強面若頭は、懐っこいナースの献身に抗えない ―極道、はじめての恋を処方される―

たら昆布

文字の大きさ
4 / 20

4話

しおりを挟む
 極道、龍崎慎一郎。三十二歳。
 これまでの人生、死線を幾度も越えてきた。
 背中を斬られようが、目の前に銃口を突きつけられようが、眉ひとつ動かさなかった男が、今、人生最大の危機に瀕している。

 それは、ただの看護師が持ってきた一膳の食事でも、一回の検温でもない。
 ――「恋」という、得体の知れない感情の正体である。

「……ありえん。断じて、ありえん」

 龍崎は個室のベッドで、まるで経典でも唱えるかのように低く呟いた。
 手元のスマートフォンで検索した結果が、彼の脳内を破壊し続けていたからだ。
『動悸 特定の人物 イライラ 独占したい』。
 その検索結果に並ぶのは、揃いも揃って『それは恋です』『好きのサイン』という、甘ったるい言葉ばかりだった。

 龍崎にとって、女は社交の道具か、あるいは一時の慰みでしかなかった。
 そこに感情を介在させるなど、弱みを作るに等しい。
 ましてや、相手は男。しかも、自分を怖がりもしない、あの無防備な佐々木陽太だ。

「失礼しまーす! 龍崎さん、お体の具合はどうですか?」

 思考を遮るように、ドアが勢いよく開く。
 陽太が、まるでお日様を背負っているかのような明るいオーラを纏って現れた。

「……っ」

 龍崎は反射的に、持っていたスマートフォンを布団の中に隠した。
 何を見ているのか悟られるわけにはいかない。
 若頭が『恋の悩み相談掲示板』を見ていたなどと知れたら、龍和会の威信に関わる。

「龍崎さん? なんだか顔が険しいですよ。またどこか痛みますか?」

 陽太が心配そうに覗き込んでくる。
 昨日の「寂しがり屋」発言以来、陽太の距離感はさらに縮まっていた。
 彼は当たり前のように龍崎のベッドサイドに椅子を引き寄せ、腰を下ろす。

「……何でもない。貴様は、いつもそうやって……気安く話しかけるな」

「えー、だって龍崎さん、僕が来ないと寂しがるじゃないですか。あ、そうだ。今日は天気がいいから、少しだけ車椅子で屋上庭園に行ってみませんか?」

「必要ない。俺は歩ける」

「ダメです。まだ傷口が開くかもしれませんから。僕が押してあげますから、行きましょう!」

 陽太の押しは、龍崎の鉄の意志よりも強かった。
 結局、龍崎は屈辱に震えながらも、大人しく車椅子に収まることになった。
 背後で陽太が「出発進行!」と楽しげな声を上げる。

 屋上の庭園に出ると、柔らかな春の風が吹き抜けた。
 陽太は車椅子を止めると、龍崎の隣に並んで手すりに寄りかかった。

「見てください、龍崎さん。あっちに富士山が見えますよ」

 陽太が指さす方向を、龍崎は見ようとしなかった。
 代わりに、風に揺れる陽太の茶髪と、眩しそうに目を細める彼の横顔を、盗み見るように見つめていた。

 白い肌。長い睫毛。少しだけ上を向いた鼻先。
 この男が笑うたびに、自分の胸の奥がキュッと締め付けられる。
 この痛みは、銃傷の痛みとは全く違う。
 もっと深く、もっと甘く、そしてどうしようもなく、切ない。

「……佐々木」

「はい?」

「貴様は……なぜ、俺を怖がらない」

 龍崎がずっと抱いていた疑問を口にする。
 陽太は不思議そうに瞬きをして、それからクスクスと笑った。

「うーん、最初はちょっと強面だなって思いましたけど。でも、龍崎さんの目、すごく綺麗ですよ。嘘をつけない人の目だなって」

「……目、だと?」

「はい。さっきも僕をジッと見てたでしょう? なんだか、迷子の子犬みたいな目をしてたから。ああ、この人は本当はすごく優しい人なんだろうなって思っちゃいました」

 子犬。迷子。優しい。
 およそ極道の若頭には縁遠い言葉が次々と投げかけられる。
 龍崎は言葉を失い、ただただ陽太を見つめるしかなかった。

「……貴様は、馬鹿だな」

「えへへ、よく言われます。でも、僕、龍崎さんとお話しするの、すごく楽しいですよ。もっとあなたのことが知りたいです」

 もっと、知りたい。
 その言葉が、龍崎の胸を射抜いた。
 今まで、自分に近づく人間は、金か、力か、あるいは恐怖によって繋がっていた。
 だが、この男はただ純粋に、龍崎慎一郎という人間そのものを見ようとしている。

 ――はじめての感覚だった。
 誰かに、自分自身を肯定されているような。
 孤独だった心の闇に、小さな火が灯ったような。

「……っ」

 龍崎は、不意に湧き上がった熱い衝動に突き動かされ、陽太の手首を掴んだ。

「わっ、龍崎さん?」

「……佐々木。俺は、貴様を……」

 言いかけて、龍崎は踏みとどまった。
『俺は貴様が好きらしい』。
 そんな言葉、口が裂けても言えない。
 もし拒絶されたら? もし笑われたら?
 戦場では無敵の男が、たった一言の告白に、震えるほどの恐怖を覚えていた。

「……俺を、裏切るなよ」

 結局、彼が口にしたのは、そんな独占欲を孕んだ命令だった。
 陽太は一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐに満面の笑みを浮かべて、龍崎の手を両手で包み込んだ。

「裏切りませんよ! 僕は龍崎さんの看護師なんですから。どこにも行きません」

 その言葉は、龍崎の乾いた心に、深い安らぎを処方した。
 だが、彼はまだ気づいていない。
 陽太にとっての「どこにも行かない」は看護師としての義務であり、龍崎の求める「愛」とは、決定的に食い違っているということに。

 極道の若頭、龍崎慎一郎。
 はじめての恋は、自覚した瞬間に、深すぎる迷路へと足を踏み入れてしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

虐げられた氷の聖子は隣国の野獣皇帝に執着(愛)されすぎて溶かされる

たら昆布
BL
暴君皇帝×薄幸の聖子

サラリーマン二人、酔いどれ同伴

BL
久しぶりの飲み会! 楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。 「……え、やった?」 「やりましたね」 「あれ、俺は受け?攻め?」 「受けでしたね」 絶望する佐万里! しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ! こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。

うるさい恋人

さるやま
BL
攻めがキモイです。あとうるさい 攻め→→→←受け

小森 陽芳(受け)
野茂のことが好きだけど、野茂を煩わしくも思ってる。ツンデレ小説家。言ってることとやってることがちぐはぐ。

野茂 遥斗(攻め)
陽芳のことを陽ちゃんと呼び、溺愛する。人気の若手俳優。陽ちゃんのことが大好きで、言動がキモイ。

橋本
野茂のマネージャー。自分の苦労を理解してくれる陽芳に少し惹かれる。

好きなわけ、ないだろ

春夜夢
BL
放課後の屋上――不良の匠は、優等生の蓮から突然「好きだ」と告げられた。 あまりにも真っ直ぐな瞳に、心臓がうるさく鳴ってしまう。 だけど、笑うしかなかった。 誰かに愛されるなんて、自分には似合わないと思っていたから。 それから二人の距離は、近くて、でも遠いままだった。 避けようとする匠、追いかける蓮。 すれ違いばかりの毎日に、いつしか匠の心にも、気づきたくなかった“感情”が芽生えていく。 ある雨の夜、蓮の転校の噂が流れる。 逃げ続けてきた匠は初めて、自分の心と正面から向き合う。 駅前でずぶ濡れになりながら、声を震わせて絞り出した言葉―― 「行くなよ……好きなんだ」 誰かを想う気持ちは、こんなにも苦しくて、眩しい。 曇り空の下で始まった恋は、まだぎこちなく、でも確かにあたたかい。 涙とキスで繋がる、初恋の物語。

【本編完結】才色兼備の幼馴染♂に振り回されるくらいなら、いっそ赤い糸で縛って欲しい。

ホマレ
BL
才色兼備で『氷の王子』と呼ばれる幼なじみ、藍と俺は気づけばいつも一緒にいた。 その関係が当たり前すぎて、壊れるなんて思ってなかった——藍が「彼女作ってもいい?」なんて言い出すまでは。 胸の奥がざわつき、藍が他の誰かに取られる想像だけで苦しくなる。 それでも「友達」のままでいられるならと思っていたのに、藍の言葉に行動に振り回されていく。 運命の赤い糸が見えていれば、この関係を紐解けるのに。

処理中です...