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4話
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極道、龍崎慎一郎。三十二歳。
これまでの人生、死線を幾度も越えてきた。
背中を斬られようが、目の前に銃口を突きつけられようが、眉ひとつ動かさなかった男が、今、人生最大の危機に瀕している。
それは、ただの看護師が持ってきた一膳の食事でも、一回の検温でもない。
――「恋」という、得体の知れない感情の正体である。
「……ありえん。断じて、ありえん」
龍崎は個室のベッドで、まるで経典でも唱えるかのように低く呟いた。
手元のスマートフォンで検索した結果が、彼の脳内を破壊し続けていたからだ。
『動悸 特定の人物 イライラ 独占したい』。
その検索結果に並ぶのは、揃いも揃って『それは恋です』『好きのサイン』という、甘ったるい言葉ばかりだった。
龍崎にとって、女は社交の道具か、あるいは一時の慰みでしかなかった。
そこに感情を介在させるなど、弱みを作るに等しい。
ましてや、相手は男。しかも、自分を怖がりもしない、あの無防備な佐々木陽太だ。
「失礼しまーす! 龍崎さん、お体の具合はどうですか?」
思考を遮るように、ドアが勢いよく開く。
陽太が、まるでお日様を背負っているかのような明るいオーラを纏って現れた。
「……っ」
龍崎は反射的に、持っていたスマートフォンを布団の中に隠した。
何を見ているのか悟られるわけにはいかない。
若頭が『恋の悩み相談掲示板』を見ていたなどと知れたら、龍和会の威信に関わる。
「龍崎さん? なんだか顔が険しいですよ。またどこか痛みますか?」
陽太が心配そうに覗き込んでくる。
昨日の「寂しがり屋」発言以来、陽太の距離感はさらに縮まっていた。
彼は当たり前のように龍崎のベッドサイドに椅子を引き寄せ、腰を下ろす。
「……何でもない。貴様は、いつもそうやって……気安く話しかけるな」
「えー、だって龍崎さん、僕が来ないと寂しがるじゃないですか。あ、そうだ。今日は天気がいいから、少しだけ車椅子で屋上庭園に行ってみませんか?」
「必要ない。俺は歩ける」
「ダメです。まだ傷口が開くかもしれませんから。僕が押してあげますから、行きましょう!」
陽太の押しは、龍崎の鉄の意志よりも強かった。
結局、龍崎は屈辱に震えながらも、大人しく車椅子に収まることになった。
背後で陽太が「出発進行!」と楽しげな声を上げる。
屋上の庭園に出ると、柔らかな春の風が吹き抜けた。
陽太は車椅子を止めると、龍崎の隣に並んで手すりに寄りかかった。
「見てください、龍崎さん。あっちに富士山が見えますよ」
陽太が指さす方向を、龍崎は見ようとしなかった。
代わりに、風に揺れる陽太の茶髪と、眩しそうに目を細める彼の横顔を、盗み見るように見つめていた。
白い肌。長い睫毛。少しだけ上を向いた鼻先。
この男が笑うたびに、自分の胸の奥がキュッと締め付けられる。
この痛みは、銃傷の痛みとは全く違う。
もっと深く、もっと甘く、そしてどうしようもなく、切ない。
「……佐々木」
「はい?」
「貴様は……なぜ、俺を怖がらない」
龍崎がずっと抱いていた疑問を口にする。
陽太は不思議そうに瞬きをして、それからクスクスと笑った。
「うーん、最初はちょっと強面だなって思いましたけど。でも、龍崎さんの目、すごく綺麗ですよ。嘘をつけない人の目だなって」
「……目、だと?」
「はい。さっきも僕をジッと見てたでしょう? なんだか、迷子の子犬みたいな目をしてたから。ああ、この人は本当はすごく優しい人なんだろうなって思っちゃいました」
子犬。迷子。優しい。
およそ極道の若頭には縁遠い言葉が次々と投げかけられる。
龍崎は言葉を失い、ただただ陽太を見つめるしかなかった。
「……貴様は、馬鹿だな」
「えへへ、よく言われます。でも、僕、龍崎さんとお話しするの、すごく楽しいですよ。もっとあなたのことが知りたいです」
もっと、知りたい。
その言葉が、龍崎の胸を射抜いた。
今まで、自分に近づく人間は、金か、力か、あるいは恐怖によって繋がっていた。
だが、この男はただ純粋に、龍崎慎一郎という人間そのものを見ようとしている。
――はじめての感覚だった。
誰かに、自分自身を肯定されているような。
孤独だった心の闇に、小さな火が灯ったような。
「……っ」
龍崎は、不意に湧き上がった熱い衝動に突き動かされ、陽太の手首を掴んだ。
「わっ、龍崎さん?」
「……佐々木。俺は、貴様を……」
言いかけて、龍崎は踏みとどまった。
『俺は貴様が好きらしい』。
そんな言葉、口が裂けても言えない。
もし拒絶されたら? もし笑われたら?
戦場では無敵の男が、たった一言の告白に、震えるほどの恐怖を覚えていた。
「……俺を、裏切るなよ」
結局、彼が口にしたのは、そんな独占欲を孕んだ命令だった。
陽太は一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐに満面の笑みを浮かべて、龍崎の手を両手で包み込んだ。
「裏切りませんよ! 僕は龍崎さんの看護師なんですから。どこにも行きません」
その言葉は、龍崎の乾いた心に、深い安らぎを処方した。
だが、彼はまだ気づいていない。
陽太にとっての「どこにも行かない」は看護師としての義務であり、龍崎の求める「愛」とは、決定的に食い違っているということに。
極道の若頭、龍崎慎一郎。
はじめての恋は、自覚した瞬間に、深すぎる迷路へと足を踏み入れてしまった。
これまでの人生、死線を幾度も越えてきた。
背中を斬られようが、目の前に銃口を突きつけられようが、眉ひとつ動かさなかった男が、今、人生最大の危機に瀕している。
それは、ただの看護師が持ってきた一膳の食事でも、一回の検温でもない。
――「恋」という、得体の知れない感情の正体である。
「……ありえん。断じて、ありえん」
龍崎は個室のベッドで、まるで経典でも唱えるかのように低く呟いた。
手元のスマートフォンで検索した結果が、彼の脳内を破壊し続けていたからだ。
『動悸 特定の人物 イライラ 独占したい』。
その検索結果に並ぶのは、揃いも揃って『それは恋です』『好きのサイン』という、甘ったるい言葉ばかりだった。
龍崎にとって、女は社交の道具か、あるいは一時の慰みでしかなかった。
そこに感情を介在させるなど、弱みを作るに等しい。
ましてや、相手は男。しかも、自分を怖がりもしない、あの無防備な佐々木陽太だ。
「失礼しまーす! 龍崎さん、お体の具合はどうですか?」
思考を遮るように、ドアが勢いよく開く。
陽太が、まるでお日様を背負っているかのような明るいオーラを纏って現れた。
「……っ」
龍崎は反射的に、持っていたスマートフォンを布団の中に隠した。
何を見ているのか悟られるわけにはいかない。
若頭が『恋の悩み相談掲示板』を見ていたなどと知れたら、龍和会の威信に関わる。
「龍崎さん? なんだか顔が険しいですよ。またどこか痛みますか?」
陽太が心配そうに覗き込んでくる。
昨日の「寂しがり屋」発言以来、陽太の距離感はさらに縮まっていた。
彼は当たり前のように龍崎のベッドサイドに椅子を引き寄せ、腰を下ろす。
「……何でもない。貴様は、いつもそうやって……気安く話しかけるな」
「えー、だって龍崎さん、僕が来ないと寂しがるじゃないですか。あ、そうだ。今日は天気がいいから、少しだけ車椅子で屋上庭園に行ってみませんか?」
「必要ない。俺は歩ける」
「ダメです。まだ傷口が開くかもしれませんから。僕が押してあげますから、行きましょう!」
陽太の押しは、龍崎の鉄の意志よりも強かった。
結局、龍崎は屈辱に震えながらも、大人しく車椅子に収まることになった。
背後で陽太が「出発進行!」と楽しげな声を上げる。
屋上の庭園に出ると、柔らかな春の風が吹き抜けた。
陽太は車椅子を止めると、龍崎の隣に並んで手すりに寄りかかった。
「見てください、龍崎さん。あっちに富士山が見えますよ」
陽太が指さす方向を、龍崎は見ようとしなかった。
代わりに、風に揺れる陽太の茶髪と、眩しそうに目を細める彼の横顔を、盗み見るように見つめていた。
白い肌。長い睫毛。少しだけ上を向いた鼻先。
この男が笑うたびに、自分の胸の奥がキュッと締め付けられる。
この痛みは、銃傷の痛みとは全く違う。
もっと深く、もっと甘く、そしてどうしようもなく、切ない。
「……佐々木」
「はい?」
「貴様は……なぜ、俺を怖がらない」
龍崎がずっと抱いていた疑問を口にする。
陽太は不思議そうに瞬きをして、それからクスクスと笑った。
「うーん、最初はちょっと強面だなって思いましたけど。でも、龍崎さんの目、すごく綺麗ですよ。嘘をつけない人の目だなって」
「……目、だと?」
「はい。さっきも僕をジッと見てたでしょう? なんだか、迷子の子犬みたいな目をしてたから。ああ、この人は本当はすごく優しい人なんだろうなって思っちゃいました」
子犬。迷子。優しい。
およそ極道の若頭には縁遠い言葉が次々と投げかけられる。
龍崎は言葉を失い、ただただ陽太を見つめるしかなかった。
「……貴様は、馬鹿だな」
「えへへ、よく言われます。でも、僕、龍崎さんとお話しするの、すごく楽しいですよ。もっとあなたのことが知りたいです」
もっと、知りたい。
その言葉が、龍崎の胸を射抜いた。
今まで、自分に近づく人間は、金か、力か、あるいは恐怖によって繋がっていた。
だが、この男はただ純粋に、龍崎慎一郎という人間そのものを見ようとしている。
――はじめての感覚だった。
誰かに、自分自身を肯定されているような。
孤独だった心の闇に、小さな火が灯ったような。
「……っ」
龍崎は、不意に湧き上がった熱い衝動に突き動かされ、陽太の手首を掴んだ。
「わっ、龍崎さん?」
「……佐々木。俺は、貴様を……」
言いかけて、龍崎は踏みとどまった。
『俺は貴様が好きらしい』。
そんな言葉、口が裂けても言えない。
もし拒絶されたら? もし笑われたら?
戦場では無敵の男が、たった一言の告白に、震えるほどの恐怖を覚えていた。
「……俺を、裏切るなよ」
結局、彼が口にしたのは、そんな独占欲を孕んだ命令だった。
陽太は一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐに満面の笑みを浮かべて、龍崎の手を両手で包み込んだ。
「裏切りませんよ! 僕は龍崎さんの看護師なんですから。どこにも行きません」
その言葉は、龍崎の乾いた心に、深い安らぎを処方した。
だが、彼はまだ気づいていない。
陽太にとっての「どこにも行かない」は看護師としての義務であり、龍崎の求める「愛」とは、決定的に食い違っているということに。
極道の若頭、龍崎慎一郎。
はじめての恋は、自覚した瞬間に、深すぎる迷路へと足を踏み入れてしまった。
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