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第1話 路上で拾ったのは魔物の卵ではなく寝ていた娘で、起きた瞬間「落とし物です!」と言い張るので団長として保護せざるを得なかった
王都の夜は、静かだ。
静かであるべきだ――と、ヴァルド・アークライトは思っている。
規律。責任。秩序。
騎士団長として、それらが崩れる兆しは見逃さない。夜の見回りは、職務の一部であり、習慣でもあった。
路地へ一歩入った瞬間、空気の匂いが変わった。
湿った石畳の冷気と、甘い――焼き菓子のような、場違いな匂い。
「……」
ヴァルドは足を止め、視線を落とす。
そこには――布切れの塊が、落ちていた。
いや、落ちているというより、丸まっている。
丸まって、すやすやと、呼吸している。
「……人、か」
鎧の重みよりも、ため息の重みのほうが先に落ちた。
近づき、しゃがむ。
顔を確認する。若い。少女――いや、成人手前か。頬は赤く、まつ毛が長い。泥や怪我は見当たらない。ただ、眠っているだけだ。
王都の夜道で。
普通なら、あり得ない。
普通なら、危険すぎる。
「起きろ」
肩に触れる。
揺する。
反応がない。
……気絶ではない。息は安定している。
「起きろ」
声を強めると、ようやくまぶたが震えた。
少女はゆっくり目を開け――次の瞬間、ぱっと顔を輝かせた。
「わぁ!拾ってくださってありがとうございます!」
「……は?」
「落とし物です!」
少女は胸の前で手をぎゅっと握り、心から嬉しそうに言い切った。
落とし物。
自分のことを。
ヴァルドは、人生で数えきれないほどの“報告”を受けてきたが、これは初めてだ。
「違う。……お前は、人だ」
「はい!そうです!人の落とし物です!」
「……」
言い直して悪化する例があることを、ヴァルドはこの瞬間学んだ。
少女はひょいと立ち上がろうとし、ふらついた。
反射的に、ヴァルドが腕を掴む。
その細さに、眉間がわずかに寄る。
骨が折れそうだ、と思った。思ってしまった。
「危ない」
「すみません!保護してもらってるのに!」
「……保護?」
少女はこくこく頷く。
「はい!保護!ありがとうございます!ここ、保護施設ですか?とても静かで落ち着きますね!」
「ここは路地だ」
「……路地の保護施設!」
「違う」
言い切るたびに、少女の解釈は元気になる。
もはやこれは、会話というより魔術だ。
そのとき、背後から足音が来た。
「団長」
低めの声。副官セシルだ。
見回りの交代の時間だろう。彼は状況を一瞥し、動きが止まった。
「……拾得物、ですか」
「違う」
ヴァルドは即答した。
少女が元気よく手を挙げる。
「拾得物です!私です!」
「違う」
セシルが目を細めた。
――“これは面倒な種類だ”と、彼の目が言っている。
「団長。夜道で眠っていたとなると、事情聴取と一時保護が必要です。騎士団の規定では――」
「わかっている」
ヴァルドは少女を見る。
どこか怯えがあるかと思ったが、彼女は驚くほど朗らかで、こちらを見上げている。
「お名前、書きます!住所も!」
「……今はいい」
「じゃあ!落とし物の札、つけます!」
「いらない」
セシルが小さく咳払いをした。
「団長。ひとまず屋敷へ」
「……そうする」
言葉を終えるより先に、少女がぱっと両手を合わせた。
「わぁ!保護施設へ入所ですね!ありがとうございます!」
「違う」
少女は笑った。
まるで、世界が最初から自分に優しいと信じているみたいに。
ヴァルドは、その笑顔を――眩しい、と感じた。
感じた事実に、ほんの少し腹が立った。
♡
屋敷に戻ると、迎えたのはオルガ婆やだった。
彼女はヴァルドの姿を見て「おかえりなさいませ」と一礼し――その隣の少女を見て、口角を上げた。
「まあまあ。団長様、夜に花を拾って来られたのですか」
「拾っていない」
「拾得物です!」
少女が胸を張る。
オルガ婆やが目を細めた。
「かわいい」と思っているときの顔だ。ヴァルドは知っている。厄介だ。
「お名前は?」
「フィオナです!フィーって呼んでください!落とし物なので!」
「落とし物は呼びません」
ヴァルドが言うと、フィオナはにこにこした。
「じゃあ、保護対象でいいです!」
「対象、というのも……」
セシルが言いかけて、諦めた。
彼はすでに理解している。言葉で止める相手ではない、と。
オルガ婆やが手を叩く。
「よろしい。まずは温かいお茶を。団長様、ひとまず客間を」
「……ああ」
ヴァルドは指示を出しながらも、フィオナから目を離せなかった。
危険があるわけではない。敵意もない。
それなのに、目を離すと何かが起こりそうな――そんな妙な予感がした。
客間に案内すると、フィオナは部屋に入った瞬間、目を輝かせた。
「わぁ……!保護施設って、こんなに綺麗なんですね!」
「屋敷だ」
「屋敷型保護施設!」
「違う」
もう、言い直すのも疲れた。
疲れたはずなのに、なぜか胸の奥が、ほんの少し軽い。
フィオナは机の上を見て、首をかしげた。
「この書類、散らかってますね!片づけます!」
「触るな」
ヴァルドが即答すると、彼女はぴしっと背筋を伸ばした。
「はい!保護施設のルールですね!触らない!勝手にしない!」
「……そうだ」
嘘ではない。
“勝手にするな”は、確かにルールだ。
フィオナは両手を胸の前で握って、まぶしい笑顔を向けた。
「じゃあ私、何をしたらいいですか?保護対象は、役に立つべきです!」
「……役に立たなくていい」
ヴァルドは、そう言ってから気づいた。
それは命令でも、規律でもない。
妙に柔らかい言葉だった。
フィオナが一瞬きょとんとし――それから、少しだけ口をすぼめた。
「……役に立たなくて、いいんですか?」
「ここは危ない。外へは出るな。……ここにいろ」
言ってしまった。
団長の口から出る言葉は、たいてい命令だ。だから、これも命令の形を借りた。
フィオナの顔が、ぱっと明るくなる。
「はい!ここにいます!保護ありがとうございます、団長さん!」
「……団長、と呼ぶな」
「えっ、だめですか?じゃあ、職員さん?」
「違う」
廊下の向こうで、セシルが静かに額を押さえた気配がした。
オルガ婆やの「まあまあまあ」という楽しげな声も混ざる。
ヴァルドは、フィオナを見たまま、短く息を吐いた。
――この屋敷が、今日から騒がしくなる。
確信だけが、妙に鮮明だった。
そしてその確信の中に、なぜか――
ほんの少しの、安心が混じっていることに。
ヴァルドは気づかないふりをした。
(つづく)
静かであるべきだ――と、ヴァルド・アークライトは思っている。
規律。責任。秩序。
騎士団長として、それらが崩れる兆しは見逃さない。夜の見回りは、職務の一部であり、習慣でもあった。
路地へ一歩入った瞬間、空気の匂いが変わった。
湿った石畳の冷気と、甘い――焼き菓子のような、場違いな匂い。
「……」
ヴァルドは足を止め、視線を落とす。
そこには――布切れの塊が、落ちていた。
いや、落ちているというより、丸まっている。
丸まって、すやすやと、呼吸している。
「……人、か」
鎧の重みよりも、ため息の重みのほうが先に落ちた。
近づき、しゃがむ。
顔を確認する。若い。少女――いや、成人手前か。頬は赤く、まつ毛が長い。泥や怪我は見当たらない。ただ、眠っているだけだ。
王都の夜道で。
普通なら、あり得ない。
普通なら、危険すぎる。
「起きろ」
肩に触れる。
揺する。
反応がない。
……気絶ではない。息は安定している。
「起きろ」
声を強めると、ようやくまぶたが震えた。
少女はゆっくり目を開け――次の瞬間、ぱっと顔を輝かせた。
「わぁ!拾ってくださってありがとうございます!」
「……は?」
「落とし物です!」
少女は胸の前で手をぎゅっと握り、心から嬉しそうに言い切った。
落とし物。
自分のことを。
ヴァルドは、人生で数えきれないほどの“報告”を受けてきたが、これは初めてだ。
「違う。……お前は、人だ」
「はい!そうです!人の落とし物です!」
「……」
言い直して悪化する例があることを、ヴァルドはこの瞬間学んだ。
少女はひょいと立ち上がろうとし、ふらついた。
反射的に、ヴァルドが腕を掴む。
その細さに、眉間がわずかに寄る。
骨が折れそうだ、と思った。思ってしまった。
「危ない」
「すみません!保護してもらってるのに!」
「……保護?」
少女はこくこく頷く。
「はい!保護!ありがとうございます!ここ、保護施設ですか?とても静かで落ち着きますね!」
「ここは路地だ」
「……路地の保護施設!」
「違う」
言い切るたびに、少女の解釈は元気になる。
もはやこれは、会話というより魔術だ。
そのとき、背後から足音が来た。
「団長」
低めの声。副官セシルだ。
見回りの交代の時間だろう。彼は状況を一瞥し、動きが止まった。
「……拾得物、ですか」
「違う」
ヴァルドは即答した。
少女が元気よく手を挙げる。
「拾得物です!私です!」
「違う」
セシルが目を細めた。
――“これは面倒な種類だ”と、彼の目が言っている。
「団長。夜道で眠っていたとなると、事情聴取と一時保護が必要です。騎士団の規定では――」
「わかっている」
ヴァルドは少女を見る。
どこか怯えがあるかと思ったが、彼女は驚くほど朗らかで、こちらを見上げている。
「お名前、書きます!住所も!」
「……今はいい」
「じゃあ!落とし物の札、つけます!」
「いらない」
セシルが小さく咳払いをした。
「団長。ひとまず屋敷へ」
「……そうする」
言葉を終えるより先に、少女がぱっと両手を合わせた。
「わぁ!保護施設へ入所ですね!ありがとうございます!」
「違う」
少女は笑った。
まるで、世界が最初から自分に優しいと信じているみたいに。
ヴァルドは、その笑顔を――眩しい、と感じた。
感じた事実に、ほんの少し腹が立った。
♡
屋敷に戻ると、迎えたのはオルガ婆やだった。
彼女はヴァルドの姿を見て「おかえりなさいませ」と一礼し――その隣の少女を見て、口角を上げた。
「まあまあ。団長様、夜に花を拾って来られたのですか」
「拾っていない」
「拾得物です!」
少女が胸を張る。
オルガ婆やが目を細めた。
「かわいい」と思っているときの顔だ。ヴァルドは知っている。厄介だ。
「お名前は?」
「フィオナです!フィーって呼んでください!落とし物なので!」
「落とし物は呼びません」
ヴァルドが言うと、フィオナはにこにこした。
「じゃあ、保護対象でいいです!」
「対象、というのも……」
セシルが言いかけて、諦めた。
彼はすでに理解している。言葉で止める相手ではない、と。
オルガ婆やが手を叩く。
「よろしい。まずは温かいお茶を。団長様、ひとまず客間を」
「……ああ」
ヴァルドは指示を出しながらも、フィオナから目を離せなかった。
危険があるわけではない。敵意もない。
それなのに、目を離すと何かが起こりそうな――そんな妙な予感がした。
客間に案内すると、フィオナは部屋に入った瞬間、目を輝かせた。
「わぁ……!保護施設って、こんなに綺麗なんですね!」
「屋敷だ」
「屋敷型保護施設!」
「違う」
もう、言い直すのも疲れた。
疲れたはずなのに、なぜか胸の奥が、ほんの少し軽い。
フィオナは机の上を見て、首をかしげた。
「この書類、散らかってますね!片づけます!」
「触るな」
ヴァルドが即答すると、彼女はぴしっと背筋を伸ばした。
「はい!保護施設のルールですね!触らない!勝手にしない!」
「……そうだ」
嘘ではない。
“勝手にするな”は、確かにルールだ。
フィオナは両手を胸の前で握って、まぶしい笑顔を向けた。
「じゃあ私、何をしたらいいですか?保護対象は、役に立つべきです!」
「……役に立たなくていい」
ヴァルドは、そう言ってから気づいた。
それは命令でも、規律でもない。
妙に柔らかい言葉だった。
フィオナが一瞬きょとんとし――それから、少しだけ口をすぼめた。
「……役に立たなくて、いいんですか?」
「ここは危ない。外へは出るな。……ここにいろ」
言ってしまった。
団長の口から出る言葉は、たいてい命令だ。だから、これも命令の形を借りた。
フィオナの顔が、ぱっと明るくなる。
「はい!ここにいます!保護ありがとうございます、団長さん!」
「……団長、と呼ぶな」
「えっ、だめですか?じゃあ、職員さん?」
「違う」
廊下の向こうで、セシルが静かに額を押さえた気配がした。
オルガ婆やの「まあまあまあ」という楽しげな声も混ざる。
ヴァルドは、フィオナを見たまま、短く息を吐いた。
――この屋敷が、今日から騒がしくなる。
確信だけが、妙に鮮明だった。
そしてその確信の中に、なぜか――
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