強面若頭は、懐っこいナースの献身に抗えない ―極道、はじめての恋を処方される―

たら昆布

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19話

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 龍崎に突き放されたあの日から、陽太の時間は止まったままだった。

 白一色の病院の廊下、いつもの消毒液の匂い、慌ただしく行き交う同僚たちの声。すべてが以前と同じはずなのに、陽太の目に映る景色からは色彩が失われていた。
 
 ナースステーションで夜勤の準備をしていても、ふとした瞬間に、あの不器用なほど大きな掌の熱を思い出してしまう。
「飽きた」という言葉が嘘であることは、看護師として龍崎の心音を、その激しい動悸を何度も聞いてきた陽太には分かっていた。だが、彼が何を恐れ、何を隠そうとしているのかまでは分からなかった。

「佐々木くん、少し休みを入れなくて大丈夫か? 顔色が悪いよ」

 声をかけてきたのは、以前龍崎に睨まれた神崎医師だった。彼は陽太の様子を案じるように眉を寄せる。
 
「……あ、神崎先生。大丈夫です、ただの寝不足で」
「例の患者さん……龍崎さんだったかな。彼に何かされたのか?」
「いえ、そんなんじゃ……。ただ、もう会えなくなっただけです」

 陽太が自嘲気味に笑ったその時だった。ナースステーションのテレビから流れるニュースが、陽太の心臓を凍りつかせた。

『本日午後八時頃、市内の繁華街で暴力団関係者とみられるグループによる大規模な抗争が発生しました。現場では銃声が確認され……』

 画面に映し出されたのは、見覚えのある龍和会の紋章が刻まれたビルだった。
 陽太の手から、持っていた体温計が滑り落ち、硬い床で虚しい音を立てて跳ねた。

(……龍崎さん!)

「佐々木くん!?」

 神崎の制止を振り切り、陽太は走り出していた。
 ナース服の上に羽織る上着すら忘れたまま、夜の闇へと飛び出す。
 
「馬鹿だ、僕は……。あんなに物騒な仕事だって、分かってたはずなのに」

 冷たい夜風が頬を打つ。息が切れて、肺が焼けるように痛い。
 タクシーを拾おうとしても、現場周辺は封鎖されているのか、一台も捕まらない。
 陽太はひたすら走った。龍崎が最後に残した「来るな」という言葉を、何度も心の中で踏みにじりながら。

 ――その頃、龍和会の事務所内は、硝煙の匂いと血の惨状に満ちていた。

 龍崎は、肩を銃弾に掠められながらも、単身で大門組の構成員を次々と叩き伏せていた。その姿は、もはや人間ではなく、大切なものを守るために理性を捨てた鬼神のようだった。

「若頭! もうこれ以上は……! 警察が来る前に脱出してください!」

 血まみれの鮫島が叫ぶが、龍崎は止まらない。
 彼の脳裏にあるのは、陽太の笑顔だけだった。
 自分がここで倒れれば、あの男に危害が及ぶ。自分がこの闇をすべて飲み込んで死ねば、あいつは明日も、あの白い病院で笑っていられる。

「……黙れ。ここで奴らを根絶やしにせねば、あいつに未来はない」

 龍崎が最後の一人を床に叩きつけた時、背後から潜んでいた大門組の残党が銃口を向けた。
 龍崎はそれを察知しながらも、身体が思うように動かない。大量の出血が、彼の意識を遠のかせていた。

 ――引き金が引かれようとしたその瞬間、事務所の重厚なドアが荒々しく開け放たれた。

「龍崎さん!!」

 場違いなほど真っ白なナース服姿の、一人の青年。
 肩で息をし、髪を乱し、涙を溜めた瞳でこちらを見つめる陽太の姿に、龍崎は目を見開いた。

「……陽、太……? なぜ、貴様が……」

 龍崎の動揺を突こうとした残党の銃弾が放たれる。だが、それよりも早く、鮫島が男を抑え込んだ。
 
 陽太は、血の海と化した床を厭わずに駆け寄り、倒れ込む龍崎の身体を抱き止めた。

「何してるんですか、龍崎さん! 傷口、開いてるじゃないですか!……馬鹿、大馬鹿!!」

 陽太の怒鳴り声は震えていた。
 龍崎は、自分の血で陽太の白い服が汚れていくのを見て、苦しげに顔を歪めた。

「……来るなと言っただろう。貴様を、こんな汚れに……触れさせたくなかったのに……」

「汚いとか、極道だとか、そんなのどうでもいいんです! 僕は……龍崎さんの担当看護師なんだから!!」

 陽太は、震える手で龍崎の傷口を強く圧迫した。
 
「龍崎さんの心臓の音を……あんなにドキドキさせておいて、勝手に止まるなんて許しません。生きてください。生きて、ちゃんと『好きだ』って言ってくださいよ!」

 龍崎は、霞む視界の中で陽太を見上げた。
 自分の命よりも大切に、自分を抱きしめている小さな手。
 龍崎は、血のついた手で陽太の頬をそっと撫でた。

「……ああ。……愛している、陽太。……死んでも、離さん」

 遠くでサイレンの音が近づいてくる。
 絶望の夜の果て、二人の運命は、より深く、より逃れられない血と涙の契りによって結ばれようとしていた。
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