか背筋を伸ばして待っている。
胃袋と規律が同時に揺れているのが伝わってくる。
ヴァルドは淡々と告げた。
「……許可する。ただし、騒ぐな」
騎士たちが、勢いよく敬礼した。
「はい!!」
声が大きい。すでに騒いでいる。
フィオナが嬉しそうに手を叩いた。
「わぁ!保護施設の朝は平和です!」
「屋敷だ」
「屋敷型保護施設!」
「違う」
♡
騎士たちは、厨房に並んで座った。
いつもなら考えられない光景だ。
団長の屋敷の厨房に、騎士が列を作って座る。
フィオナが大きな鍋からシチューをよそい、パンを配り、最後に――紙を掲げた。
「はい!今日の当番表です!」
騎士たちが、一斉に紙を見る。
「当番……?」
「厨房掃除、訓練後の片づけ、靴の泥落とし……」
「え、団長もあるのか」
フィオナが頷く。
「あります!団長さんは――『紅茶を飲む』です!」
騎士たちが、噴き出した。
「紅茶を飲むのが当番!?」
「うちの団長、飲まないんだよな……」
ヴァルドは、静かにフィオナを見た。
「……なぜそれが当番になる」
フィオナは当然のように言う。
「休憩は業務です!団長さん、働きすぎです!」
騎士たちが、感動したように頷いた。
「……言われてみれば」
「団長、紅茶飲んでください」
「団長、当番です」
「団長、当番なら仕方ないですね!」
ヴァルドの眉間が、さらに深くなる。
だが――止められない。
“当番”という名の規則に、騎士たちが乗った瞬間、これはもう止められない。
セシルが、静かに囁いた。
「団長、これが“民意”です」
「騎士団に民意は要らない」
「……今は必要です」
♡
朝食が始まると、空気が変わった。
騎士たちは黙々と食べ、じわじわ顔が緩んでいく。
「……うまい」
「温かい……」
「なんだこれ、胃が喜んでる」
フィオナは嬉しそうに、鍋を抱えて回った。
「おかわりありますよ!保護施設は、みんなが元気でいてほしいです!」
「……ここは屋敷だ」
「屋敷型保護施設!」
「違う」
ヴァルドの否定は、もはや日常の合いの手になってきていた。
そして――ヴァルド自身も、椅子に座らされていた。
フィオナが前に皿を置き、真剣な顔で言ったのだ。
「団長さん。あなたは当番です。紅茶を飲んでください」
……“命令”の形でしか言えないのは、自分だけではないらしい。
ヴァルドは、眉間を寄せたまま紅茶を受け取った。
一口飲む。
……温かい。
胃が、落ち着く。
優しい。
その瞬間、騎士たちの視線が集まった。
団長の表情から、評価を読み取りたいらしい。
ヴァルドは無表情のまま、淡々と言った。
「……悪くない」
騎士たちが、ざわっ、と沸いた。
「出た!」
「団長の“悪くない”!」
「それ、最高評価だぞ!」
フィオナがぱっと顔を輝かせた。
「本当ですか!?じゃあ明日も作ります!」
「……明日は――」
ヴァルドが言いかけた瞬間、セシルがすっと前に出た。
「団長。ここは適切な表現を」
「何が適切だ」
セシルは真顔で言った。
「“無理はするな”です」
「……」
ヴァルドは、フィオナを見る。
彼女は鍋を抱え、嬉しそうに待っている。
……言うべき言葉は、わかっている。
わかっているのに、喉の奥が詰まる。
ヴァルドは、いつもの形を借りた。
「無理はするな。……危ないから、ここにいろ」
フィオナは、ぱっと笑った。
「はい!ここにいます!保護施設のルールですもんね!」
騎士たちが、なぜか静かに頷いた。
セシルが、ほんの少しだけ目を細める。
そして小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。
「(訳:……そばにいてほしい)」
ヴァルドは、その囁きを聞こえなかったことにした。
けれど、紅茶の湯気の向こうで。
フィオナの笑顔が、朝の光みたいに眩しくて。
――目を逸らせなかった。
(つづく)
ヴァルド・アークライトは、屋敷の廊下で足を止めた。
静かだ。
いつも通りの、静かな屋敷――の、はずだった。
……だというのに。
「おはようございます!保護施設のみなさーん!」
明るい声が、階段の下から突き抜けてきた。
しかも、なぜか響きが良い。天井が高い屋敷に、よく通る声が反射して、まるで朝の号令だ。
ヴァルドは眉間を寄せたまま、階段を降りる。
途中から、香りがした。
温かいパンの香りと、煮込みの匂い。
……厨房からだ。間違いなく。
嫌な予感は、当たる。
厨房に入ると、そこには――
「団長さん!起きてましたね!」
フィオナがいた。
エプロンをつけ、髪をざっくりまとめ、やたら生き生きして。
そして、オルガ婆やが、なぜか嬉しそうに腕を組んで立っていた。
「団長様。朝食が整っておりますよ」
「……整っている、のか」
厨房は、整っていた。
“整っている”などという言葉が、この屋敷の厨房に似合う日が来るとは。
棚の瓶はラベルごとに並び替えられ、鍋は磨かれ、台の上には布巾が二枚――用途別に折りたたまれて置かれている。
完璧だ。
完璧すぎる。
ヴァルドはフィオナを見る。
「……勝手にするなと言った」
フィオナは胸を張った。
「はい!だから“勝手”じゃないように、許可を取りました!」
「誰から」
「婆やさんから!」
オルガ婆やが、にこにこした。
「ええ。よろしいと思いまして。団長様の屋敷は、少々……いえ、かなり……」
言葉を濁した。
濁すまでもない。散らかっていた。散らかっている自覚はある。
ヴァルドが視線を逸らすと、フィオナが勢いよく紙を一枚差し出した。
「あと、これ!」
そこには大きく、こう書いてあった。
【保護施設 当番表】
「……」
ヴァルドの沈黙が、深くなった。
フィオナは悪びれない。
「保護施設って、綺麗だと安心するじゃないですか。あと、人は役割があると落ち着くじゃないですか。だから――当番表です!」
「屋敷だ」
「屋敷型保護施設!」
「違う」
いつもの否定が、虚しく響く。
そのとき、厨房の入口に影が差した。
「団長。朝の報告を――」
副官セシルだった。
彼は一歩入った瞬間、匂いと光景に気づいて、目を細めた。
「……これは」
フィオナが元気よく頭を下げる。
「おはようございます!翻訳係さん!」
「翻訳係では――」
セシルが言いかけて、途中でやめた。
昨日から、言葉で勝てる相手ではないと理解している。
「セシル。説明しろ」
ヴァルドが淡々と言うと、セシルは視線を宙に漂わせたまま答えた。
「……保護対象の方が、屋敷を保護施設と誤認し、衛生環境と生活導線と士気を改善しています」
「士気?」
「厨房の香りで、騎士たちが廊下に集まり始めています」
その言葉通り、廊下の奥がざわつき始めた。
鎧の擦れる音。胃袋に素直な男たちの足音。
フィオナがぱっと扉のほうへ向き直り、明るく声を張る。
「おはようございます!保護施設の皆さん!朝ごはんですよー!」
廊下にいた騎士たちが、ぴたりと止まった気配がする。
次の瞬間、誰かが小声で言った。
「……団長の屋敷って、保護施設だったのか」
「しっ、聞こえる」
「でもいい匂いだ……」
ヴァルドは、こめかみが痛くなるのを感じた。
「フィオナ」
「はい!」
「勝手に騎士団の者を招き入れるな」
フィオナは真面目な顔で頷いた。
「わかりました!じゃあ“勝手”じゃないように、許可をください!」
「……許可、とは」
「みんな、朝ごはん食べてもいいですか?って」
その問いは、まっすぐだった。
あまりにもまっすぐで、言い返す隙がない。
オルガ婆やが、くすりと笑った。
「団長様。朝から皆の腹が鳴っております。少しくらい、よろしいのでは?」
「……規律が」
「規律は、空腹で守れません!」
フィオナが即答した。
正論すぎて、ヴァルドは口を閉じた。
セシルが小さく息を吐く。
「団長。許可を出したほうが、被害が少ないかと」
「被害とはなんだ」
「……団長の威厳です」
「……」
廊下にいた騎士たちが、なぜか背筋を伸ばして待っている。
胃袋と規律が同時に揺れているのが伝わってくる。
ヴァルドは淡々と告げた。
「……許可する。ただし、騒ぐな」
騎士たちが、勢いよく敬礼した。
「はい!!」
声が大きい。すでに騒いでいる。
フィオナが嬉しそうに手を叩いた。
「わぁ!保護施設の朝は平和です!」
「屋敷だ」
「屋敷型保護施設!」
「違う」
♡
騎士たちは、厨房に並んで座った。
いつもなら考えられない光景だ。
団長の屋敷の厨房に、騎士が列を作って座る。
フィオナが大きな鍋からシチューをよそい、パンを配り、最後に――紙を掲げた。
「はい!今日の当番表です!」
騎士たちが、一斉に紙を見る。
「当番……?」
「厨房掃除、訓練後の片づけ、靴の泥落とし……」
「え、団長もあるのか」
フィオナが頷く。
「あります!団長さんは――『紅茶を飲む』です!」
騎士たちが、噴き出した。
「紅茶を飲むのが当番!?」
「うちの団長、飲まないんだよな……」
ヴァルドは、静かにフィオナを見た。
「……なぜそれが当番になる」
フィオナは当然のように言う。
「休憩は業務です!団長さん、働きすぎです!」
騎士たちが、感動したように頷いた。
「……言われてみれば」
「団長、紅茶飲んでください」
「団長、当番です」
「団長、当番なら仕方ないですね!」
ヴァルドの眉間が、さらに深くなる。
だが――止められない。
“当番”という名の規則に、騎士たちが乗った瞬間、これはもう止められない。
セシルが、静かに囁いた。
「団長、これが“民意”です」
「騎士団に民意は要らない」
「……今は必要です」
♡
朝食が始まると、空気が変わった。
騎士たちは黙々と食べ、じわじわ顔が緩んでいく。
「……うまい」
「温かい……」
「なんだこれ、胃が喜んでる」
フィオナは嬉しそうに、鍋を抱えて回った。
「おかわりありますよ!保護施設は、みんなが元気でいてほしいです!」
「……ここは屋敷だ」
「屋敷型保護施設!」
「違う」
ヴァルドの否定は、もはや日常の合いの手になってきていた。
そして――ヴァルド自身も、椅子に座らされていた。
フィオナが前に皿を置き、真剣な顔で言ったのだ。
「団長さん。あなたは当番です。紅茶を飲んでください」
……“命令”の形でしか言えないのは、自分だけではないらしい。
ヴァルドは、眉間を寄せたまま紅茶を受け取った。
一口飲む。
……温かい。
胃が、落ち着く。
優しい。
その瞬間、騎士たちの視線が集まった。
団長の表情から、評価を読み取りたいらしい。
ヴァルドは無表情のまま、淡々と言った。
「……悪くない」
騎士たちが、ざわっ、と沸いた。
「出た!」
「団長の“悪くない”!」
「それ、最高評価だぞ!」
フィオナがぱっと顔を輝かせた。
「本当ですか!?じゃあ明日も作ります!」
「……明日は――」
ヴァルドが言いかけた瞬間、セシルがすっと前に出た。
「団長。ここは適切な表現を」
「何が適切だ」
セシルは真顔で言った。
「“無理はするな”です」
「……」
ヴァルドは、フィオナを見る。
彼女は鍋を抱え、嬉しそうに待っている。
……言うべき言葉は、わかっている。
わかっているのに、喉の奥が詰まる。
ヴァルドは、いつもの形を借りた。
「無理はするな。……危ないから、ここにいろ」
フィオナは、ぱっと笑った。
「はい!ここにいます!保護施設のルールですもんね!」
騎士たちが、なぜか静かに頷いた。
セシルが、ほんの少しだけ目を細める。
そして小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。
「(訳:……そばにいてほしい)」
ヴァルドは、その囁きを聞こえなかったことにした。
けれど、紅茶の湯気の向こうで。
フィオナの笑顔が、朝の光みたいに眩しくて。
――目を逸らせなかった。
(つづく)
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